1.和歌山へ
 二月二五日に関西で用事があり、その夜は新大阪に泊まった。

 翌二六日、ホテルを七時一五分に出た。新大阪駅の中の喫茶店で朝食、ホテルの朝食の四分の一の値段だ。

 阪和線の出る天王寺へ行くには、普通なら地下鉄で行く方が乗り換えがないし早いのだが、京阪神ミニ周遊券を持っているので今回はJRを使うことにし、大阪で環状線に乗り換える。大阪から天王寺はどちらへ回っても時間はほぼ同じなので、比較的なじみのない東側(森の宮経由)を回ってみた。窓から外を見ているとけっこう緑があり、大きな川が町の真ん中を流れているせいか、町にゆとりがあるようだ。電車も山手線よりずっとすいている。やはり東京の集積度が異常なのだろう。

 天王寺は味のあるターミナルだ。階段を上がると、昔私鉄だったころのおもかげを残す頭端式のホームが並んでいる。八時三〇分、京浜東北と同じ色の阪和線快速に乗る。ゆっくり座れた。どこまで行っても郊外住宅地という感じだったが、次第に田んぼも多くなり、和歌山県が近づくと山越えになる。サミットのトンネルを出ると、車窓には少し霞がかかった和歌山盆地が広がっていく。スケールの大きな景色で感動的だ。

 九時三三分、和歌山着。ここからミニ周遊券の区間外になるので切符を買い、再びホームへ。九時四五分、こんどは湘南電車の色のきのくに線に乗り、九時五八分、野上電鉄の乗り換え駅海南に到着した。
 

 2.野上電鉄
 一月の鉄道フォーラムの会議室に出ていた訪問記によると、野上電鉄は一〇時〇分発で、ここの乗り換えは2分しかない。しかしホームには野上電鉄の案内が見当たらない。野上電鉄の始発駅は日方という名でJRからの連絡口があると聞いていたのだが、よくわからない。しかたなく向かいのホームの出口へ行って尋ねたら「あっちあっち」と和歌山寄りの方だという。向こうは何もなさそうなのにと思いながら早足でホームの端まで来たら、なるほど反対側に木造の連絡口が見えた。しかし、連絡口へ通じる踏切には遮断機が降りている。折しも野上電鉄の電車がすぐ隣の始発駅を発車する音。うわっ、困った、と思ったら、踏切の向こうから「電車乗るの?」と声がする。「乗ります、乗ります」と返事したら、手回しのハンドルで遮断機を開けてくれた。

 連絡口へ駆け込んだらちょうど単行の電車が着いたところで、私とあともうひとり、なつかしい油のにおいのする車内に乗り込んだ。客は一二人、地元の言葉で声高にしゃべるおばあさんが中心で、鉄道ファンなどはいない。体育会系という感じの若い車掌さんが乗っていた。終点まで四六〇円。運転席は左に片寄らず中央にあった。

 駅はほとんど無人で、運転手と車掌がブザーで連絡をとって乗降の終了を確認してから発車になる。駅名表示板はたいてい錆びついていて、余計な費用は一切かけないという強い決意がうかがわれた。途中、かなり客の出入りがあったが、だいたい終始1桁と2桁の間をいったりきたり。一人の女子高校生が卒業アルバムらしいものを持っていた。このごろのはカラー印刷のしゃれた箱に入っているらしい。

 重根(しこね)駅で少し停車して上りと交換する。窓から古典的なタブレットを受け渡ししていた。故障したら大変なことになる信号を設備するよりは、タブレットの方が安くて確実だ。受けとったタブレットは、運転席の右下に無造作におかれていた。

 途中まではみかん畑がたくさんあったが、やがて勾配がきつくなり、紀伊野上を出ると右側に貴志川が表れる。電車はその岸の崖のようなところをゆっくりと登っていく。ところどころに紅梅が咲いていて彩りを添えている。
 

 終点が近づくと客は減って、最後は3人。一〇時三一分に登山口駅に着いた。電車のモーターが止まるとあたりは急に静かになる。先の方に留置してある電車のすぐわきに洗濯物が干してあって、のんびりした生活のにおいがする。

 車両を外から見ると、横腹には、淡路島のホテルの宣伝が大書してあった。そのコピーにいわく、「これが淡路か、ニースじゃないか」 うーん、レトロなのか、単に古いのか。まあ、野上電鉄には似合っているかもしれない。

 一〇時三九分、またもとの車両で出発。いま来た道を引き返す。車掌も同じく体育会系氏。客はさっきより多く、だいたい二〇人前後で推移する。

 電車をあらためて見ると、デ一〇型、定員七二名と書いてある。持参の資料によると富山地鉄からやってきた車両らしい。それにしてもこんな車両に七〇人も乗ったら動くのかしらん。

 また重根で交換があり、タブレットを受け渡しして、やがてさっき乗った海南駅連絡口に到着。しかし、こんどは少し時間があるので、そのまま日方駅まで、といってもすぐそこに見えているが、ともかく本当の終点まで乗る。そばに電車が6、7両止まっていたが、今のダイヤでは何両が現役なのだろうか。

 歴史を感じさせる木造の駅舎の切符売り場の横に、野上電鉄廃止反対の署名用紙がおいてあったので、さっそく署名。ほかには廃止の動きに関係ありそうなものは何もなかった。
 

 日方駅を出て、JRの踏切を渡り、ぐるっとかなり遠回りして海南駅に出た。途中の大通りのバス停は最初が野鉄日方駅前、次が海南駅前、と律義に分かれていた。

 一一時二四分のJRきのくに線に乗り、一一時三八分和歌山着。

 

 3.和歌山線
 さて次は和歌山線である。和歌山駅で四〇分近く時間があったので食事をしようかとも思ったが、やはり旅に出たら駅弁がよい。迷った末二段重ねの幕の内を買う。駅弁の基本は幕の内である。つまみに蒲鉾の小さいのを買ったが、結局これはそのまま家へのおみやげになった。

 ミニ周遊券の区間外になる和歌山〜高田の切符を買ったら一四二〇円した。そうか、和歌山線は地方交通線だったのか。終点の王寺までは八七・九キロもあり、そこを二時間一六分で走るから、表定速度は三九キロ近い。急勾配のある単線としてはかなりがんばっている方だろう。

 
 一二時一六分発。かすかにクリーム色がかった白地に赤の太い帯の電車の3両編成で、ロングシートが7割うまるくらいの乗客があった。ワンマンカーとしては3両というのはかなり長大な感じがする。

 ロングシートで弁当を食べ、しかもビールを飲むのは若干の勇気を要する。しかし、グリーン車があるわけではないし、いまはどうしようもない。旅の大きな楽しみである駅弁を犠牲にするわけにはいかないから、勇気を出してひざにかばんをのせてテーブルにして弁当を広げる。ビールはおくところがなくて、常に左手に持っているはめになった。

 弁当はちょっと冷たかったけれど、内容は質量ともにとても良かった。肉は牛・豚・鳥、魚はさばとあなご、野菜多数、という多彩なメンバーが揃っていた。竹の子の煮たのなんぞはどーんと大きくて、東京の飲み屋だったらこれを適当に切ってこぎれいな皿に並べれば六〇〇円ぐらいのつまみにはなりそうだ。

 
 線路は最初のうちはたいした勾配もなく、明るい南国の農村風景が広がる。もちろん、みかん畑も多い。あざやかな赤に塗られた鉄橋で紀ノ川を渡ると、少しずつ平野がせばまってくる。弁当を食べ終ってのんびりするころには、かなり山が迫り、紀ノ川沿いに細かいカーブを繰り返すようになった。

 中飯降を過ぎると奈良県に入る。たいした標高ではないのだが、山の姿はかなりの深山の趣だ。せっかく景色のよいところなのに、この先少し居眠りをしてしまい、気がつくともう五条駅。いつのまにか車掌さんが乗っている。五条駅では5分停車だった。コンクリートの古びた大きな給水塔がおもしろかったので、降りて写真を撮った。

 
 次はいよいよスイッチバックの北宇智駅。最後尾に立って見ていると、駅へ入るところではポイントが重なってX字型になっていた。ホームは2面、確かに山の中ではあるが、駅自体はわりと広く明るいし、近くに人家もけっこうある。奥羽本線の板谷峠のように山以外なにもないのとはかなり雰囲気が違う。

 交換もなく、あっさりと発車し、ごとごととポイントを越えてすぐ本線に出る。二〇パーミルの勾配はさらに続くが、まもなくサミットとなり、こんどはひたすら下り坂である。この間、トンネルはまったくない。

 次の吉野口では、 近鉄の電車がとなりに止まっていた。 ホームには「京都方面」という表示も見える。ほんとうは京都まではこれが早かったのか、と思いつつ時刻表を見たが、近鉄の路線は長大・複雑でよくわからない。ミニ周遊券でないときにまた研究しよう。

 その後も勾配はゆるやかになるものの下り続け、一四時三二分終点王寺に到着した。

 
 すぐに関西本線快速に乗り、一四時四九分奈良着。2分の違いで奈良線の快速には間に合わない。災いを転じて福とすべく、重厚な奈良駅駅舎を見学した。去年の日光と二条の駅に続き、今回は奈良駅を見ることができたから、次は門司港駅を見なくてはと思う。

 一四時五八分奈良発、奈良線で京都へ向かう。近鉄でなく奈良線、しかも各駅停車に乗るというのもミニ周遊券ならではのことだ。快速が四六分で走るところを六九分かかる。快速に抜かれる各停となると七六分もかかる。途中駅を見ていると、上下列車の交換設備はかなりたくさんあるのに、追い越し設備は少ないようだ。

 一六時〇七分京都着。

 
 新大阪を出て以来、二六〇・九キロの旅だった。あとは「ひかり」でまっすぐ東京へ帰るのみで、これはどちらかというと仕事の一部ということになる。