岡山5時間の記

――井原鉄道と内田百*間展

(1999年) 

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(「*間」は門がまえの中に月が入る字です)  

 関西に出張した夜,新大阪から「のぞみ」に飛び乗り,わずか40分で岡山へ着いた。
 岡山へは,吉備路文学館で開催中の鉄道文学の元祖・内田百*間の展示を見るのが当初の目的だったが,調べてみたら,11年1月11日に開通した井原(いばら)鉄道に全線乗って3時間で岡山に戻ってこられることがわかり,朝のうちに行ってみる予定をたてた。 

(1) 吉備線で総社へ

 翌朝,ホテルの朝食が始まる前にチェックアウトし,7時前に岡山駅に着いてサンドイッチを買う。泊まったホテルはなかなか良かったので朝食もホテルで食べたかったのだが。
 7時13分の吉備線総社(そうじゃ)行きに乗車する。吉備線は初めての乗車である。半自動ドアの気動車3両の編成で,休日なので通学客もなく,乗客は各車両4,5人である。最初は都会の路線風で大きな通りを高架で越えたりするが,次の備前三門を出ると雰囲気が変わってローカル線風になり,立派な黒い瓦屋根の家が点在するようになる。ようやく日があたってきたところでサンドイッチを広げて朝食とする。伴奏は,車両の形式名をろくに知らない私にとってもなつかしいキハ40のディーゼル音である。
 次の大安寺で交換の後,すぐ広々とした平野に出る。その次の備前一宮は,いかにも田園地帯の駅らしいいい雰囲気の有人駅だった。
 右手に突然,巨大な骨太の鳥居が姿を見せると,国名が変わって備中高松である。あとで調べたところ,高松最上稲荷の大鳥居だそうだ。交換があった。続いて田んぼの中の築堤に上がり,次は足守駅,緒方洪庵の生誕の地だという。
 枯れ草色の冬の農村で鮮やかなのは柿の色である。吉備線でも井原鉄道でも,おだやかな日差しを浴びて柿の木が印象的だった。
 東総社でもう一度交換の後,7時48分,総社駅の行き止まりのホームに到着した(右の写真)。
  

(2) のんびり新線 井原鉄道

 井原鉄道の列車はこの総社が始発だibara1が,路線の起点は次の清音(きよね)である。当然,総社ではJRのホームから出発だと思って改札の中をうろうろしたが,それらしい表示がない。聞けば,井原鉄道は総社ですでに別改札で,総社―清音間もJRとは別の切符になるのだという(清音まではもちろんJRと同じ値段である)。あわてて井原鉄道の窓口に行き,終点・神辺(かんなべ)までの切符を買う。車内で補充券を出す機械で発行した「超軟券」だった。
 8時1分発の列車は,真新しいクロスシート2両で,車掌さんも乗っていた。次の清音からいよいよ新線区間で,伯備線から左へ分かれながら高架に上がり,すぐ右へ大きくカーブして伯備線をクロスし,そのまま高梁川を渡る。高架・単線・非電化だから,架線柱がなく,塀も低く,モノレールに乗っているような感覚である。新しい鉄道はトンネルが多いのが常だが,ここは高架が続いて景色がいい。見下ろすと,川面や田畑に列車の影がibara2映っているのが珍しい光景だ。
 線路は,豊かな農業地域をほぼ西へ向かう。ここでも,点在する農家の黒い瓦屋根が美しい。清音から2つめが「人名駅」のひとつ吉備真備(きびのまきび)(ただし町名は「まびちょう」らしい)で,交換があった。向こうは1両である。次の備中呉妹(くれせ)を出ると急に山になってトンネルが3つ連続し,それを出ると三谷で,交換駅だが交換なしで発車した。
 少し大きな町に出て次は矢掛,当然「やがけ」と読むのかと思ったら「やかげ」だった。交換で6分停車した。井原市に入り,高架を降りて踏切を越え,井原鉄道の車庫と検車場を見てすぐ「早雲の里 荏原」駅に到着した。また交換で,3分停車し,車掌さんが交代した。運転上の拠点駅のようだ。
 荏原を出るとまた築堤に上がり,次が井原線の中心駅の井原で,立派な駅舎がある。健康マラソン大会の看板が下車客を迎えていた。交換駅だが交換はなく,次の交換は2つ先の御領だった。このあたり,ある程度の人口がありそうな地域を走る。
 湯野を過ぎて左へカーブすると福塩線が見えてきて,9時10分,終点神辺の行き止まりのホームに着いた。

 あわただしく3分の待ち合わせで,福塩線の福山行きに乗り換える。意外なことに(失礼!)電車で,しかも2両が満員だった。線路の右側に並行する高屋川の川幅がかなり広がってきたところで左にカーブして川を離れ,山陽本線に合流すると福山である。

(3) 文学館・美術館

 福山から「こだま」に乗って10時03分に岡山へ戻った。タクシーは山陽本線の高架のすぐ脇の道を走り,住宅街の中にある吉備路文学館に着いた。歩いても十数分の距離だった。
 吉備路文学館は,和風の外観を持つ落ち着いた建物uchidaで,内部は普通の町の図書館としての機能も果たして,明るい閲覧室があった。ガラス越しに見える庭園も美しく,もともとこの場所にあった中国銀行の施設の庭を生かしたものだという。展示室はいくつかあるが,「生誕百拾年百鬼園博覧 内田百*間展」は1階と2階の各1部屋で開かれていた。写真,原稿,手紙,雑誌,本などのほか,ステッキ,靴から表札まで,バラエティに富んだ密度の高い展示だった。
 帰りは大通りへ出てバスで戻るつもりでぶらぶら歩いていたら,「国吉康男美術館」への矢印が出ている。これは思わぬ発見だと喜んでさっそく行ってみたが,城のように壮大なベネッセの本社の一角にあるらしいということはわかったものの,入口がわからない。守衛さんに聞いたところ,会社がやっている平日しか開館していないとのことで,ぬか喜びに終わった。せっかく美術館にするなら休日にこそ開いていてほしいものだ。

 駅に戻り,「のぞみ」の切符を買ったら,12月12日,12時12分発の12号車(の惜しくも17列)だった。 
 

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