5月1日は,ウィークデイの場合,女房は仕事,子供は学校で,私のみ休みという貴重な日である。というのは,去年と同じ書き出しで,今年は前夜発で東北地方へ出かけることにした。最初に目指すは八戸線と三陸鉄道北リアス線である。
1日朝5:30,盛岡到着でちょっと目を覚ます。すでに外は明るい。いい天気だ。6:00過ぎに車内放送が始まり,二戸,三戸と止まって,7:00 八戸で降りる。少しひんやりしているが,太陽がまぶしい。
隣のホームへ移動し,朝食用の駅弁を買ってから,八戸線の3両の列車に乗る。高校生でいっぱいだった。7:11に発車したが,すぐ信号場でしばらく停車して交換,次の駅までに12分かかった。高架の本八戸で高校生がだいぶ入れ替わる。みな停車してから悠々と席を立っていく。続く白銀(しろがね),鮫(さめ)で高校生が降りたので,さっき買った駅弁「八戸小唄寿司」を広げる。さばと鮭を大きく切って酢飯にのせた押し寿司で,三味線型の箱にぎっしりつまっていてかなりのボリュームだった。
鮫を過ぎると左手に青い海が広がる。ウミネコの繁殖地として知られる蕪島も見えた。種市で交換。起点八戸から40kmの標識がある宿戸(しゅくのへ)のホームはほとんど散った桜の木に覆われていた。10日前だったら見事だっただろう。海の近くへ下り,湾を回って陸中八木を過ぎ,9:03 に終点の久慈着。
10:32,宮古着。山田線の盛岡方向や,その途中で分岐する岩泉線にも興味があったのだが,次の山田線上りまではなんと4時間以上もあるので断念,そのまま乗ることにする。八戸から宮古までは初めての乗車だったが,宮古から南は7,8年前に乗って以来2回目である。
山田線の海岸部分は戦前の開通で,南北リアス線よりトンネルはずっと少なく,海もよく見える。特に山田湾と船越湾をぐるりと回るあたりは,車窓から見る海の風景として屈指の存在で,「リアス線」の名は山田線のこの部分にこそふさわしい。ただし,この頃にはすっかり曇ってしまい,先ほどのような青い海ではなかった。元の浪板駅は浪板海岸と改称されていた。
11:52,釜石着。せっかくの直通列車なのでそのまま三陸鉄道南リアス線に乗り通すことにする。8分停まって12:00ちょうど発。高架から見る釜石の町は,前に来たときに比べると,廃墟のような製鉄所の施設は目立たなくなって,だいぶ整備が進んでいる様子だった。甲子川を渡ったあと,トンネルに入る。この後,長いトンネルがいくつも続く。
三陸鉄道の駅名には,「カンパネルラ」田野畑,「藍の磯辺」小石浜,「綾姫の里」綾里(りょうり)のように,キャッチフレーズが枕詞のようについている。北リアス線では,車内放送で駅の名を言うときに,ちょっと恥ずかしそうにキャッチフレーズを含めていたが,南リアス線では駅名だけだった。
一ノ関方向へ曲がったところが気仙沼駅で,14:21着,すぐに気仙沼線の14:29発に乗り換える。前に来たときは大船渡線を全線乗ったので,気仙沼線は初めての乗車である。前谷地まで72.8kmとかなりの距離である。気仙沼を出ると再び海へ向かってカーブし,次の南気仙沼の方が市街地に近いらしい。以後ずっと海のそばを走る。景色の面からはここもリアス線の名にふさわしい。特に,大谷改め大谷海岸は,ほんとに目の前が海だった。
陸前戸倉を過ぎると海を離れ,山の風景になる。柳津(やないづ)を過ぎると大きな鉄橋で川を渡る。あれ,なんという川だろうと思って見ていたら,北上川だった。北上川は東北新幹線の長大な鉄橋が印象深いが,ここの東の海に注ぐのだった。
山を越えると一面の田んぼで,しろかきや田植えの真っ最中だった。ところどころ,菜の花が色鮮やかだ。農家の鯉のぼりもこの時期の印象的な風景である。
岩泉線のほかにも,くりはら田園鉄道とか,小牛田から鳴子温泉とか,いろいろな選択肢を考えていたのだが,結局海岸沿いを乗り通し,その日のうちに帰宅した。八戸から仙台までの乗車距離は409.8kmだった。
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