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(1)上越新幹線

 5月1日は,ウィークデイの場合,女房は仕事,子供は学校で,私のみ休みという貴重な日である。今年は,3月に開業した北越急行ほくほく線に乗って北陸方面へ行ってみようと思う。

 切符はとりあえず富山まで買って,東京駅7:00発の「あさひ1号」に乗った。 越後湯沢と長岡にしか停まらない速い「あさひ」で,指定席は半分ちょっとぐらいしか埋まっていない。サンドイッチで朝食。車内販売が来たらコーヒーを買うつもりだったが,来たのは越後湯沢到着の3分前だったのでやめた。関東平野は薄曇りだったのに,「国境の長いトンネル」を抜けると快晴だった。8:06 越後湯沢着。
 

(2)ほくほく線

 湯沢の在来線ホームは近い。階段を下りると,新型車両の「はくたか2号」が待っていたが,写真だけ撮ってお見送り。切り欠きホームの0番線に停まっていた単行の各駅停車に乗車した。4人掛けのボックスが各1グループまたは1人という程度の乗客を乗せて,8:20 発,しばらくは上越線を行く。田植えを待つ田んぼが広がり,山々が遠く近く霞み,夢幻的な風景が続く。 1両だがワンマンではない。車掌さんが「この電車にはトイレがありませんので,ご了承ください」という。こういうのは「ご了承」するものなのだろうか。

 六日町には北越急行の車庫があって,ここからいよいよほくほく線に入る。上りの接続を待って少し遅れて発車。すぐに左へ分岐する。越後湯沢から直江津まで,はくたかは47分のところ,この各停は1時間41分かかる。しかし時刻表をよく見ると,どうやら長時間停車があるらしい。高規格の新線だけに,走りっぷりはかなりのもので,緑の中を快走する。窓ガラスは淡いセピア色で,古くなったカラー写真のような景色である。

 次の魚沼丘陵を出ると,あとは大池いこいの森までの50km弱は,大部分がトンネルとなる。美佐島に至ってはトンネルの中の駅だった。そのトンネルを抜けたところがしんざ,そしてすぐ沿線最大の町で,飯山線との接続駅十日町に着く。 ここで上りと交換した。

 次のまつだいで,上り快速と交換のため16分停車した。「駅のトイレをご利用ください」というアナウンスがあり,階段を上り下りして外へ出た。汗ばむような陽気である。駅と隣接してふるさと会館というのがあり,ほくほく線のパンフレットが積んであった。もうはくたか2号は直江津に着き,はくたか4号が越後湯沢を出る時間だ。

 また長いトンネルに入り,トンネルのわずかな切れ目にほくほく大島,次いで虫川大杉の駅がある。虫川大杉では,右側の待避用の線に入線して7分停車し,上りはくたか3号と交換した。ホームへ下りて山間の新緑を眺める。女性の一人客が運転士さんと電車をバックにツーショットしていた。それから3つめのくびきで普通電車と交換,なぜかここも右側へ入線した。やがて高架を下りながら左にカーブし,右側に海が見えてきて,犀潟で信越本線と合流。10:01,定刻に直江津着。新線の駅と比べるとさすがに風格のある大駅である。
 

(3)北陸本線

 10:08,後を追ってきたはくたか4号に乗車。車内で自由席の特急券を買う。

 右に海が広がる。さすがの日本海も今日は春の海の穏やかな表情である。北陸トンネルを過ぎるうちに,朝早かったせいで眠くなり,うとうとした。

 この特急は,ホタルイカの町滑川(なめりかわ)には停まらない。各停との接続が悪いので,並行していると思われる富山地方鉄道に乗ってみようと,11:06 魚津で下りた。富山地鉄の新魚津駅との位置関係を知らないまま駅前に立ってきょろきょろしたら,左の方の地下道入り口に「新魚津駅」という表示があった。暗い地下道を歩いてJRを横切り,狭い階段を上がるとそこがホームだった。何のことはない,JRと隣接しているのだが,跨線橋による連絡は廃止され,地下道のみにしているようだ。それにしても地下道からの階段は狭く,人がすれ違うのがやっとで,切符売り場も狭い。朝の乗り換え客に対応できるかと心配になる。 非常に古典的な待合室で待つことしばし,11:23 の富山行きに乗る。大都市では見られない普通電車のクロスシートだった。
 

(4)滑川のホタルイカ

 十数分で滑川着。駅にはちゃんとホタルイカ観光のパンフレットが置いてあったので,そこに載っていた地図を見て,港までぶらぶら歩き始めた。夏のような日差しがまぶしい。駅からまっすぐ海へ向かう道は「ホタルイカ通り」と名づけられ,歩道にはホタルイカや魚の模様のプレートが敷かれている。数分で海につきあたる。競技場のような形の建物が建設中で,何かと思ったら「ほたるいかミュージアム」だった。後で手に入れたパンフレットによると,来年春完成の予定だという。これは,また来なくてはなるまい。

 漁民センターというところに,ホタルイカの陸上観光施設というのがあった。 1時間おき(ゴールデンウィーク以外の平日は2時間おき)に,水槽での「実演」があるという。ちょうど12時からの回に滑り込んだ。客は12,3人で,まずビデオでの説明があったあと,ぞろぞろと水槽の周りへ集まる。電気を消し,係員がたもで刺激を与えると光を発する。小さな体にしてはかなり明るい光で,これが群をなしていたらかなりの壮観だろう。ただし,水槽の中のイカはちょっと元気がなく,光ったのは一部のイカだった。ホタルイカは光を発するときに大きなエネルギーを消耗するので,1時間おきというのはたいへんきついことなのだそうだ。

 昼を回り,腹が減った。タクシーを呼んで,パンフレットに載っていた「ホタルイカのフルコース」を食べさせる店へ急ぐ。海から少し離れたその店は,日本旅館付属のなかなかしゃれたレストランで,ホタルイカづくしの8品のコースが5000円だった。

 このごろは東京でも刺身(ゆでてないもの)を売っているが,東京のはどうも生臭いのに対し,獲れたてのはさわやかささえ感じさせる。目の前でゆでてくれる「釜あげ」も,大振りの立派なもので,自然な甘みがある。圧巻は「ポンポン揚げ」という串揚げで,ホタルイカ4本を含めて全部で12本,これも目の前で揚げてくれるのを抹茶塩をつけて食べる。東京の串揚げ屋だとこれだけで2000円はしそうな内容だった。

 すっかり満足して,おみやげにコースの最初に出た塩辛を買ってから,再び滑川駅へ。
 

(5)高山本線

 滑川駅で,その後の予定を検討した。東京方面へのルートは,1) 行きと同じほくほく線経由,2) 長岡経由,3) 直江津から信越本線で長野経由,4) 大糸線経由,5) 敦賀・米原経由,6) 高山本線経由,などがあるが,できればあまり遅くならないうちに帰りたいので,接続の少ない 3)4) と遠回りの 5) はあきらめた。6)の高山線だと,ちょうど富山発の「ワイドビューひだ」に間に合いそうなので,これに決定し,こんどはJR(14:12発)で富山に14:28着。

 駅前の銀行でお金を下ろし,切符を買う。高山本線と東海道新幹線の自由席特急券もいっしょに買える自動販売機があった。

 あわただしく「ワイドビューひだ14号」に乗り込み,14:49発。3両編成で,高山で増結するまでは先頭が自由席車両である。富山側から高山本線に乗るのは25年ぶりのことになる。しばらく北陸本線と併走し,神通川を渡ったところで左へ分岐する。自由席の客は20人ぐらいで,座ったのは前から2列目。最前列の席はビジネス客風の男2人で,彼らは途中から寝てしまった。どうせ寝るなら後ろに座ってくれればいいのに,と思ったが,こちらも結局はうとうとした。

 富山平野の田園地帯を走っていたのはつかの間,すぐに山の中に入り,神通川と何度も交差しながら登っていく。神岡鉄道の分岐する猪谷まで30分あまりだった。高山市内を流れる宮川がここで高原川と合流して神通川となることを,車掌さんの簡潔な観光案内が思い出させてくれた。この車掌さん,「4月19日の飛騨古川のお祭りが終わり,飛騨地方に本格的な春がやってまいりました」と,口調は素朴ながらなかなかの名調子である。なるほど,モモの花が山の斜面に咲いている。あらためて時刻表を見ると,4月19日のみ運転の列車がたくさん載っていた。

 雪を戴く乗鞍が見え,盆地が広がると高山である。高山は祖母の故郷であり,親戚もあるので何度か行ったが,今日は降りる時間がない。私の祖母が明治時代に東京へ出てきたのはもちろん高山本線の開通前で,下呂まで3日がかりで歩いたという(温泉地の下呂からは乗合馬車があったらしい)。

 高山で増結のため前の貫通扉が開くと,外の空気と共になつかしいディーゼルの匂いが入ってきた。それまで,電車でないことをほとんど忘れていた。堂々の8両編成となり,お客がたくさん乗って満席となって,座れない人がごくわずか出た。車内販売も乗ってきた。

 高山の次の飛騨一の宮と久々野の間に分水嶺があり,トンネルを出ると川の向きが変わっている。今度は益田川(途中から飛騨川と名を変える)と交差しながら下っていく。山中なのに渚という駅で下りと交換(そういえば松本電鉄にも渚という駅がある),続いて白川口の先の信号所でも交換があった。しだいに日が傾いてきたが,この季節はまだ十分に明るい。ダムにせき止められた静かな水面に山が映って絵のような風景である。

 再びうとうとしているうちにすっかり平野になった。岐阜から逆向きになって東海道線に入るころ日没となり,18:36 名古屋着。
 

 すぐに「のぞみ」があったので特急券を変更し,東京着は 8:24。1日で乗った距離(営業キロ)はざっと 960km だった。
 

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