「インファナル・アフェア 無間序曲」に欠けているエピローグ

※本稿は、やくざ映画の常識に照らしても[親であるジャンユーの一家を滅ぼした]エリック・ツァン組長が「親の実弟」であるトニー(若)を部下にすることは有り得ない──という矛盾を解決する一案として提示するものである。当然、ネタバレしている。 ● ホテルの窓から香港の街を眺め、亡きカリーナ・ラウを思うエリック・ツァン──までは現状のまま。気を引き締めて香港黒社会の新たな首領(ドン)の顔に戻り、子分たちを従えてホテルのエレベーターを降りる。ロビー階。エレベーターのドア……が開き、エリック親分一行が降りてくる。そこへ画面下手から黒い影が駆け寄る。拳銃を握りしめてジャンユー大哥の仇を討たんとするトニー(若)だった。それはかれが「警察官」としての自己を初めて踏み越えた瞬間でもあった。だが間一髪のタイミングで襲撃は失敗し、トニー(若)は子分たちに押さえ込まれる。いきり立つ若い衆(し)をエリック親分が「無事(モウシィ)!」と一喝。両膝をつかされ、捻り上げられた左右の腕の下からトニー(若)がギラついた目でエリック・ツァンを睨む。エリックは床にハジキ飛ばされていた拳銃を拾うと、腕を一直線に伸ばして銃口をトニー(若)のこめかみに当てる。時間が止まる一瞬。……と、エリック親分がニヤリと笑い、肘を直角に曲げて(=肘から先を上に曲げて)狙いを外し、拳銃を傍らの子分に渡す。そしてポケットからチュッパチャップスを取り出すとトニー(若)に差し出して、いつもの人懐っこい笑顔で「坊主。喧嘩ぁの、勝たにゃあアカンぞ」 その言葉を聞いた瞬間、ある想い出がトニー(若)の脳裏にフラッシュバックする。以下、モノクロで──。 ● 1970年代の香港郊外の団地のグラウンド。子どもたちの声が聞こえる「やーい、父(てて)無し子ぉ、妾の子! 流っがして捨ってろ!」 カメラが寄っていくと囃し立てる子どもたちの輪……の中心で、数人の体格のよい子どもを相手に、小学生3年生ぐらいの男の子が喧嘩をしている。明らかに劣勢なのだが「決して負けを認めないぞ」とでもいうようにガムシャラに戦っている。カット変わって。さきほどの男の子──トニー(童)である──が1人で歩いてくる。半ズボンは破れて顔は傷だらけ。目は真っ赤で今にも泣きそうなのだが、必死で泣くのを堪えて、肩で大きくはー、はー、はー、と息をしながら。グラウンドの片隅で子どもとサッカーをしていた小太りの青年が、そんな男の子に気付いて声をかける「坊主、どうした。喧嘩か?、勝ったんか?」 その快活な口調にトニー(童)は思わず足を止めるが、感情が高揚していて返事が出来ず、ただ青年を見上げて、はー、はー、と息をしてる。青年は急に人懐っこい笑顔になり、ポケットからチュッパチャップスを取り出すと男の子に差し出して「坊主。喧嘩ぁの、勝たにゃあアカンぞ」 そしてもう一遍、ニコリと笑うと、連れていたやはり小学校3年生ぐらいの男の子に「小健(シウキン)、帰るで」と声をかけると、軽快にドリブルをしながら団地のほうへと去る。男の子──アンディ(童)は「待ってよ、叔父さん」と言ってちょこまかと付いていく。だが、ふいに振り向くと、トニー(童)にニコリと笑いかける。トニー(童)は笑い返すことができず、片手にまだビニールが被ったままのチュッパチャップスを握りしめながら去っていく2人を見送っている。 ● 画面、現在/カラーに戻って。エリック・ツァンはタキシードの内ポケットから分厚い鰐皮の財布を取り出すと、その財布で隣に立っている子分のチャップマン・トーの胸をポンとはたき、「面倒みてやれ」というようにトニー(若)のほうにアゴをしゃくり、チャップマン・トーに財布を渡す。そして「走(ツォウ)!」と一言。子分たちを従えて去っていく。なかば呆然としているトニー(若)を抱き起こしてやるチャップマン・トー、の後姿でフェイド・アウト。そして(現状の)返還祝賀パーティに出席するエリック・ツァンの場面に繋いで、返還を祝う香港の人たちの満面の笑み……でストップ・モーション。そこに酒井哲のナレーション「こうして香港全土を揺るがした尖沙咀の抗争事件は、死者十七人、負傷者二十余人を出しながら、ついに集結をみた。だが中国という巨龍が、香港をひと呑みにせんとトグロを巻いている。新たな暴力の火種はすでに燻ぶりはじめていたのである」──音楽、ひときわ高鳴り。真っ赤な筆文字で叩きつけるように「劇終」