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 急に思い立って,廃止になる南部縦貫鉄道などに乗りにいくことにした。夜行で行って,現地滞在時間(「はくつる」を降りてから「はつかり」に乗るまで)7時間半のあわただしい旅である。

 いままで,下津井電鉄,野上電鉄,深名線など,その後廃止になった鉄道にはいくつか乗ってきた。しかし,いずれも廃止が決まる前のことだった。関東・東北の鉄道には完乗したいと密かに思っている私にとって,南部縦貫鉄道は懸案のひとつだが,昨年「鉄道フォーラム」による貸切電車が走ったときにも行かれず,ぐずぐずしているうちに廃止が決まってしまった。廃止が決まってから行くというのは,あまりスマートではないと思うが,せめて直前にならないうちに行ってみようということで急に計画をした次第である。
 

1. はくつる
 3月5日夜,仕事の関係の宴席を中座して帰宅,急いで着替えて食事をして出発した。急いだために,予定のメモや,鉄道フォーラムに掲出されていた資料のプリントアウトを持って出るのを忘れてしまい,後であせることになる。

 10時すぎに上野に着く。「はくつる」は10時15分ごろ入線した。荷物を置いてやれやれと思っていると,同じ寝台の切符を持っているという人があらわれてびっくりしたが,よく見たらその人の切符の日付は翌日だった。「あ,どうもすいません。しかし,旅行代理店のやつ,しょうがないなあ」ということで,車掌さんに交渉してなんとかベッドを確保したようだった。定刻の10時23分に発車。

 前に「はくつる」に乗ったのはざっと11年前のことになる。青森に用事のできたカミサンにつきあって,当時2歳の息子を連れて3人で出かけ,レンタカーで十和田湖などへ行った。

 京浜東北線の駅ごとに盛り場のネオンがかたまっているのをいくつか過ぎると大宮。大宮で乗ってきた人もいたが,満席にはならない。小山の手前ぐらいで就寝した。

 止まったので目を覚ましたら盛岡で,定刻の5時半,もう一度寝て6時40分ごろ起きる。外はよく晴れて,田んぼの雪がまぶしい。7時18分三沢到着。
 

2. 十和田観光電鉄
 十和田観光電鉄の駅は,JRと独立した建物の中の狭い通路を抜けたところにあった。2両編成の電車が待っている。座席がだいたい埋まるくらいに乗った高校生たちは,今日は期末試験らしく,勉強中で比較的静かだった。7時半発,雪野原を快走する。柳沢−七百間では中学生が黄色い定期券を首から下げて乗ってきた。七百で交換。高校生たちは工業高校前で降り,一気にすく。

 7時59分,終点の十和田市着。駅ビルはバスターミナル併設,というより,バスターミナルの一部が電車のホームになっているという感じのわりと立派なものだった。(ところで,十和田観光電鉄の略称十鉄というのは「とうてつ」と読むのですね。「とわだ」だから「とてつ」と思いこんでいました。ひらがなで書いてあったので初めてわかった…。)

 ここでは,事前に鉄道フォーラムの汽車旅会議室で入手した資料によると,七戸方面へ行くバスは8時0分発となっている。1分の接続でどうなることかと思っていたが,ちょうど東京から八戸行きの夜行高速バスが着いたところで,予定のバスはその後に入線してきた。8時5分ぐらいに発車。最初は高校生が十数人乗っていたが途中で降りて,8時25分ぐらいに七戸営業所に着いたときの乗客は3人だった。

 さて,南部縦貫鉄道の七戸駅への略図を用意してあったのに忘れてきてしまったので,バスの運転手さんにとりあえずの方向だけきいてから下車した。国道から曲がるのは本当は少し先だったのだが,すぐに曲がってしまったために,どうも様子がおかしい。道路工事の見張りをしていた人にきいたら親切に教えてくれたのだが,方言のため断片的にしか聞き取れない。わかった単語をつなぎ合わせて記憶し,実地踏査した結果,「あの田んぼの向こうに湯気のたっているところが温泉で,駅はそのすぐそばだから,国道へ戻って警察のところを曲がればよい」と教えてくれたのだった。

 途中小走りになってやっと近くまできたが,よくわからず,もういちど尋ねたら,通り過ぎてしまったことがわかり,少し戻った。道から入るところには縦貫建設という看板はあったが,駅への案内は見あたらなかった。倉庫のような建物の七戸駅に到着したのは発車3分前で,いろいろあるらしいグッズを見るひまがなかった。
 

3. 南部縦貫鉄道
 8時45分発車,乗客は12人で,うち10人は「鉄」だった。このあと,野辺地の2つ手前の後平(うしろたい)で1人(非鉄)降り,次の西千曳(にしちびき)で3人(うち1人は鉄)乗ってきたのが,乗客の異動のすべてだった。

 レールバスは,キーキーカタカタとうるさい上に,コッコッコッコッという細かい振動があり,乗り心地はお世辞にもいいとはいえない。部外者には新鮮でも,日常の利用には並行するバスにとてもかなわないだろう。

 雪に覆われて,しかも日差しは春を思わせる田園を,レールバスは行く。木立の間を行く部分が多くて,特に前半は,縦貫鉄道というよりは林間鉄道という感じだった。

 西千曳を出ると旧東北本線の線路に入る。旧千曳駅の長い貫禄あるホームが雪に覆われて横たわっている。路盤はレールバスにとっては十分すぎる大きさだが,ここを1968年まで東北本線の長大な列車が本当に走っていたのかと,不思議な感じがする。しかし,ここももうすぐ廃線跡の仲間入りだ。9時21分,野辺地着。

 乗り換えのところには,「土日は混雑するので,安全のため,切符は定員の数だけ販売します」というような趣旨の手書きの告知が貼ってあった。これから,休日はどうなるのだろう。
 

4. 大湊線
 さて,次は大湊線である。野辺地で約1時間あるが,ぼーっとしているのもつまらないと思うのが我ながら落ち着かないところで,快速で浅虫温泉まで往復することにした。遅い朝食用に帆立寿司弁当を買って乗ったのだが,2両の列車はかなりの混雑で,とても弁当を食べるわけにはいかない。

 浅虫温泉では,11年前に泊まった駅前の古い旅館を確認してから,急いで切符を買って折り返す。大湊線直通の快速(1両)で,これもけっこう混んでいたが,途中駅で座れて,やっと弁当を食べることができた。ホタテ貝のにぎり寿司5つを含め,計7つ。地元ならではの新鮮な味だった。

 10時24分に野辺地を出て,やっと大湊線に入る。やがて左側に陸奥湾が広がる。湾内は静かで,海は春の趣。海岸のゴミがなんとも興ざめだ。快速は途中陸奥横浜のみの停車で,11時9分,下北着。ほんとうはあと1駅,終点の大湊まで行きたいのだが,行きも帰りも下北交通への接続が良すぎて時間がない。
 

5. 下北交通
 下北では,1本しかないホームが手すりで区切ってあって,その反対側から下北鉄道が発車する。第三セクターの鉄道は,JRからの決別を示すかのように別の駅舎・入り口を設けていることが多いが,ここは手すりだけである。小さな駅舎の中に,かろうじてJRと別の窓口があった。

 11時17分に発車,次の海老川からは,期末試験を終えた高校生が大勢乗ってきた。各駅の駅名標は下北半島の形になっている。ゆるやかなサミットを越えると,右前方に津軽海峡の海が広がり,少し左へカーブすると終点の大畑だった。11時47分着。

 ここで,戻る列車の発車まで約1時間半ある。少しまとまった商店街があるので,これならこのへんの魚でも食べられるかなと思ったが,それらしい寿司屋は休みだったりして,あまり選択肢はない。結局,地元の人相手の平凡な食堂に入ったところ,「名物いかすみラーメン」というメニューが壁に誇らしげに貼ってあったので,それを注文した。だいぶ待たされて出てきたのは,いかすみを混ぜた黒い麺が,たっぷりの海の幸といっしょに塩味の透明なスープに入ったものだった。麺は,ふつうのものよりちょっと甘みがあり,海の香りのスープとよく調和していた。

 これにヒントを得て,帰りに駅で,いかすみ味の黒いさきいかを買っておみやげにしたところ,家族に好評だった。
 

6. 帰京
 あとはひたすら,南へ向かう。

 13時15分,大畑発。下北ですぐ大湊線の快速に接続,野辺地では10分の接続で「はつかり20号」に乗る。右側を見ると,南部縦貫鉄道の築堤が並行していた。旧東北本線のものだけにさすがに立派である。この上をかわいらしく走るレールバスを見たかった。

 盛岡でも10分の接続で「やまびこ20号」に乗った。東北新幹線はいつも混んでいるというイメージがあったので指定席をとっておいたのだが,実際にはすいていた。大宮までの間,仙台にしか止まらずに快走し,19時26分上野に帰着。

 大畑以外はすべて10分以下の接続のあわただしい旅だった。
 

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