トリビア



●『ザ・スーパー忍II』は1991年末に発表され、当初は1992年に発売される予定だった。だがゲームの完成度を高めるため、セガは発売延期を決断し、最終的に1年後の1993年7月に発売された。後に本作ディレクターの伊藤知行は、「途中まで組み上げたステージをプレイして面白みに欠けると感じ、開発スタッフで話し合い全ステージを作り直すこととしました」と語っている。事実、この時点でゲームの大部分は一度完成していたようで、当時のゲーム雑誌には製品版とはまったく異なるステージやキャラクターの画面写真が多数掲載されており、海外のゲーム雑誌では発売前のレビューまで行われていた(参考1参考2)。



『BEEP!メガドライブ』1992年11月号(1992年10月8日発売)



『BEEP!メガドライブ』1993年2月号(1993年1月8日発売)


●ディレクターの伊藤知行、作曲の村崎弘史ら、『ザ・スーパー忍II』の開発スタッフはセガサターンの『クロックワークナイト ペパルーチョの大冒険』にも参加しており、さらにプロデューサーは前作『ザ・スーパー忍』のディレクターを務めた大場規勝である。

●『ザ・スーパー忍II』のプログラマーを務めた矢島利明は、後にスクウェアで『フロントミッション オルタナティヴ』のメインプログラム、モノリスソフトで『ゼノサーガ』シリーズのメインプログラムなどを担当している。

●『ザ・スーパー忍II』の開発当時、メガソフトと同じビルにトレジャーも入っており、本作のスタッフはトレジャーから開発中の『ガンスターヒーローズ』を見せてもらうなど、多くのアドバイスを受けた。馬やサーフボードによるチェイスシーンの導入は、トレジャー作品のスピーディーな展開に後押しされた面も大きい。

●『ザ・スーパー忍II』のスタッフにはサイバーパンク好きが多く、背景やメカのデザインは『ブレードランナー』や『アップルシード』の影響を受けている。また一部のシーンは、ジェームズ・ボンド(007)映画や、寺沢武一のコミック『コブラ』なども参考にしている。

●前作『ザ・スーパー忍』に登場したジョー・ムサシの許婚ナオコは、本作には登場しない。当時のゲーム雑誌には、「新生NEO ZEEDがムサシをおびき寄せるため、再び忍の里を壊滅させ、ナオコもその犠牲となった」という記述がある。ただし、取扱説明書やゲーム中には同様の記述はなく、この設定はあまり重要視されていないと思われる。


北米ジェネシス版パッケージ・表
(クリックで拡大表示)


北米ジェネシス版パッケージ・裏
(クリックで拡大表示)

●海外では『ザ・スーパー忍(The Revenge of Shinobi)』を1作目、『シャドー・ダンサー(Shadow Dancer: The Secret of Shinobi)』を2作目としてカウントするため、『ザ・スーパー忍II』の海外版タイトルは『Shinobi III: Return of the Ninja Master』となっている。ただファンの間では、初代『忍(Shinobi)』を1作目、『ザ・スーパー忍』を2作目とする説もある。

●海外版のパッケージイラストには、本編に登場しない火炎放射器を持った敵が描かれているが、これは前述したベータ版の名残である。

●最終ボス・シャドーマスターの正体については特に説明がないが、北米ジェネシス版のパッケージ裏には、「シャドーマスターはジョー・ムサシのクローンである」という記述がある。ただし、取扱説明書やゲーム中には同様の記述はなく、この設定はあまり重要視されていないと思われる。



Back

Main