引き抜き


 「何度も言っております通り、私はこの会社に全てを捧げてきました。ですから、こんな引き抜き話を持ち掛けられても、受ける気は毛頭ない!」
 握り締めた拳が喫茶店のテーブルに叩きつけられる。
 その音に回りの客が驚き、喫茶店に一瞬の静寂が訪れる。
「まあまあ、そんな感情的にならないで。これほど申し上げてもだめなのでしたら、私の方にも考えがありますので。では」
 黒いスーツに身を包んだ男はそう告げると喫茶店の伝票を持って席を立った。
「冗談じゃない……あの会社に私は必要なんだ……」

 数日後、私は社長からの呼び出しを受けた。
「出向ですか?!」
「うむ。君もそろそろ管理職にでもついてもらう時期だ。だが、その前に少し外に出てきて色々と勉強をしてきてもらいたい」
 やはり、私は会社に必要な人間だったのだ。あの引き抜き話を断って正解だったのだ。私は間違っていなかったのだ!
「はい!喜んで、出向させて頂きます」
「それはよかった」
 声のした方向にはあの黒いスーツの男が立っていた。
「やっと私のところへ来て頂く決心をされたのですね」
「こ、これはどういうことですか!」
「おお、知り合いだったのかね。彼が君の出向先の上司となる方だ」
 この時私は気付いてしまった。
 これは罠だ。
 奴が裏から手を回していたのだ。
 冗談じゃない!あんな汚い真似をする奴のところになど行けるものか!
「申し訳ありませんが、この出向話はなかったことにして下さい」
「な、何だと!君は今何を言っているか分かっておるのかね!?」
「はい、クビにでも何にでもしていただいて結構です。あんな奴のいる会社へ行くぐらいなら……」
 私はそう告げると社長室を後にした。

「あれだけ、自主退職を拒んでいた男だったのに……いつもながら見事なもんだね」
「ええ、あの男のように『私がいなければ……』などと勝手に考えている者は無駄にプライドが高い証拠です。しかし、そういう男ほど扱いやすいものです」
「だが、もしも出向を受け入れた場合はどうするのかね?」
「別に、我が会社に来てもらいますよ。ただ、あのような男には1週間と仕事を続けられませんよ。こんな人をはめてなんぼの商売はね」


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