山口・広島終着駅紀行

――――小野田線・可部線・アストラム

(2000年) 

 その後の断章の目次へ 


 福岡で用事が終わり,14時09分博多発の「こだま」に乗った。
 九州は何度か行って,鉄道の距離でいうと8割近く乗っていると思うが,山口県にはまだ降りたことがなかった。広島県も,福山以外には降りたことがない。この機会に,比較的短時間で回れる小野田線の本山支線と,途中から廃止の話もある可部線を訪ねてみることにした。
 発車してさっそく広げたのは「九州味めぐり」という弁当で,博多の明太子(もちろんナマではなく,明太子味の練り物),熊本の辛子レンコン,鹿児島の豚とんそく,ふぐのからあげなど,九州各地のおかずをとりそろえ,真ん中に九州の形に抜いたご飯がある。多彩な味の楽しめる弁当だ。
 

(1)宇部線・小野田線

 朝早かったので食べたとたんに眠くなり,14時52分着の厚狭(あさ)で寝すごす寸前にあわてて下車した。厚狭は新幹線でもっとも新しい駅だが,もともと美祢線への乗換駅であり,跨線橋の上から見る駅構内はかなり広く,なかなかの貫禄である。
 14時58分発の山陽本線上り広島行きに乗る。首都圏では見られない黄緑色のシートには,この後も何度か出会うことになる。
 次の小野田で小野田線に乗り換える宇部駅のクモハ42こともできるが,接続待ち時間が少し少ない宇部回りにすることにし,15時07分,宇部着。24分の待ち合わせとなる。改札口を一度出ようとしてふと振り返ると,なんとこれから行く小野田線の本山支線にいるはずの旧型国電クモハ42が側線(といってもホームとホームの間)にいた。なぜここにいるのかと不審に思ったが,後で聞いたところによると,週2回下関まで検査に出かけているとのことだった。
 今日は比較的暖かいが,天気予報どおり,曇ってきた。15時31分,宇部線の4両の電車で居能(いのう)へ向かう。発車してまもなく右にカーブして分かれ,平坦な線路を行く。途中,厚東(ことう)川を渡る。15時38分居能着。有人駅で,側線が3本ある。駅員に断って改札を出たが何もない。かろうじて本屋があったが,狭くてとても立ち読みできる雰囲気ではない。
 16時03分,小野田線の小野田行きに乗る。ワンマンの1両編成で,1人分ずつくぼんだシートはカラフルに色分けされている。再び厚東川を渡る。
  

(2)クモハ42で長門本山へ

 16時11分,本山支線との分岐駅のクモハ42の車内s雀田に着く。小野田・宇部・居能・雀田はそれぞれ線路で結ばれて四角形になっているので,その3辺を通って雀田にやってきたわけである。見ると,ちゃんとさっきのクモハ42001が来ていた。ホームにはクモハ42の説明板もある。昭和8年製造だが,よく手入れされているようで,チョコレート色の塗装も鮮やかである。
 ホームは,鶴見線で旧型国電が活躍していたころの分岐駅武蔵白石と同様,八の字型に広がっている。有人駅で,八の字の間に小さな駅舎があり,コーヒーの自動販売機がある。カップ式で90円は安い。
 16時27分,長門本山行きのクモハ42が発車した。もちろん1両のワンマン半自動ドアで,青いクロスシートに客は3人。横ゆれの具合が何ともなつかしい。あっけなく5分で終着駅の長門本山に着いた。まったくの行き止まりの終着駅だが,目の前の道路の向こうは海で,明るい雰囲気だ。
長門本山にて 6分滞在し,16時38分発で折り返す。こんどは乗客は私1人。途中,菜の花の黄色が鮮やかだった。雀田で乗り換えるとき運転手さんに乗車証明書をもらおうとしたら,「駅で買えますから」といわれ,さっき見た窓口へ。「本山から小郡まで」といったら,「どこ通って行きますか」と聞かれ,何というべきか一瞬迷って「宇部新川乗り継ぎで」と答えた。

 3分の待ち合わせでまた1両の小野田線に乗ってさっき乗った居能を過ぎ,次の宇部新川で乗り継ぎとなる。接続駅ではないが,運転上の拠点駅らしく,構内はかなり広いし,駅周辺の町の規模もかなり大きい。後で資料をみたら,宇部の事実上の中心駅はここ宇部新川で,一時宇部駅を名乗っていたこともあるという。9分待って17時06分発。
 田んぼのところどころで菜の花が咲いている。曇っていて,菜の花畠に入り日は見えなかったが,夕暮れの平和な景色である。
 17時51分,小郡着。18時15分の「ひかり」で広島へ向かう。

(3)可部線の悲劇

 翌朝起きたら,これも予報どおり,雨だった。ホテルを出てすぐ,コンビニでビニール傘を買う。350円で十分な品質である。昔,出先で急な豪雨に遭い,出張の日当が折りたたみ傘に消えてしまったことを思い出す。市電で駅へ行く。
 今日は可部線に乗る。途中の可部までの電化区間では電車は頻繁に出ているが,その先は廃止の話が出ているくらいで,極端に本数が減る。特に加計(かけ)から先は1日に5往復しかない。そんな中で,8時46分発の可部行きはもっとも効率がよい便で,可部ですぐ接続があり,60キロ先の終点三段峡まで往復して午後1時に広島に戻れるのである。
 2両のロングシート,半自動ドアの電車は,西へ向かって発車し,旧太田川を渡る。広島は水の豊かな都市であることを実感する。次の横川(よこがわ)駅では山陽本線の北側のホームに入り,そこから大きく右へカーブして北へ向かう。太田川放水路を斜めに横断し,しばらく放水路を見下ろして走る。このあたりはかつて川の改修にともなって線路を移動させたそうだ。
 川を離れると,住宅の間を縫うように進む。高層マンションは少ないが,一戸建てはびっしりと並んでいて,ところどころにウメが咲いている。ほぼ各駅に交換設備があり,実際に交換が頻繁にある。

 悲劇がやってきたのは,放水路を離れて安芸長束(あきながつか)を過ぎたあたりである。2,3日前から腹の具合が良くなかったのだが,飲食にさしつかえるということはなかった。それで油断して夕べ食べ過ぎたせいか,急に腹痛が襲ってきたのである。この電車にはトイレはない。
 無人駅が続き,駅にトイレはありそうにない。車掌さんにトイレのある駅をきこうかと思う間もなく,電車は大町駅に入った。見ると目の前にトイレがある。もう選択の余地はなく,下車した。
 大町はアストラムラインの接続駅としてできた新しい駅で,トイレはきれいだった。それはよかったのだが,乗ってきた電車は当然すぐ発車してしまった。これで,当初予定の可部発三段峡行きの列車に間に合わなくなってしまった。その次の三段峡行きまではなんと3時間半の間隔があり,これを待つと広島へ戻るのは夕方になってしまう。でもまあともかく可部まで行ってみようと,15分後にやってきた電車に乗り,9時44分に可部に着いた。
 着いてはみたものの,やはり3時間待つわけにはいかない。可部線はとりあえずすぐ廃止にはならないようなのでまたの機会にということで,時刻表を開いて検討した結果,アストラムラインに乗ってみることにした。切符は三段峡まで買ってあったが,この先は放棄し,差額の790円をJRに寄付した形になった。

 可部は行き止まりの線路と三段峡方向へ直通する線路が並んでおり,私の故郷の横須賀駅に似た構造である。10時08分の広島行きは,いま乗ってきた電車が折り返すのかと思ったら,次の10時03分着の電車が折り返すのだった。こちらは114系4両で,トイレもある。これなら何の問題もなかったのにと,車両運用も恨めしい。
 あとで地図を見て気づいたのだが,広島駅を反対方向に出発する可部線と芸備線は,やがてどちらも北へ向かい,上八木―梅林あたりでは太田川を挟んで500メートルぐらいまで接近するのだった。

 

(4)アストラムライン

 10時21分に再び大町に着いた。アストラムラインの駅へは階段を上がってすぐだった。この線は,両端ともJRへの接続がなく,ここが唯一の接続駅である。
 ホームに「新交通システム唯一の急行運転実施中」というポスターがあったので発車時刻表をよく見たら,急行は平日2往復,休日1往復だけだった。東武東上線の特急のような象徴的存在である。
 10時31分発の広域公園前行きに乗った。雨にけぶる町と川を見下ろして,ごとごと走る。長楽寺という駅のそばには車庫や検査場があり,両方向から出入りできる線路が見えた。その先は谷に添うようにカーブが多くなり,緑も多くなる。しだいに左へ方向を変えていく。
 この線には,学校の名を併記した駅が5つあるが,そのうち大塚(おおづか)は「市立大学口」となっていた。確かに「前」とするには遠いようだ。10時49分,終点の広域公園前着。見下ろすと,駅の周辺には広い中古車展示場が広がっていた。

 折り返しの電車は,掃除のおばさんを乗せて入線雨の高架を行くしてきた。11時01分発で元の道を引き返す。
 さっき乗った大町を過ぎ,不動院前の手前で川をわたり,しばらく川沿いを行く。白島(はくしま)を過ぎると新幹線の線路をくぐり,地下へもぐる。予備知識がなかったのでちょっと驚いたが,最後の部分は完全に地下鉄になるのだった。
 11時37分,終点の本通(ほんどおり)着。

 せっかく市内の中心部へやってきたので,少し歩いて,原爆ドームを見学する。三段峡へ行かれなかったのは,「初めて広島に降りたのに,平和記念公園を無視するな」という天の声だったのかもしれない。
 市電で駅へ戻り,当初予定より1本早い「のぞみ」で帰京した。

 

  jump: このページの始めへその後の断章目次へ鉄道の章 序へ