津軽冬景色

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(1) ノクターン
 前から津軽鉄道に乗りたいと思っていたが,東京からは,接続駅である五能線の五所川原まで行くだけでもたいへんである。通常の方法では,津軽鉄道全線に乗って日帰りするのは不可能だ。しかし,調べてみると,ずばり五所川原に朝到着する夜行バスがあった。
 2月5日(金),防寒の服装をして,会社へ行く。電話で京浜急行の夜行バス「ノクターン」五所川原行きを予約,昼休みに旅行会社でチケットを受け取る。夜,飲まず食わずで室内楽の演奏会を聞く。
 演奏会場から浜松町へ行く途中,有楽町駅の中のコンビニで夕食用の弁当を買う。結果的にこれが正解で,浜松町のバスターミナルに着いたときには,中の売店はもう閉店するところで,食べ物はあまり残っていなかった。

 京浜急行と弘南バスが運行する「ノクターン」号は,この日はバス5台で運行されていた。ターミナルの案内放送は「弘前行き」としかいわない。五所川原へ行くのはほんの付録のようだ。10:15発のはずが遅れて,10:30ごろ出発した。

 目が覚めると,バスは雪の中を走っていた。弘前でたくさん降りて,残ったのは7人。弘前着はほぼ定刻だったが,最後に少し渋滞して10分遅れの8:25 ごろ五所川原着。小雪が舞っている。空はわりと明るい。
 バスターミナルでソバで朝食とする。体が暖まった。

 

(2) 走れメロス
 津軽鉄道は津軽五所川原駅と名乗っている。8:46 20人ほどの乗客を乗せた単行のディーゼル「走れメロス」号が発車した。築堤の上を,雪の平野を見渡しながらゆっくりと走る。風向きの関係か,進行方向右側の窓は雪がびっしり凍りついていて何も見えない。2つめの五農校前で高校生が降りて,早くも乗客は半分になる。ふと見ると,さっき東京からのバスで斜め後ろにいた仮称雪国美人も乗っている。

 腕木式の信号機がある津軽飯詰でタブレットの交換があった。嘉瀬ではおばあさんの集団がなんと30人以上も乗ってきて,立つ人が十数人という混雑となった。車内はほがらかな話し声でいっぱいになったが,ほとんど何もわからない。しかしそれもつかの間,次の金木(かなぎ)でみな降りていった。太宰治の生地金木では上りと交換があった。
 すいたので,窓ガラスが凍りついていない左側へ移る。青空が半分見えて,陽があたってきた。芦野公園で,例の雪国美人が降りていった。
 車内に「五農校 川柳会」という中吊りがあって,生徒の川柳が十数句手書きで書いてあった。冬の津軽鉄道が題材で,ストーブ列車がたくさん登場する。車内でもうひとつ珍しかったのは,文庫本の本棚である。駅の持ち寄り文庫は都内でもあちこちにあるが,車内のは初めて見た。
 

(3) どかまけの日
 9:31 終点津軽中里着。大きなスーパーの片隅に改札,という駅で,スーパーがちょうど9時半に開店したところだった。ストーブ列車の発車までは1時間20分ある。ちょっと迷ったが,9:45 の折り返し列車に乗って,ストーブ列車は金木から乗ることにする。

 窓口で「金木まで」といったら,「金木までは今日は無料になってます」といわれて「どかまけの日列車」という黄色い無料券をくれた。2月6,7日のみ有効,途中下車禁止の金木ゆきの券で,金木の商店街が協賛しているものだった。商店街の振興のためのものなのに観光客まで無料では申しわけないが,ありがたく乗せていただく。車内は,さっきほどではないが,黄色い券を持ったおばさん・おばあさんたちでいっぱいだった。

 10:02ごろ,金木で下車。雪は相変わらずちらちら降っている。6,7分歩いて,太宰治の記念館「斜陽館」へ行く。太宰の生家で,後に人手に渡って旅館になっていた家を改修してそのまま記念館にしたもので,聞きしにまさる豪邸である。れんがの立派な塀が雪に映えている。

 再び駅まで歩く。商店街には「どかまけの日」の旗が林立していた。風が弱いのでそれほど寒くはない。今日も見るともなしに見ていると,地元の人,特に若者はそれほど厚着をしていない。コートはたいして大げさではなく,女子高校生は勇ましくナマ足もいる。そういえば,東京からのバスに乗っていた北国美人は,コートなしで,ちょっと厚めの毛糸の上着を着ていただけだった。ただ,靴はみなしっかりしたものをはいているのと,傘をさしている人が皆無なのが東京と違うところだ。

 

(4) ストーブ列車
 11:19 発のストーブ列車に乗る。客車が3両もつながっていたのにちょっと驚いたが,後ろの2両は団体用として締め切ってあった。ストーブは2つのボックスをつないだスペースに作られていた。なつかしいだるまストーブである。途中で火が弱くなったころ,車掌さんが座席の下にある石炭バケツから石炭を補給した。
 ストーブの写真を撮ったところで,カメラが2つ(デジカメ・アナカメ)とも電池切れになってしまった。
 11:46 終着津軽五所川原着。津軽鉄道の駅名には「津軽」がつき,駅舎も改札もJRとは別になっているが,中はいっしょで,跨線橋でつながっている。混浴の露天風呂のようなものだ。いちおう津軽鉄道の改札からおばさん駅員に切符を渡して外へ出て,JRの駅で切符を買った。売店で単三電池を買い,デジカメが生き返った。

 あわただしく11:53 の五能線弘前行きに乗る。4両もつないだ列車だった。ここも左側の窓は雪がこびりついている。高校生を見習って,窓を開けてまた閉めて振動を与えたが,外は少ししか見えない。右側の窓は同じようにするとけっこう見えるようになるのだが。板柳で交換,相手は少し遅れてきた。

(5) 弘南線
 次は弘南鉄道の2つの路線に乗ろうと思う。時刻表に川部―黒石のバス(弘南鉄道黒石線の後継バスだろう)の時刻が出ていたので,川部で昼食にして黒石までバスでいくと弘南線に乗るのに効率がいいと思っていたのだが,川部で降りて跨線橋の上から駅前を見ても,食事ができるところはなさそうな雰囲気である。あわてて列車にもどって(4分停車だった)弘前へ行くことにした。出発のときふと見ると,隣のホームの階段横に「川部―黒石 黒石線」という大きな表示が残っていた。まだ色あせた感じではない。
 方向を変えて奥羽本線に入り,12:39 弘前着。弘前に降りるのは30年ぶりである。20分の間に急いでまたソバを食べ,帰りの青森からの特急券を買った。

 弘南鉄道弘南線のホームに急ぎ,1:00 の電車に乗る。2両つながったワンマンカーで,種村流の表現を借用すれば,ロングシートがさらっとうまるくらいの乗客がいた。しばらく奥羽本線と並んで進み,左へ分れてすぐ次の駅東工業高前となる。雪の平原を坦々と進み,館田で交換,次の平賀には車庫があって,車両がたくさん並んでいる。高校生の入れ替わりがけっこうある。
 車両は元東急のものらしく,吊革はなぜか東急時代の「Bunkamura」とか「109 Shibuya」というプレート(というのかどうか)のままである。こういうのはスポンサーがないと作り直すのもばかばかしいということなのだろうか。1:30 黒石着。駅はかなり大きなスーパーにつながっていた。
 折り返しは1:50 発,同じ道を戻る。雪は少しだがずっと降っていて,景色はあまり見えない。2:20 ごろ弘前着。

(6) 大鰐線
 外へ出るとさすがにかなりの都会である。一瞬迷ったが,安易にタクシーに乗り,弘南鉄道大鰐線の出る中央弘前駅へ行く。タクシーは途中から大通りをちょっとはずれたコースをたどり,坂の途中で突然止まった。それが中央弘前駅だった。駅の中にカメラ屋さんがあったので,リチウム電池を買い,アナカメがよみがえった。
 3:00 発の大鰐線に乗る。この線は最初弘前の町中を走る。しかも,川もあるし崖もあって弘南線とはだいぶ趣が違うが,千年(ちとせ)で交換した後は,風景が開けてきてリンゴ畑も多くなる。雪はさっきより激しくなった。津軽大沢には車庫や車両検修所があった。
 こちらの車両も,吊革は東急のままで「東急お好み食堂」「東急百貨店」などとなっている。ただところどころ,地元の自動車学校の広告に変えてあった。
 川のそばの宿川原を出ると,奥羽本線の線路が見えてきて,3:28 ごろ,終着大鰐に着いた。
 ここはJRの駅名が大鰐温泉と改称されている。4:09 発の普通列車で青森へ向かう間に日が暮れてきた。あとは「はつかり」「やまびこ」で突っ走る。

 昨年春に八戸線と三陸鉄道北リアス線,秋に岩泉線と山田線に乗ったので,東北地方の未乗線区はかなり少なくなった。北のほうでは津軽線の末端部分が手強い存在である。

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