赤の恐怖 |
「よう、テストはどうだった?」 友達と言うよりは悪友と言った方がしっくり来るあいつはニヤニヤしながら近寄ってくる。 「わざわざ、分かりきったこと聞きにくるなよ」 僕は明らかにムッとした表情で言い返す。 「また一緒に仲良く補習を受けましょうねぇ」 「推薦枠で大学行ける人間は気楽でいいよなぁ」 「まあまあ、そういじけないで。そのうちいいこともあるよ。ハハハ……」 推薦がどうこうよりも、赤点を取っておいてあれだけの高笑いが出来る性格がうらやましい、素直にそう思う。 それにしても、どうしてこんなに勉強ができないのだろう。いい加減この赤い数字も見飽きているんだ。もう、こんなものなくなってしまえばいいのに。そんなことを大声で叫びたい衝動にかられながら大きく溜め息を吐くと、僕は学校を後にした。 数日後。 この間受けた摸試の結果が戻ってきた。第1志望から第3志望までの判定は綺麗な赤い文字で印刷された「D」だった。こんな結果だけのものにわざわざカラー印刷を使わなくてもいいじゃないか。赤い文字がどんどん僕を追い詰める。 「あらまぁ、見事に赤いですなぁ」 いつの間にやらあいつが僕の肩越しに用紙を覗き込んでいた。 「なんだよ、文句あるのか」 「いえいえ、滅相もない。しかし、センター試験まで日がないのに大丈夫なのかい?もう少しランクを落とした方がいいんじゃないのぉ」 「余計なお世話だよ!」 「お〜、恐い恐い」 あいつはおどけながら、逃げて行く。 でも、本当にどうにかしないとこのままじゃ浪人決定だ。かといって就職なんかしたくない。今度母親にでも話してみるか…… また数日後。 今日はこの間やった小論文の結果が戻ってくる日だ。もともと僕は文章を書くのが苦手なのに、なぜ入試にはこんな面倒な試験があるのだ。とりあえず、用紙を埋めるには埋めたが、全く自信がない。 当然の如く返って来た用紙はひどいものだった。添削に添削が加えられ、用紙全体が真っ赤に染まっていた。まさしくそれは僕を死へと導く招集礼状のようだった。 その帰り道。 「まあ、そんなに肩を落しなさんなって。小論文の一つや二つぐらい出来なくても合格出来る大学は山ほどある」 「…………」 「それ以前に、今はいい大学に入ればいいってもんじゃないんだぜ。今時代が求めてるのは学力よりも個性なわけよ。自分にしか出せないもの、そういうのをアピールしていきゃいいんだよ。分かる?」 「あ、あぁ」 横で必死に慰めてくれるあいつの言葉は嬉しかったが、そう簡単にこのイライラからは脱せそうになかった。ふと、喋り続けるあいつとは反対の方向に目を向けるとちょうど公園があった。少しベンチにでも腰掛けたい気分だった僕は公園へと足を向ける。 「お、おいおい。どこ行くんだよ」 「あ、ちょっと公園で休んでくよ」 「そうか。じゃあ、ジュースでも買ってくるよ」 「ああ、悪いな」 「誰がお前におごるって言った」 「…………」 「あぁ、もう分かったよ。買ってくりゃいいんだろ!」 走り去るあいつを目で追うこともなく、僕はベンチに腰掛けた。 一度頭の中を空っぽにしようと思うのだが、何ともいえない苛立ちがどんどん沸き上がってくるだけだった。僕はやがて公園の片隅に積み上げられた木片を見つけ、それを思い切り蹴飛ばしてやりたい衝動にかられた。僕はゆっくりとベンチから立ち上がるとその木片の山に近づいて行く。目の前の木片に狙いを定めて足を振り上げようとした。その時、突然後ろから声がかかる。 「お前、何やってんだよ!」 振り返ると缶ジュースを2本持ったあいつの姿があった。明らかに驚いた顔をしている。これぐらいのことで大袈裟なやつだ。 「いや、ちょっとイライラしてたから……」 「イライラするのは構わねえけど、お前火傷するぞ」 「え?」 「え?じゃねえよ。お前、焚き火の中に足突っ込もうとしてるじゃねえかよ」 慌てて木片の方に目をやると、そこには赤々と燃える炎の姿があった。そこから発せられる熱は僕のズボンをじりじりと焦がしてゆく。 「熱っ!」 「お前、大丈夫か?」 「う、うん」 おかしい。さっきは燃えてなんかいなかったのに、いつのまに火がついたんだろう。僕は釈然としないまま公園を後にした。 なぜ、あんなにも激しく燃え盛っていた火が見えなかったんだろう。頭の中でそれだけがぐるぐると回っている。ぼんやりとした目を前に向けると、いつの間にやら横断歩道のところまで歩いてきたらしい。前方を確認すると僕は道路を渡り始める。 「お、お前!何やってんだよ!」 横断歩道を渡ろうとする僕の腕を、あいつはつかんで引っ張った。 僕はバランスを崩して尻餅をつく。 「痛ぇなぁ。いきなり何だよ!一体、どうしたって言うんだよ」 痛む尻をさすりながら、あいつを睨みつける。 「お前、なに逆ギレしてんだよ。前よく見てみろ。信号、赤だろうが!」 言われて前方を確認すると、赤い信号が点灯していた。そして、目の前をたくさんの自動車がものすごいスピードで走り抜けている。 「赤信号を無視して突っ込むなんて、お前死ぬ気かよ。いくら成績が悪かったからって死んじまったら意味ないじゃないかよ!」 あいつの声は僕の耳には届かなかった。そして、僕はしばらくその場から立ち上がることができなかった。 翌日。 僕は学校を休んだ。昨日のことがどうしても気になって外に出たくなかったのだ。 一日中布団をかぶって、混乱する頭の中を落ち着かせることにだけ集中した。そして、やがてまた眠ってしまった。 目が覚めたのは夕方頃だった。ゆっくりと窓の外の景色に目を移した時、僕は布団から飛び上がった。窓の外には何も見えなかったのだ。ただ、真っ白な世界が目に映るだけ。 僕は慌てて部屋を飛び出した。決して目が見えなくなったわけじゃない。今降りている階段も、トイレのドアも、玄関に転がる自分の靴だってはっきり見える。それなのに、どうして…… 僕は靴を履くのももどかしく外へと飛び出した。しかし、辺りは既に暗くなっており。、いつもの風景が目の前に広がっている。そう、いつもと変わらない風景が。 「僕は頭がおかしくなってしまったのか……」 誰に伝えるでもなく、静かに呟く。僕はフラフラと目の前の道路へと歩き出す。車は来ていない。いつも歩きなれた道。すぐそばの電信柱にはゴミの入った袋が一つ転がっている。昨日も見た姿だ。あの白い世界はいったい何だったのだろう。 「まあいいよ。きっと疲れてたんだ」 自分に言い聞かせるようにそう言い、再び家に戻ろうとしたその時だった。突然ものすごい衝撃が僕を襲った。僕は何メートルもふっ飛ばされ、地面に強く叩きつけられる。背中を強く打ったせいか息が出来ない。体の至る所から激痛が走る。いったい僕に何が起こったというのだ。しかし、幸いにも血は出ていないようだ。ほっと息をついた瞬間僕は意識を失った。遠くで誰かが叫んでいる声を聞きながら。 「運が良かったとしか言えませんよ。あれだけの出血をしながら助かったのですから」 手術を終えた医者は大きく息を吐きながら、事故の被害者の母親に話し始める。 「ただ、事故を起こした男の言い分からすると、息子さんは目が見えなかったのかもしれません。何せ、息子さんの視界には数百メートルも前から近づいてくる車の姿があったはずなんです。しかし、それにまったく彼は気付いていなかった」 「そんなはずはありません。息子の視力はかなりいいはずです。今朝だってそんな素振りは見せませんでしたし」 母親は頭を振って否定する。 医者は母親をなだめるとこう言った。 「お母さん。特殊色盲というのをご存じですか」 「いえ」 「ある色に対して、精神的な苦痛を受け続けるとたまに起こる精神的な病気です。先程お見舞いに来られていたお友達から聞いたのですが、息子さんは昨日、焚き火に飛び込もうとしたり、赤信号を無視しようとしたそうです。さらに息子さんの最近の成績は芳しくなくて赤点ばかりとっていたとも言っていました。これは私の推論ですが、それらがストレスとなって息子さんの精神を追い詰め、赤色に対する特殊色盲を引き起こしたのだと思われます。現に、息子さんを跳ねた車も真っ赤な車でしたし」 「そ、それでは息子は……」 「どうぞご心配なさらないように。2、3日安静にしていればよくなりますよ。まあ、その前に体をしっかりと直さなければいけませんがね」 医者はそう言うと始めて笑顔を見せた。 初めて緊張感が解けた 、突然一人の看護婦が飛び込んでくる。 「先生、大変です。先程の患者さんが突然暴れだしてしまって」 「何だって?」 医者は看護婦に先導されるような形で病室へと向かった。 「見えない!何も見えない!誰だ!離せ!離せ!!」 そこには、叫びながら暴れる患者の姿があった。それを数人の看護婦が必死になって抑えている。 「一体これはどういうことだ」 医者はその姿に茫然としている。 母親が必死になだめようとするが、それも彼の耳には届いていないようだ。ただ彼は、見えない、と叫び続けている。 昨日、夕焼けに赤く染まった町が彼には白い世界に映った。その時の恐怖感が白に対しての特殊色盲を引き起こしたことに医者たちは気付いていない。 全てを白で統一された病院は彼にとっては、何も見えない無の空間でしかなかった。 |