最後の標的


 我ながら運が悪かった。
 両手に手錠をかけられたまま俺はぼやいた。
 俺は今までに何百人もの人間の人生を奪った暗殺者だ。
 裏の世界で『死神』と呼ばれる俺の存在を知らないものはいない。
 俺の相棒は1丁のライフル。
 今の時代では骨董品とでも言われそうな代物だ。
 ただ、なぜかそいつとの相性は抜群だった。

 あの日もその相棒と共に一仕事を行う予定だった。
 いつもよく使うマンションの1室からターゲットの動きをチェックしていた時だ。
 突然大きな衝撃が俺を襲った。
 隣室でガス爆発が起きたのだ。
 その衝撃で窓ガラスの雨が俺に降り注いだ。
 全身にガラスの破片を浴びながらも俺はその場から逃げようとした。
 しかし、いち早く到着した救急隊員に発見され有無を言わさず救急車へと運ばれた。
 次に意識が戻ったのは大勢の警官に包囲された病院のベッドの上だった。

 裁判長の声が法廷に響いた。
「判決を言い渡す」
 例え死刑が撤廃されたとはいえ、俺の罪は相当重い事だろう。
 いったい何百年の懲役を食らうことか……
「被告人の行ったことは人道的にも社会的にも許されるべきことではなく情状酌量の余地はない。しかし、その天才的な能力には目を見張るものもある。よって被告人を懲役550年及び強制任務の刑に処す。以上」
 人を安心させるような台詞をはいておいて550年の懲役を言い渡すなんざ、この裁判官も人が悪い。しかし、強制任務とはなんだ?
 首を傾げる俺の右腕に痛みが走る。
 視線を移すと既に注射器は俺の腕から離れていた。
 俺はそのまま昏倒した。

 気が付くとそこは小さな部屋だった。
 手には手錠こそかけられてはいなかったが、両足に足かせがつけられていてなかなか思うようには歩けそうには無い。俺は至って冷静に回りを見渡す。
 子供がやっと通れそうな小さな窓が一つ。
 鍵のかけられた扉が一つ。
 天井の隅にカメラが1台。多分これは監視カメラだろう。
 窓際には双眼鏡が1つとライフルが1丁。俺の相棒だった。
「気が付いたようだな」
 部屋に声が響く。
「君は判決であった通り強制任務の刑に処された。よってこれよりその刑を執行する」
「ちょっと待ってくれ」
「何だ」
「俺はこれでも馬鹿な方ではない。多少は法律にも精通していた。しかし強制任務の刑なんてものを聞いたことが無い。一体何をするんだ」
「私が君の質問に答える必要はないが、特別に教えよう。強制任務刑は死刑の撤廃と共に新たに生まれた刑罰である。まあ、いわゆる社会奉仕だ。罪償いのな」
 部屋のどこからか聞こえる声は淡々と抑揚のない声で続く。
「君の強制任務は暗殺である」
 一瞬俺は耳を疑った。
「君の類まれなる射撃能力のおかげだ。なお、この強制任務は1つの任務を終わらせるたびに懲役が10年消化される。つまり、君の場合は55人暗殺したところで懲役が終了するわけだ」
 おいおい、そんなおいしい話があっていいのか?
 たった55人殺すだけで俺の刑罰が終了するだって?
「ただし、1度でも失敗した場合はこの強制任務刑は無効となり、懲役も求刑された通りに戻る。以上だ」
 俺の暗殺に失敗などという語彙はない。
 俺の目に久しぶりに冷たい光が宿った。
「今回のターゲットは既に向いのビルにいる。双眼鏡で確認したまえ」
 言われた通り俺は窓際に置かれていた双眼鏡を取り向いに見える小さなビルを見る。
「ビルの3階。左から2番目の窓に一人の太った男が見えるだろう。君のよく知っている人間だ」
 双眼鏡の中に映ったのは俺によく依頼をしていた男だった。
 闇の世界を裏で牛耳っている男の一人だ。
 なるほど、社会の害虫駆除をせよというわけなのだな。
 後は早かった。
 俺は寸分の狂いもなく目標の眉間に1発の弾丸を放った。
 過去に世話になったなど今は関係ない。
 俺が『死神』と呼ばれたる由縁だ。
 久しぶりに嗅ぐ硝煙の香りに俺は満足していた。
 もう2、3発打ってやりたいところだが、はじめからこのライフルには1発しか弾は入っていなかったようだ。実に懸命なやり方だ。
「本日の執行は以上」
 その声と同時に小さな窓が閉じられ、部屋の中は漆黒の闇へと変わる。
 ドアが開けられるような気配を感じ身構えるが、足かせが邪魔をし、うまく体を動かすことが出来なかった。
 俺は裁判所の時と同様の方法でこの部屋から退出した。

 その後も約1週間に1度の割合で、ここでの言葉を使うならば、刑は執行された。
 麻薬密売のボス。
 連続猟奇殺人犯。
 テロリスト。
 悪徳政治家。
 ありとあらゆる社会のダニを俺は駆除していった。

 そして今日いよいよ最後の刑の執行が行われることになった。
 ただ最後の任務として連れてこられた場所はいつもとは明らかに違った。
 まず部屋には窓が無かった。
 代わりといってはなんだが、部屋の壁には無数の穴が空いている。どうやら防音用の壁材を使っているらしい。
 そして、相棒は銃口とスコープを外に出すような形で壁に突き刺さっていた。
 なぜか、この部屋からは外の景色が一切見ることができないのだ。
 やがて、いつものようにあの声が部屋に響く。
「いよいよ最後の任務だ」
「最後はいいがこれはどういう意味だ」
「今回のターゲットの素性を知ってもらうのは非常にまずいのでこういう場所を準備させてもらっただけだ。既にターゲットの動きは封じている。スコープを覗けばターゲットの頭が映っているはずだ」
 スコープには男の後頭部らしきものが見えた。
 らしきものというのはあまりにもターゲットが近いため、全体像が見えないからだ。
 それにしても、俺に素性がばれてはまずいターゲットとは誰だ?
 俺の身近な存在?
 いや、それはない。
 俺には親も兄弟も恋人もいない。
 ということは、よほどの大物ということなのか……
 そう考えた時、俺の体に寒気が走った。
 武者震いか……初めて感じる緊張感があった。
 こんな気分になるのは生まれて初めてだった。
 もしかしたら、世界がひっくり返っちまうような相手のかもしれない。
 しかし俺はプロだ。
 プロである以上任務を投げ出すような真似は出来ない。
 例えそれが政府の命令であろうと、何であろうと。
 標的が誰であろうと……
「この任務が終われば君への刑罰は全て終了となる」
 その言葉を聞き終えると同時に俺は長年連れ添った相棒を構える。
 今回はライフルが固定されてしまっているため、かなり持ちづらい。
 しかし、ここまで準備しているのであれば俺がする必要はないのではないか?
 そんな疑問が頭をもたげる。
 まあ、そんなことも含めての刑罰なのであろう。俺は納得することにした。他に選択肢がない以上それしか答えはない。
 一体どこの誰だか分からないが、怨まないでくれよ。
 引き金を引く指に力がこもる。
 が、その引き金がひけない。
 なぜだ?
 『死神』とまで呼ばれた俺がなぜ殺せないんだ?
 こいつは殺してはいけない人間なのか?
 今までかいたことのない冷や汗が頬を伝う。
 俺は『死神』だ!
 『死神』に殺せないやつなどいない!
 やつも『死神』に狙いをつけられた以上、死という道からは逃げ出せないのだ!
 意を決して、俺は引き金を強く引いた。
 その時俺の心の中の『死神』が鎌をふるったのが見えた……

「ここまでうまく行くとは思いませんでしたな」
「確かに」
「ところで、マスコミの方にはどのように?」
「そうだな。我々は大勢の死者を出した暗殺者を発見し、包囲することが出来たが、犯人は逃げられないと思ったか自殺を図った。といったところかな」
 会話をする2人の前を後頭部に銃撃を受けた俺の死体が運ばれていった。


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