三月とはいえその日は、暑がり屋の私にとっては朝から初夏を感じる位の暑い日であった。
いつもは勤務先である埼玉県草加市にある工場に車で通勤しているのだが、この日は日本橋にある本社で一日会議が予定されていて、珍しく地下鉄での出勤となっていた。この日の暑さと久しぶりの満員電車の人いきれに我慢できなくて電車の中で脱いだコートと雑誌を左手に、右手には鞄を持って私はドアを背にして立っていた。九時少し前に、電車が大手町駅に着くと沢山の降車する人がドアに殺到してきた。
なぜか私の隣に立っていた見知らぬ青年が「一緒に降りましょう!」と言って私の腕を掴んで、強引に私を引きずり降ろしにかかった。未だ二つ先の茅場町駅で降りる予定の私は、後ろ向きになったまま大手町駅のホームに他の何人かと一緒になって寄りかかるように将棋倒しになって倒れこんでしまった。私の腕を掴んだ不届きな青年が「駅員さん!駅員さん!」と大きな声で叫んでいる。倒れたまま目を閉じてなぜかぼーとしていると、駆けつけてきたらしい駅員が今度は「救急車を呼べ!救急車を呼べ!」と叫んでいる。[大袈裟な奴だな]と思いながら、 [このままだと病院に運ばれてしまう。だが待てよあと二駅で茅場町の駅になる。それに起き上がれば気分がずっとすっきりするような気がする。未だあの電車のドアも開いたままだからこのまま起き上がって飛び乗れば会社はすぐだし、会議の時間も近づいている。]と思って起き上がろうとしながら「茅場町!茅場町!」と叫んでみて我ながら[あれ変だな]と自分自身の異常に初めて気がついた。
「かやばちょう」と言えていないのである。「ららばちょう! ららばちょう!」としか言えていないのだ。 薄目を開けたら白い服と白いヘルメットをかぶったおじさんが二三人いて、私を取り囲んで上から観察している。「汗をかいている!」と言っている。[当たり前だ!こんな暑い電車で汗をかかない奴がいるか!無理に理由をつけて重病にしたがっている]と事の重大さに気がついていない私。「聖路加病院!聖路加病院!」と今度は叫んでいる。それでも起き上がろうとしている私に「頭を担架につけて!」と救急隊員の声が聞こえた。[どうも様子がおかしい。この際、従わざるを得ないな。あの病院なら会社に近いし、まあいいか]と観念して頭を担架につけて救急隊員の言葉に従った。担架を運び始めたようだ。ホームにいるサラリーマン、サラリーウーマン諸氏が何事があったのかとばかりに担架の私を不躾にも覗き込んでいる様子が手にとるようにわかる。目を閉じたままの私であったが、かつての私がそうであったので良く分かる。
「会社に連絡するのなら救急隊の方からしますので、連絡先を言ってください」[そんなことをしたら会社の人がびっくりしてしまう。]「自分でするからいい」 と、おことわりしている私。「救急隊がしますから」「いいよ自分でするから」「病院に着いたら検査に入りますから電話することはできませんよ」[そういうことになるのか]と観念して会社の電話番号と、連絡先には本日の会議の本社側メンバーである部長の名前を伝えた。
「財布はどこにありますか?」「ズボン」「お名前と生年月日は?」「ご自宅にも連絡しましょう」、スラスラ答える私。ズボンにあったはずの財布はいつの間にか救急隊員の手にあって、そこに入っている自動車免許証と僕の答とをチェックする救急隊員。
そうこうしている間に救急車は病院に到着したようだ。「気持ち悪かったら戻していいよ」救急隊員に促されて今朝食べたものを思い切り戻してしまった。
病院の救急センターに入ったらしく沢山の先生や看護婦に取り囲まれたらしい。どうやらCTの機械の中に入って検査を受けているようで白いトンネルの中にベッドの台ごと頭を突っ込んでしまうと私の頭を輪切りにしているようで、金属の輪がシャシャシャシャと軽い音を立てながら作動している。CTに入っているということは頭がやられたのかな? 意識はしっかりしているのに・・・・・・・。
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