花巻・平泉――東北完乗の旅

(2002年) 

 その後の断章の目次へ 

 全国の鉄道完乗はほとんどあきらめているが,東北地方についてはもう10年以上前から少しずつ乗りに行って,3年近く前に,あと1回の週末の旅で完乗が達成できる状態になった。残ったのは2つの区間,釜石線の花巻―新花巻,石巻線の前谷地―石巻である。
 その後,「いつでも達成できる」と思いながらちょっとの時間がとれず,やっと出かけたのは昨年12月で,花巻行きの夜行バスで出発した。しかし,時ならぬ暮れの大雪で高速道路が閉鎖になってバスは3時間遅れとなり,その夜の予定の関係で花巻はあきらめて途中でバスを降りた(雪の小牛田駅・作並駅の写真はPhoto Gallery参照)。そのとき,石巻線には乗ったので,残るは花巻―新花巻だけになった。
 それから半年,ワールドカップの谷間の日曜日,カミさんと娘たちは早朝から遊びに行く計画をしている。それならば対抗上,こちらも勝手にどこかへ行かねば,ということで,懸案の花巻―新花巻を乗りに出かけることにした。

 「韓国ベスト4」の見出しが踊るスポーツ新聞と朝食のサンドイッチを買って,7時02分,上野から「やまびこ」に乗った。仙台から先は各駅に停車する遅いタイプである。
 雨は降っていないが,どんより曇った梅雨空で,数日前の夏の陽気がうそのように肌寒い。44分も後に東京駅を出た速い「やまびこ」に途中で抜かれ,10時16分に新花巻に到着した。
 駅には,東北新幹線開業20周年のポスターが出ている。よく見たら,その日がちょうど20周年の記念日なのだった。
 釜石線の新花巻は,新幹線と無関係に存在し,一度外へ出なければならない。しかし,無人駅ではないことで,普通の駅とは違うんだぞと主張している。11:00発の花巻行きに乗車し,緑の中を走ること8分,まことにあっけなく,東北地方完乗を達成した。
 あっけなかったけれど,完乗の地が花巻というのには多少の感慨がある。三十数年前,高校の修学旅行の最初の宿泊地が花巻温泉だったのである。

 あとの予定ははっきり決めていたわけではなかったが,かねて聞いていたそば屋がある平泉へ行ってみることにし,12:22 平泉に着いた。
 平泉へ降りるのは,その修学旅行以来である。修学旅行では,上野から夜行の鈍行(たぶん)の座席列車で出発し,朝平泉に降りた。駅からバスで,朝食のためドライブインのようなところへ連れて行かれたが,そこで「恍惚のブルース」ががんがんかかっていたのが妙に印象に残っている。(これを歌っていた青江三奈は当時から大人のムードで売っていたが,2年ほど前の死亡記事を見たら,年齢が私とたいして変わらないのに驚いた。)
 静かな平泉駅に降り,中尊寺へ行く途中にあるそば屋を目指して歩く。トラックの行き交う国道4号線と東北本線の線路の間に,そのそば屋はあった。古い民家をそのまま利用した店には,かすかなジャズ・ボーカルが流れ,時折,脇の線路をかなり長大なコンテナ列車が行く。そんな伴奏と共に,卵焼き2切れ・蕗みそがお通しに付いたビールと酒を飲むのは至福の時だった。最後に食べたそばが良かったのはもちろんだが,絶品だったのは野菜のてんぷらで,内容はナス,まいたけ,アスパラ,カイワレ,ズッキーニ,レンコン,ニンジン,ヤマイモ。ユニークだったのはカイワレで,ひも状にしたころもを円形の花瓶敷きのような感じに編んで,そこにカイワレが絡んでいた。

 中尊寺へは,修学旅行のとき当然寄っているが,金色堂を見た記憶がない。ここまで来たらやはり中尊寺へ行くことにした。
 境内は広く,門を入ってからうっそうとした並木の道をかなり歩く。金色堂はいちばん奥の方にあった。バスで来た団体さんのガイドの説明を聞く。掲示されている年表を見ると,修学旅行で来たころは「昭和の大修理」の最中だったようだ。
 梅雨空が少し明るくなって,帰り道から見下ろすと,北上川と東北本線が緑の中を北へ伸びていた。

  jump: このページの始めへその後の断章目次へ鉄道の章 序へ