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 小春日和の季節だが,大春日和とでもいいたくなるくらい暖かい11月のある日,12時48分東京発の長野行新幹線に飛び乗った。

 午後半日の汽車旅というのは,それしか時間がとれないという実態に即したものではあるが,独特の開放感があって楽しい。今秋,長野行新幹線の開通によって,半日の行動範囲がさらに広がったので,懸案のひとつだった上田交通別所線を訪ねてみることにした。
 

(1)

 高崎までは,これまでと変わることはない。刈り入れのすんだ関東平野を,高架で突っ走る。ただし,この列車は大宮のあとは上田まで止まらない。発車前に駅弁を買うひまがなかったので車内販売を心待ちにしていたのだが,自由席の禁煙車までやってきたのはもう熊谷を通過するころだった。そして私のいる車両に来てからも,3人連れのおばさんのところで5分近く引っかかってなかなか解放されない。挙げ句の果てに,私のところに来たときには,弁当は売り切れで,クロワッサンのサンドイッチの最後の1個しかなかった。おやつ程度の分量だが,やむを得ずそれを買い,カロリー不足を補うべく(?) 缶ビールを2本にした。

 いつのまにか高崎を過ぎ,新線区間にはいっている。碓氷峠にさしかかると,車掌さんが車内放送で碓氷峠の案内をする。在来線の北を大きく迂回するルートをとって勾配を半分以下にしたという説明があり,「ただいま碓氷トンネルを210キロで駆け抜けております」となかなかの名調子。

 長いトンネルが終わると軽井沢で,浅間山は頂上まで見えた。その後しばらくは堀割の中を走るので景色がよくない。

 「次は上田,しなの鉄道乗り換え」という案内放送があった。上田交通のことにはふれずじまいである。14時04分,上田着。2年前に来たときはまだ工事の真っ最中で,仮の階段を下りた覚えがある。

 新幹線の駅は,元の駅,つまりしなの鉄道の駅より少し東に寄っていて,しかもしなの鉄道の跨線橋をまったく無視して作られている。したがって,新幹線の改札口を出てから,駅ビルの中の狭い通路を少し歩き,また階段を上り下りしなくてはならない。

 しなの鉄道の跨線橋には,北口・南口などという名前でなく(実際には北東口・南西口というべき向きらしい),「お城口」「温泉口」という表示があった。 温泉口といっても駅のそばに温泉があるわけではないようで,別所温泉のある方ということなのだろうか。

(2)

 しなの鉄道の改札を入って,上田交通別所線のホームへ行く。2両編成の東急製のステンレス車が待っていた。座席がほぼいっぱいとなる客を乗せて,14時25分発。次の駅までの間の部分では高架化工事が進んでいて,どうやらしなの鉄道のホームの上に駅ができるようだ。小私鉄としてはずいぶん思い切った投資である(江ノ電の藤沢駅の高架化を思い出した)。

 4つ目の上田原には交換設備があったが交換はなく,ちょうど真ん中の拠点駅下之郷で交換があった。両端以外は大部分無人駅のようで,駅に着くたびに車掌さんは忙しく走り回る。大学前などではかなりの乗降客があった。

 今日は特別暖かく,厳しい信州の冬の近いことを感じさせない。点在する溜池が明るくきらめいている。まだ収穫していないリンゴの木もあった。車内のお年寄りが「雨が少なくて,今年のリンゴは肉が入ってないね」というような話をしているのが聞こえた。

 中塩田の手前では,丸窓電車が放置されているのが見えた。

 ずっと登り勾配なのだがそれほどの実感はなかった。しかし,最後の別所温泉の手前は最高40パーミルの急勾配となり,特に線路には興味のなさそうな観光客のおばさんたちも,「あら,すごい坂ね」などと言っている。14時56分,終点別所温泉着。

 駅を出て階段を上がったところが道路で,道路から振り返ると,しゃれた駅舎が谷間にしっくりとはまっている。丸窓電車のミニ博物館と喫茶店「丸窓」は,どうもしばらく前から営業していないような感じだった。

(3)

 当初,塩田平のお寺をひとつふたつ見ようか,それとも「新生」しなの鉄道に乗ろうか,あるいは長野へ行くかなど,いろいろ迷っていたのだが,別所線の車内に出ていた「無言館」の広告を見て,行ってみる気になった。8分ですぐ折り返す電車に乗り,急勾配を下って,4つ目の塩田町で下車。無言館は,信濃デッサン館の別館として今年できたもので,戦没した画家・画学生の作品を集めた美術館である。

 レンタサイクルなどというしゃれたものはなかったので,暖かい日を浴びて歩き始める。ハイキングコースの矢印が前山寺(信濃デッサン館は前山寺の隣りである)の方向を案内してくれるので,迷うことはなかった。ずっと田んぼの間の道だが,溜池があったりして変化もある。急いだので少し汗をかいた。

 無言館は,デッサン館より手前にあった。歩き始めて約25分,最後の急な坂道を登ると,教会のようにそびえていた。入り口も教会のような木の扉で,「料金は出口で」という掲示があった。展示室は十字型で,絵のほかに,部屋の真ん中のケースに遺品や手紙などが展示してある。いずれも,家族によってかろうじて守られてきた絵や遺品で,簡潔な説明とあわせて見ていくと,厳粛な気持にさせられる。仮に大勢で行ったとしても,館名のとおり,自ずから無言になるだろう。

 出口で入場料を払うというのも変わっているが,その入場料自体さらにユニークで,「200〜500円の範囲でお志に応じてお願いします」となっていた。この重い展示を見ると,やはり最高額を払う人が多いのではなかろうか。

 無言館を出ると,暖かかった日ざしも4時を過ぎてさすがに弱くなっていた。 信濃デッサン館は2年前に来たので今回はここで引き返すことにした。帰りは下り坂が主なので,行きより早く着いた。クロワッサン以来なにも食べていないので,駅近くを歩き回ってコンビニをさがし,おにぎりを買った。

(4)

 16時54分,塩田町発の電車に乗る。もう暗くなって景色はほとんど見えない。 17時16分ごろ上田着。

 次の上り「あさま」まで少し時間がある。駅前広場からすぐの地酒のありそうな店に飛びこんだところ,新潟の有名な酒が1杯550円と格安,近くの東部町の地ビールもあり,昼の「補填」ができた。

 18時03分上田発の上り「あさま」は「各駅停車」だった。完全に各駅停車の上りは1日に2本しかないようだ。それでも,乗り換え駅の大宮までわずか70分だった。
 

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