惣流・アスカ・ラングレー

日系独逸人と亜米利加人の混血。

二番目の適格者、セカンドチルドレン。

僕の同僚…だった。





























RETURN TO BEGINNING


〜されど還らず


第二話 再会

by三只




































僕の住むアパートから二駅と離れていない場所。

それが紙片に記された住所だった。

こんなに近くに…。

この数年間、彼女の所在を捜さなかったわけじゃない。

でも、精神的な物理的な壁が立ちふさがり…。

いや、何を主張しても言い訳に過ぎない。

僕はただ逃げただけだ。



















駅を出た途端、緊張が更に高まった。

近くにいる。アスカが。

…僕は何を期待しているんだ? 彼女が僕を受け入れてくれるとでも?

即座に頭の隅で反論がでっち上げられる。

幾分、肩の力が抜けた。

それでも、どぶ川のウナギみたいに、濁った期待が後を引く。

もしかしたら、もしかしたら…。

でも、たぶん拒否される。

分かっているんだ。

でも知りたい。彼女に会えば思い出すかもしれない。

あの混沌とした朱色の記憶を。






…そう、僕には失われた記憶がある。

いつも、昔のことを思い出そうと試みるたびに、行き着くのは大鍋で煮込むような記憶の断片。

浮かび上がる意味を探ろうとすると、熱い痛みが脳裏に走る。

こればかりはリツコさんにも相談する気にはなれなかった。

アスカに会えば、思い出せるかもしれない。全てがはっきりするかも知れない。

記憶の欠片に金髪の少女の姿があったから。

もどかしい夜に頭をかきむしりながらそう思った。

同時に、少し安堵したのも覚えている。

たぶん、アスカに会う理由が見つかったからだと思う。

実際、もう会える段になっても戸惑うのは、やはり僕が臆病なだけだろうか…。

注意深く電柱に張り付いた住所のプレートを確かめながら、通りを右に曲がる。

その先の十字路を左に曲がれば、メモに記された住所までもうすぐだ。

やや大きめの通りに面したその店を見て、僕は思わず足を止めた。

通りにある小さな花屋。

軒先に並べられた小さな鉢植え。花の束。

花の名前なんかバラと菊にひまわりくらいしか知らない僕には、全くの未知の領域と言える。

ふと、思いついた。

アスカへの再会のお土産に、花束でももっていたほうがいいかも知れない。

迂闊にも僕は全くの手ぶらだった。

無駄になるかも知れない、という悲観さえ捨ててしまえば、それはいいアイデアに思えた。

花を抱えて微笑むアスカを想像し、少し興奮する。

その笑顔は14歳の頃のままだった。

彼女が僕に微笑んでくれたことはあったろうか?

幻想だ。でも、欺瞞だっていいじゃないか。

ほんの少しだけためらい、後ろポケットから財布を引っ張り出しつつ、僕はその小さな花屋へと足を踏み入れた。

「すみませーん」

明るい、思ったより小じゃれた店内へ声をかける。

「はーい」

返事とともに、店員さんが出てきた。

むせかえるような花の香りの中で、僕は絶句した。

そんな馬鹿な。

出てきた若い女の人は、訝しげに首をひねる。

金色の髪を無造作に後ろに束ねて、眼鏡をかけた青い瞳が僕を見た。

「……シンジ?」

足がすくむ。顔がこわばる。

ずっと聞きたかった声。もっとも忌避したかった声。

逃げ出したい。逃げられない。

心が割れそうだ。でも、微かな希望が、小さな火種のように奥底で燻っている。

だったら。

笑え、笑え、笑え…………!!





































「なによ、シンジじゃない!?」






































アスカが破顔した。

それは、とても生き生きとした笑顔。

僕の心は急に落ち着いて行く。

まるでぶちまけられたジクソーパズルが元に戻っていくように。

ああ、この笑顔だ。僕はこの笑顔が見たかった。

他には何も期待しちゃいけないのに。

「久しぶりね〜。どう、元気だった?」

優しい声。優しすぎる問いかけ。

何を言えばいいのか。

唐突すぎる再会の成功は、完璧に僕の脳みそを麻痺させていた。

口ごもり、目を伏せ、上げる。

それだけを繰り返していると、アスカは微笑んだ。

「立ち話もなんだわね。さあ、上がって上がって」

アスカに背中を押されるように、僕は奥の部屋へと連れていかれた。

「お茶でも飲みましょうよ。…っと、それより、ちょっと待ってね」

店の方へいったアスカはすぐに戻ってきた。

「休憩中の看板を出してきたわ」

と笑う。

「いいの…?」

僕なんかのために。その続きを飲み込む。もっとも彼女が嫌悪するであろう言い方だから。

「いいのいいの。お店なんて道楽みたいなものだから」

促されるままに、明るい室内の、白いテーブルにつかされる。

「紅茶でいいわよね? まあ、インスタントだけど」

弾むようなアスカの声に、僕は逆に緊張してしまう。

いい意味での期待ハズレだ。なのに素直に喜べないのは、たぶん…。

目前にソーサーに乗った薄い小さなカップ。

淡い紅茶の香りが、この光景が夢でないことを証明している。

向かいの席に腰を降ろしたアスカがいる。

「もうかれこれ、6年ぶりくらいかしら?」

クッキーを囓りながら、アスカは屈託なく笑った。

その笑顔。何も変わっていない。

あの頃と、なにも変わっていない。

そう思う。思いこむ。だって、そのほうが幸せじゃないか。

「そうだね、久しぶりだね…」

喉の奥に張り付く声を絞り出す。

ついで違和感を紅茶とともに飲み干した。

気にするな、忘れろ、微笑め。

自分に言い聞かせ、呼吸を落ち着かせる。

正面には、可愛らしく小首を傾げるアスカ。

心が踊る。暖かい波紋が広がっていく。

ささくれだった表面はそのままに。

…面会が叶ったことにより安堵した精神は、更なる欲望をもたげてきた。

訊いてみたい。

アスカが今までどんな生活を送ってきたのか、ではない。

君は。

僕を恨んでいないの?

その問いは、胸の奥で渦巻くだけで出すことができない。

ただ上目使いで彼女の眩しい笑顔を見つめる。

「どう? 今はなにをやってるの?」

「え? う、うん…」

矢継ぎ早に繰り出される質問。

こちらから訊ねられない以上、ありがたい展開だというべきだろう。

結局、部屋が茜色に染まるまで、アスカと話を続けてしまった。

その間、一度も客が来なかったのは幸運というべきだろうか?

僕は今までの6年間を洗いざらい喋らされ(さすがにミサトさんとの関係は秘密にしたが)、対価に僅かばかりの彼女の情報を仕入れることができた。

ドイツには一回も帰ってないこと。

ずっと日本にいること。

病院から退院したのは4年前。

そして2年前から花屋を始めたこと…。

楽しかった。

急速に、時間が遡ったように感じられた。

あの頃、アスカと会って間もない頃と。

だけど僕は、素直にあの眩しい季節の感慨に浸ることはできなかった。

遡行する記憶の過程にあの記憶が澱んでいるから。

布団の下の異物のように、僕に安穏をもたらしてくれない。

取り除けないそれを抱えながらも、僕は、最後には、きみの強引さは相変わらだなあと苦笑を浮かべることができた。

何杯目かも知れない紅茶に口を付ける。

暗くなりはじめた室内に、気持ちまで暗転していく。

終わりだ。

願わくば、今日、アスカと過ごした時間が幻影にならんことを。

「すっかり、話しこんじゃったね…」

部屋の電灯のスイッチを入れながら、アスカは言った。

「そうだね、あっという間だね」

即座に返事することができた。和やかな気持ちの温度がまだ口の端に残っていたらしい。

「ちょっと待ってて。店じまいしてくるから。晩ご飯、食べていくでしょ?」

「いや、僕は…」

アスカと視線があう。

その瞳の色を見るまでに、僕は図々しくもご馳走になってもいいかな、なんて思っていた。

「帰るよ」

立ち上がり、ゆっくりと僕は言った。声が震えてないことを願う。

「え? いいでしょ? あんた特に忙しくないって言ったじゃない」

「また来るから」

目を逸らし、それでもはっきりと言った。

アスカが何か言いかけるより早く部屋を出て、彼女に背を向けた。

「また来るから」

もう一度、振り向かないように言った。

アスカの顔を見たくなかった。もう一度、あの目で見られて、決心が揺らがない自信もなかった。

「そう…またね」

寂しそうな、残念そうな声。

店先まで送ってくれたアスカを、十分に距離が離れてから振り返り一つ手を振った。

薄闇の中、表情は見えない。それでもアスカは忙しく手を左右に振ってくれた。

十字路を曲がり、大通りから狭い路地へ駆け込む。

冷たい薄汚れたブロック塀に背中を預けた。

僕は震えていた。

歯の根がガチガチを鳴る。

怖かった。

アスカのあの目。あの色。

はっきりと、『男性』に期待していた目。

昔見た、ミサトさんの目にそっくりだったのだ。

分からない。

一体、彼女に何が…!?







どうして、アスカが。

僕なんかに。

どうして、アスカが。

どうして、

あの目、

ミサトさんが、

僕の、

僕は、

アスカが、

僕なんかに…………。


























続く