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thEatricals2003.02.03
シベリア少女鉄道
「遙か遠く同じ空の下で君に贈る声援」

2003/02/01 @ 王子小劇場



とある事がきっかけで「シベリア少女鉄道」という劇団の役者さんと知り合うことができまして。
というわけで、初見。2月1日、前楽の昼公演に行ってみました。

この劇団、何やらネット上で見る限りかなり話題の劇団である様子。
演劇という既成概念を全く無視して、あることを追い求めていらっしゃるみたいです。
で、1時間45分ほどの上演を見終えて私の口から出た言葉は「なるほど」。

以下は大きなネタバレこそ控えたものの、多少のネタバレは含んでいるので、未見の方はご注意。


舞台はとある喫茶店。
高橋留美子の代表作「めぞん一刻」のキャラクター名と同じ名前の人々が繰り広げるドタバタシチェーションコメディ。

女子大生の七瀬(染谷景子)はバイト先で知り合った五代(吉田友則)と付き合っていると一方的に思いこんでいる。
その相手である五代は、大事な話という名目で七瀬を四谷(土屋亮一)がマスターをする喫茶店に呼び出す。
しかし、なかなか話を始めない五代。
それをカウンター席で伺う七瀬の友人である一の瀬(水澤瑞恵)。
やがて五代は約束があると、大事な話をせぬまま喫茶店を出る。
あきらかに脈がないと感じる一の瀬と、喫茶店の常連二階堂(藤原幹雄)。
しかし、七瀬にそれを伝えられない。彼女は非常に怖い性格の持ち主なのだ。
やがて、五代と約束をしているのが喫茶店のウエイトレス六本木(秋澤弥里)であることが発覚。
六本木はその自分の立場を楽しむ素振り。それに振り回される、一の瀬と二階堂。
そこへ五代にそっくりな三鷹(吉田友則・二役)が現れ、六本木を巡る恋の関係は、どんどん複雑さを増していく。
そして舞台の後半、雨が上がり、公演パンフレットの写真にも写っている「虹」が現れた途端、ストーリーとはまた別のあらたなる駆け引きが生まれ……。



大きなネタバレになるので詳細は控えますけど、はっきり言って、私はこういう作品大好きです。
自分もショートショートなんかで言葉を使った物をいくつか書いてますけど、言葉遊びを主眼に置くというのは土台を選ばないものなんだなぁという意味で、改めて言葉の面白さを再確認した思いであります。
ストーリについては、「めぞん一刻」の事を知っていると、さらに楽しめるのがいい。唯一、一之瀬だけは印象が違ったけど、みんなに振り回される二階堂、能天気な振りを見せつつ腹が読めない六本木、自由奔放な七瀬、一見謎な四谷。うまくストーリーも組み立てられていて、「めぞん一刻」を楽しんでいた人間には嬉しい内容。仕掛けのインパクトだけに収まらないしっかりとしたストーリーだったと思う。
あと、パンフレットなどにさりげなく隠された言葉が憎らしい。うまいなぁ。
とにもかくにも、別の意味であれほど熱くなれたのは初めての経験です。良くも悪くも、土屋氏の作戦にまんまとはまってしまったようです。

以下は、ちょっと気になった点。
役者さんの力不足は仕方ないけど、もう少し台詞回しには気を使って欲しいですね。
特に後半。仕掛けとストーリーのダブルミーニングを印象付けるなら、もっと大事に話してほしい。
あと、六本木さんに男3人が詰め寄るシーン。台詞と台詞のつながりがぼんやりしていて、聞き取りづらかったです。男3人を親戚に見立てるシーンは、オチにつながる重要な台詞だから、はっきりと印象付けてあげた方がいいですね。
小道具の使い方はイマイチ。
ラジカセを六本木が、持ってくる理由がどうも見えないです。
話の展開上必要なんだろうけど、それなら二階堂が自分で競馬を聞くためにラジカセを持参させた方がしっくりくる。ラジオを聞きながら、必死に声援をしているのを横目に六本木がテレビをつけて競馬シーンと二階堂を交互に眺めているとか。無理やり六本木が音楽を聞きたいと奪い取って、ラジカセの調子を悪くさせるとか。
またパフェの存在に気づいた観客は何人いたんだろう。台詞で役者に説明させるのは簡単。でも、無駄な台詞まで言わせる必要はないです。
ナレーションがあまりにお粗末。
競馬中継は、もう少しリアルさを追求して欲しかったです。
そのギャップがますますキャラクターの輝き度を増してくれると思います。


染谷さん。スラップスティックなキャラクターがしっくりきていた。衣装を含めた印象もピッタリ。動きに捕らわれない演技が見えれば、なおよかった。「ウレシインザスカイ」は、自分でもこっそり使いたい。
秋澤さん。ウェイトレス姿に萌え。この面子の中では一番自然な演技だった感じ。自由奔放なキャラクターをがんばって演じている印象は好感が持てます。もうちょっとはじけても面白かったかも。
藤原さん。オジサンには見えない。単なる競馬好きな青年の方がしっくりきたかも。ただ、徐々にのって来たのか後半はいい感じ。でも、もっと堂々としてもいいと思う。
吉田さん。三鷹はずるい。個人的にはもう少し、三鷹っぽさを出して欲しかった。キザにふるまったり。五代はおどおどした感じがいい。「分かります。全然分かります」は、自分でも堂々と使いたい。
水澤さん。振り回されるだけ振り回されて、くたびれた印象がいい。変にこなれた感じがないのが逆にいい印象。でも、もうちょっと切れた素振りも見たかったかも。
土屋さん。ずるい。おいしい所をあれだけ掻っ攫えるなら、私も脚本家になりたい。

にしても、この劇団の女優さんはみんな可愛いなぁ。しかもパワーもあるし、明らかに男優陣よりもオーラが出てる。
今作に関しては、女性主体で話が進んでいるから違和感はなかったけど、同性としてもう少し男優さんには頑張ってほしいところです。

苦言を並べつつも、お気に入りには変わりなし。
今後も変にまとまらない舞台に期待大でありました。


演劇見る人なら1度は見に行くべき ★★★★☆


− 公演データ −

シベリア少女鉄道 vol.7
シベリア新喜劇「遙か遠く同じ空の下で君に贈る声援」

2003/01/24〜2003/02/02@王子小劇場
全席自由 前売2000円 当日2300円 01/30昼のみ1500円

- STAFF -
作・演出:土屋亮一
舞台監督:谷澤拓巳 音響:中村嘉宏 照明:土居加苗
舞台美術:浅賀貞治[MDC] 美術協力:加藤真由子 音源製作:霜月若菜
衣装製作:土屋京子 宣伝美術:土屋亮一
制作:渡辺大、大島晴美  制作協力:TWIN-BEAT

- CAST -
染谷景子/秋澤弥里
藤原幹雄/吉田友則/水澤瑞恵
土屋亮一
(声の出演)横溝茂雄/本市暢子/中村嘉宏





以下は、この劇団について勝手に自分で考察したものです。単なる自己満足なんで読み飛ばしてください。文体が違うのはお気になさらずに。

以下は、一緒に行った同僚との帰り道での会話である。

「次の公演も行くの?」
そのつもりだけど。一緒に行く?
「いや、いいや。どうも、こういうのって得意じゃないし」
面白くなかった?
「いや、面白かったよ。でも、ちょっとね」
まあ、いわゆる普通の演劇とは違う感じだもんね
「うん。でも、やるならとことんやってくれた方がよかった」

こういう意見をもった観客は正直少なくないと思う。
ネット上での批評を見る限り、前々作の「耳をすませば」のインパクトの大きさと比べてパワーダウンだと唱えるものが多いようだし。
「耳をすませば」は未見なので、あくまでネット上でのネタばらしを読んだ上での印象だが、「耳をすませば」はあくまで後半のオチを生かすためだけに前半部分が存在している。おかげで前半部分は非常に退屈な芝居であったようだ。しかし、そのギャップが突飛なアイディアで繰り広げられる後半をさらに盛り上げる結果となっているのだろう。それは「日本インターネット演劇大賞」受賞という形でも現れている。

さて、今作。
今作は根底にストーリーがしっかりと存在している。
しかし後半に登場する大掛かりな仕掛けのせいで、前半でしっかり芝居をしていた本筋のストーリーがぼやけて見える。
後半以降も一応、ストーリーは展開しているのだが、仕掛けのインパクトとそれに相乗する脚本のせいで、観客はそっちに気を取られてしまう。
結果、仕掛けもストーリーもぼやけた印象が残ってしまう。
感想として、「面白かった。けど……」となってしまうのは、そういう印象から生まれていると私は推測する。
しかし、これこそ劇団の主催者であり脚本、演出も描けた土屋氏の策略であると私は考える。

土屋氏の頭に、演劇における既成概念というものは存在していない。いや、逆に他の演劇人以上に持っているのかもしれない。多分、ALL or NOTHINGだ。
逆に観客である我々は、演劇を見た回数に関係なく、演劇の既成概念というものに少なからずとらわれている。
つまり脚本家と観客である我々に相通ずるもは非常に少ない。
このギャップこそが、この演劇の面白さの一つであり、演出だと私は考える。

このギャップに対して、観客は色々な見方をしようとする。
少なからず演劇に身をゆだねようとする(劇団の意図を汲み取ろうと歩み寄る)人間は、そのギャップを無理に埋めようとしてしまう。この作品はこう楽しまなければいけないんだ、と自分に言い聞かせている。
こういう人の言う感想は「面白い」でしかない。

また逆に普通の(ここではあくまで一般的なという意味で)演劇を期待して見ようとする人間には大掛かりな仕掛けが邪魔に見えて仕方がない。脚本家の意図など汲み取ることはできないと頑なになってしまう。
こういう人の言う感想は「つまらない」でしかない。

それ以外の観客(これこそ普通の一般客)は上の二つの印象を行ったり来たりしていると思われる。
自分の演劇感を脚本に委ねたり、逆に自分の思いで押し通したりするわけだ。
こうなってしまうと、演劇の印象は一つに収まらない。
この部分こそ、「面白かった。けど……」の「けど」の部分を言わせている正体だ。
つまり、脚本家の作戦にまんまと引っかかっているのである。

私は、はっきりと言える。今回の舞台は、間違いなく立派な演劇であった。
少なからず仕掛けに重点を置いた「耳をすませば」よりはステップアップしていると思われる。
「シベリア少女鉄道」はこの作品で、他の大きな劇団とも勝負のできるスタートラインに立ったのだ。
 

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