僕は念願のステージの上で朗々と歌い上げる。
僕の声に酔いしれる観客の姿に僕が酔ってしまいそうだ。
もともと僕はしがないストリートミュージシャンだった。
あの夜もいつものように人気のない駅前の広場でアコースティックギターを抱えながら歌を歌っていた。
何曲か歌い終えた時、一人の男がいることに気付いた。
僕は自分が作った曲の中でも一番のお気に入りである曲を歌った。
男は目を閉じて僕の歌に耳を傾けている。
やがて曲を聞き終えた男はギターケースに1万円札を投げ入れる。
そして僕にこう言った。
「その歌は君が作ったのかい?」
「そうです」
「実にいい歌詞だ」
「ありがとうございます」
「日本語の美しさを分かっている、そんな印象を受けたよ」
「分かりますか!」
僕は何でも英語を使い、何でも略すそんな風潮に嫌気をさしていた。
世界で一番美しいと言われる日本語を粗末に扱われているのに無性に腹がたつのだ。
そんな思いもあって僕の歌には一切英語が入っていない。
日本語が紡ぐ美しい流れを大事にした歌詞を書いているのだ。
それを分かってもらえたことが僕はうれしかった。
「ただ、君の歌声がその歌詞の素晴らしさを潰してしまっている」
その言葉に僕は正直ムッとしてしまった。
その表情を感じ取ったのか男は慌てて言葉を続ける。
「気を悪くしたのであれば勘弁してくれ。しかし、君の歌詞にふさわしい歌声でその曲を歌えばもっと素晴らしいものになる」
「つまり、僕にこの曲を歌う資格がないということですか」
明らかに不満の声で僕は男へ詰め寄る。
「そうは言っていない。この曲は君が作ったものなのだろ?そうであれば当然君に歌う権利がある。そこでだ。これを使ってみたまえ」
男が差し出したのは1本のマイク。
一見、何の変哲もないワイヤレスのハンドマイクである。
「こんなマイクだけ渡されても、スピーカーがなければ意味がないでしょう」
「いいから、これを使ってさっきの曲を歌ってみてくれ」
「でも、どうやって?両手は演奏に使っているんだから……」
「なに、私が持っていてあげよう」
1万円を払ってくれたこともあったし、僕は素直に男の願いを聞き入れることにした。 ただ、傍目から見れば明らかに怪しい2人組に見えたことだろう。
そして僕は演奏を始めた。
僕は自分の耳を疑った。
耳に飛び込んでくる歌声は間違いなく僕の声だ。
しかし明らかにさっきまでとは違う。
歌詞と僕の歌声が一体となり、直接心に響くそんな感じだ。
いや、むしろ僕の歌声によって言葉の持つ、暖かみや悲しみといったありとあらゆる感情が増幅されていくようだ。
僕は不覚にも歌いながら涙を流してしまった。
そして、曲を歌い終えると周りから大きな拍手が巻き起こった。
周りを見るとどこから集まったのか、ものすごい数の人々が手を叩いている。
その人々の姿に興奮した僕は立て続けに数曲を歌った。
そのどの曲もが人々に感動を与えた。
実際に僕がものすごい感動を受けたのだから間違いないだろう。
その間も男は何も言わずマイクを持っていてくれていた。
僕が綴った歌詞と歌声とのハーモニーは明け方まで続いた。
「どうだい?」
「すごいです」
「だろう?もともと言葉には『言霊』という言葉もあるように不思議な力を持っているものだ。そして、それを歌にのせることで力の強さは10倍にも20倍にもなる。このマイクは歌う人の言葉に対する思いが強ければ強いほど、言葉の強さを高めてくれるものなのだ。少々扱いが難しいところもあるが、君ならこのマイクをうまく使ってくれることだろう」
そう言って男は僕のギターケースの中へマイクを置いた。
「頂いていいんですか」
「最近の日本人は言葉というものを乱雑に扱いすぎている。みんなが君のようであればいいのだがね。今日は本当にいいものを聞かせてもらった。ありがとう」
そう言い残すと男は僕の前から姿を消した。
そして、僕にはマイクが残された。
その日から僕は歌うときには必ずこのマイクを使うようにした。
僕の路上ライブには毎日大勢のお客さんが集まるようになり、やがて音楽プロデューサーの目にとまることになる。あとはもうとんとん拍子だった。
レコーディングの時には無理を言ってそのマイクを使わせてもらった。
当然のようにその曲は大ヒットとなり、一躍僕は時の人となった。
やがて僕の元へビッグな知らせが飛び込んだ。
武道館でのライブである。
アーティストであれば誰もが憧れる日本武道館で初ライブをすることが決まったのだ。
そして僕はその武道館のステージであのマイクを手に歌を歌っている。
まるで夢のようだ。
やがて観客のボルテージは最高潮に達し、初ライブもアンコールとなる最後の曲を残すのみとなった。もちろん歌うのはデビュー曲にもなったお気に入りの曲である。
僕が歌い始めるとどこからともなく声が上がり、やがてそれは大合唱になった。
僕は感動のあまりまた涙を流してしまった。
涙で声を詰まらせないように歌い続けていたが、あまりのうれしさに胸が一杯になった僕はこれ以上歌い続けることが出来なかった。そこで僕は武道館に集まってくれたファンへとマイクを向けた。武道館に響くファンの合唱。それは僕のマイクを通じて僕の心に飛び込んでくる。
それが凶器だった。
僕のように言葉に対する特別な意識を持たない人々から発せられる言葉は僕から言わせれば凶器以外のなにものでもなかった。
僕が心を込めて紡いだ言葉たちは今やただの記号の塊でしかなかった。
僕はマイクを高く放り上げると断末魔の声をあげその場に倒れ込む。
武道館には美しい言葉の調べが流れ続けていた。