北海道大S字紀行 (上)

――宗谷・ちほく・日高

(2001年) 

 その後の断章の目次へ 

(1) 稚内滞在38分 (4) 快晴の狩勝峠
(2) 旭川から北見へ (5) 海と牧場――日高本線
(3) ちほく140キロ (6) 北斗星は南へ


(1)稚内滞在38分

 連休谷間の5月1日(火),前夜11時札幌発の特急「利尻」は,ほぼ400kmを走って朝6時稚内に着いた。曇り,気温は1度,かろうじてプラスである。
 まず「最北端の線路」の碑に敬意を表し,次いで北防波堤ドームを目指す。車内で冬用の下着を着たので最初はそれほど寒さを感じなかったが,岸壁が近くなると風が強く,体がどんどん冷えていく。
 かつて稚泊連絡船の埠頭だった北防波堤の内側は,ギリシャ神殿のような列柱で支えられていた。風の音が天井にこもって,ごうごうと鳴る。最北端の碑
 防波堤の左端にある階段を上がって岸壁の上に出ると,厳しい表情の北の海が広がっていた。しかし,風に耐えかねて1分で降りた。
 駅へ戻ると,構内のソバ屋が開店していた。他に選択の余地なく,それで朝食。食べ終わってほっとすると,6時38分発の各駅停車が発車しようとしている。7時37分の特急に乗る予定だったので一瞬迷ったが,途中で乗り換えればいいだけのことなので,各駅停車に飛び乗ってしまった。最北端の稚内までやってきて滞在わずか38分だった。もちろん1両で,最初乗客は私1人だったが,次の南稚内で5人乗ってきた。うち3人は高校生である。
 人家はすぐに尽き,クマザサの間に雪がまだらに残る原野となった。ときどき白樺の木立がある。右手に海と礼文島が見えたがほんの一瞬で,写真を撮るひまもなかった。次の抜海(ばっかい)までは11km,その次の勇知(ゆうち)までは8kmで,それぞれ峠越えがある。峠では,林の間にミズバショウがたくさん咲いていた。峠を越えると緑が増え,牧草地も広がるようになった。少しまとまって人家がある勇知を出てまた峠を越えると,右に兜沼が見えた。兜沼駅で交換があり,以後平坦な道となる。
天塩川 ちょっとうとうとしている間に高校生は降り,一時乗客は他に1人となった。ときおり日がさす。雄信内(おのっぷない)を出るとトンネルとなり,抜けると右にかなりの川幅の天塩川が流れていた。雪の多い佐久を出ると,その次の筬島(おきしま)までは18km,この間もずっと天塩川が右にあった。
 音威子府(おといねっぷ)はこれまででいちばん大きな駅で,木造の立派な跨線橋がかつて天北線が分岐していた時代をしのばせる。ここで運転士が交代した。乗客は13人に増えた。美深(びふか)も有人駅で,雪が多く,駅の周囲に山をなしていた。
 9時59分,名寄に到着,特急に乗り換えるため下車した。名寄には,94年に深名線に乗りにきて訪れて以来である。
 当初予定の特急「スーパー宗谷2号」の自由席に乗って 10時20分発,自由席は1両で約7割の乗車率だった。特急なので車内販売がある。この先うまく駅弁が買えるかどうかわからないので,わっかない弁当「わっかないかに弁当」を買い,少し早いが旭川に着く前に食べてしまう。

(2)旭川から北見へ

 11時12分旭川に着き,11時20分発の石北本線「オホーツク3号」に乗り換える。札幌を9時40分に出た5両編成である。昼食がすんだのですぐ眠くなり,知らないうちに上川を過ぎた。「奥白滝」から「下白滝」まで白滝の5連続のあたりはいい天気になり,雪と白樺がまぶしかったが,次の丸瀬布(まるせっぷ)からは曇ってどんよりした冬空で,目まぐるしい。(奥白滝駅は,その後6月いっぱいで廃止になった。)
 遠軽(えんがる)で方向転換となる。通過駅での平地のスイッチバックは花輪線の十和田南,一畑電鉄の一畑口に続く体験である。
 山越えにかかる。ディーゼルのうなり声は高くなるが,列車の足取りは軽い。金華の手前でシェルターつきの信号所があった。おや,スイッチバックのようだ。どうやら常紋信号所らしい。
 次第に平地になり,最後はちょっとの間「地下鉄」になって,14時14分,北見に着いた。

(3)ちほく140キロ

 改札をいったん出て,北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線(長い!)の切符を買おうとしたら,全線で3410円という運賃なのに,自動券売機では1万円札が使えなかった。JRの窓口で両替してもらう。
 ホームへ行くと,星のマークをつけた単行ディーゼルカーが17人の乗客を乗せて待っていた。池田までの全線を走る1日4本のうちの1本である。発車間際に若い女性旅行者が乗ってきて,通路を挟んで隣のボックスに座り,総勢19人で14時30分発車となった。ちほく直線
 石北本線から分かれるとまもなく最初の駅・北光社となる。ここから西訓子府(にしくんねっぷ)まで18kmは,ゆるいカーブを少し挟みながらほぼ直線で平野を進む。本格的な春はまだだが,新しい緑が出始めている。2つめの駅・上常呂(かみところ)は交換可能駅だが,交換はなかった。このあたりまでは住宅がかなり多い。
 上常呂とか日の出,訓子府など,新しい駅舎も多い。本当はどこか途中で降りてみたいところだが,次の列車は池田での接続がないも同然でどうしようもない。
 ずっとゆるやかに登っていく。常呂川が左に遠く近く流れていたが,豊住(とよずみ)を過ぎるとすぐそばにやってきた。次の置戸(おけと)はこの鉄道の重要駅で,人家も多い。「明治44年開駅・管内最初」という碑や,人間ばん馬の像が見える。当然交換可能駅で,北見行きの始発が待っていた。
 ここまでに乗客は5人になった。置戸から次の小利別(しょうとしべつ)までは15.9km,山越えである。雪はなく,フキノトウが線路のすぐそばまである。ずっと20%の登りが続き,やがて海抜395.1mの最高地点に達すると,こんどは18%で下る。トンネルなしの分水嶺である。峠を越えると,パートナーは利別川となる。晴れてきた。
 15時54分,ちょうど中間地点の陸別着,10分停車となる。無人駅なのに立派な駅舎がある,と思ったら,駅ではなくて「オーロラ館」という施設で,表は「道の駅」になっている。極寒の地のはずだが,春を迎えて表情は穏やかである。
 陸別を乗客3人になって出発した。3人のうちの一人は北見で最後に乗ってきた女性で,大型の時刻表をいっしょうけんめいめくっている。ちょっと声をかけてみたら,広島県の人で,ゴールデン・ウィークを全部使って北海道を回っているという。旅行雑誌のローカル鉄道の特集号を持っていた。函館ではSL列車に乗り,今朝は釧網本線に乗ったとのことで,かなり精力的に動いている。私が,北海道の部分だけ切り取った時刻表を見せたら,「あ,そういうやり方もあるんですね」と,丸い目をますます丸くした。
 外はすっかりいい天気になって,新緑がまぶしい。乗客は少しずつ増えていく。本別で交換があり,種村直樹氏の本に出てきた新しい駅・岡女堂(おかめどう)を過ぎ,17時31分終着の池田に着いた。

 外へ出てみると,さすがにワインの町で,駅前にはワイングラス型の噴水がある。いっしょに降りた先ほどの池田駅のワイン抜き女性が,「あ,あれワイン抜きですね」と言う。なるほど,コルク・スクリューの形のモニュメントが立っていた。彼女は,明日は襟裳岬を目指すので,バスで広尾の方へ行く。バス停に行ってみると,なるほどいろいろなバスがある。時間を確かめてから,別れ際にあわただしく名刺の交換をする。学生さんかとおもったら,お父さんの経営する地元の会社に勤めているそうで,「いずれはお婿さんをもらうか,女社長をするかしなくちゃいけないんです。」とのこと。
 振り返ると,向こうには「ワイン城」がそびえている。もう少し早ければ行きたかったのだが,もう閉館しているはずだ。帯広行きまでに時間があるので,近くのレストランに入って,軽い夕食とした。もちろん十勝ワインつき,三六〇mlのカラフェで千二百円と手ごろである。
 18時42分の根室本線上り帯広行きに乗る。1両で,高校生が十数人乗っていた。途中からとっぷり暮れて,真っ暗な平野をひた走り,19時18分帯広着。


  

  jump: 続きを読むこのページの始めへ
     その後の断章目次へ鉄道の章 序へ