第六十一話 滝壷 |
J子さんは中学の時、美術部に入っていた。その美術部で夏休みに長野県のS滝へ写生に行ったときのことだそうである。 近隣ではそこそこ有名な滝だそうだ。深い緑に囲まれた黒い岩肌から流れ落ちる白い滝は、子供心にも絶景で、ごろごろした大きな石の間を流れる水は夏とはいえ身を切るように冷たかったそうである。 写生も終わり、J子さんは石伝いに滝壷の辺りをうろうろしていた時のことだという。 足元を流れる水の中に何かが動いた。 J子さんが目をやると、黒い藻が流れていく。よく見ると、その藻には顔があった。いや、藻ではなく、それは黒い髪と女の顔だったという。 あ、と思う間に、その女は、流れの中に消えてしまったそうだ。 J子さんは、錯覚だと思ったという。 その晩は、旅館に宿泊した。どうしても水の中の女のことが忘れられなかったJ子さんは、自分の見たことを、部の仲間に話したそうである。 すると、他にも見た人が何人かいて、大騒ぎになったそうである。 |
第六十二話 二人乗り |
Fから聞いた、お姉さんの体験談である。 ある夏の日の夕方、Fのお姉さんが歩いていると、正面から二人乗りの自転車がやってきた。暮れなずみ始めていたので無灯火の二人乗りを見て、Fのお姉さんは「あぶないなあ」と思ったそうである。 運転は青年がしており、後の女性は女子高生がよくやるように後輪の車軸に立っていて、青年の頭の上に顔を付き出して笑っていた。 「お熱いことで」と、彼氏のいないFのお姉さんはひがんで腹を立てたそうだが、ふと何か違和感を覚えた。女性の身体が見えないのである。 暗いとはいえ、男性の肩にでも置くはずの手や女性の脚が見えないのはどうしてだろうと、思っているうちに、自転車が彼女の横を通りすぎていった。 女性はいなかった。 最後の一瞬にFのお姉さんが見たものは、青年の頭上にある、お面のような顔だけだったそうである。 |
第六十三話 現場写真 |
この話は、たまたま知り合った消防署付きのカメラマンから聞いた。 彼は、火事などで消防車とともに出動し、現場の撮影などをしている。火事だけでなく、救急車の出動時にも関わるため、自殺や事故の場合にも写真を撮るそうである。 「首吊りは止めた方がいいよ。どんな美人でも汚なくなっちゃうから」 自殺や事故の写真を撮っていると、たまに不思議なものが写るという。大方は、まあ気にすれば気になる程度のものだという。 そんな彼が、「あれはなあ、、、」と言うのが、ある自殺現場で撮った写真だという。 亡くなったのは、中年のサラリーマンだった。 彼の撮った写真の1枚に、自宅の鴨居からぶらさがる彼の足首を、下からしっかりと握っている腕が、写っていたそうである。 |
第六十四話 ライブカメラ |
G氏はインターネット関連の社長である。彼が仕事仲間から聞いた話。 インターネットにライブカメラというのがある。24時間定点映像を流し続けるものだ。会員制の、女性の部屋にライブカメラを仕込んだものなどは、やはり人気があるそうだ。女性には、アクセス数に応じてギャラが支払われる。見せたくない場合には、カメラからはずれればいいだけなので、女性の方も軽いアルバイト感覚で出来るのだそうである。 そんなあるライブカメラサイトで、抗議が来た。女が見たいのに、たまに気持ちの悪い男が映るという。 その女性のサイトはそれなりに人気もあったので、最初は女の彼氏だろうとほっておいた。 だが、いくつも似たような抗議が来るようになったので、管理者が女性側にあまり彼氏を出さないように注意すると、そんな男は知らないという。 そのうち、足だけが横切ったとか、変な光が見えたなどのメールが会員から多数寄せられるようになり、結局その娘には違約金のようなものを多少払って辞めてもらったそうである。 「心霊スポットの24時間ライブをやれば、儲かるかも知れん」 G氏は本気で考えているという。 |
第六十五話 現像所にて(一) |
N区にあった現像所での話である。 その会社では何晩も続けて明け方まで作業になることも多く、そのせいか怪現象の噂も絶えなかった。 暗室では、しばしば人影が目撃された。 カラーの焼き付けをするので、暗室は真っ暗になる。Iさんなどは、生臭い口臭とともに、耳元ではっきりと息づかいを聞いたという。 また、Sさんは焼き付け中に、何者かに手を握られて暗室を飛び出し、プリント紙をごっそりとダメにしてしまったそうである。Sさんは、その時の生暖かくて脂肪のついたぽっちゃりとした手の感覚が、今でも忘れられないという。 |
第六十六話 現像所にて(二) |
同じ現像所での話である。 現像所では水を多く使うせいか、水回りの怪現象も多く、特にトイレでは頻発していたそうである。 個室にいる時に人が入ってくる音がし、戸の下の隙間から足までも見えたというのに、出てみると誰もいないということがよくあった。 また、他の社員が誰もいない深夜、トイレに行ってみると、手洗い場の蛇口が目一杯開かれていて水しぶきをあげていたこともあったという。 ある時、「地下室がある」という話が出て、物好きな部長に会社から鍵を借りてもらって、みんなで見に行ったそうである。 床には、かび臭い水が溜まっており、鉄の扉の内側には、ひっかいたような跡が無数にあったそうである。 その地下室が何故使われなくなったか、会社の人間は誰も知らなかった。 |
第六十七話 桜坂 |
M市のはずれにN公園がある。そのすぐ近くに坂がある。片側は線路、もう片側にはフェンスがあって、K大学の所有である雑木林が拡がっている。 車両の通行を禁止しているこの坂は、短いながらも桜の並木が続いていて、4月には桜のトンネルのようになる。しかし、シーズンも終わると葉が伸びて、昼なお暗い路に変貌してしまう。 そんな頃、Fさんが、この坂を下っていた時のことだという。 坂に足を踏みいれた途端、Fさんは人の気配を感じたのだという。振り返ってみたが、誰もいなかった。 視線を感じたものの、気のせいだろうと、Fさんは歩き出した。 しかし人の気配は消えなかったという。それどころか、何人もの人間がすぐ近くにまとわりついて来る感じがする。 Fさんは小走りで坂を駆け降りたそうである。自分の息づかいでない声が聞こえ、顔の間近にある何者かの体温まで感じたという。 坂を降りきって日向に出た途端、ふいにその感じが嘘のように消え去ったそうである。 その後、彼女は独りでこの坂は通らないという。 ところで、私はこの坂をよく知っている。 彼女は知らなかったようだが、線路をはさんだ向かいに、この桜の坂と並行に坂道が通っている。 そこには、そこが幽霊の出た坂であるという民話が書かれた碑が建っているのである。 現在そちらの道は車の抜け道になっている。もしかしたら、騒々しさから逃げ出した幽霊たちが桜坂に越してきたのかも知れない。 |
第六十八話 送別会の写真 |
Y香さんはあまり、というか、全くオカルトを信じない方である。自分のことじゃないけど、語ってくれたのが、彼女の高校の頃の話である。 妹の友達でCちゃんという子が他県に引っ越しすることになり、Y香さんの家で、Cちゃんと仲の良かった友達を呼んで、お別れパーティを催したそうである。 パーティは楽しく終了し、最後に記念写真を撮り、妹さんはミチコちゃんに写真を送ることを約束して、お別れしたという。 2日後、妹さんはプリントのあがったパーティでの写真を楽しげに見ていたそうだ。 そのうちの1枚を妹さんは怪訝な顔をして見つめ、Y香さんのところに持ってきたという。 それは、パーティの最後に撮った記念写真だったが、Y香さんには妹が怪訝な顔をした理由がすぐにわかった。集合写真の真ん中に写るCちゃんの左腕のところが、奇妙な赤い光に包まれていたのだそうである。 Y香さんは妹に「ただの光のせい」だと言ったが、妹さんは「心霊写真」かも知れないと気味悪がっていたそうだ。 結局、妹さんは、その写真は送らなかったそうである。 ひと月程後に、妹さんから、Cちゃんからの手紙に左腕を火傷したことが書かれていた、と教えられた。 あの写真の光と火傷の関係はわからないけどね、とY香さんと言った。 |
第六十九話 U峠 |
今は新幹線が通っているJRのS線。かつては機関車を連結した列車でU峠を越えていた。 この話は、その当時Aさんが実家に帰ったときの話である。 シーズンオフでもあり、その特急の指定席はがらがらだったという。 釜飯で有名なY駅で機関車を連結した列車は、U峠に向かった。U峠を越えるには多数のトンネルを通過するという。 Aさんは、ぼんやりと、窓の外を見ていたのだという。窓の外とはいっても、トンネル内なので真っ暗である。だから実際は、窓ガラスに映る車内を見ていたということになる。 「おや」と、Aさんは思った。 自分と同じ列の逆の窓際に、作業服の男性が座っていた。あんな人いたっけ、と思ったが、 「Y駅で乗ったJRの線路作業員かも知れない」 「まあ、席もこんなに空いているんだから、座っているんだろう」 などと考えたそうである。 ガラス越しに見るその作業員は、きちっと両手をひざの上に乗せて背筋を伸ばしていたものの、首はうなだれていて顔はわからなかったという。ただ、年齢は30代後半くらいかな、と思ったそうである。 その時、列車はトンネルを出て、再び次のトンネルへと入っていった。その間はせいぜい数秒程度のものだったという。 再び車内を映し出したガラスから作業員は消えていたそうである。 Aさんは立ち上がって、車内を見回したという。そこには、作業員どころか、何人かいたはずの客もいつの間に降りたのか、Aさん以外に誰もいなかったそうである。 Aさんは青い顔になって荷物をまとめると、急いで隣の車両に移ったそうである。 ちなみに、かつてS線開通時におけるU峠のトンネル工事は難航をきわめ、U峠のトンネルの入り口には、犠牲者を悼む碑が建てられている。 |
第七十話 光り物 |
Aさんの家は、田んぼの真ん中にあったそうである。 今でこそ新興住宅地がおしてきたが、当時は隣家も離れていて、畔道には街灯ひとつなかったそうである。 用事で遅くなったAさんは、暗くなった田んぼの畔道を、一生懸命自転車をこいでいたそうである。自転車のライトが届く範囲以外、真っ黒な闇が拡がっているだけだったという。 怖い、怖いと思って走っていると、前方に懐中電燈の光りが動いていた。 Aさんは「ああ、誰か迎えに来てくれたんだ」と、ほっとしたそうである。 ところが、その光がいっこうに近づかない。「のろいなあ、何やってんだ」と理不尽に思ったそうである。 Aさんは一層力を入れて自転車をこいだのだが、それでも光には近づけなかったという。 ふっと、その光が消えたとき、Aさんはいつの間にか、家の前にまで来てしまっていたそうである。 家に飛び込んで家族に聞いてみたが、誰も迎えに出ていないし、そんな光のことも知らん、と言われたそうである。 |
第七十一話 昼寝 |
フリーランスで仕事をしているKは、時間の余裕があると、しばしばN公園に行く。 日曜には家族づれで賑わうこの公園も、平日には驚くほど人が居らず、芝のひかれた緑の絨毯の上で快適な昼寝が楽しめるからである。 その日もKは、いつも通りに草の上に寝転んで本を読んでいた。 一瞬、うとうとっとしたらしい。 その瞬間、ふっと目の端に、すぐ横にいる人影を見たそうだ。Kの眠気は一気にふっとんで、起き上がったという。 そこには誰もいなかった。 ただ、まるで人が寝ていたように草が押しつぶされていたそうである。 |
第七十二話 ついてきた女 |
Mさんの妹は霊感が強いのだそうである。 その時、Mさんは、ご主人が出張から帰って以来、調子が悪かったのだという。 たまたま遊びに来た妹さんはMさんを見て、登山に行ったか?と聞く。 もちろん登山になど行っていないので、そう答えると、妹さんは「凍死した女の人が憑いてるよ」と言ったそうだ。 Mさんは、はっとしたそうである。実は、Mさんのご主人の先日の出張先が、山形県のG山だったからである。 妹さんはどうやってか、その霊を自身に移したらしい。妹さんは他人の声音で何やらぶつぶつと喋りだし、さすがにMさんも妹ながら気味が悪く感じたという。 そのうち妹さんは九字をきり、何事もなかったように元に戻った。 Mさんの体調も、それを境に良くなったそうである。 |
第七十三話 帰れない |
Eさんの体験である。 晩夏の暮れなずむ時間で、まさに「誰そ彼」時だったという。 Eさんが道を歩いていると、ふいに、男性が声をかけてきたそうである。それまで人が近くにいるとは思ってもいなかったので、Eさんはどきっとしたそうである。 「○○町はどこですか?」 サラリーマン風の男性は、かぼそく弱々しい声で、そう聞いてきたそうである。 ほっとしたものの、Eさんはその土地に引っ越してきて間もない。彼の言う○○町というのも記憶がなかった。 Eさんは代わりに聞ける人がいないかと、辺りを見回したが、誰もいなかったそうである。 その時、ふいに男性が言った。 「帰れなくなっちゃった、、、」 あまりに耳元のすぐ近くで声がしたので、驚いて振り返ると、男性の姿はなかったそうである。 |
第七十四話 バス |
M駅からバスに乗ると、その終点がKの家の近くである。乗客のほとんどは、途中のバス停で降りてしまう。終点まで行くのがK独りになることも多いそうである。Kによれば、本数が少ないバスよりも、鉄道を利用したほうが便利だからだろう、ということである。 それは、夏の昼日中の話だという。 終点近くなって、いつものように車内にはK独りになっていた。 終点のひとつ手前のバス停でバスが止まった。もちろん、Kが停車ボタンを押したわけではない。運転手は、乗り入れ口を開いたそうである。 Kは、終点ひとつ前なのに、こんなとこから乗るのかなあ、と思ったという。なかなかドアは閉まらない。 そのうち、老人か、と思い直したという。老人ならパスを持っているし、ひと区間分でも乗るのだろうと思ったのだ。Kは窓から停留所を見たそうである。 ところが付近には誰もいない。 変だな、と思っていると、運転手は乗り入れ口を閉め、車内ミラー越しに何かを目で追っている感じである。 やがて、「発車しま〜す」とアナウンスすると、バスが走り出した。 Kは「ああ、乗せたな」と思ったそうである。 終点で、おや、という風に客席を振り返っている運転手を尻目に、Kはバスを降りたそうである。 |
第七十五話 煙 |
N子さんが高校生の時の話である。ある夏の日に、友人たちがN子さんの家に遊びにきた時のことだという。 母親が「カメラにフィルムが余ってるから」と言うので、N子さんは遊びにきた友達を撮っていたという。他愛もない話は、いつしか怖い話となり、きゃあきゃあと時の経つのも忘れて怪談話に興じたそうである。 翌日、母親が部屋に怒鳴りこんできたという。 「煙草なんか吸って!」 N子さんには、何を言っているかわからなかった。すると母親は、写真を突き出したという。それは、昨日N子さんが撮った写真であった。 アングルに覚えがあった。それは最後に、怪談話に興じていた時に撮ったものだ。輪になって楽しげに話をしている友人たちの上方を、確かに煙草の煙にしか見えないものが、多量に漂っているのが写っていたそうである。 「誰が吸ったの?! まさかアンタも吸ってるんじゃないでしょうね!」 誰も煙なんか吸ってないと言い返したが、結局信じてもらえなかったそうである。 |
第七十六話 奪衣婆 |
Gさんの友人のTさんの話であるという。 去年の夏、Tさんの故郷で小学校の時の同窓会があったそうだ。飲み会も進み、馬鹿馬鹿しい数々の思い出話もひと息ついた頃、同級生の一人が言った。 「でも、あれは怖かったなあ」 「Tの机の上だろ。俺、おしっこ、ちびっちゃったもん」 突然、自分の名前が出て、Tさんは「なんだ、なんだ」と聞いたそうである。 二人は顔を見合わせ、「まあ、まだ生きてるし、元気そうだから」と言い、その事件を語ってくれたそうである。 2人は、夏休みにプールに来ていたのだそうである。 忘れ物があったので、ついでに教室に取りに行くことにした。誰もいなくなった校舎は薄暗く、遠くのプールの方からたまに聞こえる声以外、しんと静まり返っていて、すごく怖かったそうである。 さっさと忘れ物を取って帰ろうと教室に入ろうとしたとき、誰もいないはずの教室に人が居たのだそうである。 薄暗い教室の真ん中、老婆がぽつんと正座していたのだ。顔はわからなかったという。なぜなら、老婆は白い布をすっぽりと頭から被っていたのだという。それが、まさにTさんの机の上だったのだそうだ。 2人は悲鳴を上げて逃げ出したそうだ。 その内の1人は、その事件が起こる何日か前に、たまたまテレビで放送された「三途の河で死人の服をはぎ取る婆の話」を観ていたので、それに間違いないと思い、Tさんを連れに来たのだと思ったそうである。そして自分たちがこのことを他の人にしゃべったら、自分たちも連れていかれるに違いないと考えて、2人だけの秘密にして、誰にもしゃべらなかったのだという。 Tさんは、「そんな老婆に思い当たるふしはないんだけど」と首をひねったそうである。 |
第七十七話 時報 |
Sさんのアパートではラップ音がするそうである。 こわん、と、ベランダの鉄の柵が鳴るという。 その音は、季節・天気・気温にかかわりなく、毎晩2時前後に鳴るのだそうである。 |
第七十八話 そこに置くな |
Hが、高尾の古ぼけた二軒長屋のひと棟を借りていた時のことである。 Hは庭先に原付バイクを止めていたという。そこには、大きな庭石のようなものが地面から顔を出しており、なんとはなしにそれを目印にしていたのだという。 ところが、出かけようとすると、バイクの位置がずれていることがしばしばあった。気のせいかと思ったが、1メートル以上動かされている場合もある。 そこにはHしかバイクを置いていない。誰の邪魔になる場所でもなかった。 誰が動かしているんだと、Hは、しばしば窓から見るようになったという。しかし、いつまでも窓で監視しているわけにもいかない。ところが、トイレなどに行って戻ってくると、いつの間にかバイクが動かされてしまっていたのだという。 結局、Hはあの地面から顔を出ている石が嫌っているのかと思い、バイクを別のところに止めるようにしたという。 なお、Hによれば、その石にはノミか何かで削ったような浅い跡があり、「はか」と読めないこともなかったそうだが、確信はないという。 |
第七十九話 浜辺の少女 |
錯覚かも知れないけど、とT君が語ってくれた話である。 中学生の時、友人たち2人と近くの海に行ったときの話だという。まだ海開きの前で、日が暮れた浜辺にはほとんど人がいなかったそうである。 喉が乾いたというので、誰が買いに行くかとジャンケンをした。T君が負けて、近くの自動販売機にジュースを買いに行ったという。 戻ろうとすると、友人たちのところにぼんやりと白いものが見えた。 近づくにつれ、T君には、白いワンピースを着た女の子だとわかった。女の子は、T君の友達を見下ろすように立っていたという。 「俺のいない間に、ナンパしやがって」 T君はそう思って、急いで友人たちの元に駆け戻ったという。 「お〜い!」 T君がそう声をかけた途端、ゆらりと歩き出すように動いた女の子の姿が、闇に溶け込むように消えてしまったそうである。 振り返った友人が「でっかい声だすなよ、バカ」と言った。 「今いた女の子は?」と、しどろもどろに言うT君だったが、相手にしてもらえなかったそうである。 |
第八十話 伸びる手 |
タクシーの運転手さんに、「よくタクシーで幽霊話ってありますけど、ほんとですかね」と水を向けてみた。 すると、そうですねえ、と言って、「自分が一番怖かったのは」と語ってくれたのが、この話である。 このBさんの地元は多摩の方にある。今日はもう帰ろうかと思った深夜2時頃、赤坂で酔客を拾ったそうである。 お客の年齢は40代半ば、恰幅のいいサラリーマンだったそうである。行き先は、K市。丁度Bさんの帰る方向である。Bさんは、ついている、と思ったそうである。 もっとも、憑いていたのは、別のモノだった。 客の方は乗り込むとともに、寝入ってしまった。酔客の相手も面倒なので、近くまで行ったら起こせばいいと、むしろ好都合だったという。 しばらく走っていると、バックミラー越しに背後を見たBさんは、目を疑ったそうである。下の方はBさんの座席で隠れていて見えないが、その座席のむこうから、腕が這い上がってきたのだという。 じわりじわりと寝ている客の胸に這い上がるその腕は、まぎれもない、いるはずのない女性の手であった。 Bさんは、急ブレーキをかけて、車を停車させたという。 その衝撃で客が起きた。「なんや、なんや」と寝ぼけ眼で周りを見回す客を振り返ると、客の胸から女性の腕は消えていた。念のため、Bさんは座席の後を覗き込んだが、もちろん女性など隠れていなかったそうである。 「ここ、どこや」寝ぼけている客に、Bさんは「まだH駅の辺りです」というと車を発進させたという。 再び眠りこける客をバックミラーでちらちら見ながら、気のせいだったか、と首を傾げはじめた頃、Bさんの視界にまたあの腕が現われたのだという。 女性の腕は、再びじわじわと客の身体を這い上がる。そして、腕は客の喉元に達すると、ゆっくりと喉に手をかけたのだそうである。 「お客さん!」 Bさんは、思わず声をあげてしまったという。客が目を覚ますと、またあの腕は忽然と消えてしまった。 なんだ?、と聞く客に対し、「お客さんの行き先はK市でしたよね」とBさんは聞いた。 「そうだ、そうだ」と、また眠りこみそうになる客に向かって、Bさんは景気や野球の話を始めたそうである。 「寝かしちゃいかん」Bさんは必死だったそうである。 うるさそうに「うんうん」と応対していた客だったが、ふっと返事がなくなる。「お客さん、お客さん」と声をかけているうちに、またもや指先が座席の影からあらわれた。ところが、今度は先ほどまでと違ったそうである。指先が自分の方を向いていたというのである。 「かたつむりが這うようにね、じわじわ、私の座席に指が伸びてくるんですわ」 「お客さん!!」 Bさんは悲鳴をあげてしまったそうである。 「ううん?」と客が唸ると、バックミラーに映る腕は消えた。 あとはK市まで、その繰り返しだったそうである。K市でサラリーマンを降ろすと、逃げるように会社まで走らせたという。 その途中、何度も何度もバックミラーを見ずにはいられなかったそうである。 「あの人、どうなったんでしょうねえ」 最後にBさんがぼそりとつぶやいたが、私は、う〜ん、と呻くことしかできなかった。 |
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