m@stervision stage reviews

芝居もぽつぽつ観てるんだけど、いまのところ映画レビュウで手一杯なので演劇レビュウは休止中。

★ ★ ★ ★ ★ =すばらしい
★ ★ ★ ★ =とてもおもしろい
★ ★ ★ =おもしろい
★ ★ =つまらない
=どうしようもない

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怪盗ルパン 満州・奇岩城篇(月蝕歌劇団)

作・演出:高取英 音楽:J・A・シーザー 出演:野口員代 一ノ瀬めぐみ 吉田恭子|長崎萌
いつものように今回も「モーリス・ルブラン原作」とは名ばかり。タイトルから明らかなように舞台は中国。物語は日中開戦前夜の上海租界から始まる。蒙古の秘宝のありかを記した「オルコンの弓」「忽必烈(フビライ)の矢」そして「韃靼(ダッタン)の的」の3つのアイテムを奪いあう…という設定は、戦前の少年倶楽部連載「ジャガーの眼」からのイタダキ(「オルコン」とはモンゴル草原を流れる大河の名) オルコンの弓を持つ少女に依頼された名探偵・明智小五郎と小林少年ひきいる少年探偵団(もちろん女優が半ズボン姿で演じる)、暗黒街のボス ジャガーと謎の女・黒蜥蜴、満映の甘粕正彦と大日本帝国陸軍、そしてアルセーヌ・ルパンといった面々が争奪戦を繰り広げるわけだが、じつはそれはサブプロットに過ぎず、旧左翼アングラ世代の生き残り・高取英は1人の女・・・「川島芳子」という日本名を持つ、清朝の肅親王が第14王女「金璧輝」をヒロインに据えて、清朝復興を夢見ながらも2つの国の間で運命を玩ばれた悲劇のドラマを朗々と謳いあげる(めずらしく時空も飛ばない) ● 川島芳子を演じる野口員代が素晴らしい。「男装の麗人」「東洋のマタ・ハリ」と呼ばれた伝説の女を、颯爽とした軍服姿、妖艶なチャイナドレス、そして清楚な和装…とメリハリをつけて演じわけ観客(←素直に「おれ」と言えんか?)を魅了する。その素晴らしさを認めたうえで書くのだが、「鬼畜日本 VS 愛国的中国」という図式に単純化するあまり、ここからは「満州人(女真族)と漢人の対立」という構図がすっぽりと抜け落ちてしまっている。あらためて言うまでもなく川島芳子の夢見る「清朝復興」とは、すなわち「満州人による漢人支配」に他ならず、それこそは「中国の民衆」が辛亥革命で打ち倒したものではなかったか。ラストシーンでは、ついに見つかった「蒙古の秘宝」を、発見者が「中国の民衆のために使ってくれ」と紅軍兵士の手に委ねるのだが、だからそれは蒙古人のものだってば。それじゃ浅利慶太と同じレベルだぞ。 ● 純真な少女/少女と瓜二つなフランスの少年探偵/川島芳子を姉と慕うもう1人の「よしこ」…山口淑子こと華やかなスター「李香蘭」…の3役に扮して、美しい高音で「浜千鳥」を聞かせてくれるのは「復活アイドル」長崎萌。 凛々しい小林少年に一ノ瀬めぐみ。 怪しい悪女「黒蜥蜴」を半裸の女王様コスチュームで演じるのは吉田恭子。 アルセーヌ・ルパンを「男役トップ」の美里流季が演じてるのだが、やっぱり大久保鷹ぐらいの客演がいないと男優が弱いなあ此処は。 少女のお父さんの、ドイツから亡命してきたらしい「オッペンハイマー氏」ってのはデビアス・ダイアモンドのオッペンハイマーかね?(「原子爆弾の父」のほうじゃないよね?) 次回作はブームの「安部晴明」だそうだ(←もちろん時空を超える) [2001年5月、大塚・萬スタジオにて]

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パラダイス・ロスト 懐かしい夢(水族館劇場)

作・演出:桃山邑 出演:鈴木藤一郎 千代次|木内佳香 小林虹兒 巌基次郎|葉月螢
サトウトシキ作品のヒロインとして、また上野俊哉「欲しがる兄嫁」シリーズの“兄嫁”として御馴染みの「ピンク映画女優・葉月螢」とは世を忍ぶ仮の姿。しかしてその実体はアングラ劇団「水族館劇場」のテント芝居で帝都の夜を騒がせるアングラ女優なのだった。 ● テント系アングラ劇団には、反・天皇制を標榜し、かつての山窩、今なら住所不定の日雇い労働者やホームレスといった「服(まつろ)わぬ民」にシンパシーを寄せる「風の旅団」系というか何というかそういった系譜があって、この「水族館劇場」も(おれから見れば)その一派。てゆーか、あまりに収入が少ないので税金も払ってないような奴らが徒党を組んで、寺の境内あるいは町外れの空き地に或る日とつぜんテントを張って、そのとき限りの馬鹿騒ぎを繰り広げるという興行形態からして彼ら自身が河原乞食の末裔であるとも言える。 ● ストーリーは「ブレードランナー」in「肉体の門」<おお、鈴木清順版を観直したばかり。何というタイミング! 舞台は敗戦直後の闇市マーケット。火の星の戦争から逃がれてきた2体の「人間人形」が復員兵にまぎれて、廃止される銀河鉄道の最終便でこの町にやって来たという噂が流れる。それを追う1人の男。人間人形を発明した科学者にして、今は落魄のレプリカント・ハンター。そして戦後の復興に闇市の一掃をもくろむGHQの陰謀がからんで…という話。今回はめずらしく天皇制批判とは関係がなく、時空も超えず物語もずっとシンプルなラブ・ストーリーである。われらが葉月螢さんは関東小政の姉御役。 ● 正直いって完成度は低い。台本は長台詞の独白まがいが多すぎるし、役者は個性的ではあるが(自己陶酔的であるという一点を除いては)演技のトーンがバラバラで、台詞まわしや発声といった基本的スキルも低い。小屋掛けの芝居だったら二度とは観に行かぬ代物かもしれない。だがいくつかの美しい台詞があるのも事実だし、胸の奥の何かを掻きたられるイエスタデイ・ワンスモアなロマンチシズムもある。そして何より、役者/スタッフがノーギャラで、かつショバ代がタダ同然だとしても到底、木戸銭だけではその費用が賄えそうもない大掛かりな三方回り舞台をしつらえて、歌い叫び抱きあい殴りあい松明が燃えさかり宙乗りまでして屋台崩しの末にはテント内に銀河鉄道が現出する…という経済効率の無視っぷりは感動的であるし、ひと晩で学校のプール1杯ぶんほどの水を消費する一大スペクタクルには一見の価値があろう。[2001年5月、駒込大観音 光源寺境内 特設テント「水の天地」にて]

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新撰組 in 1944 ナチス少年合唱団(月蝕歌劇団)

作・演出:高取英 音楽:J・A・シーザー 出演:野口員代 美里流季 一ノ瀬めぐみ|大久保鷹
1999年10月の新作舞台の再演。この劇世界においては江戸幕末の徒花「新撰組」は1930年代のドイツへと出現。ナチス親衛隊と連携してそのテロリズムでゲッペルスの野望を手助けし、返す刀で(落ちのびた土方歳三が参戦する)函館五稜郭の「北海道共和国」が明治維新政府に勝利するという「もうひとつの未来」を幻視する。歴史の歪みに時空を超えて暗躍するのは1944年の中国から東洋鬼=明治維新政府の直系たる大日本帝国陸軍に追われてやってきた1人の女・・・まこと「暗黒宝塚」の異名をとる「月蝕歌劇団」らしい筋立てである。 ● ナチスドイツが迫害し、大量虐殺したのはユダヤ人だけではない。ジプシー(ロマ)たちもまた虐殺の対象となった。なぜならぱ「国を持たない民族は劣等種族」だから。そんなジプシーの少女と、ユダヤ人ゆえにナチス少年合唱団のリードボーカルたりえない少年に、ナチスのテロリストとして雇われたはずの1人の日本人が共闘を申し出る。武蔵の国の薬売りの息子=土方歳三である。そう「薬売りの行商」もまたかつては“まつろわぬ民”であったのだ。いつまでたっても素人臭い女の子たちのへなちょこ演技と反比例するように、高取英の掲げるテーゼはあくまでも硬派なのである。ただ時代劇をやるなら言葉の使い方にはもう少し気を遣ってもらいたいけど。 ● 主役・土方歳三に美里流季。華がない(=脇が相応しい)この女優がヒーロー役を演じなければならないところに現在のこの劇団の限界がある。「労咳に果てる沖田総司」と「ナチスの生態実験のモルモットにされるジプシー少女」の二役に(爽やか少年タイプの)一ノ瀬めぐみ。謎の中国女に(ちょっと斎藤陽子に似てる)野口員代。ゲッペルス宣伝相に(ふつうの劇団では使い道がないほどアクの強い)宇井千佳。鼻の穴にフライドチキンの骨を挿して登場する「ナチス突撃隊の隊長レーム」と「吉田松蔭の怨霊」二役に(今回は出番少な目の)客演・大久保鷹。劇団のトレードマークたるセーラー服は、本作でもちゃんとナチス少年合唱団の制服として登場する(下は半ズボンだけど) ● 観に行ったのが楽日だったのでアンコール代わりに5分ほどの「次回予告」が上演された。次回作はモーリス・ルブラン原作「怪盗ルパン」だそうで、いやもちろん高取英だから只のルパンであるはずもなく、清の秘宝を狙うアルセーヌ・ルパンと、本邦の誇る名探偵・明智小五郎と、清朝の復興を企む満州族の秘密組織の暗闘を描く「満州奇岩城篇」だそうだ。えええっ「奇岩城」ってそんな話だったっけえ?<違います。[2001年1月、大塚・萬スタジオにて]

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真情あふるる軽薄さ(蜷川幸雄)

作:清水邦夫 出演:高橋洋 鶴田真由 古田新太
「アングラの伝統芸能化」というのが近頃の流行りだ。新宿梁山泊が東中野に新設したアトリエで始めた唐十郎1970年代作品の再演シリーズしかり。新宿文化地下の蠍座でATG映画を上映したあとのレイトショーとして上演した、自身の挑発的なデビュー作を、オシャレな商業演劇の牙城シアターコクーンでリメイクするってのもまさにそれだ。だが、政治的な部分を抜きにしても詩的な部分で楽しめる唐十郎の諸作品と違って、この清水邦夫の戯曲は「政治的な部分」だけで成り立っているホンなのである。設定を簡単に説明すると、舞台には上手から下手へ延々と続く行列。何のための行列かは説明されない。だが並んでる人たちは何の疑問も抱かず、ただ黙々と並んで牛歩のあゆみで一歩ずつ前進している。そこに現れた傍若無人な1人の若者が失礼な言動を繰り返しては、行列に並んだ人たちを挑発する。…ね? 気恥ずかしいくらい政治的でしょ? しかも、この若者、二言目にゃ「ナーンセーンス!」とか言うんだぜ。そんなもの今さら観せられても気の抜けたコーラのように甘っちょろいだけだ。芝居の中身とは関係なく古田新太だけは楽しめた。鶴田真由はせめて半ケツだけでも出していただきたい。 ● 観客参加型の演劇、当時の言葉でいえばハプニング演劇だったものを、チケット発売に際してあらかじめ「参加席」と「見物席」にわけたのも本来の精神に逆行する行いだろう(…いや、見物席を買っといて文句を言うおれもおれだけどさ) 参加席の観客には、てっきり台詞のひとつでも言わせるのかと思いきや、“参加”するのはカツラの投げ合いだけって。参加席を買った客はさぞかし拍子抜けなことだろうよ。おれがいちばんビックリしたのはラストで出演者全員が並んでカーテンコールを受けたことだ。しかも手をつないでお辞儀したりして。そーゆー芝居じゃないだろがよ、えっ。 ※えーと、おれはとうぜん初演は観てない。初演時に関する記述は過去にどこかで読んだあやふやな記憶で書いているので、事実誤認があるやもしれぬ。[2001年1月、シアターコクーンにて]

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ピーター・パン(月蝕歌劇団)

原作:ジェームズ・バリー 脚色・演出:高取英 音楽:J・A・シーザー
寺山修司が主宰していた「演劇実験室・天井桟敷」出身の劇作家・高取英ひきいるアングラ少女劇団「月蝕歌劇団」の新作は、ジェームズ・バリー版「ピーター・パン」のラストシーンから幕を開ける。約束どおり迎えに来たピーター・パンに対して、母親になったウェンディは「もう一緒には行けない」と告げる。「どうしてさ!」「わたしはもう大人になってしまったから」 すると舞台正面の扉がバタンと開き、セーラー服の少女が言う「どうしてウェンディは約束を破ってしまったのだろう。わたしがウェンディだったら一生、結婚もせず、子どもも産まずピーターを待ってるのに!」 そして(元・天井桟敷の座付き音楽家であり、現在は「演劇実験室・万有引力」を主宰する)J・A・シーザーの呪術的なBGMが高鳴り、いつのまにか舞台上にぞろぞろと出現している顔に包帯を巻いたセーラー服の少女の一群が、灯りの点いた蝋燭を片手に暗黒舞踏ダンスに身体をくねらせる・・・いやあアングラだなあ:) ● 2つの時空を強引に繋げることで作為的に歴史を改変していく高取英独自の劇作法は今回も健在で、この月蝕版「ピーター・パン」ではロシア革命で故国を追われたロマノフ王家と怪僧ラスプーチンがネバーランドになだれ込んでくるのである。しかも味方であるべき孤児たちはピーター・パンを裏切って海賊フックの配下となっている。こうして、飛ぶ力を失ったピーター・パンに連れられて、孤児たちの「お母さん」となるべくネバーランドにやってきたヒロインは、否応なく「夢と希望の国」の覇権争いに巻き込まれていく…。 ● 「ピーター・パン」の物語を借りて高取英が歌うのは見果てぬ革命の歌である。圧政者はネバーランドの人魚の肉を喰らうことによって「千年の生」を得るかもしれない。だがピーター・パンと子どもたちもまた、たとえ倒されても倒されても倒されても、妖精を信じるウェンディの歌声によって、何度でも何度でも何度でも何度でも生き返っては圧政に立ち向かって行くだろう。飛ぶための秘訣はひとつ>自分が飛べると信じること。 ● 新しいウェンディとなるヒロインを、キョロキョロ動く大きな目がとてもキュートな“復活アイドル”長崎萌が血糊まみれの大熱演。“復活”って、おれもともと長崎萌ってひと知らないんだけど、有名だったの? ここの劇団の客層はむさいアイドル追っかけ系の男子と、アート・スクール系女子が大半を占めるのだが、今回はこれに、すべての回を観に来ているとおぼしき長崎萌ファンが加わって、会場全体がなんかイヤーンな雰囲気<これこれ、あんたも入ってんで。物忘れのはげしいピーター・パンに(宝塚男役系の)一ノ瀬めぐみ。ヤキモチ焼きのティンカー・ベルに(ちょっと斎藤陽子に似てる)野口員代。ロシアの人民革命家に(ひとりだけトーンが違うと思ったら)花組芝居から森川理文(♂) あとチョイ役だけど薄衣の人魚とロシアの姫君を演じた平山幸女(ひらやま・こうめ)って女優さんが、かつてのロマンポルノ女優の浅見美那にホクロの位置までそっくりで、うーん、たまらん(火暴)[2000年10月、ザムザ阿佐ヶ谷にて]

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身毒丸2000(演劇集団 池の下)

作:寺山修司 演出:長野和文 美術:朝倉摂
寺山修司全作品上演を標榜する「演劇集団・池の下」の第12回公演だが、おれは今回が初見。「2000」と銘打っているものの特に現代的なアダプテーションを加えているわけではなく、逆にチラシには「初演時の台本による」との表記がある。丸尾末広イラスト/森崎偏陸デザインのチラシからうかがえるのは、初期の天井桟敷に顕著だった縁日の見世物小屋のようないかがわしい演劇の復権を目指すということか。なるほど台詞は一言一句、寺山が書き記したままなのかもしれない。だが、怪優・異優・奇優あふれる天井桟敷が演じた芝居(って、おれは公演ビデオで観たんだけど)を、演劇に情熱を燃やす若い人たちがなぞっても、悲しいかな舞台には高校演劇のような健全さが漂ってしまうのである。健全な寺山修司…ダメじゃん。これなら蜷川幸雄の商業演劇版アダプテーションのほうがよほどアングラの香りを伝えていた。 ● ここの劇団の特徴は新高恵子のポジションを長髪の男優(稲垣悟)が演じている点だが、まだまだ力不足で「妖しい美しさ」を醸し出すにはいたっていない。なぜか大御所・朝倉摂が美術を担当していて、舞台正面に巨大な赤い格子戸を据えたセットはシンプルかつシンボリックでサスガだが、これがかえって芝居にスマートな印象を与えてしまっているのだから皮肉なものだ。[2000年10月、東京芸術劇場・小ホール1にて]

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鯨リチャード(唐組)

作・演出:唐十郎 出演:稲荷卓央 堀本能礼 鳥山昌克 久保井研|赤松由美 藤井由紀|唐十郎
「鯨(ゲイ)リチャード」のリチャードとはシェイクスピアの「リチャード3世」のこと。ただし新宿西口はしょんべん横丁の鯨かつ(ゲイカツ)屋のゲイのリチャードだ。「たれか馬を持て、馬を。かわりに王国をくれてやる!」 馬の名はプロザック。その馬はあなたの苦しみを癒してくれる。ヒロインはプロザック中毒のアン。庵(いおり)と書いてアンと読む。あなたの「禁断症状(城)」という心の城へ、ぼくはどうしたら辿りつけるのか…。 ● 今回は1時間半の小品。廃墟となった映画館に舞台をしつらえての、いつもの唐節。プロローグから第1幕へ。10分の休憩をはさんで第2幕、そしてエピローグという、いつもの構成。とりたてて新味はないけれど、アングラ演劇の「伝統芸」の魅せ方においては今でも他の演出家の追随を許さない。たとえば、この芝居でいえばプロローグの終わり。下手(しもて)で登場人物たちの修羅場があり、ゲイのリチャードが、やくざに背中の瘤を刺される。リチャードが上手(かみて)のカウンターに手を伸ばす。「アーーーーン!」とひと声、絶叫。と、カウンターに置いてある赤い宝石箱のフタがパタリと開き、白いウェディングドレス姿のリカちゃん人形がくるくる廻る。そこに一筋のスポットライト。舞台上が凍りついたように静止して、暗転・・・背筋がゾクッとする瞬間である。 ● 主役の田口を演じるのは稲荷卓央。ゲイのリチャードに堀本能礼。このところ定期的に主要メンバーが抜けてしまう唐組。若手男優陣がやっと台詞負けしないようになったが、相変わらず魅力的なヒロインが不在。唐十郎は「馬の首」の役で第2幕にのみチラッと出演している[2000年10月、旧・中野ヒカリ座にて]

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お迎え準備(斎藤久志)

作・演出:斎藤久志 出演:唯野未歩子 鈴木卓爾 井口昇 田中要次 長曽我部蓉子
自主映画出身の映画監督・斎藤久志が初めて芝居を書いて演出した。 ● ケイコ(唯野未歩子)と桑田クン(鈴木卓爾)は、高校の同級生で結婚を間近に控えたカップル。同棲中のマンションに、ロンドン留学帰りの親友エリ(長曽我部蓉子)が10年ぶりに訪ねてくるとあって2人は朝からそわそわしている。ところがやって来たのはエリと名乗る井口昇だった…。 ● 井口昇に女装させるという反則技は、だれもが一度は考えそうな手である。だが斎藤久志の脚本が秀逸なのは、それがきっかけにしか過ぎないという点だ。「この井口昇にしか見えない女は、はたしてエリなのか」というサスペンスは脇筋であって、この芝居の眼目は“不条理”の介在によって次々と暴かれていくカップルの“秘密と嘘”のほうにある。日常生活の些細な違和感と突如として侵入してくる不条理。やってる事は「サンデイ ドライブ」と同じ“偽ドキュメンタリー”なのだが、芝居の世界では元・東京乾電池の岩松了が書いてきた世界に近い。 ● テレビの画面からは塚本晋也アナウンサーが終末ウィルス蔓延のニュースを伝えている。「ミニマルな日常の崩壊と、外の世界の終末」という、井上陽水の「傘がない」以来のよくある手だが、巧いものだ。そして愛は消滅し、世界が終わる。…で“お迎え準備”って何?(<ぜんぜん判ってない) ● 生で見る唯野未歩子の美しさにビックリした。「大いなる幻影」でも「サンデイ ドライブ」でも巧い役者だってのは明らかだし、なんとも言えない色気があるなあとは思っていたが、これほどストレートに美しい女優さんだったとは。「サンデイ ドライブ」同様、一見おとなしそうだけど実はスンゲー怖いという役で(スズナリ級の小屋ではもはや聞こえないような)小さい声でぼそぼそっと喋る台詞に(男としては)心からビビる。「富江3」はぜひ唯野未歩子主演で作ってもらいたい。鈴木卓爾と井口昇は適材適所。カメラマンの隣人に田中要次。この人だけ妙に芝居臭かったなあ。どこかの劇団所属なんだろうか。元ピンク映画の名花・長曽我部蓉子は間近で見た美しさに圧倒されるが、残念ながら「キレイな人なら誰でもいい」って役なので実力を発揮する場がなかった感じ。 ● セット美術は、日本・香港両方のアカデミー賞を制したただ1人の男・種田陽平。もっとも、作ったのは何の変哲も仕掛けも屋台崩しもないマンションの一室で、ちょっと拍子抜け。ただこの規模の公演としてはいやに立派すぎるセットなので、採算を度外視してるか、どっかの撮影現場から建材をちょろまかして来たかどっちかだな。立派と言えばこの公演、制作を鴻上尚史のサードステージが手掛けていてチラシとかがえらく立派である。その上、しっかりソニー・コンピュータ・エンタテインメントのタイアップを取ってきていて、観客は芝居の導入部がわりに鈴木卓爾がプレイ・ステーション2で花火ゲームに興じるさまをたっぷりワンステージ分 見せられる仕組みになってる。現場の金銭的苦労を思えば「そうして製作費を調達してくる姿勢は偉い」と言わなきゃいかんのだろうが、おれは嫌いだね>小劇場の世界に代理店体質を持ちこむ奴らは。ま、いずれにせよ下手な演劇プロパーの芝居よりはるかに面白かったことは確かである[2000年3月、中野南口・MOMOにて]

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