闘技場


 1

 ボンベから空気の抜ける音が聞こえていた。
 身体が凍っているように冷たい。手足が棒のようだった。
 彼は目を開けてみた。
 ぼんやりした白い光が網膜を刺激する。
 軽い振動があって、目の前の壁が動いた。
 壁と思ったのは、自分の寝ているベッドの蓋に当たるもののようだった。

 ぎしぎしと音を立てるような背骨を曲げて、彼は起き上がる。
 やっと目の焦点が合った彼の視野には、薄暗い殺風景な部屋が映った。
 かび臭いにおいが一瞬鼻を掠めた。
 壁にはパイプなどが縦横に走っている。
 約5メートル四方の部屋には、自分の寝ていた棺おけのようなベッドが一つあるだけだった。

 そのときやっと自分が全裸なのに気づいた。
 部屋の端にある箱が目に入った。
 動くことに少し慣れた彼は、その箱を確認してみる。
 そこには衣類などが納まっていた。

 衣類を身につけた後、まだその箱には何かが入っていた。
 取り出してみると、鞘つきの小さなナイフだった。
 ベルトの横に引っ掛けるように装着できた。
 腹部が痛むような気がした。
 その時、自分がすごく空腹なのがわかった。
 見回すが、食べ物はなさそうだ。
 自分が誰で、どうして今ここにいるのかはまだわからない。
 しかし、とりあえずこの部屋から出て、食べ物を調達しないと遠からず死ぬだろうということはわかった。

 部屋には一つだけドアがあった。
 ドアの前に行ってみる。
 がっちりしたドアだ。
 引き手などは何もない。自動ドアなのだろう。
 しかし、彼が前にたっても開く様子はなかった。
 ここで少し焦りが出た。いや、恐怖といった方がいいかもしれない。
 このままこの部屋で干からびてしまう自分の姿が脳裏に浮かんだ。
 
 振り向いたりして他に出入り口がないか確かめた後、再びドアに向き直ったとき、ドアの一部が変化していた。
 モニター画面が映し出されていたのだ。
 『1+1=』
 という文字が浮かび上がっている。
 彼は迷わず、その下に並んだ文字の中から『2』を選んで押してみた。
 すると、次に『32−8=』という文字が現れた。
 ひょっとしたら、この問題に全部正解すればこのドアは開くのかもしれない。
 空腹感を抑えながら、期待を込めて『24』と入力した。
 問題は少しずつ難しくなっていったが、彼にとって難題といえるほどのものではなかった。
 次々に答えて行って、10回目にちょっとした難問が登場した。
 これが最後だという予感がした。

 13個の卵、という問題だった。
『卵が13個あります。その中の一個は偽者です。天秤を三回だけ使って偽者を見つけるには、どうすればいいでしょうか。ただし、本物はすべて同じ重さ。偽者が、本物より重いか軽いかはわかりません』
 
 今回は回答用に、キーボードも現れた。
 ちょっと考えた。
 偽者が重いか軽いかわかっていれば簡単だ。
 6個ずつ乗せて、釣り合えば一回で残りが偽者だとわかる。
 傾いた場合、偽者が重かったら、重かった方の3個ずつを乗せてみればいい。
 さらに重いほうから一個ずつ乗せてみて、重いのが偽者。釣り合ったら、残りの一個が偽者だとわかる。
 しかし、偽者が重いか軽いかわからなければ、この問題は解けないのではないかと思えた。
 しかし、この場合不可能問題が出るはずは無い。
 答えが絶対あるはずだ。

 彼は天秤に乗せる卵子数を変えたりして考えをめぐらす。
 そして、程なく答えにたどり着いた。

 その答えを、キーボードから入力すると、ブザーの音が軽くなって、ドアが左にスライドした。
 出たところには、左右に長い廊下が走っていた。
 黄色っぽい光が充満している。
 微かに風の流れを感じた。
 部屋の中と違って空気がきれいだ。

 目の前の台車に、彼の欲していたものが乗っていた。
 彼はまずカップを手にとって、温かいミルクを一口飲んだ。
 そして、玉子焼きの挟まったパンや、ハムなどをじっくり租借しながら胃に送り込んだ。
 身体が生き返る。
 すべての細胞から、歓喜の声が聞こえてくるようだった。
 一通り食べ終えた後、彼は粉を固めたような物を入るだけポケットに詰め込んだ。
 

 2

 さてどうするか。
 とりあえず差し迫った欲求は満足できた、しかしここにとどまっていれば再び飢える事は目に見えている。
 出てきた部屋を覗いてみた。
 棺おけが一つ置いてあるだけのその部屋には、もはや何の用もない。
 では、右にいくか、左に行くか。
 両方の進路には、特に違いは見当たらない。
 どちらも、先の方がゆるいカーブになっていて同じような距離までしか見渡せなかった。
 無機質な景観にも変わりはない。
 彼は部屋に向かって右側に進路を決めた。
 特に理由はなかった。
 あえて言えば、そちらが風上に思えたからだ。

 ゆるく曲がるカーブを歩いていく。
 床は衝撃吸収剤でできているらしく、足音もしなかった。
 灰色の床とクリーム色の壁がずっと続いている。
 時折その壁に扉が現れるが、開く気配はなかった。
 
 どのくらい歩いただろうか、注意深くゆっくり来たからそれほど距離は歩いていない。
 また、同じようなドアが左側の壁に現れた。
 しかし今度はこれまでとは違っていた。
 彼がその前に立つと、ドアが音もなく開いたのだ。
 中を覗き込むと、円形の部屋はかなり広かった。
 二十人くらいの男女がダンスを踊れるくらいの広さはある。
 
 彼が部屋に足を踏み入れると、中の照明が一段明るくなった。
 彼の後ろでドアが閉まる。
 部屋に閉じ込められたようだ。
 とっさに振り向いてドアを叩くが、びくともしない。
 再び部屋を観察する彼の目がいやなものを見つけた。

 壁の一部が開いて、中から黒い物体がせり出してきたのだ。
 それは黒い金属でできた人間だった。
 ロボットと言う言葉が頭に浮かんできた。
 軽い電子音を響かせながらロボットが彼の方に向かってくる。
 右手に持った棍棒を振り上げるそのロボットは、彼に対して好意を持っているとはとても思えなかった。
 とっさに避ける彼の体のそばを、いやな風きり音を残して棍棒は過ぎ去った。
 ロボットの横から後ろに回りこむ。
 振り向くロボットの胸を蹴った。
 ロボットは、よろめいたが再び棍棒を振り上げる。
 襲われる理由がわからなかったが、自分を守るためには手段は選べない。
 彼は腰に下げていた唯一の武器であるナイフを抜き取った。
 しかし金属のロボットにはナイフは通用しそうにない。
 ずっしり重そうな棍棒をロボットは振り回してくる。
 後ずさっていたら、背中に冷たい壁の感触がした。
 ロボットが両手に棍棒を持ち、大きく振りかぶった。
 恐怖が大きくのしかかってくる。
 
 もうだめだ。目を閉じようとした彼の視界に赤や黄色の色彩が映った。
 大きく振りかぶったロボットの首に隙間が見えたのだ。
 そこを走るコードの色だった。
 彼はロボットに抱きつくように踏み込んだ。
 彼の背中が付いていた壁に棍棒が当たり重々しい音を立てた。
 彼のナイフがロボットの首筋を横に切り裂いた。
 バチッと音がして、火花が散る。

 しりもちをついた彼が、ゆっくり目を開くと、がっつりと壁に棍棒を打ちつけたまま、ロボットは彼の頭上で動きを止めていた。
 大きくため息をつく。
 いったい自分のこの境遇はなんなのだろう。
 しかし考えはすぐに停滞してしまう。
 考えを進めるためのデータを、彼はまだ何も持っていないのだった。
 
 半分予想していたことだったが、戦いが済んだら扉が開いた。
 しかし、入ってきた扉とは別の扉だった。
 ということは、この部屋に入らなければ行けなかった場所への扉が開いたと言うことだ。
 戦いをしていなければ、そして勝たなければ、その扉は開かなかったはずなのだ。
 そのことから何が考えられるだろう。
 一つだけ小さなデータが得られた。
 それを頭の中で吟味しながら、彼はその部屋を出た。
 
 3

 幅二メートルほどの廊下は、しばらく行くと右に直角に曲がっていた。
 その先は階段になっていて、上に続いている。
 水の流れる音が聞こえていた。
 その瞬間、とても喉が乾いてるのを感じた彼は足を速める。
 階段を上った先に、泉があった。
 円形に囲いがあって、その中に岩山が作られている。
 その頂上からきれいな水が流れ落ちていた。
 彼は泉の中に入り込み、流れ落ちる冷たい岩清水を手ですくって飲んだ。

 目覚めてからどのくらいの時間が過ぎただろう。
 1時間くらいの気もするし、5時間ほどたつような気もする。
 なぜあそこに寝ていたのだろうか。
 それ以前の記憶が、自分にはまったくない。
 それは不思議なことなのだろうか。
 彼は濡れた手のひらを見つめた。

 岩山の奥の方から悲鳴が聞こえた。
 彼はすぐに泉から出て、逆側に回る。
 若い男が一人、転げるようにして泉のホールに逃げ込んできた。
 その男に取り付くように、黒いロボットが襲いかかっている。
 ロボットの腕が振り上げられる。
「首筋だ。ナイフで切れ」
 響いたその音が自分の声だというのに気付くまでしばらくかかった。
 そしてそのときには戦いは終わっていた。

「大丈夫か?」
 あらためて、言葉を発するのが奇妙に思えた。
 憶えている限りでは、生まれてはじめて他人と話をすることになるのだ。
「ありがとう。おかげで助かった」
 整った顔をした若い男は、動きを止めた黒い鉄の塊のしたから這い出てきた。
 立ち上がると、その男は彼よりも少し背が低かった。
 金色の髪は長くしなやかだ。
「僕はジュン、君は?」
 名前? 自分にそんなものがあったのか?
 しかし、考えると同時に答えは浮かんできた。
「エイト……みたいだ」
「みたい? 変な奴だな」
 ジュンの顔がほころんだ。
 笑顔というのをはじめてみた。
 自分の頬も自然と持ち上がってるのを感じた。自分も今同じような表情をしてるんだと気づいた。

「実は俺は記憶喪失みたいなんだ。数時間前に目が覚める以前のことはまったく覚えていない、いったいここは何なんだ?」
 目覚めてからずっと抱いていた疑問を吐き出した。
「境遇は僕も同じだよ。変なカプセルの中で目覚めて、やっと部屋を出たと思ったらあの黒いロボットが襲い掛かってきた」
 疑問が解けるかと思った高揚感がしぼんでいく。
「まあ、でも二人の方が心強いな」
 ジュンは言いながら左手で右腕をさすっていた。
「大丈夫か?怪我したのか?」
「たいしたことないよ、軽い打撲だ」
「あそこの泉の水で冷やすといい。そうだ、腹は減ってないか?」
 彼はポケットの中からビスケットを取り出した。
「そいつは助かるな。実は腹ペコだったんだ」
 ジュンが嬉しそうにビスケットをもらってかじりついた。
 
 同じような境遇だといっても、まったく同じではないのだな、と彼は思った。
 自分のときは、ロボットが襲い掛かってきたのは、別の部屋の中でだった。
「これからどうする?」
 ビスケットを食べて少し落ち着いたジュンが聞いてきた。
「さあな。先に進むしかないだろう。このままここに居ればそのうち飢える」
「そうだね、でもどっちにいく?」
 彼は泉のホールから出て行く道を指差した。
「あれだろうな。俺が来たのが向こうの階段で、お前がそっちの通路だったから、それ以外の道はあそこしかない」
 二人はしっかりした足取りで泉のホールを後にした。
 動かなくなった黒い塊の目だけが、その二人の背を追って動いた。

 4

「ここは宇宙船の中なんじゃないかな」
 歩きながらジュンが言った。
「宇宙船?」
「星間航行をする船だよ、知らないか?」
「そのくらいは知ってる。でもどうしてそう思う?」
「ずっと低い振動音が聞こえるだろう、何かのモーターが動いている。これは船内に空気を循環させるシステムだよ」
「それくらいは普通のビルでもあるだろう」
「それに、窓がない。普通のビルなら窓くらいあるだろう?船にしたって、他の乗り物にしたって、窓がないのは変だ。窓がない乗り物は宇宙船か潜水艦くらいのものだ」
「地下の施設って考えもあるぞ、地下なら窓はないだろ」
「なるほど、確かにそうだね。では、地下の施設か、宇宙船かということにしよう。では、今度は僕らはいったいどういう状況にあるのかだ」
「何か考えがあるのか?」
 さっき聞いたときはジュンは自分も知らないと答えた。
 あれから新しいデータは特に何も得られてはいない。
「ひとつ言える事は、僕らの状況は偶然ではありえないということかな。二人が同じように目覚めて、同じロボットに襲われるなんて、そんな偶然は起こりそうにない」
「ということは?」
「僕らの今の境遇は誰かが仕組んだものだということだよ」
 なるほど、他の誰かの意思というのは考えなかった。
 ジュンは自分よりも頭がいいのかもしれない。
 だとすれば、ともに行動するのは自分にとってもプラスになるだろう。
 彼は肉体的にはあまり頼りになりそうにないジュンの細い腰を見つめて思った。
「誰が仕組んだのか、そして何のために仕組んだのか、それがわかればな」
 腕組みしたジュンがため息をついた。
「想像もつかんな。こんなことをして面白いのか?」
 彼の言葉に、数歩前を歩くジュンが振り向いた。
「そりゃ面白いだろうな。そうだ、それがあった。娯楽ってやつだ。地下にしろ宇宙にしろ、その誰かはとても退屈してた。何かして楽しみたい。人間狩りはどうかなって考えた
のかも」
「あまり楽しくない想像だが、どうやらもっと嫌な相手が現れたようだぞ」
 通路の側面のドアが開いて敵が現れた。
 今度もロボットだったが、さっきのとはタイプが違っている。
 より頑丈そうで強そうなロボットだった。
 じわじわ近づいてくる。
 狭い廊下では戦いにくい。
「どうする?」
 ジュンが聞いた。
「俺が引き寄せるからお前は脇をすり抜けて行け」
「大丈夫?」
「たぶんな、後ろにいろ」
 彼はジュンを後ろに下がらせた。
 重量感たっぷりの敵が右手を振り上げて迫ってきた。
 このロボットは頑丈そうだが、スピードはそれほど速くなさそうだった。
 足取りが重おもしい。
 その一撃を交わすのはた易かった。
「いまだ走れ」
 後ろのジュンを送り出す。
 ジュンは素早くロボットの脇を抜けていった。
 ロボットはそれには目もくれずに、二撃目三撃目を繰り出してきた。
「早く、こっちだ」
 ジュンが20メートルほど先のドアの前で叫んでいた。
 ドアが開いている。
 
 彼は攻撃をかわしながら反撃する隙を狙っていたが、最初のロボットと違って、このロボットには首筋にコードは見えない。
 弱点がなかった。
 反撃するのはあきらめて、彼もロボットの横をすり抜けて走った。
 後ろからロボットがうなりをあげて追ってくる。
 しかしそれほど速くはない。
 重量があるから速くは動けないようだった。
 ジュンに続いて彼は部屋に入った。
 
 この部屋はずいぶん天井が高い部屋だった。広さもかなりある。
 正面の壁には取っ手のようなものがたくさん生えていた。
 その壁の上はスペースが開いている。
 ここをつかまって上って、向こうにいけるようだった。
「行くぞ」
 彼が言うよりも先にジュンが壁に取り付いた。
 彼も取っ手を持って壁を登り始める。
 見下ろすと、壁のぼりの機能はないのか、追ってきたロボットが彼の足の下1メートルのところで思案するように行きつ戻りつしていた。
 壁のぼりは思ったほど簡単ではなかったが、自分にしてもジュンにしても必死だったからか、何とか落ちることなく上まで登ることができた。
 彼らの足の下30メートルの地点で、まだロボットはうろうろしている。
「何とか危機脱出だね。これは正解だったかな」
 額の汗を左手の甲でぬぐったジュンが言った。
「正解?どういう意味だ?」
「これが仕組まれた罠なら、それを抜ける方法も用意されてる気がしてね。最初のロボットは首筋に弱点があったけど、あれには無かっただろ」
「ということは、戦わずに逃げるのが正解だということか」
「まあ、そんな気がしただけだけど」
 そういえば最初からそんな感じだった。
 最初の部屋を出るのにクイズを解かされたりしたし。
「つまり、ここの罠は俺たちを試してるって事かな」
「それ、ありえるね。これは試験かもしれない」
「命をかけた試験か、合格したらさぞかしすごい褒美が待ってるんだろうな」
 身体の疲れも取れたようだ。
 二人は再び立ち上がると、手招きしてるかのような出口に向かって注意深く進んでいった。


 5


「試験だとしたら、何のための試験だろう」
 通路を歩きながら彼は独り言のように言った。
「頭脳、体力などが一定のレベル以上にあるかを試してるわけだよね」
 横を歩くジュンが指を空間に泳がせる。そこに頭脳と体力が存在するように。
「ひょっとしたら製品テストかもしれない」
 いきなりジュンが意味不明の事を言い出す。
「なんだって?製品?」
「僕らは記憶がない。ひょっとしたら人間じゃないのかもしれない。人間そっくりに作られたロボットなのかも、そしてこれはその製品テスト」
 やっと意味が通じた。
 しかし、それは本人すら冗談で言ってるというのがわかった。
 自分自身が人間で無いとはとても思えないからだ。
 呼吸しているし、空腹感も感じる。
 つねると痛みさえ感じる。
「でも、そういう風に作られているのかもしれない。人間とまったく同じように」
 ジュンの言葉は次第に彼をいらだたせた。
「なんのためにそんなロボットを作る必要があるんだ? 人間みたいに弱いロボットを作っても意味無いだろ」
「弱いかな? 現に僕たちは数々の難関を切り抜けてきたよ」
「ちぇ、ああ言えばこう言うってやつだな、お前は。自分がロボットかどうか判断する方法はないのか?」
「無いね。金属製かどうかは簡単にわかるけど、ロボットかどうかというのはその頭脳が生物か、非生物かでしか判断できない。頭を叩き割ってみることができない以上、判断しようがないよ」
 ジュンの話し方は面白がってる人間のもののように思えた。
 同じ状況におかれても、悲嘆にくれる人間もいれば面白がる人間もいるということだろうか。
 人間性という言葉が不思議なニュアンスで思い起こされてきた。
 そのとき、遠くから悲鳴が聞こえた。
「どうやら新製品は俺たちだけではなさそうだぞ」
 彼はジュンを従えて悲鳴のした方向に走り出した。

 先ほど自分たちが登ってきたのと同じような部屋だった。
 つくりは同じだが、別の部屋だ。
 その上から、壁の下を見下ろしている。
 そこでは一人の男がロボットから逃れて壁を登ろうとしているところだった。
「早くしろ、急いで」
 彼の叫びに、下の男が顔を上げる。
 髭の生えた男だった。悲しげな目をしていた。
 その男にロボットが迫る。
「早く壁に上って」
 ジュンが金切り声で叫ぶが、男はもたもたしてなかなか上ってこれずにいる。
 ロボットが近寄ってきた。
「だめだ、逃げろ」
 彼も叫ぶが遅かった。
 壁の下の男はロボットに押しつぶされるように見えなくなった。
 ロボットが起き上がる。
 ぐったりした男を担ぎあげて、こちらには目もくれないで部屋から出て行った。
「この罠を仕掛けた奴は本気なんだな」
 へたり込んだジュンがこぼした。

 元の通路に戻り、方向を確かめて二人は歩き出した。
 通路には時おりドアが出てくるが、ほとんどのドアは開かない。
 開くドアと開かないドアがあるということは、自分たちは奴らの進ませたい方向に進んでいるということだ。
 敷かれたレールに沿って進んでいる。
「ということは、奴らを出し抜くのは簡単じゃないか」
 彼はジュンにひらめいた考えを披露した。
「まあそうだけど、どうやって開かないドアを開けるかだね」
 どうしようもないという風にジュンが手を広げた。
「鍵を壊せばいい」
「どうやって?」
「何か……大きなハンマーでぶち破る」
 答えが見えてるような気がして、頭の中を探るようにつぶやいた。
「でもその大きなハンマーが無い」
「丈夫で重々しいハンマー……」
 ジュンも思いついたのだろう、その先は二人同時に同じ言葉を叫んだ。
「あのロボットだ」


 6


 二人は自分たちが登ってきた壁の部屋まで引き返した。
 さっきの男が捕まった部屋の方が近かったが、あのロボットは任務完了して格納庫に戻っている可能性が高いと考えた。
 その点、自分たちを追っていたロボットは二人が壁を上って逃げるのを下でずっと見守っていた。
 任務完了していないからまだ下にいるかもしれない。

「律儀にまだ居たな。じゃあ俺はこっちから降りる。お前はここに居てもいいんだぞ」
 ダークグリ−ンのロボットを見下ろしながら、彼は言った。
 下りる方が上るより危険なのだ。
 二メートルはある巨体のロボットがプラモデルみたいに小さく見える。
「いや、僕も行くよ。君だけ危険な目にあわせるわけにはいかない」
 なぜいかないのか、彼にはピンとこなかったが、まあいいだろうと言って壁を下り始めた。
 上るときは夢中で気付かなかったが、この壁は滑らかな垂直ではなかった。
 うねるような起伏がある。
 しかも場所によっては大きく逆勾配になっているところもあった。
 目的を失って途方にくれていただろうロボットが、二人の下でご馳走を待つ犬のように、尻尾の変わりにその太い腕を振って低い唸りを上げた。

 二人は離れた位置から降りていき、先にジュンが囮になった。
 ジュンがロボットの手の届くくらいまで先に下りてロボットをひきつける。
 その隙にジュンより高い位置に居た彼が飛び降りた。
 降り立った彼をめがけてロボットが近寄るうちに今度はジュンが飛び降りる。
 ロボットを引き連れたまま二人は走って適当なドアを探した。

「あれなんかいいんじゃない?」
 ジュンが指差す先にはT字路の正面にグレーのドアが見える。
 小さめのドアだった。
 これまでこの施設の中をさまよっていてわかったことなのだが、ドアには二枚分の幅のドアと、一枚分の幅の狭いドアがあるようだった。
 思えば最初に目覚めた部屋のドアも狭い方のドアだった。
「都合がいいな、あれにしよう」
 最初はドアの前に立って、走ってくるロボットを避けてロボットにドアを破らせることを考えていたが、そううまくはいかなかった。
 もともとそんなにスピードの出ないロボットなのだ。
「ちょっとどいてろ」
 彼はジュンを脇にどけさせた。
 役には立たないかもしれないが、腰のナイフを抜いた。
 目の前の巨体が、スイカくらいもある拳を振り上げた。
 叩きつけて来る拳を避ける。
 その拳がドアをたたいた。大きな音が耳をつんざく。
 一度では壊れなかったドアも、3回目で大きくしなって鍵が壊れたのがわかった。
「先に入れ」
 彼はジュンに言って、ロボットを左の通路にひきつけた。
 ジュンが部屋に入るのを見届けると、ロボットの横を素早く抜けて、回り込む。
 フェイントを使うことで、この鈍重なロボットから容易に逃げられることを彼はすでに学んでいた。

 ロボットは、そのドアをくぐることができない。
 幅が狭いから入れないのだ。
 その点都合のいいドアだった。
 部屋の中は、これまで見て来たのとはかなり趣が異なっていた。
 棚が並んでいて、荷物が積み込まれている。
 死角が多く部屋の奥まで見通せなかった。
「ジュン何処だ?」
 彼は積み上げられた用途のわからない物体を観察しながら奥に進んだ。
 天井は廊下と同じくらいの高さで、幅は5メートルほど、奥行きはその倍くらいある部屋だった。
 薄暗い。
「こっちだよ、面白いものを見つけた」
 声の方にいくと、ジュンがデスクに向かって、モニターを眺めていた。
 部屋の入り口を振り向いてみると、入り口から1メートルくらいおいてロボットがおとなしく立って居るのが見えた。
「なんなんだ?」
 ジュンの横に立って彼は聞いた。
「古くなって廃棄されたパソコンかな。ここは不要不急のものを保管する倉庫なんだろうね、古いパソコンとはいえ電源は入るし、データも消されてないようだよ」
 彼もモニターを覗き込んだ。
『WINDOWS2500』の文字が一瞬出た後、デスクトップが現れた。
「何かめぼしいデータはありそうか?」
「ちょっと待って。あった、ここかな」
 ハードディスクの中身を吟味したジュンが、ひとつのフォルダーを開く。
『船内報』というフォルダーだった。
「やっぱりここは宇宙船の中みたいだ。これはこの船の新聞だよ。ちょうどいいものがあった、これで僕らの境遇がわかるかもしれない」
 ジュンは記事を一つ開いた。

 船内報 2502 1120
 ☆ 新型ウィルス発見される。致死率65%空気感染
 なぞの疾病の病原ウィルスを確認。すでに感染率は船内の人員の9割に及んでいるものと思われる。ワクチンの製造はこれから始められるが、おそらく間に合わないだろう。
 乗員は栄養状態を良好に保ち、安静にしていることが必要。
 
「何だ? この船の乗員は伝染病で死んじまったってことか?」
「これが一番新しい船内報だけど、このパソコンは廃棄されてからかなり時間がたってるみたいだから、この後どうなったかはわからない。でも、僕らは伝染病の生き残りかもしれないね」」
「その病気にかかったせいで記憶がないのかな」
「その可能背はありうると思う」
「じゃあ今になって俺たち、それに他のやつらも目を覚ましたって事は?」
「船の中の病原体が消えてしまったからかも。その時に目を覚ますようにセットされていたのかもしれない」
「しかし、それじゃああのクイズの意味は何だ?」
「目を覚ましても、気の狂った乗員が船を徘徊したら破壊活動をしかねない、記憶がないこともあるし、精神に異常をきたす病気だったのかもしれない」
「なるほど、そこまでは納得できるな、でもロボットが襲ってくる理由がつかないぞ」
「確かにね。その点はお手上げだ。伝染病を生き残るためにカプセルに入ってたとしたら、クイズを解いて部屋を出たとたんにロボットたちの歓迎を受けるはずだよね」
「他の船内報は?」
 ジュンが一番古い記事を開いた。

 船内報 2478 0402
 ☆出発の日。人類の唯一の希望 ノア号が新たなる大地を目指す。
 0700時 地球の軌道を離れたノア号は100年の航海を開始した。
 もはや見送るもののない地球は薄い黄色のガスに覆われたままだった。夜の部分には光も見えず、昼の部分からも放送電波すら来ない。
 周囲を回る衛星都市のいくつかの祝福を受けて、われわれはアルファケンタウリを目指す。
 乗員1万人のなかで、この旅の終着駅をみるものは居ないだろう。
 それはわれわれの子供たち孫たちの時代に達成されることになるのだ。

「今はいつなんだろうな。この数字は日時を意味してるのだと思うが」
「ちょっと待って、今の時間ならこのパソコンの時計でわかるはずだ」
 ジュンがカーソルをカレンダーの場所に当てる。
 モニターには『2701 0930』とでた。
「2701年だと? おかしいじゃないか。出発から200年たっている。とっくに目的地についている時間だぞ」
「本当だ。つまりこの病気の所為で予定が大幅に狂ったんだろうな、ちょっと、少し寒くないか?」
 ジュンの言葉に、彼も、鳥肌が立ってるのは今わかった奇妙な真実のせいばかりではないと気づいた。
 気温が下がっている。
「どんどん寒くなるな。このままじゃあ凍えそうだ」
 二人は震える身体を寄せ合った。
「気づかれたんだよ、僕らを操ってるやつに。やつらがこの部屋から僕らを追い出そうとしてるんだ」
「この倉庫からは奥にドアもない様だな。あのロボット振り切るにはやっぱりあの壁を登るしかないか」
 彼は入り口を振り向いた。
 周囲の気温はすでに氷点下になってるようだ。
 目が見えにくいと思ったらまつげが凍り付いていた。
「せっかく倉庫に入ったんだ。何か武器になるものでもないかな」
 ジュンはデスクを離れると、棚の周りを調べ始める。
 彼も同じようにするが、指までかじかんでくる。
「あんまり時間はないな」
 言ったとき、彼の目の端に格好のものが見つかった。


 7


二人は再び鈍重なロボットの横をすり抜けるようにして壁をよじ登った。
 壁の上から下でうろつくダークグリーンのロボットを見下ろして、彼は言った。
「さっきは寒くてそれどころじゃなかったが、俺たちが伝染病の生き残りって線は薄そうだな」
 二度目の壁のぼりで疲れたのか、ジュンは座り込んだまま、そうだねと答えた。
「伝染病が流行ったのが2502年だとすると、それから200年過ぎてることになる。
君はどう見ても30以上には見えない」
「お前も、20代前半にしか見えん」
 ジュンの滑らかなうなじに視線をやりながら彼も言う。
「という事は伝染病の頃は、まだ生まれていなかったことになる。どういう風に伝染病が治まったかはわからないけど、それから逃れるためにカプセルに入ったというのはあり得ないよ」
 うつむいたままジュンが首を振った。
「二百年近く冬眠していなかったとすれば、だけどな」
「そうだね。年をとることなく冬眠できるのなら、また変わってくる。あり得ないと思うけどね」
「どうしてあり得ない?」
「だって、そんなことができるなら乗員は交代で冬眠するとかすれば目的地まで生きて到達できるはずだろ、さっきの記事ではそういう技術がありそうには思えなかった」
「まあな。でもあの記事が書かれてから200年たってるわけだから、今でもないとは言えんぞ」
 彼の言葉に、ジュンが弱弱しく笑った。
「まったく。記憶がないのがいらだたしいね」
「伝染病のワクチンも、もうできてるはずだよな」
「その必要があれば……もうできてるだろうね」
「大丈夫か?」
 なかなか立ち上がらないジュンに彼が手を差し伸べた。
「ありがとう、血糖値が低くなってきたみたい、つまり腹ペコなんだ」
「そうか、ビスケット3枚だけじゃな」
 ジュンが彼の手を借りてようやく立ち上がる。
「先に進むことにしよう、俺たちを覚醒させたやつらが、俺たちを飢え死にさせる気がな
いなら、この先に食料くらいあるだろう」
 ひとつうなずいたジュンとともに、彼は一度通った道を歩き始めた。

「そうだ。僕らを覚醒させた奴のことだけど、今まで僕らは、そいつはロボットも操っていると思っていたよね」
 ジュンが何かひらめいたようだった。
「まあそうだろうな」
「でも、そう考えると不合理なんだったよね。だって、わざわざ覚醒させておいてロボットに襲わせるんだから。変だ。ひょっとしたらそうじゃないかもしれない。ロボットはそいつの指令で動いているのではないのかも……」
「どういうことだ?」
「つまり、ロボットを操る意思とは別の者が存在する可能性。ロボットはおそらく船のコンピューターに操られてるだろう。そして船のコンピューターが何らかの理由で人間に反抗しだしたとしたら、僕らを覚醒させたのは人間側の意思であり、僕らにロボットたちを撃破して欲しかったとか」
「うーん、なんか映画なんかにありそうなストーリーだな。やや荒唐無稽に近い」
「そうかな……」
 横を向いたジュンは少し気分を害したのかもしれなかった。

 しばらく敷かれたレールの上を進むようにしていると、彼らの前に望んでいたものが見えてきた。
 通路の端に食料を載せた台車が現れたのだ。

「わお、ご馳走だ」
 それまで力が入らないのかのろのろ歩いていたジュンが目の色変えて走り出した。
 苦笑いしながら彼も続く。
 しかし、そのとき物陰から飛び出してくる者が居た。
「危ない、ジュン、逃げろ」
 食事の台車しか見ていなかったジュンはそれに気づくのが遅れた。
 体当たりを受けて転がる。
 ロボットかと思ったが、襲ってきたのは人間だった。
 ジュンに馬乗りになって両手に持ったナイフを振りかぶる。
「止めろ、動くな」
 必死に叫ぶ彼からは、まだ10メートル離れている。
 間にあわない。
 目を瞑った瞬間、轟音がこだました。
 目を開けると、血まみれになった男がジュンの横に倒れていた。
 ジュンの手には、先ほど倉庫で見つけた拳銃が、銃口から白煙をかすかに上げながら握られていた。

「あの時は仕方なかった。もうくよくよするな」
 彼は食事もとらないジュンの肩を抱くようにした。
 台車の上にあった食料は袋に詰めて持ってきてある。
 あの場所からは10分ほど先に歩いてきたところだ。
 しかし、彼の言葉も聞こえないように、ジュンはうつろな足取りを進めるだけだった。
「仕方ないなんてあるだろうか。僕はこの手で人を殺してしまったんだ」
「やらなきゃお前が殺されていたんだぞ」
「僕が殺された方がよかったのかもしれない。僕が生き残った方がよかった理由なんてないだろ」
「何言ってるんだよ、正当防衛じゃないか」
「自分を守ることってそんなに大切なことかな」
 なんか話がかみ合わない。
 彼はじれったさに頭を掻き毟りたくなった。
「わかったよ。悔やむだけ悔やんだらいいさ。しかし、済んだ事は元に戻らないんだ。今となっては、あいつの分まで生き残る義務ができたんじゃないか?」
 やっとジュンが彼の方を見た。
 泣き顔のジュンはいとおしかった。

 公園のような場所に来ていた。
 噴水があって、ベンチがある。
 本物かどうかわからなかったが、樹木さえ生えていた。
 そのベンチに二人は腰掛けた。
「わかった。もう君を困らせないから。でも、あいつはどうして僕に襲い掛かってきたんだろう」
「さっぱりわからん。ロボットに追い詰められて狂ってたのかもしれない、あるいは、伝染病が再発したとか」
 自分で言いながら、その可能性にぎょっとなった。
 もし病気が再び発生していたのなら、自分たちも気が狂ってお互いに殺しあうことになるかもしれない。
 そのシーンはロボットが襲い掛かってくるよりも、彼に恐怖感を与えた。
「食べるよ」
 ジュンが言って、食料の包みを解いた。
 ジュンが食べている間、彼は先ほどのことを再び考えていた。
 台車の食料に向かってかけていくジュン。そしてそれを待ち伏せしたかのように、飛び掛る男。
 そうだ、まるで待ち伏せしていたみたいだった。自分で食べることもせずに、誰かが来るのを待っていた。
 罠にかかった獲物を捕らえるように、ジュンに飛び掛る。
 やつの誤算は、俺たちが二人だったことと、ジュンがピストルを持っていたことだ。
 両方とも予想外のことだったんだろう、男にとっては。
 
 まるで、自分以外はすべて敵と思ってでもいるかのようだ。
 自分以外はすべて敵。その言葉は、彼の記憶のどこかにひっかかる気がした。

 

 8


 食事もすんで落ち着いたジュンとともに、彼はさらに奥までの道を進んだ。
 目が覚めてどれくらいになるだろうか。
 まだ眠くはならないから、一日はたたないはずだ。
「ピストル、君が持っててくれないかな」
 ジュンが弱気な声を上げた。
「お前が持ってる方が、俺にとっても心強いんだけどな」
 それはピストルを棚の上から発見した後に言ったことだった。
 自分が持っていれば、攻撃できる人間が一人だが、自分がナイフ、ジュンがピストルを持っていれば、二人で攻撃できる。
 それに、ジュンはピストルで自分の身を守れるから、ジュンのことを心配せずに行動できる。
 ロボットの装甲を壊せるかどうかは難しいかもしれないが、ピストルの通用しないくらいに装甲の頑丈なロボットは動きが鈍いし、逃げ切れないくらいに素早いロボットはそれほど頑丈には出来ていないだろうと思われる。

 ジュンの気持ちはわかっていた。
 しかし、すんなり言うことを聞くのは、ジュンの為にもならない気がした。
「俺のためだと思って持っていてくれないか。万一のとき俺を援護してほしいんだ」
 そういう言い方をすれば、ジュンが断れないと思った。
 自分のわがままのために相手を危険にさらすことになるのだから。
 案の定、ジュンは黙ってうなずいた。

「この試験はどのくらい続くんだろうな」
 気分を変えるために彼は言ってみた。
「さあ。もうそれほど長くはないと思うけど」
「何のための試験なんだろうな」
「わからない。でも、伝染病が発生しなければこんな事にはならなかったはずだよ」
「そうか。あれがまず始めの間違いだったんだからな。航行開始から24年目のことだったな。一万人の乗務員。最初はみな20から30代くらいか。それが40から50代後半になるころだ。そのとき伝染病が発生した。しかし、この閉鎖された宇宙船の中で、まったく未知の伝染病が発生するものなのかな」
「どうだろう。ウィルスはいろんな物が人間の周りにはあるだろうけど、それが突然変異したんじゃない?」
「しかし、それにしてはあまりに凶悪すぎないか?致死率65パーセントというのは相当悪どいウィルスだぞ」
「何が言いたいの?」
「細菌兵器とは考えられないか?」
「こんな移民船に細菌兵器なんていう装備があるかな?」
「だから、誰にも知られないように持ち込まれたとしたら。つまりテロだ」
「しかし、それはちょっと考えにくいよ。密閉された宇宙船の中でウィルスをばら撒くなんて。自分たちも死んでしまうじゃないか」
「テロリストはワクチンをうっていたとしたら?周りが死んでも自分たちだけは助かることになる」
「なるほど、そうなれば船は自分たちのものだ。行き先を変えるのも自由だ」
「だから100年たっても目的地に着かないのかもしれない」
 沈んでいたジュンの目が活気を取り戻していた。
 下からジュンの潤んだ目が見上げてくる。
「それ、いい線いってると思うよ。じゃあ、僕たちは何なのだろう」
「テロリストしか生き残れなかったのなら、俺たちはその子孫ってことになる。そうだ。
ロボットは元の乗務員側で、テロリストたちはロボットに殺されてしまったのかも知れんな」
「じゃあ、あのロボットたちは警察のようなもの? でも、僕らを目覚めさせたものたちは誰だろう」
「結局そこから先はまだデータ不足だな」
 ジュンがまたがっくりくるかと心配したが、それは杞憂だった。
「でももうすぐ謎は解けそうだね」
「ああ、二人ならきっと解けるさ」
 二人はしっかりと手を握り合った。
 
 それから20分ほど歩いた後、多分ここが最後だと思われるドアが目の前に迫ってきた。
 金色のドアだった。
 鈍い光を周囲に撒き散らせている。
 今まで通ってきた扉とは明らかに雰囲気が異なっていた。
「この先に何かが待ってるみたいだな」
 彼は大きく息を吸い込んだ。
「最後の難関かな」
 ジュンも同じようにした。
 ドアの前に立つと、それは自動で音もなく両側に開いた。
 そこは広いホールになっていた。
 先客が5人いる。
 身構えるが、襲い掛かってくる気配はなかった。
 すでに来ていた5人は、全員が離れた位置に立っていた。
 皆孤立してるようだ。
 新入りの二人の方を観察するように眺めているが、話しかける気もなさそうだ。
 後ろでドアが開いた。
 振り向くとまた男が入ってくるところだった。
 二人は部屋の右にそって移動し、全員から距離をとった。
 さらに数人が入ってきて、中の人数は10人になった。


 9


 10人目が入ってドアが閉まったとき、電子ブザーの音が聞こえた。
 その後、声が聞こえ始める。声は電子的な人口音声だった。
『最後の試験です。これに生き残った一人が合格。戦いなさい』
 それだけ聞こえて部屋の中は静まり返った。
 二人も、その他の八人も呆然として何も行動できずにいた。
「たった一人が合格だって?俺たちに殺しあえって言うのか?冗談じゃない」
 ジュンも彼の言葉に同調する。
「まったくだ、やつらの言いなりになんかなるもんか」
 他の男たちもとりあえず二人に賛成のようだ。
 いきなりナイフを抜き始めるものはいなかった。
 しかしこのままだと、どうなるだろう。
 10人の男がひとつの部屋に閉じ込められている。
 そしてそこには食料も飲み物もない。
 やがては飢え、乾き始めるだろう。そうなると、最後の一人になるためにここにいる男たちは殺しあうことになるのだろうか。
 まだ体力のあるうちに他のものを始末した方がいいと思う男も出てくるだろう。
 しかし、行動に移せば、逆に他の者たちによってたかって始末されることになるかもしれない。
 動かないのは、他の全員を敵に回したくないと思ってる気持ちもあるだろう。

 何分が過ぎただろうか。
 行動を起こさない男たちに苛立ちを感じたのか、部屋自体がきしみ音を上げた。
 周囲の壁が動いていた。
 一部がずり上がって、中からダークグリーンの巨体が見えてくる。
 円形のホールの周りの壁から、十体のロボットが現れた。
 十人の男たちと十体のロボット、これからその乱戦が始まるのだ。
 そしてその中でただ一人残った男が合格者ということなのだろう。
「ジュン。俺から離れるな」
 彼はジュンを壁際にやると、身構えた。
 他の八人は襲いかかるロボットから逃げ惑っている。
 阿鼻叫喚とはこのことだった。
 悲鳴に怒号がホールの中に響く。
 一人の男がロボットに捕まるのが見えた。
 誰も助けようとはしない。皆自分が逃げるので精一杯だった。
 それに、他の男が捕まるのは、自分が一人残るためには有益なことなのだ。
「ジュン、こっちだ」
 彼は向かってくるロボットから身を避け、ジュンの腕を取ってホールの中を駆け巡る。
 そうこうしているうちに中の人間は徐々に減っていく。
 見ていると、ロボットから逃げるのを邪魔する男もいた。
 ロボットの方に男を突き飛ばす男。
 足の引っ張り合いを演じていた男たちは結局皆捕まり、部屋の外に連れて行かれてしまった。
 そしてホールには人間はジュンと彼だけが残った。
 彼ら以外には四体のロボットが前後左右から挟み込むように迫ってくる。
 いくら鈍重なロボットが相手とはいえ、四方を囲まれては逃げようがなかった。
「どうやらここまでみたいだね」
 ジュンが彼のそばからすっと離れた。
 手には拳銃が握られている。
 ジュンの笑顔の意味が最初彼にはわからなかった。
 しかし次の瞬間、頭を殴られたような気がした。
 勝者の笑みなのか?
 裏切りなのか?
 信じられない気持ちが起きるが、信じたくないだけなのだと思った。

「わかった。お前の勝ちだ。お前が合格だよ」
 苦々しい気持ちに舌がしびれるようだった。
「何言ってるの?」
 ジュンが泣き笑いのような顔になる。
「僕が君を撃つと思ったわけ? ひどいな、それ」
 周囲のロボットは二人の成り行きを見守ってるのか、襲い掛かってはこなかった。
 少なくとも一人は残さなければならないのだ。
 全滅させては元も子もない。
「なんだよ。じゃあどういうつもりなんだ?」
「合格は君さ。僕はここで降りるということ。だいたい君に出会って助けられなかったら僕はあの時死んでいたんだからね、つまりこういうこと」
 ジュンの手の中の拳銃の銃口が、ジュン自身のこめかみに当てられた。
 自殺するつもりなのだ。
「止めろ。そんなの意味ないだろ、俺を撃てばいいじゃないか」
「解答を知ることができなかったのは心残りだけど、他には特に未練もないよ」
「撃つなよ。とにかく考えよう」
「考えるのはもう疲れたよ。やつらの言いなりになるのも嫌なんだ」
 近寄る彼から、ジュンはじりじりと距離をとる。
「俺だってやつらの言いなりにはなりたかないさ」
 彼はそう言って手に持っていたナイフを自分の首筋に当てた。
「お前が死ねば俺も死ぬ」
 彼の行動を見て、今度うろたえたのはジュンの方だった。
「なにしてるの。そっちこそ馬鹿な真似は止めろよ。それこそ意味ないじゃないか」
「意味はあるさ。反逆って意味だ」
「どうしようもない馬鹿だな」
 ジュンが声を上げて笑った。
 彼も無性におかしくなってきた。
 そして、彼は顔を上げてこの成り行きを見守っているだろう者に向かって叫んだ。
「どうだ? 一人を選ぶのは不可能だぞ。どうしても一人というのなら俺たちはここで死ぬ。
ロボットに何かさせようとしたり、部屋の温度をいじったりしても死んでやるからな」
 ジュンの顔が一瞬あっけにとられた後、二度うなずいた。
 その手があったか、と声を出さずに口だけ動かした。

『待ちなさい。わかりました。二人来ていいでしょう。白い扉を抜けてきなさい』
 案外とあっけなく、待っていた声が降ってきた。

 
 10


 彼らの入ってきた扉とは反対側の壁の一部が白く輝いていた。
 四体のロボットたちは、任務完了の合図が来たのだろう、出てきた壁の中に入っていった。
「やっぱり最低限一人は必要なんだね」
 ジュンが言った。
「元が何人居たのか知らないが、その中のもっとも優秀な一人を選ぶのがやつらの目的みたいだな」
「さて、何が待ってるんだろう。わくわくするよ」
「俺は気味が悪いな。引き返す道があるのならそうしたいくらいだ」
 緊張をほぐすための無駄口を言い合った後、二人は輝くドアを通り抜けた。
 狭いボックスだった。
 これはエレベーターだ。そう言う前にそれが上昇を始める。
 数秒のことがすごく長く感じた。
 それは動き出したときと同じくらいに唐突に止まった。
 一瞬体重が抜ける感覚。
 いよいよ、この試験を実施した者に会うのだ。
 真相がわかる。
 それは一体どんな事なのだろう。
 恐れと不安が彼の心を埋め尽くすが、逃げ出さずにしっかり足を踏ん張っていられるのは、一人じゃないからだった。
 ジュンも同じように思ってくれてるのだろうか。
 ジュンの方を見ると、目が合った。
 ジュンはにっこり笑って、大丈夫と一言言った。

 白いドアが横にスライドした。
 ざわめきが聞こえる。
 暗い板の間が目の前にあった。
 細長い部屋なのか?
 二人はドアを出て、その板の間に立った。
 とたんに強い光が二人を射抜いた。
 眩しくて周囲が見えない。
 やっと目が光に慣れてくると、そこがステージの上だというのがわかった。
 合格者の表彰式か?

「おめでとう、君たちが合格です」
 透き通るような高い声が祝福の言葉を述べた。
 見ると、奥の方に一人立っていた。
 髪の長い人間だった。肩幅が狭く、腰が太い。
「見て、すごい人」
 ジュンの指差す方を見ると、すり鉢上になった席に数千人という人間が座っているのが見えた。
 皆一様に髪が長かった。
「でも、変な人たちだね、ちょっと変わっているというか」
 ジュンもここの連中に対して違和感を持ったらしかった。
「本当は一人だけが合格なのですが、今回は仕方ないでしょう。しかし今回見たいなのは初めてでした。ドア壊されるなんてね。あの辺はもう少し考える必要がありますね」
 司会者というのか、そいつは自ら拍手を始めた。
 会場の観客が同じように拍手するから、二人で話もできないくらいに拍手の渦になる。
 しばらくして司会者が手を上げると、それに応じて拍手はまばらになり、そして静かになった。
「お前たちは何者だ? この船の生き残りか?」
 彼の問いかけに、司会者が答える。
「生き残りといえばそうなるわね。とにかく最初から説明します。まず、私の名前はネイサン。この宇宙船の船長をしています」
「僕たちをどうするつもりだ?」
 ジュンが質問するが、ネイサンは首を振る。
「ちょっと待って、初めから説明しないとわからないでしょう。あなたたちは驚いたことに倉庫の扉を破って、中の記録を見たから少しはわかってるはずね。あの船内報に書いてあったことは事実なのです。船が出発して24年後に伝染病がはやって大勢の犠牲者が出ました。たくさんの男たちが死んでいった」
 ネイサンが言いながら近づいてきた。
 シルエットだけしか見えなかったのが、顔つきまで見えるようになった。
 美しい人間だった。きりりとした眉に長いまつげ。切れ長の眼は人を射抜くような力を携えている。

「たくさんの男が死んだけど、でも女は一人も死ななかった。あなた達には女という概念はないからわからないでしょうが、ここにいる全員、あなたたち以外は女なのです。
男と女。人間には二種類あるのです」
 二種類といわれて混乱してしまう。
 どうして男だけではいけないのだろう。記憶を探ってもその理由を思いつかなかった。

「あなた達はあのカプセルで生まれて育てられた男です。教育するプログラムもたくさんの種類を試してみた。できるだけ強い男に育てたかったから。中には凶暴すぎて使い物にならない性格になるプログラムもあったけどね」
 凶暴という言葉で、ジュンを襲った男が思い出された。
 罠まで仕掛けて通りかかるのを待っていた男。
「あのカプセルで生まれて育てられたわけか。知識を植えつけられただけなんだ、脳の中に。それなら記憶もあるわけがない。あそこで目覚めたときが生まれた時なんだったら……」
 ジュンが横で呟いていた。
「女の知識を教えなかったのは、その必要がなかったからです。男しかいない世界に生まれるのに、女の知識は要りませんからね」
「向こうには男しかいないのか、そしてここには女しかいない。なぜなんだ?」
 彼の質問にネイサンが答える。
「伝染病の所為よ。この船の乗員のほぼ全員が感染したけど、発病したのは半分だった。
その半分はすべて男でした。男だけが発病する病気だったのです。男はほぼ全滅。その後に生まれてくる数少ない男と、生き残ったごくわずかな男だけがY遺伝子を持っている存在になった。それからはY遺伝子を絶やさないことだけが考えられました。女はほとんどウィルスに感染しているから、生まれてくる男たちのために男女の住処を分ける必要が生
まれました」

 待てよ。
 女は保菌者だと? ではここにいる女たちはどうなのだろうか。
 
「ちょっと待て。その病気のワクチンはで来てるんだろう。それなのに今でも分けてるのはどういうことだ?」
 伝染病から200年近く過ぎてるのだ。
「ワクチンは出来ていないわ。女は発病しないからその必要性が低かったのもあるし、今の制度がとても合理的でうまくいってるというのもある」
 なんとも勝手な言い分に思えた。
「ひどい話だな。じゃあ、俺たちは今感染したって事になるのか?」
「そうなるわね。空気感染だから、多分この部屋に入った時点で感染してるでしょう。
毎年年に一度、こうして一人の男をY遺伝子を採取するために選んでるけど、選ばれた男は遺伝子を採取された後に、全員発病して死んでいったわ」
 一瞬目の前が暗くなった。

「もうひとつ、200年もたつのに目的地にまだ着かないのは?」
 今度はジュンが質問した。
「隕石でエンジンが壊れてしまったのよ。三機のうちの二つが。それで時間がかかってる。
エンジニアの男がみんな死んでしまったから修理もできないの。では話を進めるわよ。200年たつうちに男の数も次第に増えていった。しかしワクチンが出来てない以上男と女が同じ場所に住むことはできない。そして私たちが子供を生むために男のY遺伝子を採取する必要がある。できるだけ生きのいいY遺伝子をね。そのために年に一度こうして試験
を実施している」

 ネイさんの言葉が途切れた。
 だいたい説明終了と言うことか。
 横のジュンが大きくため息をついた。
「そういうことか。そのための試験だったんだな。しかし変だ。向こうには僕ら以外にも
たくさん男がいるんだろう?この試験の受験者以外の男たちは?」
 ジュンが叫んだ。命がけの試験は体力知力に優れた遺伝子を採取するためだったのだ。

「あなたたちを育てるためや、ロボットのメンテナンスなどのために100人くらいは居るわよ。でもあなたたちと接触することは禁じています。試験の邪魔になるから」
 目覚めてからこれまで、疑問に思っていたことがどんどん解けていく。
 しかし、真相がわかることが必ずしも快感とは限らないというのがよくわかった。
 非人道的だとなじりたい気持ちに拳が震える。
 男たちが喜んでその境遇に甘んじているとは思えなかった。
 数の力でねじ伏せられてるのに違いないのだ。

「でもね、男はいつの時代も命がけで自分の遺伝子をたくさん残そうとしているものよ。
人が生きるということは、自分の遺伝子を後世に残すことこそに意義がある。あなた達はここにいる女たちに子供を生ませることができるのだから、幸運なのよ。あと二週間しか生きなくてもね、あなたたちの遺伝子は多くに受け継がれ長く生きていく。女は自分で子供を生む以上、自分の遺伝子は必ず受け継がれるけど、男の場合はそういうわけにはいか
ないから。男が自分の遺伝子を残すのは戦いなのです。いつの時代もね」

「二週間……なのか」
 彼は乾いた唇で何とか声を出した。
 ネイサンは黙ってうなずいた。

「僕らを自由にしろ!」
 ジュンが彼の横から飛び出してネイサンに銃口を向けた。
「おい、止めろ」
 止めようとする彼からジュンが離れる。
「あなたたちの自由を奪うつもりはないわよ。今から死ぬまであなた達は自由です。ただ、少しばかり精液をもらいたいだけ、女を抱けとも言わないわよ」
 その言葉で少しほっとした。
「ジュン、ネイサンの言うとおりだ、銃をしまえ。そんなことしても意味がない」
 近寄る彼の手に、ため息をついたジュンは仕方なく拳銃を預けた。
 ジュンの身体をしっかり抱きしめる。
 体温が心地よかった。

「映画を見よう。海辺の映画がいいな。一緒に、最後まで一緒だ」
 彼はジュンの耳元に呟く。
 彼に答えて、ジュンが小声で話し始めた。
 ショックで力の抜けた声ではなかった。
 むしろ彼自身よりしっかりした声を発している。

「隙を見て脱出しよう。この船から。救命艇を奪ってさ。外に誰かがいるかもしれない。200年、いや地球ではもっと時間が過ぎてるんだ。相対論的にはね。そこで別の船が作られて、こののろまな船を追い越して行ってるかも知れない。ここよりも数段進んだ文明を持つ、その誰かの船に拾われる可能性もゼロじゃないよ」
「そしてその誰かさんはワクチンだって持ってるか? ますます荒唐無稽になってきたな」
 二週間後の死を宣告されているのに、心は穏やかだった。
 まだ生まれて一日程度しかたっていないから、生に対する執着心が薄いというのもあるが、おそらくその理由の大半は最愛の者が一緒にいてくれるからだろうと思った。

「荒唐無稽はひどいな、でもSFだって、漫画と言われたっていいさ。生まれて来た以上は、最後までしっかり楽しまなきゃね」

 ジュンがにっこり笑った。





                     闘技場 おわり