明知鉄道と日本大正村



(一九九九年)
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(1) 京都から恵那へ

 出張で京都に泊まった翌日の土曜日,東海道をだいぶはずれて,明知鉄道に乗ってみることにした。
 まず8時27分京都発の新幹線で名古屋へ向かう。ウイークデイと同じダイヤでたくさん走っている時間帯なので,すいていた。
 9時10分に名古屋に着き,18分発の中央本線快速に乗る。中央本線の名古屋からの下りに乗るのは,ほぼ30年前に当時高蔵寺にいた親戚を訪ねて以来である。
快速は堂々の8両編成で,名古屋からしばらくは名古屋の郊外電車だが,高蔵寺を過ぎると一時急に山の中に入り,川に沿って進む。少しするとまた町が開け,多治見など落ち着いた地方都市が続く。

(2) 明知鉄道

 10時20分,恵那着。さっそく明知鉄道の乗り場へ行くと,こぎれいなディーゼルが1両止まっていた。30人ぐらいの乗客を乗せて10時28分発。発車するとすぐ複線の中央本線が左に大きくカーブして離れていき,明知鉄道はおもむろに右にゆるやかにカーブする。
 単線の線路はほとんどずっと緑の中を行く。カーブや勾配もけっこうきつい。
あとで資料を見たら,飯沼駅は日本一の急勾配に建つ駅なのだった。飯沼を出るとトンネルが2つあって,その間がちょっとしたサミットになっていた。次の阿木は交換可能駅だが,どうやら交換設備は使われていないらしい。
 いくつか小サミットを越え,岩村着。「岩村城 女城主の里」というのぼりが立ち並んでいる。ここで一気に20人以上下車して車内が静かになった。上りと交換,タブレットの受け渡しがあった。
 次の花白は,駅の真ん前が温泉になっていた。その次の山岡では,向こうに車両が見えたので,あれまた交換かなと思ったら,古い車両が保存してあるのだった。
 25.1kmに駅が9つで,駅間距離は平均2.8kmとかなり長い。第3セクターは,駅を増やしてこまめに乗客を拾おうとする線が多いが,ここは,途中駅が必要になりそうな集落はあまり見あたらない。
 最後の小サミットを越えると,右手に町が広がってきた。その周りを大きく回って,11時19分,終着の明智(駅名はこう書く)に着いた。降りたのは私のほかは4人のおじさんグループだけだった。

(3) 日本大正村

 明智といえば「日本大正村」である。駅の観光案内所で,駄菓子屋の店番が似合いそうなおばあさんに大正村の地図をもらう。
 5分ほど歩くと大正村が始まる。町並みは観光用にある程度整備されてはいるが,無理して形だけ古い様式で作ったみやげ物屋が並んでいるのではなく,元からの生活が自然に続いている様子がうかがえた。それは特に,最後に町の西のはずれの方を見たとき,印象に残った。そこはもう観光客があまり来ないであろう地域だったが,それだけにまったく飾り気なく街道沿いに古い家が並んでいた。
 2,3日前までに比べるとそうたいして暑くないが,歩くとやはり汗が出てくる。途中,500円を投じて帽子を買った。資料館などいろいろあるが,暑いとゆっくり見る気力がわかない。ともかく町並み,というわけで,主な通りを見て歩いた。
 食事のできるところを物色したが,この土地ならではと思わせるものがなかなかない。結局,「カフェー」に入り,ビールと「洋風カツ丼」を頼んだ。その店は,食事はこの洋風カツ丼のみである。ご飯にキャベツの千切りが乗り,その上にカツが乗っていて,黒っぽいソースがかかっている。名古屋風のみそカツかなと思ったら,みそは使っていないと書いてあった。まあ,ドミグラソースの一種である。カツが揚げたてなのでおいしかったが,そう何度も食べたくなるほどではない。

 帰りは13時38分の恵那行きにしようと思っていたのだが,その前のに間に合いそうなので,駅へ急ぐ。腕木式の信号に見送られ,12時35分,私のほか,おばあさん5人と若者1人を乗せて発車。また緑の中をごとごと走る。
 恵那からはまた中央本線の快速,こんどは4両で,終始かなりの混雑だった。

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