全国は無理でも関東・東北地方の乗りつぶしならあと数年でなんとかなるかなと思いつつ,今年の5月に懸案だった八戸線・北リアス線に乗った。距離としてはあと少しになったが,残っているのはやはり不便なところばかりで,どれも1日で東京から往復するのは不可能である。残った中で最長の線区が山田線の盛岡―宮古間だが,その途中の茂市から分れている岩泉線は前から特に気になる存在だった。
岩泉線は1日に3往復しかない。このうち,朝の列車に乗るには,宮古に泊まって6時すぎに出ないと間に合わないし,同様に夜の列車でも,茂市に戻った後,宮古へ泊まるしかない。選択肢は茂市発15:27 のみである。これは山田線との接続もよい。しかし,これで岩泉線を往復して盛岡に戻ると20:40 で,(やまびこ8号が運転されていない限り)その日に東京へ帰ることはできない…,といったことは前に調べてあった。そこで,まず金曜夜の盛岡の宿泊を確保した。
この計画だと盛岡発は13:42 でよい。早朝にバスで着けばかなり時間があると思ったが,調べてみると他の未乗線区はどれも盛岡から遠く,間に合わない。それで,未乗線区ではないけれど,まだ乗っていなかった秋田新幹線に乗ってみることにし,花巻行きのバスと,景色のよい北上線を組み合わせて,東西に動き回る計画にした。
6:47 に北上方面へ行く電車があるが,これには間に合わないだろうと思っていた。しかし,ゆっくり切符を買ってふとホームを見ると,電車を待っている人がけっこういる。あわててホームへ行き,500km の距離標を見たりしているうちに5分ぐらい遅れた電車がやってきた。車内のアナウンスでは「信号故障のため,電車が遅れまして…」といっていた。
北上では,立ち食いそばで朝食。きのこがおいしかったが,ちょっと塩からい。改札口前に貼り紙があって,花巻駅等の信号の工事に伴う運休と代替バスの予定が出ていた。さっき言っていた信号故障というのは,今朝の一時的なものではなく,かなり大がかりな工事を必要とするものだったのだ。列車の遅れには,この日も,翌日も出会うことになる。
北上線は,1番線ホームを切り欠いて作られた0番線から出る。7:47 発のはずが,本線の列車の接続を待って7分遅れで出発した。2両のクロスシート車で,後で見たら「ドラゴンレール大船渡線」のステッカーが貼ってあった。3つめの藤根で上りと交換,当然向こうも遅れている。
横川目を過ぎると山あいに入っていく。北上線に乗るのは,7,8年前に続いて2回目である。前のときは横手から乗って,ほっとゆだで降り,湯本温泉のわびしい宿に飛び込みで泊まった。翌日の車窓から見た錦秋湖は,深い色の水を満々とたたえていた。湖を見下ろす路線といえばまず只見線だが,それに次ぐ美しさだと思った。
和賀仙人を出て,いよいよ錦秋湖のほとりに出る。しかし,水量はずいぶん少なくて,前の時とだいぶ感じが違う。紅葉もごく地味である。ほっとゆだで交換,以後湖を離れてからの方が紅葉はきれいだった。黒沢から秋田県に入り,相野々でまた交換,このころには遅れは2分ぐらいに回復していた。
急カーブで奥羽本線と合流し,横手着。次は,奥羽本線の各駅停車でのんびり北へ向かい,10:47 秋田着。
11:56 「こまち」発車,座席は大曲まで進行方向と逆向きである。1Bというドアのそばの席なので,ちょっと手足を動かすたびに自動ドアが開いてしまうのがわずらわしい。さっききた道をノンストップで走り,大曲で進行方向が変わる。
ちょっと気分的に落ち着いたので,駅弁の「秋田味づくし」を広げる。多彩なおかずが楽しい。山道にさしかかるとけっこう揺れる。
田沢湖線は「狭軌時代」に乗ったことがある。夏で,ひたすら緑の中を走った。 今日はもう晩秋の雰囲気で,ところどころに黄色く色づいた木があってアクセントになっている。途中の角館と田沢湖でかなりの乗車があり,席は90%ぐらい埋まった。盛岡が近づいても緑の田園地帯が続いていたが,到着2分前ぐらいになってやっと町らしくなり,13:23 盛岡着。この列車は,盛岡でなく仙台で「やまびこ」に併結される。
ちょっとうとうとしている間も快調に走り,茂市には15:24着。表定速度は,一応快速らしく51km/h ほど。
向かい側のホームに,白地に赤い帯の単行のディーゼルが待っている。岩泉線下りとしては「2番列車」だが,花巻からすべての駅に停まりながらはるばるやってきた列車である。10人の乗客を乗せて,15:27 発。山田線と同じく,山林の間を坦々と進む。紅葉が,華やかではないが,ところどころで見られる。日がだいぶ傾いてきた。
押角(おしかど)からは戦後開通した部分で,さらに山の中となり,いくつもトンネルをくぐる。次の岩手大川までは9.5km もあり,この間にサミットを越える。岩手大川の駅の周りは20戸ぐらいの集落で,おばあさんが一人降りていった。 その後またトンネルが続き,浅内(あさない)に着く。浅内は久しぶりの大集落で,駅も大きい。
それから2つ目が終点の岩泉で,16:20着,最後に残った客は6人だった。行き止まりの終点というと山の中の何もない場所を想像していたのだが,2階建ての「駅ビル」もあり,なかなか立派な駅である。
ちゃんと駅前広場が整備されていて,向かいには食堂もある。橋を渡ると岩泉町の中心部で,かなりの規模の町であることがわかる。雲岩寺というお寺を見たり,盛岡での晩飯までのつなぎの食料を買ったりしているうちに,日はすっかり暮れた。駅に戻って,委託駅員らしいおばさんから東京までの乗車券を買った。 ゴム印で行き先を押した切符だった。
折り返しは17:20発で,当然来たときと同じ車両で同じ車掌さんである。高校生など16人を乗せて発車した。もう景色は何も見えない。ちょっとうとうとしていたらいつのまにか客は私以外に1人になっていた。その1人も刈谷で降り,これは貸し切りになってしまうかな,と思ったら入れ替わりに1人乗ってきた。
18:12 茂市着。茂市の駅前は,それこそ何もなかった。待合室で「旅もよう」のパンフレットを読む。
山田線上りは18:31発で,2両編成,中学生・高校生がかなり乗っていた。途中,山田線のサミットの区界(くざかい)で行き違いのため13分停車するなどして,行きより27分多くかかって20:40盛岡に着いた。
盛岡7:56発の東北新幹線に乗り,8:40一関下車。つい2か月ほど前の出張のときは,関東・東北の大水害の直後で,一関付近の広大な泥の海に息を呑んだことを思い出す。
在来線ホームへ行き,9:02に出るはずの上り列車に乗ったが,定刻を過ぎても発車にならない。遅れている一関止まりの列車の接続を待って,結局6分遅れで出発した。2両のワンマン電車である。石越でくりはら田園鉄道に乗り換えるのだが,接続時間は3分しかないので,心配になる。これに乗れないと,後の接続がかなり悪くなってしまう。
9:29ぐらいに発車。向かって左が1人,右が2人掛けのボックス型クロスシートで,両端がロングシートになっている。折り畳み式のテーブルが木なのがおもしろい。木の床もなつかしい。ふと整理券を見ると「くりでん」と印字してある。 あれ,ここは珍しく電車をディーゼル化して「電鉄」という名前をやめたはずなのに…,と思ったのだが,そう,この会社はくりはら「田園」鉄道なのだった。
若柳でタブレットを交換した。ここには車庫があり,いろいろな車両の姿が見えた。現役の車両は会社創立80周年の黄色いヘッドマークをつけている。車内の掲示によると,開通は1922年だが,会社の設立が1918年だったそうだ。続いて,沢辺で上りと交換し,またタブレットの受け渡しがあった。
田園の中をほぼまっすぐ進む。ディーゼル化されたが,架線はずっと張ったままてある。交換可能な栗原駅では架線がなぜか本線でなく側線の方に張られていた。側線はさびていて,使われている様子はない。
栗原田町を過ぎるとちょっとした山で,小さなサミットを越える。最後は急坂と急カーブがあり,旧駅を過ぎてすぐ,終着の細倉マインパーク前に,ほぼ定刻の10:11に到着した。
5分の滞在ですぐ折り返す。帰りも沢辺で交換し,11:00石越着。80周年の記念乗車券セットを買う。各世代の車両の写真の入った4枚のセットだった。
12:52福島着。在来線ホームの上を渡り,阿武隈急行と同じホームの福島交通の乗り場へ急ぐ。13:00発。ステンレスの2両編成の電車は,まだ福島駅の見えているうちに,最初の駅曽根田に着く。次の美術館図書館前を過ぎると左へカーブしてJRを乗り越える。笹谷で上りで交換する。交換駅も時間により無人駅となるようで,車掌さんはかなり忙しい。桜水で運転手も車掌も交代した。13:31終着飯坂温泉着。
30数年前の小学校4年のとき,蒸機の引く東北本線の臨時列車で福島にいた親戚を訪ねたことがある。そのときこの飯坂線に乗り,途中の医王寺を見てから飯坂温泉に泊まった。(今はなき福島の市電にも乗った。幅が狭くて,両側に大人が座るとひざがくっつきそうになった。)初めての本格的な旅行だったので,小学生としては長大な旅行記を書いた覚えがある。
飯坂駅前の十綱橋は,もっと黒っぽい重厚な橋のような気がしていたが,今回見るとアーチは青みがかった薄い緑,欄干は白く塗られ,むしろ軽やかな感じだった。橋を渡り,旅館街へ歩く。昔泊まったI旅館は健在だった。でも,たしか川に面した部屋に泊まったと思ったのに,今見るI旅館は川に面していない。記憶はあてにならないものだとは思うが,ちょっと釈然としない。
20分のセンチメンタル・ジャーニーを終え,13:50発の上りで折り返す。まっすぐ戻るつもりだったが,車内で「岡鹿之助展」のポスターを見て急に気が変わり,美術館図書館前で降りた。美術館へ向かう道は街路樹が色づいて,それだけでも絵になる雰囲気である。石越で予定の「くりでん」に間に合ったおかげで,岡鹿之助のかなり長年月にわたる画業の展示に思いがけずめぐりあうことができた。