その後の断章の目次へ 

 カミさんが,10月末の某日,鳥取県に行く仕事ができた。その夜は米子に泊まって翌日1日だけひまなのでつきあわないかという。週の真ん中だし,私も1日しか休めない。交通費自己負担でのお供は旅の効率としては最悪だが,宍道湖のほとりを走る一畑電鉄のことなどがちらりと頭をかすめたのが運のツキ,出かけることにした。
 昼間は当然仕事をするから,出かけるのは夕方以降である。16時56分東京発の「のぞみ」+「やくも」でも当日中に米子に着くことはできるが,せっかく伯備線に乗るなら明るいときに乗りたいし,出発時間がちょっと早い。飛行機の最終便だともっと早く会社を出ないといけない。というわけで,やっぱり寝台特急「出雲」である。前に乗った出雲3号のB寝台の個室が良かったのだが,出雲1号の方にはついていない。少し迷ったが,新幹線+「やくも」+ホテル代より安いということで,A寝台個室をプッシュホン予約した。

1. 寝台特急「出雲」

 当日は,カメラの入るいつもと違うバッグを持って出社,予定通り仕事をして6時に会社を出た。東京駅では,幕の内弁当とビール,それに海産物の店でつまみにするさつま揚げを買った(新幹線ホームだといろいろつまみになるものが買えるが,在来線埒内には見あたらなかった)。工事の関係で狭くなっている9番線ホームに上がる。列車は発車7分前ぐらいに入ってきた。
 A寝台は一番前の1両で,進行方向右側が廊下,左側に個室が14並んでいる。車掌さんが部屋の鍵と記念品のタオル(あさかぜと出雲のヘッドマーク入り)を配りにくる。18:41発車。

 隣の部屋の人がドアを開けたまま携帯電話で大声でしゃべっている。ドアを閉めてくれればいいのにと思ったが,少ししてドアを閉めてからもけっこううるさかった。考えてみると,個室で声を出すという状況は携帯電話出現前はほとんどなかったわけだから,隣室との間の壁の防音性はあまり考慮されていないのだろう。
 25分で横浜駅着。部屋の窓はホーム側で,都会の日常を今日だけは他人事のように眺める。
 部屋のいちばん窓寄りに小さなテーブルがあり,それを上に開くと洗面台になっている。ベッドとテーブルの間にほとんどすき間がないので,弁当を食べるのにテーブルの正面に座ることができない。そこでやむなくテーブルをはずれた所に座るわけだが,そこは正面が鏡で,よほどのナルシストでない限り,これも落ち着かない。
 小田原を出て少しすると,月齢17日ぐらいの月が暗い相模湾を照らしていた。21:10に静岡に着き,そこで車内放送は終わる。

 目を覚ましたのは5:30ごろ,外は暗い。どこを走っているのかなと思っていたらまもなく鳥取に着いた。十数年前に出雲3号に乗ったとき,鳥取駅の少し前で信号所のスイッチバックに入ったのを思い出した。当時は予備知識がなく,変なところで止まったなあと思ったりした。
 時刻表では鳥取は5:28発だが,9分ぐらい遅れて発車した。旅路の友だったはずの月に再会する。線路のカーブと共に位置を変えていく。次いで,金星も見えた。
 6:00 に車内放送が始まり,倉吉到着の案内がある。8分遅れとのこと。倉吉を出ると急速に夜が明けていく。途中駅のホームには高校生の姿も見られた。すっかり明るくなった伯耆大山で左側から伯備線が合流し,米子着は6分遅れの6:59だった。

 駅を出たら思いのほか暖かかった。カミさんの泊まっているホテルへ行き,落ち合って朝食。

2. 松江

 このあと,まっすぐ松江に向かうつもりでいたが,ある人の薦めで,島根県に入ってだいぶ山寄りにある足立美術館へ行った。広い土地にゆったりと作られた日本画の美術館を,ゆっくり見た。鉄道からはかなり離れているので「鉄」一筋の人には向かないが,すぐそばに温泉があるので,温泉と組み合わせるのもいいかもしれない。

 このあと松江に出て,何はともあれお城を見た。少し遅い昼食のあと,一畑電鉄が出る松江温泉駅へタクシーで向かう。タクシーの運転手さんは電車の時刻表を取り出して,「次は2時14分です」と教えてくれた。そのぐらいは調べてあったのだが。少し時間があったので,宍道湖のほとりの小泉八雲の記念碑のある公園を散歩した。急いで歩くと汗ばむくらいの陽気だった。

3. 一畑電鉄

 駅へ戻ると,2両連結の新しい電車が待っていた。40人ほどの乗客を乗せて,定刻に発車。少し行くと宍道湖が左手に広がり,線路のカーブに従って刻々色合いを変えていく。
 少しうとうとしてしまい,何かアナウンスがあったなと思ったら,運転手さんが席を離れてホームを歩いている。反対側の運転席に座って,まもなく逆向きに発車した。一畑口のスイッチバックだった。会社名の由来である一畑薬師への線路がなくなったために,花輪線の十和田南駅と同様,平地の「純粋スイッチバック」となっている。草の中の小道といった感じの線路が,今来た線路から右へ分かれていく。
 平田市駅には車両基地があって新旧のいろいろな電車が見えた。駅員さんもいて,小荷物を車内に積み込んだりしている。そのあと,旅伏(たぶし),美談(みだみ)といった曰くありげな名前の駅が続く。

 川跡(かわと)で出雲大社前行きに乗り換える。こちらは油のにおいのなつかしい旧型の車両だった。まもなく左手にはモダンな木造建築として話題になった出雲ドームが見えた。10分足らずで着いた出雲大社前駅は,小さいながら終着駅らしい風格のある駅だった。旧国鉄の大社駅に対抗してエキゾチックにしたという駅舎は,教会を思わせる天井と窓を持っていた。

4. 旧大社駅

 出雲大社へ行き,引き返してからこんどは,旧国鉄大社線の大社駅へ向かう。バス通りから曲がると正面に,少し西に傾いた日光に照らされた和風の堂々たる建物が見えた。大正時代には,他の家並みを圧してそびえて見えたことだろう。中に入ると,あたたかい白熱灯の明かりがなつかしい。ホームなどもそのまま残されていて,今にも列車がやってきそうな雰囲気だった。

 この数年で,日光,奈良,二条,浜寺公園など,有名な駅舎はだいぶ見てきた。次は門司港へ行かなければなるまい。

 出雲空港に着いたときには日はとっぷり暮れていた。空港のレストランで割子そばを食べて出雲へのお別れとした。
 

  jump: このページの始めへその後の断章目次へ鉄道の章 序へ