三連休のまん中の九月二四日土曜日、新潟県のミニ私鉄蒲原鉄道に乗りに出かけた。

 実は、その3週間ばかり前にも蒲原鉄道を目指したことがあった。業界団体の公務で磐越西線沿いの温泉に泊まり、翌日はフリーだったので、前から気になっていた蒲原鉄道に乗ってみようと思い、新津方向の快速に乗ったのだった。しかしこのときは、ビールを飲んで弁当を食べたらついうとうとしてしまい、はっと気がついたら乗換駅の五泉を発車したところだった。引き返すには接続が悪すぎて時間がなく、泣く泣くあきらめて新潟からまっすぐ帰った。せっかくただで行かれるはずだったのに…。

 もちろん、そんなに意地をはってすぐに出かける必要はまったくなかったのだが、ハートランドフリーきっぷのちらしを見ているうちにやっぱり行きたくなり、下の娘(まだ運賃タダ)を連れて出かけることにした。

 ちょっとぐずぐずしていたら、上越新幹線に東京から乗るには時間がきつくなってしまったので、やむを得ず上野で乗換えとする(私は池袋から山手線外回りでアプローチ)。 乗ったのは一〇時一三分上野発のMaxあさひで、もともと、特にMaxを目指したわけではなかったが、磐越西線・蒲原鉄道への接続がよかったのでこの列車にした。途中駅の上野からで座れるかなと心配だったが、2階にちゃんと席を確保できた。2階は9割、1階は6割程度の乗車率だった。

 2階は3+3の席で天井もかなり低いと聞いていたが、在来線の普通車の2階を知っているので、まあこんなものかなという感じだった。車内販売はワゴンを使えないので回ってこないのかと思っていたら、首から品物を下げてやってきた。しかし、たいへんそう。弁当は自動販売機で買えるようになっていた。あと、ちょっと変っていたのは男性用の小のトイレ。三角にとがっていて、色が黄色いせいもあって、どう見てもキツネの顔だ。

 子供はすぐに腹が減る。駅弁は買ったがおやつまでは頭が回らなかったので、一一時前にもう昼食とする。高崎で人が減って、7割ぐらいとなる。

 一二時〇分、新潟着。子供の手を引いて磐越西線のホームへ走る。一二時〇五分発。分岐する新津までは無停車である。土曜日なので高校生が多いが、途中小学生も乗っていた。娘には、小学生の列車通学が珍しかったようで、帰ってからもこのことを話していた。一二時三七分、こんどは居眠りをするひまもなく五泉着。上り下りほぼ同時に到着する。下り列車はこのまえ寝過ごした列車である。

 
 跨線橋を渡ってからホームを降りて踏切を渡ったところに、蒲原鉄道のホームがあった。一二時三九分発。昭和二七年東電工業製のモハ三一という車両1両だった。もちろんワンマン。木の床に油がしみこんだなつかしい香りがする。娘は「わあ、窓が開くんだね」と歓声をあげた。すると隣に座ったおばあさんが、「窓がときどき落ちてきて手を挟むから、気をつけなさい」と注意してくれた。

 途中駅は今泉一つ。ずっと道路が平行していて、車がどんどん追い越していく。これならバスでも十分なのだろうな、と思わずにはいられなかった。八分で終点の村松着。一一分して折り返し五泉ゆきが発車。

 そのあと、また五泉での乗換えが三分と、接続がよすぎてあわただしい。しかし、おかげで子供の体力の範囲内で夕方までに帰宅できる。

 
 一三時三七分新潟着。一三時四三分の「あさひ」に急いで乗るのはさすがにやめて、一三時五四分の臨時の「あさひ」にした。本当はもう少しゆっくりして、そばでも食べて一杯やって、と思ったのだが、その次というと一五時〇分になってしまうので断念。そばは車内持ち込みのざるそばをホームで買った。

 すいていたので、無賃の客も横になって昼寝し、のんびり帰京することができた。