CM女王


 芸能プロダクション「ブルーワゴン」の社長室ではやや頭の禿げかかった社長と30代後半ぐらいだろうか、サングラスをした男が何やら密談をしていた。
「彼女はデビュー当時こそそのルックスで人気を取ったものの、ものすごい不器用な子でねぇ。オンチだし、演技も下手。そのくせプライドばっかり高いもんだからバラエティとかは嫌がるし。今じゃ、うちの事務所のお局様状態だよ」
「分かります」
「いわゆるうちの事務所の問題児なんだけど、伝説のマネージャーと呼ばれた君の力で何とかしてもらえないだろうか」
「分かりました。見事彼女をまた人気者にしてみせましょう。ただし、私がやることには一切口を挟まないでいただきたい」
「それはもちろん。彼女に人気が戻れば、事務所にとっても、もちろん彼女にとってもいいことだからね」
 こうして商談は2人の堅い握手と共に成立した。


 また事務所に新しい子が入ってる。今月に入ってもう何人目かしら。それにしても最近の子はスタイルばっかりよくなっちゃって、どれもおんなじような顔じゃない。本当に社長の好みって分かんないわ。
 でも、みんな楽しそうよね。私だって昔は色々と楽しい仕事をしていたのに、今じゃたまに来るレポーターの仕事か地方での営業ぐらい。そりゃ、私は確かに歌はあまりうまくないし、何かを覚えるのも人よりは少し苦手よ。でも、だてに10年近くこの業界でやってきたわけじゃないわ。いつか見てなさいよ、必ずもう一度私の時代を作ってみせるから。
「遼子ちゃん」
「何でしょう、社長?新しい仕事でも入りましたか?」
 得意の営業スマイルで決めた私の視線に見知らぬサングラスの男の顔が入った。
「遼子ちゃん、これから忙しくなるよぉ。何て言ったって、伝説のマネージャーが遼子ちゃんについてくれることになったんだから」
「で、伝説のマネージャー?」
「そんな、いくらなんでも伝説は言いすぎですよ」
 いかにも作り笑いといった様子で男は笑っている。なんとも胡散臭い感じだわ。
「ともかく、遼子ちゃんはこの人に任せて、ね?」
 社長は妙にご機嫌。私にこんなに機嫌のいい顔見せたのなんて本当に久しぶりじゃないかしら。
 社長は言うだけ言うと、ご機嫌のまま社長室へと戻っていった。
「というわけで、今日から君のマネージャーになることになりました。どうぞよろしく」
 そう言って手渡された名刺には『黒納 正』と書かれている。
「こ、こくのうさん?」
「くのう、くのうただしです。早速ですけど、遼子さんはどんな仕事をしていきたいんです?」
 突然言われた私は面食らってしまった。そういえば、私はどんな仕事がしたいんだろう。
 あ、でも歌手はもうこりごり。唯一出したCDのレコーディングの時のプロデューサーの態度ったら、今思い出してもむかつくわ。プロデュースしてもらう身だと思ったから下手にでればいい気になって……あんなにも怒鳴りちらすことないじゃない。あんな嫌な気分になるのはもう御免だわ。
 女優は悪くないんだけど、やっぱり演出家が悪いとやってられないわよね。最近のドラマも一部を除いてパッとしないし、映画なんて全然ダメ。舞台は興味あるけど、稽古がきつくて大変だって聞くし。
 となると、やっぱりCMよね。高感度アップに一番つながるし、ギャラの良さは群を抜いてるもの。
「一番やりたいのはCMです。でも、地方のローカルなやつは嫌よ。大手のじゃなきゃ」
「大手のCMかぁ。よし、分かった。じゃあ、僕に任せといてね」
 黒納マネージャーはいとも簡単に私の望みを引き受けると事務所を後にした。あんな簡単に引き受けられる内容じゃないはずなのに。ああ、私にあんなマネージャーをつけられちゃったってことは、もうおしまいってことなのかしら。冗談じゃないわよ。私はまだまだ芸能界でがんばっていくんだから。
 数日後。そんな私の心配をよそに、黒納マネージャーは本当にCMの仕事を取ってきた。それも、超有名なビールメーカー。私は喜び勇んで撮影に向かったわ。撮影はただビールを飲んでおいしそうな表情をするだけ。私の好きなビールメーカーじゃなかったけど、お酒が大好きな私にはうってつけの撮影だった。なのに、信じられないほど高額のギャラが手に入った。やっぱり大きな会社は違うわ。
 いきなり大金を手に入れた私は黒納マネージャーを連れて祝杯を上げに夜の町へと繰り出すことにしたの。
 黒納マネージャーはさすが伝説のマネージャーというだけあって、過去にもたくさんの有名人を売り出していたそうで、その内の1人に私がなるのも時間の問題ね。なんて私はついてるんだろう。
 黒納マネージャーの話はとても面白くて、私は時間を忘れて楽しんだ。ただ、仕事には厳しい人らしくて、私がCMに出た会社以外のお酒を飲もうとすると必ず注意をしてきて、飲ませてくれなかった。大手ともなるとCM撮影時の契約は非常に厳しいものらしい。少なくとも私がデビューしたての頃は、そんなこともなかったと思ったんだけど、大人になればそれだけ責任も負わなければいけないということなのね。
 それからも黒納マネージャーは私のために次々とCMの仕事を持ってきてくれたわ。携帯電話、インスタント食品、清涼飲料水、化粧品、パソコン、乗用車………ありとあらゆるもののCMに私は出演した。そして、いつの間にか私は日本で一番CMに出演しているCM女王となり、テレビや雑誌などのほかのメディアにも引っ張りだこの人気者になっていた。本当に黒納マネージャーは伝説のマネージャーだったというわけ。さすがにここまでされちゃうと信じないわけにはいかないものね。
 決められたメーカーの商品しか使うことが出来ないという決まり事があるのはやっぱり面倒くさいことだけど、人気者になることはやっぱり気持ちいい。
 それから数ヶ月して、そしてというか、遂にというか、芸能人生の春を満喫していた私に、今度は女としての春がやってきた。恋人が出来たのだ。それも、今や日本の男性芸能人じゃ人気ナンバー1の陣ノ内さん。ちなみに彼は私とほぼ同じ数のCMに出演しているCM王でもあるの。でもなぜか競演は一度もないのよ。でも、本当に何もかもがカッコイイの。そんな素敵な人が私の彼だなんて、もう天にも上る気持ちっていうのはこういう気持ちのことをいうのね。ただ彼の出演しているCMは全て私が出ているののとは違うメーカー。だから、一緒に出かけるときはタクシーしか使えないし、飲みに行く時だって色々なお酒を扱っているようなところじゃないとダメ。かなり制限されたデートだったけど、それでも一緒にいられれば私はそれでよかった。私はとても幸せだったの。
 でもある日、遂にっていう感じで私たちの密会現場が写真週刊誌に載ってしまった。
 写真週刊誌が発売になった日の夜。その写真週刊誌を握り締め、私の自宅へ黒納マネージャがやってきた。そんなことは黒納さんがマネージャーになってから初めてのことだ。
 かなり急いで来たみたい。ソファでマネージャーは息を切らせている。私がグラスにミネラルウォーターを、当然私がCMしているやつよ、入れて手渡すと一気にそれを飲み干した。
 そして、静かに言ったの。「君はとんでもないことをしてくれたね」って。
 最初、私はマネージャーが何を言っているのかサッパリ分からなかった。今まで結んだ契約に恋人を作ってはいけないなどという話はなかったから。
「恋人を作るのは別に構わないんだよ。しかし、陣ノ内だけはいけない。彼だけとは絶対に付き合ってはいけないんだ」
「どうしてなのよ! 私が誰と付き合おうが、私の勝手じゃない!」
 あの時の私はかなり感情的になっていたと思う。
「君は気づかなかったのかい? 彼の出ているCMのメーカーと君の出ているCMのメーカーの関係を」
 私は答えなかった。
「君と彼の出ているCMのメーカーは全てライバル会社同士だ。つまり、君と彼自体ライバルのようなものなんだよ。そのライバル同士がくっつくなんてことはあってはならないんだ。分かるかい?」
「分かるわけないでしょ。そんなの私たちには関係ないわ!」
 ヒステリックに叫ぶ私を見ないようにしてマネージャーは静かに話し始めたわ。
「比較広告って知ってるかい? 有名なところではコーラの宣伝なんかがそうだね。自社の製品と他社の製品を比較して、明確に自社の良さを売り出そうというものだ。君と彼はテレビ業界全体での比較広告対象として選ばれた。いや、私がそう仕向けたんだけどね。そうでもしないと君を大手のCMに出演させることは無理だった」
 私はカーペットに座り込んで、マネージャーの言葉を聞いている。
「だからCM以外でも君たちが一緒の仕事をすることはありえなかった。君がある雑誌の取材を受けたら、彼はそのライバル誌の取材を受けていた。君があるテレビ局の番組に出演していたら、彼はそのライバル局の番組に出演していた。分かるかい? 君と彼は表と裏の関係であり、光と影の関係なんだ。相手の存在があるから、自分の存在がある。そして、自分の存在が相手の存在を生んでいるんだ」
 本当のところ、私はマネージャーの言っていることがサッパリ分からなかった。ただ、ゆっくりと近づいてくるマネージャーの顔が今まで見たこともない表情、いえ、あれは表情じゃなかったわ。まるで仮面をつけているかのような、ぬくもりの感じられない顔。そしてその右手に握られた蛍光灯の光に反射する物体。
「2人が一緒になるということは無に帰るということなんだよ。分かるよね? 遼子…ちゃん?」
 マネージャーの右手がすばやく振り下ろされる瞬間、私は目を閉じた。瞬間、何かがぶつかり倒れる大きな音が響いて、私は怖くて目を開けることが出来なかった。物音はしばらく続いていたけど、やがてそれも収まって気持ち悪いぐらいの静けさが暗闇の中でうずくまる私を包んだ。そして、静かに私の肩に誰かの手が置かれた。その瞬間分かったの。彼が助けに来てくれたんだって。私は暗闇の世界から彼の胸へと飛び込んだわ。そして、私たちは結婚した。私たちの愛は誰にも邪魔させない。私たちの愛は永遠なのだから………

      『愛は決してくじけない あなたの愛をつらぬいて』


 年々婚姻率が低下し、離婚率の高まっているこの時代にこのリアルなCMは大反響を呼び、婚姻率も出生率も鰻上りなんですって。私たちの愛の力が実証されたようで、素直に嬉しいわ。
 私たちは結婚をした後もCMに出続けているの。ただ、他のメディアのへの露出は一切しないことにしたわ。だって、私たちの存在がはっきりと証明できるのはCMの中だけですもの。
 今日もあの人が私に向かって微笑んでくれる。そして、私もあの人に向かって微笑みかけるの。とても幸せよ。そう、とても。だから私はお仕事のとき以外は、いつもあの人のことを見つめているの。ブラウン管に映るあの人を。そう、ずっと、いつまでも。


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