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凄まじいまでの意思の奔流の中、僕が自らの意識を保てたことは、奇跡だった。
さらに、今、このように僕が思考を重ねることが出来るのも、奇跡の中の奇跡だ。
ましてや、その奔流の中から彼女の意識を汲み出せたのも・・・・・・。






















永遠の・・・・


























丘の草原の真ん中に、僕は大の字に横になる。
草をなびかせながら渡る風を全身で感じる。
心地良い。
空は青く澄み渡り、雲一つない。
奇麗な空だ。
でも。
何か、寂しい。

「シンジ! 」

その声に僕は上体を起こす。
寂しさは瞬時に吹き飛ぶ。

丘を下ってくる黄色いワンピース。
鮮やかな緑とのコントラストが美しい。
草原を転がる琥珀。

僕の目前で、彼女は足をもつれさせる。

「きゃ! 」

僕はとっさに彼女を受け止める。
腕に飛び込んでくる柔らかい感触。

「アスカ、大丈夫? 」

僕は彼女に問いかける。

「・・・・・うん、ありがと」

彼女は僕にもたれたまま、呟く。

僕は何となくアスカを抱きすくめたままだ。
そんな僕らの周りを風が吹き抜ける。
その度に彼女の髪が僕の腕をくすぐる。
心地よいけど、こそばゆい。

「ごはん、ダメになっちゃったね・・・・」

見ると、アスカの持っていたバスケットは口が開いたまま地面に転がっていた。
そこからこぼれているのは、彼女手製のサンドイッチ。

「そうだね・・・・・・・」

「でも、気にすることはないよ」

僕は彼女を抱く腕に力をこめる。

「時間は、いくらでもあるんだ・・・・・・・」






森の中の一軒家。
ここが僕と彼女の家。

そこで営まれる生活。
いつもと変わらない日常。

でも、違う。

いや、違わない。

ここが僕の世界だ。




僕はチェロを奏でる。
彼女は拍手をしてくれる。

僕は料理を作る。
彼女は喜んでくれる。

幸せだ。

繰り返される日々。
楽しい毎日。

彼女は僕の傍らにいる。
僕を好きだっていってくれるアスカ。
ちょっぴり素直になったアスカ。



「シ〜ンジ」

アスカの笑顔。
明るい笑顔。
大輪の向日葵のような笑顔。

僕も微笑む。
微笑んでいける。








「あなたは、何を望むの? 」

青い幻影。

・・・・・・僕は何も望まないよ
そう、今の生活以外は

「それが、あなたの希望。たった一つの我が儘・・・・」

そうだよ
だから、もうそっとしておいてくれよ・・・・

赤い瞳の少女は、悲しそうに僕を見る。

そんな目で僕を見ないで
きみはもういないんだ、アヤナミ・・・・・・








「どうしたの? 」

気がつくとベッドの上。
傍らに寝ていたアスカが、心配そうに僕を見ていた。

「何でもないよ」

僕は、彼女の白い柔らかい手をそっと握る。

「夢を見てたんだ・・・・・・」

「夢? 」

「そう、今はもういない人の夢・・・・」

その言葉を口にしたとき。
僕の心は大きくうねった。
だから僕は彼女を抱きしめた。
優しく。
強く。
この場に縛り付けよとばかりに。

そして僕は彼女を抱きしめながら、もう一つの夢を見た。
それは、子供の頃の夢だった。

砂浜で遊んでいる僕。
積み上げた砂山の真ん中を窪ませて、そこに水を張る。
水はしばらく其処にあるけど、やがてこぼれて消えてしまう。

悲しい夢だった。








唐突な変化。

彼女は言葉を失った。
明るい笑顔はそのままに。
歌を忘れたカナリヤの如く。

僕は彼女の膝に顔を埋めて泣いた。
いずれこうなる事はわかっていた。
でも・・・・・・・

僕の頭を優しく撫でる手。
顔を上げた僕が見たのは、優しいアスカの笑顔。
とてもとても優しい笑顔。

僕は思わず彼女を抱きしめていた。

・・・・・・ボクハココニイタイ



そして、彼女は表情を失った。
笑いもせず、喋りもしない。
美しすぎる自動人形(オートマタ)
違う。
彼女はアスカだ。
アスカは生きている。
僕と一緒に生き続ける。

僕は彼女を抱きしめる。
この温もりだけは、失いたくない。



最後に、彼女は温もりを失った。
自ら動くことはなく。
光を失った瞳は、ぼんやりと僕を眺める。
もはやその手は僕を抱きしめてはくれなかった。

だから、僕は彼女を抱きしめた。
温もりがまた灯るように。








僕は、彼女を抱えて森へと行った。
アスカを還す。
始まりは僕のエゴ。
それ以上でもそれ以下でもない。

僕は、自身の心の中に器を作った。
その中に、アスカという心を満たした。
でも、その器はとても脆いものだった。
まるで砂の器のように。
器からは、アスカを構成する要素が、彼女の心がこぼれていった。

声、感情、そして・・・・命

今、僕の腕の中にあるのは、アスカであって、アスカではない。

いや。

これはアスカだ。



急に視界が開ける。
明るい広場の中央には、こんこんと泉が湧いている。
その泉の中心には、一人の少女が佇んでいた。

「綾波・・・・・・・」

彼女は僕を見ると、消えた。
蔑んでいるような、哀れんでいるような視線だった。






僕は泉に跪き、水面にアスカの身体を浮かべた。
ここから彼女の残った心が、僕の世界から溶けだしていく。

この世界の外とは、全人類の意識が融合された世界。
争いもない、絶対平和な世界。
なぜなら、そこは満たされているから。
いや、違う。
欲求が根絶された世界。
そこでは、誰も何も求めない。
求めることすら知らないのだ。

 
何もする必要がないなら、“神”とは全能だろう 


これが神へと至る手段ならば、僕は神などにはなりたくなかった。

僕は、ひたすらアスカが欲しかった。
だから抵抗した。
融け合わさっていく人類の意識の中で。

そして僕は奇跡的に僕を保てた。




アスカがゆっくりと泉へと沈んでいく。
瞼を閉じたその貌は、とても奇麗に思えた。


ソレデイイノ?


僕は顔を上げる。


アヤナミ・・・・・・・・・


綾波は、僕らを見下ろしていた。


それでいいの? 碇くん


僕は・・・・・・ゆっくりと頭(かぶり)を振る。
 

そうだね、これでいいわけないよね


僕は泉へと足を踏み入れる。
水は、冷たくもあり、温かくもあり、僕を侵す。

身体が溶ける。
心が融ける。

その前に、僕は沈んでいくアスカの腕を掴む。
そして胸元へと抱き寄せる。
彼女の身体を抱きしめる。


ありがとう、綾波
僕に気づかせてくれて


水面の少女は微笑んでいる。


いいえ、気づいたのはあなた
わたしはあなたの心の声・・・・・・


そして泉は沸き立ち、僕らを飲み込んだ。
それは、僕の心の融解。僕の作った世界の崩壊・・・・・・・




ごめんね、アスカ
君を僕のエゴに巻き込んでしまった


僕らは溶ける
僕らは融ける




ううん、そんなことないよ、シンジ
あんたと暮らしたあの時間、けっこう楽しかった


それは、世界に融ける寸前の僥倖


アスカ!!


アスカの瞼が開き、蒼い瞳が僕を見つめる。
彼女は微笑む。

僕は彼女を抱きしめる。
溶けていく両腕で。


僕たちはこれから世界の一部になる
そしてこの次元、広大な空間に散らばるんだ


うん・・・・・そうだね、シンジ


もし、生まれ変われるとしたら
もう一度きみに逢いたいよ


それは、あり得ない願望


アスカも口を開いた。
しかし、もう言葉は出てこない。
それとも、僕の耳はもう溶けてしまったのだろうか?
でも、彼女の口はこう動いた。

ア・タ・シ・モ

僕も言葉を重ねようとして、もう言葉は出てこなかった。
だから、溶けていく彼女を抱きしめ唇を重ねた。
強く強く。


















愛してるよ・・・・・・アスカ



























End





注:はっきりいって言い訳です    

この話は、サードインパクトでもしシンジに決定権が委ねられなかったとしたら・・・・というシチュエーションのもと書き出しました。

そして彼が人類との融合を拒み、自己の内宇宙に自分の世界を作ったとしたら。

そして、その世界にアスカの心を囲ったとしたら・・・・・・

と、まあ、捕捉しなきゃならないのは、わたしのへっぽこさの故です。

今回はちょっとポエマーを目指した三只でした。

でわでわ。




三只鷹久 2000/05/13

 三只鷹久さんから50000ヒット記念の投稿作品を頂いてしまいました‥‥。

 何も言いません、感じてください。

 というか、暗い陰影がこの話に独特の趣を醸し出していますね。救いの無い話ですが‥‥。

 読まれて心に残るもののあったみなさんはぜひ三只鷹久さんに感想を送ってください。

ohara@ma.catvy.ne.jp
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