METAL GEAR SOLID 3 : SNAKE EATER
メタルギアソリッド3 スネークイーター




 まず最初に言いたいのは、MGS3は間違いなくMGSシリーズ最高傑作であるということだ。筆者はMSX版のMG1、MG2を心から愛している。だがPSになってからのMGS1、MGS2は、自信を持って人にオススメすることができなかった。決して嫌いではないが、大好きだと言ったこともない。だがMGS3には、いい意味で裏切られた。ぜひ一人でも多くの人にプレイしてもらいたい。


●各要素のバランス
 まず、MGS3は「ストーリー」と「ゲーム」のバランスがよい。相変わらずポリゴンデモは多いけど、肝心のゲーム部分のボリュームも十分ある。MGS1やMGS2のような「行ったり来たり」がほとんどないし、どんどん新しい舞台が出てくる。
 そして、「エンターテインメント」と「テーマ」のバランスもよい。恒例の「語り」もあるけど、その比重はかなりシェイプアップされて、単純に「カッコイイ!」「オモロイ!」「エロイ!」「バイオレンス!」シーンもたくさんある。
 例えば、緊張感のある潜入ステージをクリアし、何分かの哲学的な会話が終わると、激しいボス戦が始まる。で、前作までの傾向だと、ここでまた延々と会話を再開してしまいそうなところだが、MGS3の場合はさらにド派手な銃撃戦・追撃戦へとたたみかけ、そしてロマンチックなラブシーンへ……と思ったら脱力系ギャグで不意打ち! といった具合なのだ。

●フードキャプチャー
 最初にフードキャプチャーのシステムを聞いた時は、ゲームのテンポを悪くするのではという危惧があった。だが、基本的にスタミナの減少は急激なものではないので、そんなにキャプチャーに神経質になる必要はない。
 ただ面白いもので、アクションゲームをやっていて、画面上でチョロチョロ動いているものがあれば、つい攻撃したくなるのが人情というものだ。そんなユーザー心理を巧みに突いている。

 そして何より、フードを食べた時のスネークのリアクションが「最高だぁ!!」これは言い過ぎかもしれないが、ある意味MGS3は、大塚明夫に野生動物や毒物を食わせてその感想を聞くゲームともいえるだろう(言い過ぎ)。
 同様に、パラメディックとのフード談義もユーモアにあふれている。「味は……実際に食べてみないとわからないわね」などと言われた日には、当座の任務をおっぽり出してでも、探し出して食ってみたくなるではないか。で、食ったら意識不明になったり。

 またフードは武器としても利用でき、敵の注意を引き付けたり、腹痛を起こしたり、毒殺したりすることができる。この戦術が最も顕著に表れるのがザ・フィアー戦だろう。
 「動植物を捕獲して食べる」というひとつのアイデアに、いくつもの異なるゲーム性を持たせる。小島監督のゲームデザインの巧みなところだ。
 あと余談だが、毒物を敵に食わせると、口をつけるや否や「ぐわあぁっ!!」と空中半回転して即死する。現実的にそんなわけはないんだが、その方が面白いやん。このへんの「デフォルメ」のうまさも、小島作品ならではといえるだろう。

●内蔵時計との連動
 MGS3はLIFEとスタミナが時間経過で回復する。そして電源を切っている間も、内蔵時計によりLIFEとスタミナは回復する。LIFEボロボロでボス戦に入ってしまった時などは、いったんSAVEして戻ってくればよい。これが時間経過の「リターン」だ。
 だが同時に、時間が経過すると手持ちのフードが腐ってしまう。こうなると胃腸薬片手に食中毒覚悟で食うか、また新しいフードをキャプチャーしなければならない。これが時間経過の「リスク」である。ゲーム的に「リスク&リターン」が設定されているわけだ。

 ただ筆者は初回プレイの時、ほとんど間を空けずにブッ通しでやり狂っていたので、取り貯めたフードが腐ることがなく、ロクにフードキャプチャーしなくてもクリアできてしまった。カロリーメイトや即席ラーメンも大量に余りまくったし。
 なので、会社や学校に行きながら、毎日少しずつ進めている人の方が、いろいろな生物をキャプチャーする楽しみはあるだろう。その日をサバイバルするために、仕方なく未知の生物を口にする機会も増えるだろう。「生け捕り」や「保存食」といったシステムの意義も出てくるし、作者の意図に沿ったゲームプレイができると思う。

●「絆」としてのCQC
 CQCはネーミングこそ大層だが、ゲーム的には従来の「拘束」「投げ」の発展形であり、まったく新しいシステムというわけではない。この戦闘技術の採用は、前作に引き続き軍事アドバイザーを務めている毛利元貞氏の影響が大きいだろう。
 ただしCQCは、単なるひとつの「ゲームシステム」、あるいはリアルな雰囲気を演出するための「スタイル」というだけでなく、MGS3のストーリーラインの中にも、実に興味深い形で組み込まれている。

 まずCQCという近接戦闘術は、すらりとした体型の「女性」であるザ・ボスが、圧倒的な強さを持つ「伝説の傭兵」であるという設定に、自然な説得力を持たせている(この物語がファンタジーであるということを差し引いても)。
 プレイヤーはゲーム中、屈強な「男」であるスネークが、ザ・ボスの鮮やかなCQC(ヴォルギン大佐が「ジュウドー」と形容する)によって打ちのめされる様を、何度となく目にすることになる。「この女性にはかなわない」と感じさせられるのだ。

 また劇中、「CQCはスネークと2人で編み出した」というセリフがたびたび見られるように、CQCはスネークとザ・ボスの「絆」として描かれている。
 スネークとEVAが互いの肌を重ねて愛し合うのとは対照的に、スネークとザ・ボスは最期の瞬間まで、互いの拳をぶつけ合う。それが「男」と「女」の関係を超越した、「戦士」として生まれた2人の絆なのだ。ザンジバーランドの地雷原で殴り合った、ソリッド・スネークとグレイ・フォックスのように。

●尋問はドッグタグの進化形
 CQCからの派生として、MGS3で新たに加わった尋問は、「敵を背後から無力化する」ことで得られるという点で、MGS2やTTSのドッグタグに代わるものといえるだろう。すべての敵が異なるドッグタグを持っていたのと同じように、MGS3では敵1人1人が固有の情報を持っている。
 ドッグタグはただ名前が書いてあるだけで退屈な収集作業だったが、今回は無線のように役立つ情報もあれば笑える情報もあるので、全員尋問しながら進んでも楽しい。さらに敵やアイテムの位置を聞き出すとマップ上にマーキングされたり、ゲーム性も高いのだ。

 CQCでもうひとつ興味深いのが、敵の首をかき切るアクションだ。攻略のことだけを考えれば、気絶させるよりも殺してしまった方が、後で目覚める心配がないので安心である。ただし首をかき切ると、鮮血がドバッと吹き出すという、本作の中では異質と言えるほど壮絶な描写が入る。このグラフィックだけを見て、「不必要で悪趣味な残虐演出」と評する人がいるかもしれないが、これは明らかにプレイヤーに「罪悪感」や「後味の悪さ」を感じさせるための演出である。「殺した方がラクかもしれないけど、殺さないで!」という作り手からのメッセージなのだ。

●キュアーの存在意義
 カムフラージュとフードという新システムは、ポーズ画面(サバイバルビュアー)を挟む必要があるという手間を差し引いても文句なしに面白く、ゲームプレイの中にも上手に組み込まれている。だがキュアーに関しては、毎回お決まりの作業を繰り返すだけで、特に面白いリアクションもなく、正直メンドくさいだけである。こんなの不要だったのでは、という意見も多い。ただキュアーの場合、その「メンドくささ」も狙いのひとつであるように思う。

 つまりMGSの主旨=ステルスアクションに沿って、敵との戦闘を避けて進めばケガはしないわけで、当然メンドーなキュアーも(2、3の強制イベントを除けば)まったくやる必要がない。だが敵と戦いまくるランボープレイだと、そのたびにキュアーしなきゃいけないからメンドくさいよ、というわけである。ボス戦についても、力押し攻略だとすぐケガするから、ちゃんと敵の攻撃を避けながら戦った方がスマートだよ、と。

 キュアーにはこうした、「MGSの主旨に沿わないプレイ(=ランボープレイ)に負荷を与える」という狙いはあるはずだ。カムフラージュは怠ると敵に発見されてしまうし、フードも食べないとスタミナが減ってしまうが、キュアーはそうではない。ただプレイヤーが望むなら、キズだらけのランボーでクリアしたっていい。そのあたりが本作の懐の広さだろう。

●視点の問題
 MGS3で従来のソリトンレーダーが廃止されたことは、諸手を挙げて歓迎したい。このレーダーはあまりにも便利すぎたため、視界の限られたゲーム画面を見るより、レーダー上の光点(プレイヤー)を操作し、円錐(敵の視界)を避けながら進むゲームになってしまっていた。
 だがレーダーのない本作では、「敵がどこにいて、どこまで見えているか」がハッキリ分からない! だからまず、カムフラージュを変えたり、ホフクしたりして、カムフラージュ率を高く保つ。そして、俯瞰、主観、ビハインドといったカメラ視点と、生体センサー、動体探知機、アクティブソナー等の各種センサーを使い分け、慎重に索敵しつつ進まなければならない。これぞ真の「マキシマム・スリル」だ。

 ただ、いかんせん俯瞰で見える範囲が狭すぎるので、俯瞰だけで進もうとすると、いきなり画面外の敵に発見された! とか、すぐ近くにいる敵が見えない! といったストレスを感じることもある。今日の主流になっている、『スプリンターセル』のような「3人称視点+フリーカメラ」なら、そういった問題は起きないのだが……。MGS3は限りなく完璧に近いゲームだが、このカメラシステムについてだけは、大概のレビューで減点対象になっている。
 確かに複数のカメラを使い分けるのはMGS独特の「戦略性」だと思うし、何より「万能のカメラ」がないことで、フリーカメラよりも「緊張感」は高まっている。だから一概に劣っていると断じることはできない。
 ただやはり、フリーカメラの快適さ・明快さに慣れてしまうと、もどかしさも感じてしまう。MGS3がいまだに固定カメラを採用しているのは、MSX版から続く2D感覚へのこだわりなのか、それともこのグラフィックのクオリティーでは、フリーカメラは技術的に無理だったのか、本当のところは分からない。

 いずれにせよフリーカメラのない本作では、「作り手によってあらかじめ設定された視点(ルール)」で遊ぼう、ということになる。例えば研究所のような施設内では、俯瞰の視界が極端に狭まり、目の前の様子すら満足に見えなくなってしまう(右スティックによるカメラ移動もほとんど効かない)。これは視点の設定ミスではなく、明らかに「ここでは隠れるのではなく、変装を使わないと、簡単に発見されてしまうよ」という作り手の意図なのである。
 確かに、「目の前に敵がいるのに、俯瞰だと見えないなんて現実的におかしい!」と言いたくなる気持ちはわかる。だが「現実性」ということでいえば、壁の向こう側など、物理的に見えるはずのない場所も見えているのだ。それはフリーカメラも同様である。結局、最も重要なのは攻略のバランスが取れているかであって、あとは「ゲームだから」と割り切るのが、それぞれの作品を楽しむ秘訣だろう。

(追記)『MGS3 サブシスタンス』以降、3Dカメラ(3人称視点+フリーカメラ)の追加により、上記の不満は解消され、プレイアビリティーも格段に向上した。

●無線の楽しさ
 MGS3の無線会話の量は、まさに「超」が付くほど膨大である。だが単にクリアするだけなら、そのほとんどは聞く必要がない。ただし無線を聞くか聞かないかで、本作が20時間の「大作」になるか、40時間の「《超》大作」になるかが変わってくる。

 例えば、ザ・ボスと通信できるのはゲーム開始直後のわずかな時間だけで、一切聞かなくても先には進めてしまう。にも関わらず、やはり相当な量の会話が用意されている。
 ここで微笑ましいのは、百戦錬磨の戦士スネークが、ザ・ボスの前ではまるで母親に怒られた子供のようにしゅんとしてしまうところだ。そして会話の端々から、2人の深い師弟関係がうかがえる。序盤にこうした何気ない会話を聞いておくことで、クライマックスでの感情移入度がまったく違ってくるのである。

 また(ネタバレを完全に避けたい人は、この段落を飛ばして読んでください!)、オセロット戦の直後にEVAと通信すると、オセロットの出生に関する会話を聞ける。この極めて何気ない会話は、ゲーム中この1ヵ所でしか聞けず、しかも何回か通信を繰り返さなければ出てこないので、多くのプレイヤーは聞かずにクリアしてしまうだろう。だがそこに隠された真実は、ある意味エンディングに匹敵するほどショッキングである。まさに「ゲームならでは」の伏線の張り方なのだ。

 皆が知っての通り、無線は「笑い」の宝庫でもある。特にパラメディックとスネークの「掛け合い漫才」はどれも楽しく、緊張した雰囲気を和ませてくれる。
 彼女との話題は主に食物と映画だが、前者ではスネークの病的な食いしん坊ぶりが明らかになる。しかも各食物に対して、「食前」と「食後」、2パターンの会話が用意されているという凝りようだ。ソリッド×メイ・リンから続く大塚明夫×桑島法子のコンビが、絶妙の呼吸で笑わせてくれる。

 もちろん、攻略に役立つ情報もたくさんある。ハッキリいって、雑誌や攻略本に載っている「普通にやっていたら気づかないような小ネタ」の多くは、ちゃんと無線会話の中に含まれている。
 また変り種としては、スネークがツチノコを捕獲した時のFOXメンバーの熱狂ぶりなども爆笑ものだ。ここまでくると、もはや何のゲームだか分からない。

 どんなストーリーテリングにおいても、その収束点を劇的なものにするのは、そこまでに語られる小さなエピソードの積み重ねである。そうした面でゲームという表現媒体は、2時間前後と尺が限られた映画よりも、多くのエピソードを語ることができる。
 さらに本作の無線システムは、それらのエピソードを「すべて」体験するか、「最低限だけ」体験するか、あるいは「ほどほどに」体験するか、その選択をプレイヤー1人1人の「ペース」に委ねている。まさにゲームならではのインタラクティブ性といえるだろう。

●声優について
 MGSシリーズの楽しみといえば、豪華声優陣の競演である。大塚明夫、銀河万丈、青野武ときて、本作ではついに内海賢二まで投入してしまった。マッド系オヤジ声優そろい踏み、もはや次回作は若本規夫あたりを投入するしかないのではなかろうか。物語のクライマックス、内海演じるヴォルギン大佐との対決には、拳を突き上げるしかない。

 ポリスノーツのエド、MGS2のスティルマンを演じたナイスオヤジ・飯塚昭三は、残念ながら今回は欠席。だがポリスノーツのゲイツ、MGS2のセルゲイを演じた「榊のおやっさん」阪脩が、本作でもジ・エンド役を怪演。少ない出番ながら、忘れられないキャラになっている。

 オセロット役の山崎たくみはマ・クベやムウ同様、明らかに故・塩沢兼人の代役である。悪くいえば「物真似」っぽいので、違和感を感じる人もいるかもしれない。井上喜久子は塩沢同様、小島作品の常連。シリーズ中最も複雑なキャラクター、ザ・ボスを感動的に演じている。対して渡辺美佐の演じるEVAは、間違いなくシリーズ中最もセクシーなヒロインだ。

 パラメディック役の桑島法子は、若手声優の中では随一の演技派だろう。ナデシコのユリカや神風怪盗ジャンヌなどの活発少女、Bビーダマンの少年声、ZOEのドロレスやスレイヤーズTRYのフィリアなどの天然お嬢様、ガンダムSEEDのフレイ&ナタル二役など、声の使い分けが素晴らしい。

 シギント役の藤原啓治はクレヨンしんちゃんのとうちゃん・ひろし役で有名だが、本作では渋い演技を見せている。余談だがパパ役と言えば、スナッチャーでギリアンを渋く演じた屋良有作も、ちびまる子ちゃんのお父さん・ヒロシ役で有名だった。


 MGS3の素晴らしい点をいくつも述べてきたが、他の小島作品と同様に、MGS3もやはり、「完璧なゲーム」「欠点のないゲーム」ではない。だがそれ以上に、「代替の利かないゲーム」である。本作は、ストーリーテリングとゲームプレイ、娯楽性とテーマ性、シリアスとギャグ、すべてのバランスが高次元で融合している。ステルスアクションの枠を超え、まさしく小島秀夫にしか作れないゲーム、「A HIDEO KOJIMA GAME」である。



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