埒外な思索

シロートの横槍と言われようとも。


1999.3.20 坂本龍一オペラにまつわる言説に注目しよう。

[付記] (2000.4.8) 結局これもオペラが予想を上回る不評に終わったということで、何だかどーでもいー話になってしまったのだが。しかしまあ、書いた文章をそーゆー都合で消すというのも何か誠意のない話なので、このまま当分は掲載しておく。

坂本龍一が朝日新聞の委嘱で作曲しているオペラのタイトルが「LIFE」に決まったという。発表によると、殺戮の世紀だった20世紀を締めくくるにあたって、人類の直面している状況をもっと大きなスパン、すなわち生命の歴史から捉えてみたいということらしい。

いや、別に目くじら立てるほどのことかなあって気もするのだが、わざわざ書こうと思ったのは、彼がこのオペラに関連して次のような発言をしていたからである(安藤優子との対談、『週刊朝日』1999年1月15日新春特大号)。

坂本 環境を人間が破壊する以前の形に戻したいんだったら、最大の問題は人口なんですよね。

安藤 人口を抑制するんですか。

坂本 でもこれってさ、コワイことでしょ。ヤバイことでしょ。

安藤 そうですよ。「産むな」とは言えないですよね。

坂本 こんなに人口が増えちゃった理由はいろいろあるんですけど、この1万年ぐらいのスパンで考えると、一つには農耕ですよね。そして20世紀に入ってからは医療、医学なんです。

安藤 救命、延命ですね。生まれたときに700グラムしかない赤ん坊も、今の医療では助けてあげられる。

坂本 助けるというのは、悪い遺伝子を残していくことなんです。強い遺伝子を残して、弱い遺伝子を消す、それが一般的には生命の掟なんですよ。そこに戻れば、人口が抑制され、ほかの生命体との共生関係はたぶんうまくいくんですよ。

安藤 いやー、そういうことを毎日考えてらっしゃるんですか。

坂本 うん、まあ……。(笑い)

「悪い遺伝子」という言葉にまるで反応してない安藤優子ってのもすごいのだが、坂本教授もこの発言を制作者の座談会で繰り返していたりして、何だかなあなのである。

敢えて余計な口出し的に言うなら、オペラは人間の問題を扱うのがいいと思うよ、元々の始まりもそうだったと思うし。

*

この坂本の一連の発言の問題点について、常識的な話にはなるのだが整理しておこうと思う。

まず、「悪い」遺伝子とは何なのか。これが明白に定義されないまま一人歩きするのは怖いことだ。そもそも、その「良い」「悪い」を人間が判断できる かどうかさえ怪しいものだ。特に坂本や村上龍の言うように、1万年もしくはもっと長いスパンで考えるのなら、なおさらであろう。

安藤が挙げた新生児医療の例で考えてみよう。今の医療だからこそ助けられるような赤ん坊の遺伝子は、ほんとうに「悪い」遺伝子なのだろうか。今は人 口抑制が世界的な関心事になっているからこそ、「わざわざ助ける必要はない」という発想が出て来るのであって、もし出生率が世界的に低下していたらやはり 「一人でも多く、生き延びる可能性のある子は助けよう」ということなるのではないか。加えて、出生時にハンディを負っていることが、その後の生存能力、生 存可能性と完全にリンクするかというと、これも怪しい。身体的な困難の一部は後天的にカバーすることが可能だし、社会的なサポートを得て生きているハン ディキャップを持つ人が、抜きん出た才能で社会に貢献することもある。生まれた時点でどうだったか、というのは所詮その一瞬の状況に過ぎない。その先にど んな未来が拓けているのかなんて人間には予測できないのだ。であれば、助けることができる以上は助けて、チャンスを与えるべきだろう。

結局のところ、良い悪いというのは遺伝子の物理化学的な属性に貼り付いているのではなくて、あくまでも人間の考え、しかもその時々の、人間が思い付 く範囲の都合に左右されているだけのことなのだ。したがって、深く突き詰めずに「悪い遺伝子」などという言葉を流布させれば、それは発言力のある人々、時 の権力などに都合よく理由づけされ、悪用されるだけのことだろう。ヒトラーを持ち出すまでもなく、それは大変にヤバイことだ。

それから、この問題を考えるにあたっての彼の時間軸の取り方が、実は恣意的なものではないかという疑問がある。人口爆発の原因は「ここ1万年のスパ ンで考えると、一つには農耕」と彼は言うが、それは意図するとせざるとにかかわらず、農業を主要な問題と見做すためにわざわざ1万年というスパンを持ち出 しているという、実は逆立ちした議論だと思えるのだ。試しに別のスパンの取り方をしてみればいい。曰く、ここ200年のスパンでは産業革命が、50年のス パンでは人権思想と医療革命が、云々。その中で最も喫緊の要因が農業だろうか。そうは思えない。農業は確かに歴史が古いが、物量的・加速度的なインパクト から言えば、産業革命と世界化された高度市場経済のほうが遥かに大きいはずだ。にも関わらず、そこに農業と医療だけをクローズアップすることは、こうした 最重要課題を、結果的にかもしれないが矮小化して見せることになる。

また、彼が人口問題に関心を傾けていることそのものへの疑問もある。何故なら、環境とのバランスについての究極的な指標は、環境の利用と環境への排 出という「インプット/アウトプット」であるはずだからだ。その指標に対して、人口は変数の一つに過ぎない。ちょっと考えて見ただけでも、一人あたりのエ ネルギー使用量や、排出するゴミの量など、人口以外の重要な変数はいくつもある。ここまでを問題の射程に含めると、人口問題に焦点を当てた彼の議論はます ます不適切に思えてくる。一人あたりの資源利用を急激に拡大してきた現行の市場経済に対する視点を欠いた共生論は、新たな南北差別の温床となる。

以上に挙げたの誤謬の要素が組み合わされ、拡大再生産された場合、それが「エコロジー原理主義」経由で「環境ファッショ」へとつづく流れを形作るこ とは、たやすく想像される。ひょっとすると我々は、エコ原理主義が環境ファッショに転化する瞬間を見られる史上初のオペラに立ち会うことになるのかも知れ ない。あるいは、周りのスタッフがそれをどう読み直して逸らしていくかという、切った貼ったの闘争の現場かも知れないという楽しみもあるが(座談会では坂本発言を村上龍と浅田彰がフォローしにかかって既にその萌芽が...)。

ここで言いたいのは、坂本はオペラをやめろ、とか、だから坂本のオペラは期待できない、とかいう身も蓋もない話ではない。そうやってある傾向の言説 に蓋をしようとしたところで何の意味もない。しかし、そうは言っても、芸術作品に貼り付いたコノテーションは、作品が受容された場合には無批判に流布され 易いのもまた事実だろう。特にこのように大掛かりな総合芸術作品が、しかも日本有数のメディアコンツェルンの全面サポートで上演されるとなれば、なおさら である。だからこそ、この作品ならびにその制作にまつわる言説の場が、今後どのように形成されていくのかには関心を払って行きたいと自分でも思うし、また 今後発言する機会に恵まれた方がいれば(いるんかなここの読者に)、是非何らかの関与をして頂きたいとも思うのである。それがこの一文を書いた動機であ る。

*

ところで余談だが、今回の対談に先立つこと半年、坂本龍一は面白い発言を残しているので紹介しよう。それは、オペラのための取材でモンゴルの大草原へ出掛けてきたときのことだ。

オペラのテーマは「共生」。坂本さんは「生態系を損なうことなく、人間と家畜と草原の共生を続けてきたモンゴルの遊牧民の暮らしに興味があった」という。
(朝日新聞ホームページ、1998.6.29)

違うでしょう、もう...。牧畜にしろ農耕にしろ、生態系を損なわないなんてことは、ない。牧畜に限って言えば、それは現代では砂漠化の直接原因の 一つであり、それが生態系を破壊するかどうかは規模次第である。つまり、単に人口が少なかった頃はそこそこバランスしていた(恐らくは、たまに飢饉があっ たりとかいう長期レンジでの波も含めて)のだが、人口増加に伴い生態系に影響を及ぼし始めた、とも言える。牧畜という「システム」そのものが「地球に優し い」という訳ではないし、モンゴルで坂本が見てきた「厳しい共生」の現状は、単なる成り行きであり、その場をしのぐ知恵以上のものではないはずだ、別にな にも悪い意味ではなく。

こういう人のことをマスコミが「知性があるなあ」と感嘆して見上げてる、ってのがやっぱりまずいと思うよなあ。勉強しろマスコミ。しかし本当に朝日グループって坂本が好きだなあ。



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ただおん

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