この前大阪に出張したときは,近江鉄道と信楽高原鐵道に乗った。その前は舞鶴線・小浜線に乗った。今回も,家庭の事情もあって土日がフルに使えるわけではないから,そう遠回りもできない。考えた末,かねてからの懸案のひとつ,三重県の近鉄のナローゲージの3線に乗ってみることにした。
めざす内部線・八王子線のホームへ小走りに行ってみたら,ちょうど八王子線の西日野行きの電車が出るところだったので,あわてて飛び乗る。3両編成のワンマンカーで,座席は両側1人ずつの前向きのシートのところと,ロングシートのところがある。
八王子線は2つ目の日永で分岐して西日野まで1駅だけの線である。接続が悪かったら面倒だなと思っていたが,どうやら帰りは日永で内部線の内部行きに接続しているらしい。日永からは3分ほどであっけなく終点の西日野に着いた。駅を出たところを通る道には駅への案内はなにも出ていなくて,振り返ると駅は路地の奥のような感じだった。
折り返し電車は13:00発,すぐ日永で乗り換える。日永は,鶴見線の武蔵白石のように,いかにも分岐しますよというようにホームが八の字型に開いている。四日市を13:00に出た列車がやってきた。途中,泊で右側通行で交換,内部には13:18ごろ着いた。ここも,道路は駅をまったく無視していて,案内は何も出ていなかった。
13:38折り返しの電車が出発,13:53ごろ四日市着。
内部線の改札口は他の近鉄線とは別になっている。私は近鉄難波までの通しの切符を自動改札に入れたのだが,出てきた切符を見たら,なぜか他の切符にすり替わってしまっていた。駅員さんに言ったら,一生懸命中にたまった切符を調べてくれて,無事難波行きの切符を取り戻すことができた。
しかし,上の名古屋線のホームへ行ったら,ちょうど難波行きの特急が出るところで,特急券を買うことができず,次の急行に乗った。中川で特急に乗り換えて,難波へ。
翌日は,もうひとつのナロー線の北勢線を目指し,まず8:00の新幹線こだまで米原へ向かい,米原ではすぐ接続する東海道本線の快速に乗る。空は曇っていて,この日,途中の近江長岡では初雪がちらついていた,関ヶ原を在来線で越えるのは何年ぶりだろうか。米原−大垣間はもっとも本数の少ないところだが,景色の方もそれに対応して,東海道でもっとも正統的な田舎の風景を見せてれる。9:21大垣着。
近鉄養老線のホームに急ぎ,9:29発の桑名行きに乗る。ワンマンの3両編成で,最初は田んぼの中をひたすらまっすぐに走る。車庫のある西大垣と友江で下りと交換,大鳥羽の先では橋の架け替え工事がたけなわだった。
少し山に入って,林の間を抜けると養老駅,ホームの屋根には名物のひょうたんが所狭しと下がっていた。ここでも交換,相手はすぐに来たが,なぜかのんびり7分停車した。この間,各車両のドアは2つ閉めて寒気を防いでいた。ただし,今日は日射しがあってそれほど寒くはない。
養老線は,華やかに大都市間を走る近鉄の幹線と比べると,地味な狭軌単線の線だが,山あり川ありの乗って楽しい線である。後から振り返ると,目的だったナロー3線よりも,こちらの方がむしろ印象は強い。
この後は山林の中を行く。林の中に○○製紙と書かれた工場がある。製紙といえば大きな川のほとりに多いはずなのになぜこんな山の中にあるのだろうと思ったが,よく考えたらこのあたりは美濃紙の本場なのだった。
しだいに山を下り,美濃山崎を過ぎたところでは,揖斐川を渡る橋が見えた。交換駅の美濃松山あたりはかなり町中という感じである。
多度より三重県に入り,10:46ごろ桑名着。
JRと近鉄を乗り越して,工場の裏道のようなところを進んでいく。馬道と在良で交換,いずれも右側通行だった。北大社では運転士が交代,5分停車し,交換の上下の電車と,始発電車の3本が顔を並べた。上り電車は4両編成だった。
廃ホーム跡の見える大泉東を経て,最後の交換駅楚原(ここも右側)を過ぎると,カーブと勾配がきつくなり,茶畑のある平野の縁のようなところを鈴鹿川を見下しながら行く。ナローに似合わず雄大な景色である。
終点下阿喜には11:56着。手前の山の中のようなところとは違って,
郊外駅のおもむきである。
駅前の食堂で食事をし,折り返す。
きわめて多彩な近鉄の路線,乗ったことのない線はかなりある。まだまだ楽しめそうだ。