京浜急行と弘南バスが運行する「ノクターン」号は,この日はバス5台で運行されていた。ターミナルの案内放送は「弘前行き」としかいわない。五所川原へ行くのはほんの付録のようだ。10:15発のはずが遅れて,10:30ごろ出発した。
目が覚めると,バスは雪の中を走っていた。弘前でたくさん降りて,残ったのは7人。弘前着はほぼ定刻だったが,最後に少し渋滞して10分遅れの8:25 ごろ五所川原着。小雪が舞っている。空はわりと明るい。
バスターミナルでソバで朝食とする。体が暖まった。
腕木式の信号機がある津軽飯詰でタブレットの交換があった。嘉瀬ではおばあさんの集団がなんと30人以上も乗ってきて,立つ人が十数人という混雑となった。車内はほがらかな話し声でいっぱいになったが,ほとんど何もわからない。しかしそれもつかの間,次の金木(かなぎ)でみな降りていった。太宰治の生地金木では上りと交換があった。
すいたので,窓ガラスが凍りついていない左側へ移る。青空が半分見えて,陽があたってきた。芦野公園で,例の雪国美人が降りていった。
車内に「五農校 川柳会」という中吊りがあって,生徒の川柳が十数句手書きで書いてあった。冬の津軽鉄道が題材で,ストーブ列車がたくさん登場する。車内でもうひとつ珍しかったのは,文庫本の本棚である。駅の持ち寄り文庫は都内でもあちこちにあるが,車内のは初めて見た。
窓口で「金木まで」といったら,「金木までは今日は無料になってます」といわれて「どかまけの日列車」という黄色い無料券をくれた。2月6,7日のみ有効,途中下車禁止の金木ゆきの券で,金木の商店街が協賛しているものだった。商店街の振興のためのものなのに観光客まで無料では申しわけないが,ありがたく乗せていただく。車内は,さっきほどではないが,黄色い券を持ったおばさん・おばあさんたちでいっぱいだった。
10:02ごろ,金木で下車。雪は相変わらずちらちら降っている。6,7分歩いて,太宰治の記念館「斜陽館」へ行く。太宰の生家で,後に人手に渡って旅館になっていた家を改修してそのまま記念館にしたもので,聞きしにまさる豪邸である。れんがの立派な塀が雪に映えている。
再び駅まで歩く。商店街には「どかまけの日」の旗が林立していた。風が弱いのでそれほど寒くはない。今日も見るともなしに見ていると,地元の人,特に若者はそれほど厚着をしていない。コートはたいして大げさではなく,女子高校生は勇ましくナマ足もいる。そういえば,東京からのバスに乗っていた北国美人は,コートなしで,ちょっと厚めの毛糸の上着を着ていただけだった。ただ,靴はみなしっかりしたものをはいているのと,傘をさしている人が皆無なのが東京と違うところだ。
あわただしく11:53 の五能線弘前行きに乗る。4両もつないだ列車だった。ここも左側の窓は雪がこびりついている。高校生を見習って,窓を開けてまた閉めて振動を与えたが,外は少ししか見えない。右側の窓は同じようにするとけっこう見えるようになるのだが。板柳で交換,相手は少し遅れてきた。
弘南鉄道弘南線のホームに急ぎ,1:00 の電車に乗る。2両つながったワンマンカーで,種村流の表現を借用すれば,ロングシートがさらっとうまるくらいの乗客がいた。しばらく奥羽本線と並んで進み,左へ分れてすぐ次の駅東工業高前となる。雪の平原を坦々と進み,館田で交換,次の平賀には車庫があって,車両がたくさん並んでいる。高校生の入れ替わりがけっこうある。
車両は元東急のものらしく,吊革はなぜか東急時代の「Bunkamura」とか「109 Shibuya」というプレート(というのかどうか)のままである。こういうのはスポンサーがないと作り直すのもばかばかしいということなのだろうか。1:30 黒石着。駅はかなり大きなスーパーにつながっていた。
折り返しは1:50 発,同じ道を戻る。雪は少しだがずっと降っていて,景色はあまり見えない。2:20 ごろ弘前着。
昨年春に八戸線と三陸鉄道北リアス線,秋に岩泉線と山田線に乗ったので,東北地方の未乗線区はかなり少なくなった。北のほうでは津軽線の末端部分が手強い存在である。