三陸沿岸 410km

(一九九八年)
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 5月1日は,ウィークデイの場合,女房は仕事,子供は学校で,私のみ休みという貴重な日である。というのは,去年と同じ書き出しで,今年は前夜発で東北地方へ出かけることにした。最初に目指すは八戸線と三陸鉄道北リアス線である。

(1)
 30日夜,簡単な夕食をしてから一度帰宅して着替え,少し早めの 9:45ぐらいに上野に着いた。数年前にやはり寝台列車に乗る前に弁当を買おうとしたら何もなくて困った覚えがあるので,今日の夜食または明日朝のための「非常食」を用意してきたのだが,このごろは駅の中のいろいろな店が10時ぐらいまではやっているようで,夜食(つまみ)を簡単に調達できた。
 22:23「はくつる」のB寝台で出発。2日前にみどりの窓口で聞いたときには空席があったが,「この列車,本日は満席になっております」という放送があった。私のベッドの上段は最初空いていたが翌朝見たらふさがっていた。宇都宮から乗ったのだろう。

 1日朝5:30,盛岡到着でちょっと目を覚ます。すでに外は明るい。いい天気だ。6:00過ぎに車内放送が始まり,二戸,三戸と止まって,7:00 八戸で降りる。少しひんやりしているが,太陽がまぶしい。
 隣のホームへ移動し,朝食用の駅弁を買ってから,八戸線の3両の列車に乗る。高校生でいっぱいだった。7:11に発車したが,すぐ信号場でしばらく停車して交換,次の駅までに12分かかった。高架の本八戸で高校生がだいぶ入れ替わる。みな停車してから悠々と席を立っていく。続く白銀(しろがね),鮫(さめ)で高校生が降りたので,さっき買った駅弁「八戸小唄寿司」を広げる。さばと鮭を大きく切って酢飯にのせた押し寿司で,三味線型の箱にぎっしりつまっていてかなりのボリュームだった。
 鮫を過ぎると左手に青い海が広がる。ウミネコの繁殖地として知られる蕪島も見えた。種市で交換。起点八戸から40kmの標識がある宿戸(しゅくのへ)のホームはほとんど散った桜の木に覆われていた。10日前だったら見事だっただろう。海の近くへ下り,湾を回って陸中八木を過ぎ,9:03 に終点の久慈着。

(2)
 三陸鉄道北リアス線は,接続よく 9:06 発で,山田線・南リアス線直通である。跨線橋の上がり口で当然「検問」があり,パンチ穴の補充券式切符をとりあえず宮古まで買う。宮古まで1800円と聞いて一瞬驚いた。確かに71km というのはかなりの長さだが,JRだったら地方交通線でさえ1450円のはずだ。
 乗ったらすぐ発車だった。2両つないでいるが,後ろの車両は締め切りで回送扱いである。乗客は15人ほど。驚いたことに,「うに弁」を売るおばさんが乗っていた。10時半すぎだったらひょっとして買ったかもしれないが,まだ朝食から1時間ちょっとしか経っていない。
 普代までは国鉄時代に開通した部分で,70年以降の新しい線路だから,山にさしかかると直線的にトンネルでくぐり抜けてゆく。海が見える部分はあまり多くないが,特に野田玉川では松林の向こうに青くきらめいていた。けっこう風があって,白波が立っている。海が見えないところでも,濃淡さまざまの新緑が美しい。高い鉄橋もあった。単線で左右にさえぎるものがない鉄橋はスリル満点である。
 ある程度の大きさの町は普代と田老ぐらいで,他の駅は見える範囲に家が数軒しかないところが多い。普代を出て長いトンネルを抜けると田野畑で,交換があった。このあとも長いトンネルが多く,ちょっとうとうとしてしまった。

 10:32,宮古着。山田線の盛岡方向や,その途中で分岐する岩泉線にも興味があったのだが,次の山田線上りまではなんと4時間以上もあるので断念,そのまま乗ることにする。八戸から宮古までは初めての乗車だったが,宮古から南は7,8年前に乗って以来2回目である。
 山田線の海岸部分は戦前の開通で,南北リアス線よりトンネルはずっと少なく,海もよく見える。特に山田湾と船越湾をぐるりと回るあたりは,車窓から見る海の風景として屈指の存在で,「リアス線」の名は山田線のこの部分にこそふさわしい。ただし,この頃にはすっかり曇ってしまい,先ほどのような青い海ではなかった。元の浪板駅は浪板海岸と改称されていた。

 11:52,釜石着。せっかくの直通列車なのでそのまま三陸鉄道南リアス線に乗り通すことにする。8分停まって12:00ちょうど発。高架から見る釜石の町は,前に来たときに比べると,廃墟のような製鉄所の施設は目立たなくなって,だいぶ整備が進んでいる様子だった。甲子川を渡ったあと,トンネルに入る。この後,長いトンネルがいくつも続く。
 三陸鉄道の駅名には,「カンパネルラ」田野畑,「藍の磯辺」小石浜,「綾姫の里」綾里(りょうり)のように,キャッチフレーズが枕詞のようについている。北リアス線では,車内放送で駅の名を言うときに,ちょっと恥ずかしそうにキャッチフレーズを含めていたが,南リアス線では駅名だけだった。

(3)
 12:47,盛(さかり)着。直通列車の旅の終わりである。出口で宮古からの運賃を精算した。
 駅前は,なかなかきれいに整えられている。寿司屋があったので,多少あわただしかったが,昼食。ネタは新鮮で,地酒も美味だった。
 いろいろ検討の末,今日は海岸をずっと行くことにして仙台までの海沿いルートの切符を買い,13:28の大船渡線快速「スーパードラゴン」に乗る。最初は各駅停車で,大船渡を出ると漁港の風景が広がる。トンネルがなくて景色がよい。細浦では,使われなくなったホームが一面の草に覆われ,タンポポがきれいだった。脇ノ沢の手前では鏡のように静かな入り江が美しい。
 陸前高田から海と少し離れるが,快速運転となり,快調に進む。陸前矢作を過ぎ,少し山の中に入ってカーブも多くなる。上鹿折(かみししおり)ではしだれ桜の名残が見られた。鹿折唐桑(ししおりからくわ)からは気仙沼の市街地に入る。短いトンネルがたくさん続き,私の郷里・横須賀(神奈川県)を思わせた。

 一ノ関方向へ曲がったところが気仙沼駅で,14:21着,すぐに気仙沼線の14:29発に乗り換える。前に来たときは大船渡線を全線乗ったので,気仙沼線は初めての乗車である。前谷地まで72.8kmとかなりの距離である。気仙沼を出ると再び海へ向かってカーブし,次の南気仙沼の方が市街地に近いらしい。以後ずっと海のそばを走る。景色の面からはここもリアス線の名にふさわしい。特に,大谷改め大谷海岸は,ほんとに目の前が海だった。
 陸前戸倉を過ぎると海を離れ,山の風景になる。柳津(やないづ)を過ぎると大きな鉄橋で川を渡る。あれ,なんという川だろうと思って見ていたら,北上川だった。北上川は東北新幹線の長大な鉄橋が印象深いが,ここの東の海に注ぐのだった。
 山を越えると一面の田んぼで,しろかきや田植えの真っ最中だった。ところどころ,菜の花が色鮮やかだ。農家の鯉のぼりもこの時期の印象的な風景である。

(4)
 前谷地に16:18着。駅前をちょっと歩いてから,16:39の石巻線に乗り,石巻へ。高校生でいっぱいである。「海沿い」を貫徹するには女川(おながわ)まで行くべきだったが,さすがに疲れを覚え,石巻から仙石線の快速「うみかぜ」に乗る。仙石線のホームは石巻線とはちょっとずれたところにあって,離れていた「電車駅」と「汽車駅」を統合した歴史を思い起こさせる。
 海を見下ろす陸前大塚で少し停車し,交換があった。こんなに景色のいい交換というのも珍しいだろう。松島海岸からは前に乗ったことのある路線となり,今日の沿岸紀行のフィナーレである。東塩釜を過ぎると完全に仙台近郊の都市交通となり,18:05仙台に着いた。

 岩泉線のほかにも,くりはら田園鉄道とか,小牛田から鳴子温泉とか,いろいろな選択肢を考えていたのだが,結局海岸沿いを乗り通し,その日のうちに帰宅した。八戸から仙台までの乗車距離は409.8kmだった。

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