最後のランナー |
「さあ、今ようやくスタジアムのトラックへと戻ってまいりました」 「本当にようやくですね」 「既に他の選手は全員ゴールを果たしています。もう、走るというよりも歩くという状態で、ゆっくりとゆっくりとトラックを進んでいきます」 「まさか、完走できるとは思わなかったんですけどねぇ」 「解説の竹端さんもおっしゃる通り、彼のレースはものすごいものでした。ここで、彼の走りを振り返って見ましょう。彼のレースはスタートからして、すさまじいものがありました」 「あれは不運といえるでしょうねぇ」 「そうです。スタートの瞬間、彼は後続の選手と足が絡まって転倒してしまったんです。しかも、その後数人の選手に踏まれてしまうというおまけつき。あれで彼は右肩を脱臼してしまいます」 「そうそう、この事故でいきなり彼は最後尾からのスタートとなったでしょ。あの事故で一緒に転倒した韓国の選手はそのままリタイアしたというのに、見事な根性でしたよね」 「次の事件は最初の給水所である5キロ地点でした」 「あれは大会役員のミスが原因だったんでしょ?」 「そうなんです。スタートの遅れのせいで、彼が給水所に着いたときには全て片付けられてしまっていたんです。慌てた役員が手元に残っていた飲み物を手渡したんですが、それがスタートで棄権した韓国の選手のものだったんです」 「あの韓国の選手はものすごい辛党で有名な選手でしてね、あの飲み物も唐辛子水だったらしいんですよ。まああの選手にしてみれば、あの辛さがエネルギーとなるらしいんですが、彼にはきつかったようですね。あれを口にしたときの彼のリアクションには下手なお笑い芸人よりも面白いものがありましたよ」 「その事件によってますますスピードの落ちてしまった彼はその後の給水所でも一切給水をすることができませんでした」 「だからといって沿道にいた女の子の持っていた飲み物に手をつけるのはどうかと思いますがね」 「それでも彼は走ることをやめませんでした」 「まあ根性は認めますけど、やっぱしあの大事件は凄かった」 「そうですねぇ。竹端さんがおっしゃっている大事件は終盤の37キロ地点で起きました」 「本当に突然の出来事でしたよね」 「コース上にいきなり飛び出してきた、今回のマラソン大会にボランティアで参加していたE・カモンさんが彼の背中にいきなりナイフを突き立てたんです。カモンさんはその場ですぐ警察官に取り押さえられ現行犯逮捕されましたが、その後の取調べで今日はカモンさんのお子さんの誕生日で早く帰りたかったようなんです。彼さえいなくなればレースが終わると思っての犯行だったようです」 「今なら彼の気持ちがよく分かりますよ」 「しかし、彼はそれでもレースをあきらめませんでした。すぐに救急隊が駆けつけ彼を止めようとしたのですが、彼はその制止を振り切り、尚も走りつづけたのです」 「ここまできたら、もう言葉も出ないですね」 「そして、トップの選手がゴールインしてから12時間。既に辺りには闇が訪れ、このスタジアムには観客1人残ってはいません」 「あの選手のためにわざわざ閉門を待ってくれている守衛さんも大変ですよ」 「さあ、竹端さん!ようやくゴールが近づいてまいりました!」 「ところでこれって超過勤務手当とか別にもらえるの?」 「そんなのはあとでプロデューサーとでも話してくださいよ。さあ、まもなくです!」 「おや?何か様子おかしくないですか?」 「本当ですね。あっ!倒れてしまいました。しかし、彼は今まで何度倒れても不屈の精神で立ち上がっています」 「しかし、彼はピクリともしてませんよ」 「おっと、ここでずっと様子を見ていた救急隊員が近づきます」 「救急隊員さんも仕事とはいえ大変ですよ」 「ああ、どうしたのでしょうか。担架が準備されます。どうやら、体力の限界であったようです。そのまま救急車へと担架で運ばれていきます。ゴールまでわずか5メートルの悲劇であります!」 「悲劇っていってもなぁ」 「ええと、ここで情報が入りました。どうやら、彼は惜しくも死亡したということであります」 「え?死んじゃったの?」 「背中の傷からの出血がひどく、それが死因のようであります」 「ここまで引っ張っといて、死んじゃったの?」 「そのようです」 「なんだよ。こういうのは何だかんだ言っても最後はゴールするからいいんじゃないかよ。死んじゃったらどうしようもないじゃん。だいたい、これ放送できるの?」 「どうでしょう。亡くなってしまっては、放送は難しいのではないでしょうか」 「やっぱし、そうだよなぁ。てことはこの十数時間は無駄だってことじゃんか。あーもういいや。飯食いに行こう」 「あ、竹端さん。え、えーっと、というわけで、感動という名の静寂に包まれているスタジアムからお別れしたいと思います」 「そんな綺麗なまとめはいらないんだよ!ほら、早く帰らないと入り口施錠されちゃうよ」 |