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馬劇場

 学生時代に学部の悪友にそそのかされて競馬をはじめて早十年以上が過ぎました。 よく聞かれます。「何でそんなに競馬が好きなの?」と。。ちなみに自分の干支は馬年。 そして、高校、大学と馬のようにひたすら走っていました。
 名馬たちとその感動のレースの記憶を辿りながらその答えを明かにしたいと思います。


Act 1 / 最後まで見続けた“末脚復活の夢”
マティリアル



〜〜奇跡〜〜

 1987年3月29日、駒沢公園のコースを2周走って戻ってきて、テレビをつけると競馬中継がやっていた。当時まだ競馬をやっていたわけではなく、何気なく画面を見て、綺麗に輝くサラブレットの姿に見とれていた。

 スプリングステークス。4歳馬達のクラッシックレース出場の切符をかけた注目のレース。パドックを回る馬達を見てもどれも立派で、解説者があれこれ言っているが、さっぱり分からなかったのを思い出す。

 それでも、2頭目立った馬がいた。その2頭とはマティリアルとゴールドシチー。断然の1番人気に支持されていたマティリアルは威風堂々とパドックを回っている。「素材」という名前に秘める可能性はどのくらい大きいものだろうか。 一方、ゴールドシチーは落ちつきがないように見えたが、金髪のたて髪が見事な、惚れ惚れするような美しい馬だった。
 何も分からずレースがスタートするのを固唾を飲んで待つ。マティリアルは緑色の勝負服。有名な岡部騎手が手綱を取っている。たしかこのいでたちは前にテレビでシンボリルドルフの時と同じではないかと素人ながら思っていた。 そしていよいよスタート。

 「スタートを切りました。揃ってスタートです。12頭が一団で第1コーナーを回っていきます。ウインストーンが先頭にたちました。2番手にモガミヤシマ。メリーナイス、ゴールドシチーが並んでいきます。さー、シンガリからマティリアル。 マティリアルはシンガリでぽつんと一頭離れています。」と実況のアナウンアサー。意外な出来事に声に力みが感じられる。
 「なんだ、遅れちゃったじゃないか」と呟く自分。

 「前の1頭を見る形でマティリアルシンガリ。さて3コーナーから4コーナーへ向かいます。ここからレースは激しくなります。マティリアルはまだシンガリ、12番手です。4コーナーを回ります。マティリアルは内をついた。リワードタイランドが先頭。 マティリアルはまだ中団。まだ中団です。マダレスが先頭。マティリアルが突っ込んでくる。」
 マテリアルがコーナーを回ってきて、前に出てくるのを見てはっとしたアナウンサーだが、この位置では届かないと思ったのだろう、半分あきらめの様子であった。
 「マテリアルが突っ込んでくるがちょっと届きそうにない。モガシヤシマだ。」

 しかし、その直後であった。そう、信じられない光景が目に飛び込んできたのは。カメラも1番人気のマティリアルが届きそうにないと見て先頭争いの方へファインダーを向けていた。ところが、目を離した途端、画面の端から何か物凄い勢いで飛んできた馬がいたのだ。 緑の勝負服、マティリアルであった。

 「外からマティリアル。外からマティリアル。マティリアルが交わした。マティリアル1着。1着です。マティリアルものすごい脚。驚きました。大外強襲ものすごい脚。マティリアル、シンガリから一気の追い込みを決めました。新しいスターホースの誕生です。 見事に追い込みを決めましたマティリアル。」


 その日から「マティリアル伝説」が始まった。きっとあの末脚に魅せられて、その後、マティリアルの馬券を握り締めて競馬場で見守ったファンは多いことだろう。
 何度負けても、「次こそはきっと」とそのたびごとに自分に言い聞かせる人達。それでもなかなか復活の兆しが見られず連敗を続けるマティリアル。
 その頃の自分は、陸上競技を再開して、何とか2年前の走りを取り戻そうと必死だった。高校時代の自分のレース展開は、じっくり中団に控え、ラストの1周で仕掛け、ラスト200mでスパート。最後直線ではきっちり差し切るというものであった。マティリアルほど ではないが直線最後には自信を持っていた。そして、スプリングステークスをみて“もう一度”と希望を持ったのであった。

〜〜苦悩〜〜

 意外にも、1年ほどで自分の方はそこそこ走れるようになったが、マティリアルの末脚は沈黙したままだった。
 皐月賞3着、ダービー18着、菊花賞9着。クラシックレースで皐月賞以外は見せ場も作れず惨敗したマティリアルには次の年も試練が続いた。エプソムカップで2着に入り、「おっ、これはもしかして完全復活か?」と思わせたが、その後は凡走を繰り返す。

 オグリキャップがタマモクロスを遂に負かした有馬記念に出走したが、スターホース2頭の影で、マティリアルは9着に敗れた。菊花賞の前に見限られたマティリアルの鞍上には既に岡部騎手の姿はなかった。加藤騎手や僚友サクラスターオーの主戦の東騎手が専らの コンビであった。

 そして、新しい年が明ける。半年の休養後、6月から始動したマティリアルは、4着、4着とそこそこの走りを見せていた。ただし、最初から比較的好位置に控え、そのままゴールになだれ込むといったレース運び。
 「その位置なら一気に突き放して1着でゴールして欲しい」というのがファンの切なる思いであった。

 8月の関屋記念。この暑い季節に新潟まで復活の活路を見出そうと必死だったのだろう。騎手は久々に追い込みを得意とする柴田善臣騎手に替わり、後方からのまとめて何頭も交わし2着に突っ込んだ。久々に1番人気に支持され気を良くしたかのような見事な末脚であった。 ただし、ファンの待ち詫びているのは末脚を爆発させての「久々の勝利」であった。もう一息。そう、もう一息だ。

〜〜復活〜〜

   1989年9月10日、中山競馬場、京王杯オータムハンデ。あのスプリングステークスの「伝説」から2年半の歳月が過ぎていた。
 鞍上には本当に久々に岡部騎手。当然のことながら1番人気に支持され、「これは、もしかして勝てるんじゃないか?」と大いに期待する自分。
 午後3時40分。レースはスタートした。「どんな位置取りでも今日は必ず差し切ってくれるだろう」と思っていた自分であったので、スタート直後、いきなり好位置につけ、気合を入れたと同時にスーと前にでるのを見て、「えっ?」と驚く自分。
 そして、あっという間に先頭で逃げていた馬に並んでしまう。競馬場の観客も自分と同じ思いだったのだろう。異様などよめきが起こっていた。それでも、勝利に突き進むマティリアルに向けて力一杯の声援が送られる。
 「よし、そのまま、行け、行け」興奮気味に叫ぶ自分。

 そして、マテリィアルが真っ先にゴールに飛び込んだ。ゴールすると珍しくガッツポーズをする岡部騎手。誰もが待ちに待った勝利であった。そう、スプリングステークスの舞台から久々にマティリアルが主演を演じることが出来た瞬間であった。なりふりかまわず勝利を目指した姿。 「新しいスターホースの誕生です」と持てはやされた時から、2年半が経ってしまったが、どんな形であれ、まさに「復活」の二文字を刻む時が来たのである。
 「やった。やった。やった。」と小躍りする自分。連敗の苦しい日々を一気に吹き飛ばす勝利に歓喜を抑えることはできなかった。

〜〜永遠〜〜

 新聞で悲劇を知ったのは次の日であった。当時、自宅でとっていた日本経済新聞はたった1ページの少ない紙面のスポーツ欄であったが、非常に競馬欄が充実してたのを思い出す。トピックスなどもしっかり載せられていて、競馬担当記者の意気込みが強く感じらて気に入っていた。
 「マティリアル、"右第一節種子骨複雑骨折"」という記事を見て目を疑った。「そんな、やっと勝ってこれからじゃないか」。ファンの思いと同じように、関係者の選択も安楽死ではなく、万に一つの可能性に賭けての手術決行であった。
 次の日も、競馬記者はマテリィアルの手術後の様子を記事にしていた。かなり、難しい手術だったのだろう、小康状態が続いているようである。
 「頑張れマティリアル。頼む、助けてやってくれ」と祈るように新聞を握り締める自分。

 しかし、祈りは通じなかった。「出血性大腸炎を併発」。痛みによる精神的ストレスが原因のものであった。かなり苦しんだのだろう。かわいそうに。
 そして、1989年9月14日午後6時28分。マティリアルは遂に逝ってしまった。そして奇跡は永遠に伝説になってしまった。

 競馬を始めて何年も経つとサラブレッドの死に直面することは、よくあることになってきた。ぎりぎりの戦いを強いられるサラブレッドにとって、ある意味では「死」というものは背中合わせなのかもしれない。
 「目一杯走る馬」は特に脚への負担は大きいと言われる。サイレンススズカの悲劇を天皇賞で目の当たりにして愕然とした。しかし、このところ彼らの死に知らずに慣れてきてしまったのだろう。心の奥底からの悲しみは沸かなかった。むしろ、そのことの方が悲しいことなのかもしれない。

 マティリアルの死で初めてのサラブレッドの悲劇を知った。涙した。スプリングステークスで奇跡を演じ、ファンに夢を与え、そして、劇的な最期の舞台を演じた彼のことを決して忘れることはないだろ。
 競馬場はサラブレッドたちにとって舞台である。主役を演じるスターホースたち。そして、いつも健闘するがもう一歩の脇役たち。けれども、どの馬も舞台に上がったら一生懸命なのである。我々観客はそれぞれの目でこの"馬劇場"を観て、喜び、悔しがり、楽しむことができる。目一杯の声援と、 惜しみない拍手をいつも与えたい。

 "無限の可能性を秘めたドラマ"。それを知ってしまった自分。だから競馬をやめられない。


マティリアル
1984.4.4生、(南)田中和夫厩舎、馬主・和田共弘、門別シンボリ牧場
(父)パーソロン、(母)スイートアース(3)、(母父)スピードシンボリ
19戦4勝、2着2回、3着2回
主な勝鞍・スプリングS(GU)、京王杯AH(GV)、寒梅賞