聖戦


 天使と悪魔の長き戦いは終焉を迎えつつあった。

 天使は腕組みをしたまま動かない。たまに聞こえる低いうなり声でかろうじて死んではいないということがうかがえる。彼が腕を組んでからかなりの時が流れていた。現在の状勢は誰の目から見ても明らかに不利だ。つい油断をしてしまい、悪魔がやったイカサマを見過ごしてしまったのが大きい。しかし、こういった後悔といった後ろ向きの気持ちが出てくる辺り、かなり自分の心も盤上の駒のように黒く染まりつつあるのかもしれない。しかし、天使である彼にも意地があった。このまま負けを認めてしまえば多くの人々を傷つけてしまうことになるのだ。そして天使は改めて思う。決して、あの愛する者を傷つけるようなことはしてはいけないのだ、と。
 そんな葛藤の中、額からこぼれた汗が黒い駒の上へと落ちる。汗はその黒い闇に吸い取られていった。

 そんな天使と向き合う形で鎮座するのが悪魔である。彼は口元に歪んだ笑みが浮かべ、腕組みをしたまま動けずにいる天使をあざ笑っていた。そしてこの戦いを終えた後に訪れるであろう至福の世界を思い浮かべながら、恍惚の表情ものぞかせるのだった。

 2人が対峙する空間に浮かぶ1枚のパネル。
 64のマスに区切られたその一つ一つのスペースに並ぶ円い駒。
 白き面は汚れを知らぬ清らかな心。
 黒き面は荒んでしまった邪な心。
 これらが表裏一体となった駒。
 簡単なことで善にも悪にもなれる、まさしく人の心の象徴。

 天使の手に残された最後の1枚。これですべてが終わる。しかし、結果は見えている。既に人々の営む自然を表す盤上の緑を埋め尽くした闇は最後に置かんとする光をも奪わん勢いだ。

「どうした?早く置いて楽になっちまいな」
「う、うるさい!」
「まあ早く置こうが、遅く置こうがこの真っ黒な闇を消し去ることなぞ出来ないがな」
「いいか、よく聞け。闇があふれているからこそ、光はひときわ強く輝くことが出来るのだ!」
「フ……ハッハッハッハッハッ……」
 天を仰ぎながら腹の底から笑い出す悪魔。
 天使はその一瞬を見逃さなかった。
 そして、天使の瞳に妖しい光が宿ったかのように見えた時にはすべてが終わっていた。
「この勝負、私の勝ちだ」
「……ハッハッハッ……な、なに!」
 天使が最後の駒を唯一残されたスペースへ置く。
 最後に放たれた光の矢は回りの闇をみるみるうちに光へと染めていく。
「バ、バカな!!……き、貴様!イ、イカサマしやがったなぁ!!」
「そんな証拠がどこにある」
「ふ、ふざけるな。ついさっきまでは、回りに光の駒などなかったではないか!!」
「気のせいではないのか」
「き、貴様はそれでも天使か!!」
「ああ、もちろん天使さ。ただ、先程までの闇の勢力のせいで一瞬だけ堕天使になりかけたがな」
 言葉を失った悪魔を白く輝くパネルの光が包んだ。


 まるで悪魔のように星の数ほどいた男たちとの恋を切り捨てた彼女は今ゆっくりとバージンロードを歩いている。
 その表情はまさしく天使そのものであった。


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