ファクター5の歴史
Facts about Factor 5




『カタキス』〜『R-TYPE』

 ファクター5(Factor 5)は1987年ドイツに設立された。5人のプログラマ、グラフィックデザイナー、サウンドクリエイターが、当時の最新PCであったアミガ用に、ゲームセンターにあるようなゲームを制作するためにその才能を結集させたのである。言うまでもなくファクター5の「5」は、この初期メンバーの人数から来ている。
 彼らは元々、“The Light Circle”という名のハッカー(コンピュータ・マニア)グループとして、デモゲームのプログラミングをしていた。結成当初のメンバーは3人で、彼らはケルンで偶然知り合った。その後1986年から1988年の間に数人のメンバーが加わり、処女作『カタキス(Katakis)』(もしくは『デナリス(Denaris)』、原題『ニュートライザー(Neutralizer)』)の完成直前にファクター5と名乗ることになったのだ。
 1988年にRainbow Artsから発売されたシューティングゲーム『カタキス』は、ヨーロッパ全土で大ヒットを飛ばした。伝説的なゲームデザイナーManfred Trenzが、Andreas Esherと共に、コモドール64用として最初にこの作品を作った。ちなみに『カタキス』という名前は電話帳からとったもので、ギリシャの名前である。ファクター5は、この作品のアミガ版の制作を手がけた。
 『カタキス』は、『R-TYPE』、『グラディウス』、『沙羅曼蛇』、『ダライアス』といったアーケードゲームからアイデアを得ており、はっきり言って『R-TYPE』にそっくりな作品だった。だが、1989年にはRainbow Artsが、何と本物の『R-TYPE』を移植することになる。
 当初、この作品のプロデューサーであるActivision Europeが、アイレムの公式ライセンスを得て『R-TYPE』の移植版を制作しようとしていた。その時、クローンである『カタキス』の高い完成度を見て、『カタキス』の販売を続ける権利と引き換えに、『R-TYPE』の移植を行なうよう持ちかけてきたのだ。Activisionからの要請により、Manfred Trenzらによるコモドール64版は6週間半、そしてファクター5によるアミガ版は3か月という、厳しいスケジュールの中で完成された。
 ファクター5の社長Julian Eggebrechtは当時を振り返り、それは彼らにとってまさに「ドリームズ・カム・トゥルー」だったと言う。「かつては皆ハッカーにすぎなかった我々が、『R-TYPE』というビッグタイトルに携われるなんて、本当に信じられない思いだった」

『タリカン』〜『タリカンII』

 彼らの成功はさらに続く。1990年、Rainbow Artsはアクションゲーム『タリカン(Turrican)』を発売し、かつてない大成功を収めたのだ。最初にManfred Trenzが、この作品のコモドール64版をほとんど1人で完成させた。その後ファクター5が、より素晴らしいアミガ版とアタリST版を制作した。
 『カタキス』が『R-TYPE』から着想を得たように、『タリカン』も日本のゲームに大きくインスパイアされている。広大なマップを探索する要素、ボールになって転がるアクション等を始め、基本的には『メトロイド』のクローンだが、多数の武器、背景、重装甲の主人公が跳びまわるイメージなどは、データイーストのアーケードゲーム『サイコニクス・オスカー』から来ている。これに『魂斗羅』の要素もミックスし、それまでの市場にないユニークな作品が出来上がったのだ。
 タイトルは『カタキス』同様、デュッセルドルフの電話帳に載っていた“Turricano”というイタリア人の名からとられた。ちなみにこの作品の開発中のタイトルは“Hurrican”(ドイツ語のハリケーン)だった。
 『タリカン』の発売後、Rainbow Artsに届いた続編を望む多くの声を受けて、1991年に『タリカンII(Turrican II)』がコモドール64、アミガ、アタリSTで発売される。Manfred Trenzが、再びAndreas Esherと組んで作り上げたこの傑作は、前作同様に大ヒットとなった。ケルンで行なわれたコンピュータ・ショーで、『タリカンII』のデモ版が先行出品されたが、わずか900のコピーに希望者が殺到し、2人が怪我をする大騒ぎになるほどだった。
 ちなみにこの作品のGENESIS版は、当初『タリカンII』のタイトルでそのまま移植されるはずだったが、結局『ユニバーサルソルジャー(Universal Soldier)』としてリメイク移植されている。GENESIS版を担当したAccoladeのスタッフが、映画とのタイアップにしたほうが売れると考えたのだ。

Chris Huelsbeck

 タリカンシリーズの成功を語る上で、ドイツの偉大なゲームサウンドクリエイター、Chris Huelsbeckによる素晴らしい音楽は外せない。1968年ドイツのカッセルに生まれた彼は、5歳の時にピアノを習い始めたが、お定まりの音楽教育が気に入らず2年でやめてしまった。だが彼は一人でピアノを続け、独力で作曲について学んだのである。
 14歳の時、彼は最初のコンピュータ、コモドール64を手にし、プログラミングを開始した。そして数年後、ドイツの有名コンピュータ・マガジン誌上のコンピュータ・ミュージックコンテストで一位を受賞、ゲームサウンドクリエイターとしての道を歩み始めることになる。1986年以来彼は、コモドール64、アミガといったクラシックPC、そして様々な家庭用ゲーム機で、90タイトル以上のゲームサウンドを手がけてきた。
 タリカンシリーズを始め、日本でも発売されている『ジム・パワー(Jim Power)』や『ファイナリスト(Tunnel B1)』等も彼の作品だ。また、これまでに8枚のサウンドトラックCDをリリースしており、特に1993年の『タリカン・サウンドトラック(Turrican Soundtrack)』は、今日でも名盤中の名盤と言われている。
 アミガ版『R-TYPE』でファクター5と最初のコラボレーションを行った彼は、現在はファクター5の移転に伴いカリフォルニアに移住、近年ではファクター5の『スター・ウォーズ ローグ スコードロン(Star Wars Rogue Squadron)』シリーズや、ニンテンドー64版『バイオハザード2(Resident Evil II)』のサウンド移植等も手がけ、なおも活躍を続けている。

『タリカン3』〜『スーパータリカン2』

 1993年に発売されたアミガ版『タリカン3(Turrican 3)』には、『タリカン』、『タリカンII』の作者Manfred Trenzは直接タッチしていない。この作品では、アミガの名作『Apidya』を手がけたKaikoのPeter Thierolfがプログラムを担当した。
 アミガ版『タリカン3』の制作には、複雑な経緯がある。1991年、『タリカンII』の後ファクター5はアミガ版『PC原人(B.C.Kid)』と『タリカン3』の制作を開始し、すでにプラズマロープ(ワイヤーアクション)を備えたゲームデザイン、グラフィック、およびほとんどのステージを設計していた。この’91年バージョンは、同年のアミガ・ショーに出展されている。
 その時、家庭用ゲーム機が市場を席巻しており、彼らはメガドライブおよびSNESでもゲーム制作をしたいと考えた。そこで『タリカン3』は、メガドライブオリジナルの『メガタリカン(Mega Turrican)』として再制作されることになったのである。一方、SNES版『スーパータリカン(Super Turrican)』は、『タリカン』、『タリカンII』、『タリカン3』の要素をミックスした作品となった。この『スーパータリカン』は日本のスーパーファミコンでも、トンキンハウスから発売されている。
 だがここで問題が起こる。メガドライブ版『メガタリカン』が制作されている間、Rainbow Artsは『メガタリカン』とは内容の異なる、独自のアミガ版『タリカン3』を制作しようと別チームを立ち上げたのだが、その結果は大失敗だった。それで1992年末、Rainbow Artsはファクター5に、メガドライブ版『メガタリカン』をそのままアミガへ移植するよう要請してきたのである。こうしてアミガ版『タリカン3』は結局、元来デザインされた通りのゲームとして発売されることになった。
 1994年には、ファクター5はコナミのゲームボーイ版『魂斗羅スピリッツ(Contra 3: Alien Wars)』も制作している。『タリカン』が『魂斗羅』の要素を含んでいたことを考えると、この関係は面白い。また、1995年のゲームボーイ版『アニマニアクス(Animaniacs)』や、1996年のGENESIS版『実況ワールドサッカー2 ファイティングイレブン(International Superstar Soccer Deluxe)』も、コナミとの作品だ。
 1995年にOcean Softwareから発売されたSNES版『スーパータリカン2(Super Turrican 2)』は、海外の複数のゲーム誌上で、史上最高のアクションゲームのひとつという評価を受けた。このSNESオリジナルの新作は、初期のシリーズとはかなり違ったゲームになっている。『魂斗羅スピリッツ』や『魂斗羅 ザ・ハードコア』のようにド派手なアクションが中心になり、『アクスレイ』にそっくりの擬似3Dシューティング面など、SNESのモード7グラフィックを駆使した演出もふんだんに使われていた。この『スーパータリカン2』も日本で発売される予定だったが、残念ながら中止となっている。

『レンダリング・レンジャーR2』

 ファクター5の作品ではないが、1995年にRainbow Artsが制作、Virgin Interactive Entertainmentから発売された『レンダリング・レンジャーR2(Rendering Ranger R2)』は、タリカンの作者Manfred Trenzの作品という点で興味深い。この作品は『魂斗羅スピリッツ』スタイルのアクションステージと、日本の色々なシューティングで見たようなシーンが満載のシューティングステージで構成されている。かつて『カタキス』や『タリカン』がどのようにして作られたか、思い出すではないか。
 『レンダリング・レンジャーR2』はそのタイトル通り、全編レンダリングされた美しいグラフィックが特徴だが、本作は元々『タルガ(Targa)』というタイトルで開発されており、グラフィックも昔ながらのドット絵だった。しかし開発中、『スーパードンキーコング』の成功を見たパブリッシャーのSoftgoldが、『タルガ』もレンダリングCGを採用すべきだと主張し、それに合わせてタイトルも変更されたのである。ちなみに『タルガ』とはイタリア語で「盾」を意味し、かつて『タリカン』がイタリア人の名前から付けられたことを思わせる。
 また企画の初期段階では、本作は純粋なシューティングゲームだった。しかしこれも、Softgoldがそれだけでは売れないと判断し、かつて成功を収めたタリカンのようなアクション要素を加えることにした。その結果、シューティングとアクションをミックスした、一風変わった作品が生まれたのである。ちなみに、かつてManfred Trenzが作った『タリカンII』には、途中の1ステージだけ、戦闘機を操る横スクロールシューティングが挿入されていた。この辺の微妙な類似も面白い。
 『レンダリング・レンジャーR2』は、技術力も高い力作だったが、奇妙なことにこの作品は、海外制作にもかかわらず日本でしか発売されていない。しかも生産数はわずか1万本とのことだ。Softgoldによれば、Virgin Japan以外の誰も本作に興味を示さなかったためらしいが、真偽の程は不明だ。本作の開発に約3年を費やしたManfred Trenzは、「とても信じられない」と語っている。結果的に、現在この作品は、海外のマニアの間ではプレミア価格で取引されている。

ルーカスアーツとのコラボレーション

 ファクター5の話に戻ろう。1995年ルーカスアーツよりコラボレーションのためにカリフォルニアへ事務所移転のオファーを受けたファクター5は、1996年からはカリフォルニア州サンラファエルの、ルーカスアーツのすぐ隣に事務所を設けて制作をしている。ファクター5とルーカスアーツの関係は1989年までさかのぼる。
 1989年、ファクター5の社長Julian EggebrechtはSoftgold(1993年までのファクター5の出資元)/Rainbow Artsでプロデューサーとして働いていた。当時Softgoldはルーカスフィルム・ゲームズのドイツでの販売元で、Eggebrechtらはそのローカライズ作業をしていた。その関係で彼がスカイウォーカー・ランチを訪れた時、若く野心的なプロデューサーKalani Streicherと出会ったのである。
 ドイツ人とハワイ人のハーフであるStreicherは、当時まだルーカスに入ったばかりだったが、後にSNES版『スーパースターウォーズ(Super Star Wars)』シリーズのプロデューサーを務め、PC版『Xウイング(X-Wing)』シリーズにも関わることになる。そして数年後、1992年のCES(コンシューマー・エレクトロニクス・ショー)で、彼らはバッタリ再会した。StreicherはEggebrechtをルーカスアーツのブースに招き、SNES版『スーパータリカン』の出来を賞賛した後、彼に言った。「6つのプロジェクトがあるんだけど、君はどれを作りたい?」
 Eggebrechtはインディ・ジョーンズを選んだ。1994年にSNESで発売された、『インディ・ジョーンズ(Indiana Jones - Greatest Adventures)』である。これがファクター5とルーカスアーツの最初のコラボレーションとなった。以後、1996年のプレイステーション版『スター・ウォーズ レベルアサルトII(Rebel Assault 2)』、1997年のプレイステーション版『ボールブレイザー〜チャンピオンズ〜(BallBlazer Champions)』とルーカスアーツ作品は続いていく。
 そしてカリフォルニア移転後は、ルーカスアーツとの密接なコラボレーションのもと、1998年の『スター・ウォーズ 出撃!ローグ中隊(Star Wars Rogue Squadron)』、2000年の『Indiana Jones and the Infernal Machine』、『Star Wars, Episode 1: Battle for Naboo』、2002年の『スター・ウォーズ ローグ スコードロンII(Star Wars Rogue Squadron II: Rogue Leader)』と、素晴らしい作品を次々とリリースし、優秀な制作会社としての評価を確立することになる。

現在のファクター5

 ファクター5はゲームだけでなく、音響制作の面でも常に斬新で優れたアイデアを生み出してきた。ファクター5が1998年に開発したサウンドツール・MusyXは、2002年のゲームキューブ版『スターウォーズ ローグ スコードロンII』ではアメリカのドルビー本社の協力を得て、5チャンネルドルビーサラウンドプロロジックIIサウンドを実現、このタイトルは世界で初めてプロロジックIIリアルタイムエンコーダを採用したゲームとなった。
 ファクター5と任天堂は1999年に、MusyXを任天堂ハードの公式サウンドツールとする複数年のライセンス契約を結び、ゲームキューブのハード開発にも技術パートナーとして関わっている。そしてMusyXは任天堂から全てのゲームキューブおよびゲームボーイアドバンス開発者に独占提供され、プロロジックIIを含む、あらゆるゲーム音響制作や実装を容易にしている。
 2003年、ファクター5はDivXネットワークス社と共に、ゲーム内でDVDクオリティの動画を実現する、新たな動画圧縮技術の開発を発表した。こうして、5人から始まったファクター5は、まさしくインタラクティブ・エンタテインメントソフトウェアおよび各種ゲーム機・コンピュータプラットフォーム用技術部門における最先端デベロッパーとなったのである。

『トルネード』と『タリカン3D』

 1997年に、ファクター5がニンテンドー64用として発表した『トルネード(Thornado)』は、元々タリカンシリーズの新作として企画された作品だった。だが、タリカンという名前の使用権はファクター5ではなく、最初の発売元であるSoftgoldが保有していた。『スーパータリカン2』の時点で、キャラクターデザインを始めほとんどの要素はファクター5オリジナルのものになっていたが、それでも彼らはその名前にこだわった。だが、すでに『スーパータリカン2』の時も同じような法律上のゴタゴタを経験していたファクター5は結局、その名前に膨大な使用料を支払うより、タイトルを変更することにしたのである。新しいタイトルの『Thornado』は、北米神話に登場する雷の神“Thor”(ドイツ語読みでトール、英語読みではソー)と、“Tornado”(竜巻、トルネード)をかけ合わせたものだ。
 1999年、Softgold/Rainbow Artsを吸収したTHQから、PC版『タリカン3D(Turrican 3D)』が発売されるという発表があった。しかし、この作品の開発は途中で中止され、二度と発売されることはなかった。このプロジェクトはタリカンシリーズの生みの親Manfred Trenzが進めていたのだが、金儲けのことばかり考えゲームのクオリティを無視したスタッフと衝突し、全てが終わったのだ。彼のクリエイター人生の中で、唯一にして最大の衝突だったということである。
 一方『トルネード』は、タイトルは違うものの、まさにタリカンシリーズ6番目の作品として開発が進められていた。3人称視点のダイナミックなカメラアングルで展開されるバリバリの3Dアクションシューティングで、『魂斗羅』のような撃ちまくり要素と、『メトロイド』のような探索要素がミックスされている。もちろんサウンドはChris Huelsbeckである。
 『トルネード』の開発中、ファクター5のスタッフはプレイステーションの『ワン(One)』を見て、大きなショックを受けた。フリーカメラやPre-Lighting機能を始め、彼らが『トルネード』でやろうとしていたアイデアがいくつも取り入れられていたからだ。だが『ワン』の場合は、プレイアビリティの面で大きな問題があった。
 しかし『トルネード』は、結局ニンテンドー64では発売されなかった。その後2000年になってから、新たにゲームキューブのタイトルとしてデモ映像が公開され、より進歩した内容になったように思われたが、それ以降新しい情報が出ることはなく、度重なる延期の末、ついに開発中止となってしまった。結局、現在に至るまで、正式に「タリカンシリーズの最新作」と呼べる作品は発表されていない。

参考リンク

ファクター5ホームページ
Chris Huelsbeck公式サイト
Julian Eggebrechtインタビュー(IGN.com)
Julian Eggebrechtインタビュー(Amiga Future)
Manfred Trenzインタビュー(GTW64)
Manfred Trenzインタビュー(Snes Central)



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