いちごぼっくり物語

[その14]

 その夜、いちごぼっくりは夢を見た。
彼女は山道で一人の老人と出会った。老人はいきなり話始めた。

「一輪の花が山奥で人知れず咲いては枯れてゆく。ある時、その山奥に一人の人間が入ってきて、その美しく咲いた花を見る。その花は彼によって認識され、意識化される。この人間の中にある意識というもの以外、すべての大自然は無意識である。この無限の宇宙を一人の子供だとすると、人間の認識する行為はその子供が自己を知るということだ。成長とは意識化の過程だ。それは無機物から有機物へ、鉱物から植物、動物、さらに人間へ、最後は神へ、すなわち無意識から意識へ、自己意識から宇宙意識へと向かう。かって生命が太古の海水から生まれたように、意識は無意識という羊水の中から生まれ、さらに自己に限定されている意識は、普遍意識へと成長する。この成長が上昇だとしたら、一方、人間の中にある物質性は、それに反して人間を、無意識の大地に引き戻そうとする。片方は父であり、もう片方は母である。母とは『物質』であり、『肉体』、『エロス』、『イシス』、『アスタルテ』、『デメテール』、……である。父とは『精神』であり、『ロゴス』、『オシリス』、『ブラフマン』、『アブラクサス』、……である。父と母は対立するものではない。同じ一つのものが収縮した状態と膨張した状態だ。宇宙はその膨張と収縮を繰り返す。父から母へは創造行為であり、それは物質に生命が宿ることだ。生命を与えられた物質は成長することにより、創造行為を逆に辿る。人間はその創造行為を逆に辿ることにより、再び母から父に戻ろうとする。その上昇とは『感覚』から『直感』へ、(思考と感情は感覚と直感の間に存在する中間的な機能に過ぎない。直感においてのみ内的主観と外的客観は一致する。)『偶然から必然へ』、『沈黙』から『言葉』へ、『カオス』から『コスモス』へ、『ムラダーラ』から『サハスララ』へ、『シャクティ』から『シウ゛ァ』へ、『マルクト』、『イエソド』から『ケテル』、『ダートへ』……。人間は上昇途上の中間的なものだ。上昇の終局は合一であり、合一はまた再び創造へと繋がる。上昇と下降。膨張と収縮の永久運動。その運動は小さなサイクルのものからそれを含む大きなサイクルのものまで様々ある。丁度月が自転しながら地球を回り、さらに太陽を回るように。『生』とはそれ自体『イニシエイション』であり、両極から引っ張られることによって起こる回転運動である。時間とはその上昇回転運動の結果できた距離である。人間にとってこの上昇とは『自己犠牲』であり、『贖罪』、『補償』、『愛』、……である。……ただし宇宙は何かの目的のために存在するのではない。『全体なるもの』にその存在の目的などありはしない。まず存在があり、これはその存在の解釈だ。部分であり相対的であるがゆえに目的という錯覚を捏造せざるをえない人間にとっての解釈である。」

いちごぼっくりがいい加減飽き飽きしたところで、老人の話は終わった。
「ところでおじいさん。あの山の向こうには何があるの。」
「そんなことわしゃしらんよ。」

いちごぼっくりは心のなかでつぶやいた。
『わけのわからない小難しいことはしゃべるくせに、山の向こうに何があるかも知らないなんて、このじいさんは馬鹿だな。しかもわかりやすい馬鹿だよ。』
 


BACK  NEXT

NO.1

EXIT