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出発前 準備は、しっかりしています。 体力は落ちていますが、技術は向上しています。 テクニックで、力不足をカバーします。 金沢に「笑顔でゴール!」を目指して長い長い走り旅に行きます。 荘川桜に会いに行きます。 ロングタイプのウルトラマラソンでは、必ずなんらかのトラブルが起きます。 過去3回ともそうでした。 今年はどんなトラブルが起きるのか、不安ですが、トラブルを克服して完走するのもウルトラの楽しみの一つです。 じっくり乗り越えて、「笑顔でゴール」を目指します。 では、長い長い、走り三昧の贅沢な旅に行ってきまぁーす。 名古屋(大会前日:4月26日) 今日の名古屋は天気が良すぎて、明日もこれだと、きついなぁと思います。 でも、自然を相手にけんかしても勝ち目はありませんので、すべて当たり前!と受け止めて走ろうと思っています。 今回は、FWELL(パソコン通信 NIFTY SERVEのフォーラムです)に、うまくアクセスできて喜んでいます。パソコンをつないで、ゼロ発信で接続できました。名古屋はROAD5のアクセスポイントはあるし、goodです! 今夜は寂しい思いをしなくて良さそうです。しかし、寝不足になる心配がぁ・・・ 困ったぞーなにしろ、着いて一番先にやったことが、電話への接続ですから。さあて、これから食事と明朝の食糧を買いにでかけます。 金沢到着、完走できました!(4月28日) ゴール直後は、寒気で全身が震えたり(奥歯がガチガチ)、力が抜けて立っていられなかったり(立ちくらみ)していたのですが、いまは、内臓の状態がまだまだ、と足の裏の痛みが、大会の厳しさを思い出させてくれています。 腰から太股、膝にかけての動きがスムーズなときには、足首から下への負担は少ないのですが、太股が疲労してきて、いわゆる脚が上がらない状態になってくると足首から下の足部分に負担がかかる走りになります。 24時間あたりが、境目のようです。 最後の60kmの走りは足首走り(歩き走りに近い)になって、いっそう足裏への負担が大きかったと思います。 初めて大きなアクシデントがなく走れたこと、そして暑さも寒さもさほど厳しくなかったこと。これが、自己ベストの原因だと思います。 後悔しているのは、100km地点あたりで、レースをしてしまったことです。つぶしあいをして、お互いにつぶれました。無茶をしました。 満足しているのは、ラストの60kmを、疲労も身体の痛みもひどい状態ながら大きなペースダウン無しに、完走したことです。本当に自分でも、良く耐えたと思って感心しています。このあたりでは、1kmが3kmほどの体感距離になっていましたが、この長い長いがんばりがなかったら、「笑顔でゴール」が、かなり曇ってしまったと思います。 課題がいくつもあります。 しかし、これらの課題を克服すれば、体力の向上が無くても自己記録の短縮は可能だと思っています。今抱えている課題は、すべて道具やテクニックに関わる事だからです。これから、じっくり勉強していきたいと思います。 今回のさくら道に向けて、また終わってからも、あちこちから皆様の暖かい応援や祝福の声がいっぱいで、ものすごくうれしくて、時々ジンときて、、、 ありがとうございます。 ランナーは決して孤独ではありません。 ランナーも、大勢の人の心に包まれて走り、成長していくのだという実感があります。 |
| JR東海バス名古屋営業所(スタート) | 27日7:00 | |
| 一宮裁判所前 | 27.3km | 9:31 |
| 美濃市役所前 | 66.3km | 13:42 |
| 郡上八幡駅前 | 95.6km | 17:00 |
| 佐藤良二さん顕彰碑(白鳥町) | 116.3km | 19:14 |
| ひるがの分水嶺 | 139.4km | 22:05 |
| 荘川桜(エイド) | 154.5km | 23:55 |
| 御母衣ダム | 162.8km | 28日1:00 |
| 白川郷分岐 | 179.3km | 3:10 |
| 下梨(富山県平村) | 208.9km | 7:20 |
| 福光橋(富山県福光町) | 230.8km | 10:10 |
| 富山石川県境 | 241.0km | 11:37 |
| 金沢兼六園・佐藤桜 | 258.6km | 14:00 |
| ルネスかなざわ(ゴール) | 265.2km | 14:58 |
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走らせてくれる心 「さくら」という映画が上映されたのは94年の春です。この年に、さくら道ウルトラマラソンが、始まりました。 第一回のときには、本を読んで映画を観て、佐藤さんの心を力を借りて完走しました。荘川桜は、この94年のときだけ、満開でした。 その後、花を見せてくれません。今年も、まだ咲いていなかったようです(通過したときは真っ暗で、よく分かりませんでした)。 佐藤さんの民宿の前も、コースです。 そして、白鳥町の有志の皆様が、大エードステーションを作って待っていてくれます。その他にも、コース上のあちこちに、私設エードがありました。ありがたくて、申し訳なくて、みんな完走への力にしました。 今年は、城端駅から福光に向かって少し行ったところに、新しい私設エードを作っていただいたのですが、私は、このエードにだけは、立ち寄りませんでした。 城端の駅から右側を走っていて、エードは、左側に作ってありました。このとき、身体の状態がひどく、左側に渡る元気がありませんでした。 「立ち寄らなかったエードが一つだけあった・・・」と、懇親会のときに丹代がこぼしていたのを聞きつけた福光の波多さん(毎年福光の坂上松華堂さんのところで私設エードを開いて待っていらっしゃるかたです。新しいエードの方々とは、お友達とのことです)が、はがきをくれました。 そのはがきには、「まったくなんとも思っていません、そればかりか、丹代さんの走りを見て"私たちも来年走ろう!"と盛り上がったそうです。でも、そのあと、夜通し通過するランナーを見ていて、普通の事じゃないと思ったそうです」と書いてありました。 さくら道ウルトラは、たくさんのスタッフとたくさんの私設エードが、心からのサポートをしてくれます。 応援の暖かい心、そして、自分の感謝の心が、完走の後押しをしてくれたのだと思います。 あんな身体に悪いことはもうやめようかなぁ、と思うことが、このごろ多くなってきましたが、夢の方が勝ってしまって、毎年参加しています。あの兼六園の佐藤桜に、今年は、しっかりタッチして通過しました。 佐藤さんと握手をしたような気がしました。 来年も、出迎えてくれる方々に会いに、そして、桜に会いに行きます。 「がんばる」ことと、「無茶をする」こと 2月中旬からさくら道直前まで花粉症地獄でしたが、今は脱出して、ルンルンです。 実は、さくら道を走って、ダウンして寝ていたときは、気にならなかったのですが、そのあと、ちゃんと寝たときに鼻が詰まって苦しくて、大変でした。花粉と排ガスと土埃をずーっと吸い込んで走っていたもので、かなり重症の鼻炎になっていました。サングラスで守ってはいましたが、目も赤くて、目薬のお世話になっていました。 でも、今は、快調です! やっと、これからは、丹代の季節です。汗を思いっきり流して走ります。 本題に入りまして、 ウルトラランナーの最大の義務は、無事に帰ること。 これが、家族にとっては一番のおみやげです。 以前、植村直己さんが、本物の冒険家は、無事に帰って来る。とおっしゃっていました(とおっしゃった本人は未だに還りませんが)。今回、名古屋に向かう丹代に、「がんばって」という人は少なく、無事に帰って、とか無理しないで、とか、気をつけて、とかの言葉の嵐でした。 私が、がんばりすぎる性格であることを見透かされているような気がします。 でも、丹代は、人一倍臆病ですから、大丈夫でした。 臆病だと、ちゃんと練習をするし、ちゃんと準備をするんです。 植村さんが、もう少し臆病だったら、と思ったりします。 金沢到着の夜は、ダメージが大きかったです。 ゴールしたときはうれしくて元気だったのですが、すぐにひどい状態になって、浴場に行ったのですが、立っていられなくて、座って簡単に体を洗っただけで睡眠室(スイミングルーム?)に行って横になりましたが、寒気がおさまらず、毛布にくるまっていました。もう少しふるえが続くようだったら助けを呼ぼうと思っていたあたりで、体が熱くなってきました。 一安心、と思いました。 しかし、眠りたいのですが、今度は、足が痛くて眠れません。 ウルトラマラソンで無茶な走りをすることは、身体に悪いです。もっと強い身体を作って、身体に余裕のある走りをしていかないと、寿命が縮むと思います。 がんばることと無茶をすることとは、違います。 「無茶なおじさん」ではなく、「がんばるランナー」に、なりたいものです。 丹代のおふくろは、がんばるな、走るな、と言います。 そのくせ、「うちのまさとし(丹代のファーストネームです)は東京でマラソンをやっているんだぞー」と近所では自慢をしているようです。 丹代の妻は(利和子さんといいます)最初は心配していましたが、最近では、どんなことがあっても、丹代は無事に帰ってくるんだと信じているようです。少なくとも、表面では、まったく心配していません(ミハナサレテ、イルノカモ、シレマセンガ)。 高い理想や夢を目指して走って行けば、無理をせざるを得なくなります。 頑張りすぎずに、頑張っていくことが大切だと思います。 頑張りすぎ=無茶をする、ということだと思いますので。 それから、会社の仕事(丹代はサラリーマンです)についてですが、自分が遊びとして取り組んでいるウルトラマラソンですから、「仕事には、なんの影響もない」ということを、目標の一つとしています。 ちなみに、私は、今まで、24時間走でも、さくら道でも、その大会の疲労が原因で会社を休んだことは、ありません(実は、3日後とかに休んだりしていますが、これは、丹代のこだわりの、なせるわざです)。 本当は、仕事にも、家庭にも疲労のつけが回っているのですが、むきになって否定しようとしている、おかしな自分がいます。 走り続けていて、風のように速く走れる人、ずーっとずーっと走り続けられる人、人のために何日も力を惜しまずに働いてくれる人、、、いろいろな出会いがありました。 走りの世界は広いことを知りました。 人間は、 自分にはできないけどできる人がいる。 自分にはできるけどできない人がいる。 今はできないけどできるようになりたいから、がんばる人がいる。 ということを、知りました。 背伸びせず、萎縮せず、自然体で走り続けて行きたいと思います。 あとがき これは、1997年4月27日〜29日に開催された大会に参加したときのFWELL(パソコン通信 NIFTY SERVE のフォーラム)への書き込み、および、自分へのメッセージに対するコメントを抜粋、整理して感想記としてまとめたものです(4月21日〜5月12日に渡っての書き込みより)。 以 上 |