飯田橋散歩路標示板
富士見地区町名由来板・町会防災倉庫
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![]() 除幕式 |
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| 日本医科大学付属第一病院記念碑 2005.5.21 |
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| 國學院大學発祥の碑 | 東京区政会館 | ||
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| 東京区政会館 | |||
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| 千代田区飯田橋 町名由来板 | |||
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| 天正(てんしょう)十八年(1590)、徳川家康(とくがわいえやす)は領主として江戸にやってきました。関東入りしてほどなく、家康は現在の飯田橋(いいだばし)周辺を視察しています。このとき案内役を買って出たのが、飯田喜兵衛(きへえ)という住人でした。喜兵衛の懇切丁寧な案内を、家康はよほど気に入ったのでしょう。視察後、彼を名主(なぬし)に任命し、さらに土地の名前まで、喜兵衛にちなんで飯田町(いいだまち)とするよう命じたのです。その後、この界隈(かいわい)は武家地となったため、正式な町名をもっていませんでしたが、「飯田町」は通称として使われ続けました。 明治五年(1872)になると、元飯田町や周辺の武家屋敷などが、飯田町一〜六丁目に再編されます。通称として親しまれた「飯田」は、明治維新後にようやく正式な町名となったのでした。そして昭和八年(1933)、飯田町四丁目の北側、同五丁目と六丁目などが、新たに飯田町二丁目となりました。 飯田町の北側にある江戸城外堀に橋が架けられたのは明治十四年(1881)のことです。橋は町の名前にちなんで「飯田橋」と命名されました。その後、明治二十三年(1890)に修築されたのち、同四十一年(1908)には鉄橋に、昭和四年(1929)にはコンクリート製の橋に改良され、現在に至っています。 その橋の名が、町名として採用されたのは、昭和四十一年(1966)のことです。このとき、飯田町二丁目は町中をつらぬく目白通りを境に、東側が飯田橋三丁目、西側は富士見町二丁目の一部を編入して飯田橋四丁目になりました。 |
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| 千代田区飯田町 町名由来板 | |||
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| かつてこのあたりは千代田村と呼ばれるのどかな農村でした。ここに飯田(いいだ)という地名が生まれたのは、徳川家康(とくがわいえやす)が江戸にやってきてからのことです。 天正(てんしょう)十八年(1590)、江戸に入府した家康は、千代田村とその周辺を視察します。このとき案内役を買って出たのが、村の住人飯田喜兵衛(きへえ)でした。「所(ところ)の巨細(こさい)とも申上(もうしあげ)(土地のことについて、細かく詳しく申し上げた」(『新撰東京名所図会(しんせんとうきょうめいしょずえ)』より)という喜兵衛の案内に感心した家康は、彼を名主(なぬし)に任命し、さらに地名まで「飯田町」とするように命じたのです。以来、江戸の町の開発が進み、この界隈(かいわい)に武家屋敷がひしめくようになっても、飯田町という名前は残りました。ただし江戸時代の武家地は町名をもたなかったため、飯田町は通称として使われていました。 飯田町が正式な町名となったのは、元飯田町や周辺の武家屋敷などが、飯田町一〜六丁目に再編された明治五年(1872)のことです。ここには飯田町三丁目と同四丁目などが誕生しました。昭和八年(1933)になると、区画整理によって飯田町三丁目の東側と同四丁目の南側、同五丁目の一部などが、新たに飯田町一丁目となります。さらに、昭和四十一年(1966)、住居表示の実施により、飯田町一丁目は、飯田橋一丁目、同二丁目などに再編されました。ちなみに、目白通りに対して西側は飯田橋一丁目に、東側は飯田橋二丁目として区分けされ、現在に至っています。 |
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| 千代田区九段1丁目 町名由来板 | |||
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この界隈(かいわい)が「九段(くだん)」と呼ばれるようになったのは、幕府が四谷御門(よつやごもん)の台地より神田方面に下る傾斜地に沿って石垣の段を築き、江戸城に勤務する役人のための御用屋敷(ごようやしき)をつくったことからです。その石垣が九層にも達したことから、九段という通称が生まれました。当時の九段坂は、牛ヶ淵(うしがふち)の崖っぷちを通る細くて寂しい道で、とても勾配(こうばい)がきつい坂でした。
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| 千代田区富士見1丁目 町名由来板 | |||
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この界隈(かいわい)が富士見(ふじみ)と呼ばれるのは、文字通り、町内から富士山の雄姿(ゆうし)が眺められたことに由来します。九段坂(くだんざか)を上りきった台地に位置する富士見一丁目(ふじみいっちょうめ)は、まだ高いビルがなかった時代には、どこからでも富士山がくっきりと眺められたといいます。 |
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| 千代田区富士見2丁目 町名由来板 | |||
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江戸城の名残である外堀(外濠)に面したこの界隈(かいわい)は、武家の屋敷が立ち並ぶ地域でした。当時、武家地には正式な町名がなく、道筋に土手四番町(どてよんばんちょう)、裏四番町通(うらよんばんちょうどおり)などと呼称が付いていただけでした。「富士見(ふじみ)」という町名が生まれたのは明治五年(1872)のことで、九段坂(くだんざか)を上ったあたりから眺める富士山の姿がじつに素晴らしいことから付けられた名前です。九段坂を上りきった台地(現在の靖国(やすくに)神社周辺)に富士見町(ふじみちょう)一〜六丁目が誕生しました。 |
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| 千代田区飯田橋町会 防災倉庫 | 千代田区飯田町町会 防災倉庫 | ||