2章


「お初にお目にかかる。私はラドスの親衛隊長をしているカーネルというものです。噂にたがわぬお
手並みを拝見いたしました。さぞ村長のビーンも喜ぶでしょう」
 私の馬と並んで進んでいる馬上の一際たくましい男が、会釈をして言った。
 太い腕と、そこに残る傷跡が歴戦の勇者を感じさせる。
 顔一面を覆う真っ黒いつやのあるひげも、いかにも強そうだ。
「本当、あんたが只者じゃないってのがよくわかったよ。見てくれがガキだから却って相手が油断す
るんだろうね」
 私を後ろから抱きかかえる形で馬に乗っているラシントンも私の耳元に小声でささやいた。
「ラドスは今どんな状況なんですか。疫病が流行って困っていると聞いていたけど」
 私はラシントンのことは無視してカーネルに聞いてみた。
「ええ、風邪によく似た症状なのですが高熱が出て高齢者の中には死んでいくものも結構いるようで
す。村の医者では手におえません。とりあえず患者を隔離している以外にない状態です」
 インフルエンザという病名がすぐに浮かんだ。ワクチンの在庫はまだ多数持っていたはずだ。
「そうですか、お役に立てるかどうかわかりませんが、とにかく急ぎましょう」
 馬のわき腹をけって、それまでのゆっくりした歩調から駆け足に切り替える。
 それからラドスまで半日ほどかかった。

 黒い岩壁に囲まれたラドスについてみると、城門が開けられて、村長らしき年寄りが出迎えてくれ
た。
 村長も少し咳をしていて顔色が悪かった。
「長い危険な旅をして、このラドスのために来てくれた事に感謝します。どうぞこちらへ。少しはお
茶などで休憩してください」
 土埃まみれで馬から下りた私達は、村長を先頭にして奥の家に案内された。
 私達の後ろではカーネルの合図で城門が重い響きをあげて閉ざされた。

「そちらの方は、お弟子さんですかな」
 テーブルについてお茶が運ばれてくるなか、村長はラシントンを見て言った。
「まあそんなものです。一人旅は慣れてるのですが、やはり助手がいた方がなにかと便利な事が多い
ですから」
 ラシントンも不服は言わない。なぜなら彼女の車が無残にもぶち壊されているのを、ここに来る途
中に見ていたからだ。
 そうなると彼女の仕事はできなくなる。私の後ろで来る途中散々愚痴っていたのだ。これからどう
しようって。
 一息ついた後、患者を見に行く事になった。
 患者達が集められている棟には私とラシントン二人で行く事にした。
 おそらく空気感染だからできるだけ他の人間は接触しないほうがいい。
 私は二人分の酸素マスクを取り出すと、ラシントンにつけ方を教えてから病人の集められた部屋の
ドアを開いた。
 広い部屋にベッドが二十ほど置かれ、その上に今にも死にそうな患者がうめき声を上げながら寝て
いた。
 大体思った通りの病気のようだった。ワクチンに友達の木の粘液から抽出した薬を混ぜて、各々に
処方していった。
 多分これで明日中には快方に向かうはずだ。
「こんな病気あたしは初めて見たよ。どうしてこの村でだけ流行ったんだろうね」
 マスクをつけている所為で、くぐもった声のラシントンが言った。
「それはわからないが、自然にそうなる可能性がかなり低い事だけは事実だと思う」
「それどういうこと?」
「感染した旅人がここに立ち寄ったという可能性もあるが、それなら他の村にも病気が出るだろう。
そうでない以上、誰かが故意に新型ウィルスをばら撒いた可能性があるということだ」
「でも誰が? 敵が忍び込んだってことかな」
「ラドスと敵対する村と言っても、簡単には思い浮かばないな」
 ラドスはこの周辺では一番大きな村だ。ここと争い事を起こそうという村はあまり無いはずだ。
「じゃあ、内乱の可能性は? 誰かがここを弱体化させた上でのっとろうと考えたとか」
「どっちにしても私達は首を突っ込まないほうがよさそうだ。ここでの商売が終わったらすぐに村を
出る事にしよう」
 病人棟から出て、手洗い桶で手を洗っていると、若い娘が近寄ってきた。
 束ねた栗毛色の髪はつややかで瞳の大きな整った顔をした娘だった。
 村長のビーンやカーネルは近くには見えなかった。
「手当ては終わったのですか」
 鈴を鳴らすような声で彼女が言った。
「ああ、大体終わった。明日には快方に向かうだろう。ところで君は?」
「私はビーンの娘のローザです。あなた方のお世話をしろと言いつかりました」
 ローザは深深と礼をした。
「じゃあ早速、あたし達の部屋に案内して、それからお腹減ったから食事をお願いね」
 ラシントンが乱暴に言う。
 ローザは小声ではいと言って、私達を部屋に案内してくれた。
 こぎれいな部屋で、奥には風呂場までついていた。浴槽には湯気をたてたお湯が満杯になっていて
壁の穴からりゅうりゅうと鉱泉が流れ出ていた。
 温泉のようだ。この村には温泉が沸いているのか。砂漠に温泉とは奇妙な事だ。

「おい、何が気に入らないのか知らないけど、ローザに当たる事ないだろ」
 ローザが食事をとりに出た間に、ラシントンに文句を言ってやった。
「ここのビーンかカーネルか知らないけど、何かたくらんでるよ。女の直感だよ。
色仕掛けであんたをたぶらかそうって魂胆だ」
「忠告はきちんと聞いておくけど、いいかげん風呂に入ってきたらどうだ。小便くさくてたまらない
ぜ」
 ラシントンは答える代わりに顔を真っ赤にしてベッドのうえの枕を思い切り投げつけてきた。その
まま立ち上がって風呂場に消えていく。
 
 ラシントンが風呂から上がってくるまでには、ローザの手配でテーブルはご馳走であふれ返ってい
た。
 そこへラシントンが裸で出てきた。給仕のために残っていたローザはラシントンの裸の胸と、それ
に相反する形の股間を見て目を丸めていた。
 失礼に当たると思ったのか悲鳴はあげなかったが、赤くなってうつむいている。
「ラシントン、下着ぐらい着て出て来いよ」
「あいにく、今洗濯中でね。あたしは下着を着ないで上着は着れない性質なんだ」
 そのまま私の向かいの席についた。
 でかい胸を揺らしながら肉にかぶりつき咀嚼する。その様子は先ほどの村のアマゾネスの様だ。
「うーん、うまいね。久しぶりのご馳走だよ。これ何の肉かな、やわらかくて美味しい」
 ラシントンは満足げに食べていたが、私は疑念が浮かぶのを抑えきれなかった。
 いくら客人用に貴重な食材を使ったからといって、これだけの素材はそう簡単に手に入るものでは
ないはずだ。
 放牧などをしている村には見えなかった。肉類は野生の鹿や馬あるいは鳥を狩る以外にないはずだ。
私も少し食べてみたが、それらの肉とは明らかにこれは違っている。

「ずいぶんラドスは食糧事情がよくなったようだね。以前、といっても三十年ほど前だけど立ち寄っ
たときは粗末なものしかなかったけど」
 三十年前と聞いてローザは不思議そうな顔をしたが、聞き返さずに答えた。
「二年前に温泉を掘っていて偶然古い坑道が見つかったのです。その奥が食料庫になっていました。
村の科学者の考えでは大昔の人間が非常用に蓄えていたものらしいという事です」
「二年前? それからずっと食用にしていてまだ無くならないんだ」
「はい、それこそ無尽蔵という感じで。冷凍されたその食料はまだ十年はもつくらいにたくさん保存
されていました」
「興味があるな。明日ビーン村長に頼んで見せてもらおうかな」
 私が言うとローザはうつむいてしまった。
「やはり最高機密で部外者には見せられないのかな」
「すいません、何とか頼んでみます」
 私がローザと話している間に、自分の分を大方平らげたラシントンは大げさな身振りで満腹を示す
と部屋の隅のベッドに向かった。
 
 その夜はラシントンと一つのベッドで激しく抱き合った。
 やはり緊張が解けてほっとしたのだろう。ラシントンのたくましいもので突き上げられて私は何度
も絶頂を迎えた。大柄なラシントンと抱き合っていると、自分が華奢な小娘になったように感じられ
る。
 しかし、こうしている間にもこの村の暗雲は徐々に大きくなっていっている事をこのときは全くわ
かっていなかったのだ。

 翌朝は早くに目が覚めた。
 馬のいななく音が外から聞こえて騒々しかったのだ。
 朝っぱらから何があるのだろう。同じように目の覚めたラシントンと共にベッドから起き上がる。
二人ともまだ裸のままだ。
 ガラスもついていないカーテンだけの窓から覗くと、親衛隊長のカーネルが武装した集団をつれて
この小屋の前にいた。
 窓から覗く私を見つけると、馬上で一つ礼をして言い出した。
「昨夜はよく眠れましたかな。激しいセックスの後だったからきっとよく眠れたと思いますが」
 盗聴していたのか。
 見知らぬ旅人を泊める部屋に盗聴器を仕掛けることは別に無作法とは限らないだろう。親衛隊長と
してはむしろ義務といえるかもしれない。
 でも私達は見知らぬ旅人とはいえないはずだ。頼まれてやってきたのだから。
「盗聴の件は不問にするが、そのいでたちは何だ? 朝っぱらから軍事訓練ですか?」
 裸のガキの言葉だ。全く迫力無いなあと自分でも思った。
「昨夜ローザと話しただろう。地下の坑道の事だ。きっと君が見せてほしいというと思ってね。案内
に出向いた。朝食が終わったらすぐに出発だ」
「たかが地下の坑道を見に行くのにそんな武装する必要があるのか?」
「地下は想像以上に物騒なのだ。それに、特に武装してる気は無いがね。これは我々の普通の格好さ」
 カーテンを閉めて身支度を整える。
「なんだいあれ。昨日とはずいぶん態度が違うけど」
 ラシントンが下唇を突き出して吐き出すように言う。
「状況が変わったんだろうな。病気が治まったことが関係してるのかもしれない。とにかく成り行き
に任せよう」

 しばらくしたらローザが入ってきた。
「あれは何なんだ? カーネルは何を怖がってるんだ?」
 朝食を盆に持って入ってきた数人の女に、指示をした後のローザに尋ねるとこちらを向いたその顔
はやや青ざめていた。
「実は私にもカーネルの心の奥はわからないのです。村長とはずっと仲良くやってきていたのに、こ
こ数年あまり話さなくなってきていました。何か考えがあるようですが」
 ローザの言葉に嘘はなさそうだった。
 
 この村にだけ流行ったインフルエンザ。それと古い坑道の中の食料庫。これには何か因果関係があ
るのだろうか。
 私は心配そうな顔をしたラシントンと共に軽い朝食を取った。
「なんかやばそうな連中だよね。私があんただったら坑道なんか見に行かないでさっさとこの村を出
るよ。まああたしの忠告なんか聞かないだろうけど」
「古い、というのがキーワードなんだ。言っただろう、私は考古学者だって。古いものは何でも見て
おく必要があるんだ。そのおかげでこれほど薬の知識を得る事もできたんだしね」
 ここでの会話はカーネルには筒抜けなのだ。ラシントンの心配事には適当に答えておいた。
 
「病人達の様子はどうだ、大分よくなったと思うが」
 朝食を終えて表にでると馬から下りて近づくカーネルに聞いてみた。
「ああ。ずいぶん顔色もよくなっている。咳も止まって熱も下がってきたようだ。あんたの薬はよく
効くな。できれば作り方をここの医者に教えてもらいたいが、無理だろうな」
「いや、教えてもいいさ。それなりの報酬は貰うがね。でも、私の予想ではそう何度も流行る病気じ
ゃないと思うよ」
「どうしてだ。一度あることは二度あるというが……」
「とにかく地下の坑道を見せてもらおう。私の予想が当たっているかどうか確かめたいからな」
「わかった、馬に乗れ。坑道は村から三十分ほど離れた場所にある」
 促されるままにラシントンと二人で一頭の馬に乗った。黒くて毛並みのいい馬だった。
 そして、ひづめの音も高らかに、十人の護衛隊を従えて私達は村の城門を後にした。しかし、村長
のビーンの姿が全く見えないことは私の不信感をあおる。
 カーネルの独断なのだろうか。でもローズがいたからビーンも今朝の事は知っているはずなのだ。
どうもよくわからない。
 砂漠の中に細々と続く灰色の石の道を進む。
 太陽がまだ高くないから暑くは無い。早朝の行動の理由はそこにもあるということか。日の高い時
刻に行動するのは無駄に体力を消耗するだけだから。
 右も左も、ずっと遠くまでまばらに草の生えた殺伐たる光景が広がっている。
 一体いつ雨が降るのだろう。しかしこんな砂漠の中に温泉が湧き出ていて風呂の湯だけは豊富なの
がなんとも不可思議に思えた。

「過去に人間は百億もこの地球上に居たそうだ。それが今ではこの有様。皆どこに消えていってしま
ったと思う?」
 振り返ることなくラシントンに聞いた。
「知らないね。戦争でもして死んでしまったんだろう。あたしは過去の事よりこれからの事のほうが
興味があるよ。どうもあのカーネルって奴もおとなしくあんた、いやあたし達を解放してくれそうも
無いからね」
「どうしてそう思う?」
「だって、最高機密を知られた人間をおいそれと解放したらやばくてしょうがないじゃないか」
「ラドスはこの辺じゃ一番強力な村だ。それほど他の村を恐れる必要はないと思うけど」
「あんたは大事な事を一つ見逃してるよ。大きな竜もアリの大群に食われる事があるってこと」
「それもそうだな」
「落ち着いてるね。やっぱりまだ切り札があるんだろうね。カーネルたちをぶっ飛ばす」
「これといってないよ。でも彼らは食人の習慣はなさそうだし、それほどの危険は無いだろう」
「能天気だね」
「これでも百五十年生きて来れたんだ。何とかなるさ。ところでさっきの答えだが」
「え、なんの?」
「百億の人間の消えたこと。戦争だとしたらその理由があるはずだろう。まがりなりにも知性の発達
した人間達が全面戦争するにはそうしなければならない切実な理由が必要だ。私のこれまでの研究で
はそれは無かったというのが結論。ではどこへ消えたか、そしてその理由だけど、人間が住むための
条件をこの地球自身が失いつつあったとしたら、どこか別の場所に移住しないといけないということ
になる」
「地球以外の場所? じゃあ月かどこかってこと? 昔の人間達ってそんなに進歩していたの?」
「その可能性というか形跡があるんだ。だけど百億の人間すべてを宇宙に送り出すにはやはり無理が
ある。エネルギー的にもね。だから一部あるいはほとんどの人間達は地球に残ったと思う」
「それが私達の祖先だろ?」
「いや、違うね。昔の人間とは私達は体の構造的にもかなり違いがある。ひょっとしたら……」
 そこでカーネルの叫ぶ声が割って入ってきた。
「城門を開けろ。カーネルだ」
 目の前には砦があった。カーネルはそこの番兵に叫んだのだ。
「どうやら着いたようだ。中をとくと拝見しよう」

 門を抜けると石作りの家が何件かあり、その奥に地下に通じる穴が馬の口のようにあいていた。
 冷たい風がその穴の中から吹いてくるのが頬に感じられた。
 ここからは三人で行くのかと思っていたが、予想は外れて全員が鎧の金属音を響かせてカーネルと
私達の後からついて来た。
「言っただろう。ここは危険な場所なんだ。土の悪魔が沸いて出る事がある」
 カーネルが、私に訊かれる前に答えた。
 砂を掘って枠をかませた斜面をしばらく行くと、金属製の扉があった。
 無理やりこじ開けられたと見られるその扉を入ると、周囲は金属でできた回廊になっていた。
 ここからが昔作られた倉庫というわけだ。
「不思議だな。どうやってこんな砂に埋もれた場所を見つけ出したんだ?」
 前を歩くカーネルに尋ねてみた。
「村の温泉さ。あの源流を探っているうちにこの近くに出たんだ。近くには別の鍾乳洞もあったし、
水晶を見つけたくて発掘しているうちに偶然たどり着いたんだ」

 階段をどのくらい下りただろう。見上げても微かな光が見えるくらいまで降りたところで階段は終
わり、広い部屋に出た。
 その部屋の周囲にはいくつか扉があった。
「そこを開けてみな」
 カーネルが右側の扉を指差していった。
 私はラシントンと共にその扉の前に立った。
 ちょうどラシントンが乗っていたサンドバギーのハンドルのような回しハンドルが扉から生えてい
る。それを左回しにすると、軽く回り、扉が開いた。
 冷たい風が一気に押し寄せて来る。冷凍庫か。
 中に入ると暗かった倉庫の中で電灯が灯り、周囲を浮き上がらせた。
 広い倉庫の中にはたくさんの棚があり、二十メートルはある天井に向かって袋詰にされた品物が山
のように積んであった。
「これが全部食べ物なわけ? すごいね。でもここの電気どこから取ってるんだろう」
 さすがに電気自動車を運転していたラシントンだ。
 エネルギーにはシビアだな。
「多分地熱を利用して発電してるんだろう。その廃熱が温泉としてあの村に湧き出てるのではないか
な」
 言ってる途中でぎゃっと声があがった。
 倉庫の外の広間の方だ。おまえたちはここに居ろというカーネルの声がして、倉庫の扉が閉まった。
「やばいよ、閉じ込められた。こんな寒いところに三十分もいたら凍え死んじゃうよ」
 ラシントンが扉につめより何とかあけようとしたが、冷蔵庫は中からは開かない作りになっている。
 閉じ込められたことよりもさっきの悲鳴が気がかりだ。ひょっとしてカーネルが言っていた土の悪
魔に襲われたのかもしれない。
 相変わらずどうにか扉をこじ開けようとしているラシントンに私は言った。
「慌てるな。とにかくあと二十五分はあるんだ、待ってみよう」
「それでそのままだったらおとなしく凍死しろってわけ? 冗談じゃないよ」
「私が言ってるのは、扉をあける方法は必ずあるってことさ。間違って閉じ込められたアホな人間の
ためにね」
 やっとラシントンがおとなしくなった。私は扉に耳を当てて外の様子をうかがってみる。すぐにラ
シントンがまねをしてくる。
 微かに、剣で何かと戦っている様子が聞こえてきた。
 やはり土の悪魔が出たのかもしれない。
 カーネルは大丈夫だろうか。彼も十分承知の上で来てるのだからまず怪我をすることは無いだろう
が。
 
「奥に行って見よう」
 ラシントンの答えも聞かずに私は倉庫の奥に進んでいった。
 奥には別の扉もあるかもしれない。
 しかし、予想に反してそんな扉は無かった。その代わりに、この倉庫を管理するコントロールパネ
ルが緑色の淡い光を放ちながら微かな音を立てていた。
「これでドアを開けられるんじゃないの?」
 白い息を吐きながらも嬉しそうにラシントンが言う。
 キーボードがあったので、扉を開け、と入力してみた。
 とたんにパスワードを聞いてくる。これでは無理だ。パスワードなんてどこをひねくっても考え出
せるものじゃない。
 次に、閉じ込められた、助けてくれ。とそのまま打ち込んでみた。
 今度は手ごたえが会った。
 グリーンのランプが黄色に変わり、モニター上には扉を開いても言いかと質問が浮かび上がってき
た。
 外の状況がわからないから一瞬躊躇したが、思い切ってOKのボタンを押した。
 離れた入り口が音も無く開いた。
 そちらに向かって小走りに進む。ラシントンは私の後ろでおっかなびっくりの及び腰でついてきた。
 外の惨状は酸鼻を極めるものだった。護衛兵たちの首や手足が真っ赤に染まって飛び散っている。
まったく心配していなかったカーネルが倒れているのも予想外の驚きだった。
 薄暗い中、めまぐるしく首を動かし土の悪魔を探すが、それらしき気配はまったく消えていた。
「カーネル、しっかりしろ」
 まだ息のあったカーネルを抱き起こして気付けの薬を口から流し込んでやる。
 傷は深いようだ。多分助からないだろうが、少しでも話を聴いておきたかった。
「油断した。土の悪魔の中でも最強の奴だった。あいつはめったに現れないのに。何でまた今日に限
って……。おまえ達はすぐに帰れ。奴にも傷は負わせたが、すぐに戻ってくる」
「私達の心配は良いから。この奥には何があるんだ?」
 薄目を開けたカーネルが首を横に振った。
「奥の扉はどうしても開く事ができなかった。今日おまえ達を連れてきたのはそれを開いて欲しかっ
たからだ。食料庫と比べてひどく厳重なんだ。きっと何か秘密があるはずだ、それを知る事ができな
かったのが残念だ」
 カーネルはそれっきり何も言わなくなった。命の最後の一滴を振り絞って言葉を吐き出し、死んで
いった。
 他に生きている兵士はいなかった。
「早く帰ろうよ、マジでやばいよ」
 ラシントンが私の袖を階段のほうに引っ張る。
「いや、カーネルの遺言もあるしな。奥に行ってみよう」
 ラシントンはあきれた顔をして、冗談じゃない、付き合いきれないよと言い、階段に向かう。
「一人で大丈夫かい? 階段の上にもいるかもしれないぜ」
 やっとラシントンも覚悟を決めたのか私の横に引っ付いてきた。
「もちろん切り札があるんだろうね」
「武器と言えるものはもってないが、ひょっとしたらこれが役に立つかもしれない」
 私がポケットから取り出したものを見て、ラシントンは大げさに落胆のため息を吐いた。
「なにそれ。ただのちっぽけな箱じゃない。光線銃とか持ってないのかよ」
 がっかりしているラシントンを無視して奥に向かって歩き出す。
 幅三メートルほどの通路の両側にはいくつも脇道があって、いつ土の悪魔が飛び出してくるかと冷
や冷やしながら進んだ。
 脇道の方を覗くと、どこも食料庫と同じタイプのドアが数メートル先で閉じていた。
 一番奥の扉が見えてきた。他の扉と比べてがっしりと分厚い金属でできている。
 これではカーネルたちが力任せに開こうとしても無理と言うものだろう。
 爆薬でも使ったのだろうか、いくつかこげたようなく黒い後があったが、扉そのものには傷ひとつ
ついていなかった。
 背筋がひやりとしたと思ったら、その巨人が横の通路から音も無く現れた。
 土の悪魔とカーネルたちが言っていた巨人だろう。全身が毛むくじゃらで胸板が張り出している。
大昔に地球上にいたといわれるゴリラと言う動物によく似ていた。
 ラシントンは逃げる事もできずにその場でしゃがみこんでしまった。
 尿の臭いがするところを見るとまたやっちまったようだ。
 その巨人はカーネルが言っていたようにいくつか手傷をおっていた。
 肩の皮が裂けている。しかし血は流れていなかった。皮の中から金属の光沢がのぞいていた。やは
り思った通りこの怪物は機械のようだ。
 巨人が無言で迫ってきた。
 私達を叩き潰そうと両手を振り上げる。
 しかしその振り上げた手は途中で止まった。私の右手に持った小箱からかすかな振動が手首に伝わ
ってくる。
 ゴリラのロボットはそれでも私たちに近づこうと必死に足を動かしていたが、私が装置のつまみを
いっぱいまで上げたら、その足も止まって目玉の赤い光が明滅を繰り返すだけになった。

「いったい何をやったのさ」
 小便くさいラシントンが目を見開いていた。
「こいつは強い電波を発する装置なんだ。CPUを狂わせるほどのね。たぶん土の悪魔というのはロ
ボットのことだろうと思って用意しておいた」
「でもロボットじゃなかったら、命はなかったということだね、やばい賭けだよ」
 ラシントンのため息が静寂の中でひときわ大きく聞こえた。
「いや、確信はあったよ。バイオ的な怪物なら地下のこんな場所にいて何を食べていける? 電気は
あっても食料のない場所だからな。あの冷蔵庫の中のものを食べていた様子はなかったしね」
「じゃあ今のうちに退散しようよ。ほかのが襲ってこないうちにさ」
「さっきも言っただろう、この奥を調べる」
 私はラシントンを引き立たせて扉に向かった。
 扉には取っ手らしきものは何もなかった。
 その代わりに十七インチくらいのスクリーンがひとつあった。
 そのスクリーンに手をかざすと、薄く緑色に光り始めた。
 そしてそこに文字が浮かび上がる。
『地球は太陽系の第何惑星か?』
 設問のようだ。
 スクリーンに浮かび上がった九つの数字の中の3を押した。
『宇宙の中で最も多い元素は?』
 今度はスクリーンにアルファベット26文字が浮かび上がる。
 私はすかさずHの文字を入れた。
『円周率を小数点下3桁まで入れよ』
 また数字が浮かび上がる。
 私が3.141と入力すると、スクリーンが白く輝き、滑らかに扉が開いた。
「なんだ、鍵の代わりがクイズだったわけ?」
「この扉は一定以上の文化レベルに達した人間にだけ開けてほしかったようだな。ということは中に
いるのは ・・・・・・」
 私は最後まで言わずに扉を通り抜ける。
 ラシントンが続いた。
 もう土の悪魔が襲ってくることもないはずだ。私たちはこの中に入る権利を得たのだから。
 長い廊下が続いていた。
「ねえ。この先に何があるかわかってるような口ぶりだったけど」
 ラシントンはまだ怖いのか、私の腕につかまったままだった。
「大体ね。こんなものを作れるのは限られているじゃないか」
「それって旧人類のこと?」
「そうさ。でももちろんその一部分だろうけどね。100億の人類がいたとさっき言っただろう。そ
のうちの何パーセントかは宇宙に逃れた。宇宙に逃げ切れなかったものたちは、地底で復活のチャン
スを狙った。というんじゃないかな」
「でもさ。あたしたちやその祖先にとってはそれほど厳しい環境じゃなかったというのに、旧人類に
とってはどうしてそれほど厳しい環境だったわけ?」
「それももうすぐわかると思うよ」
 ようやくもうひとつの扉についた。
 それは自動ドアだった。私たちが近づくと両側に開いて、奥のホールの明かりがともった。
 私たちの後ろで再び自動ドアが音もなく閉じた。
 正面の壁には無数の巨大な引き出しが並んだいるようだ。
 黄色いダイオードの光がその一つ一つについていた。
「いったい何なのあれ」
 私にはそんなラシントンの言葉に返事をする余裕もなかった。
 想像と違うことがひとつあったからだ。
 この部屋が旧人類の眠っている部屋だというのは間違いないと思っていた。
 しかし ・・・・・・。
「あ、あれ。黄色いランプが青に変わったわよ。それに、ゆっくり出てくる」
 ラシントンの指差したほうを見ると、じわじわと幅七メートル、高さ四メートルほどの引き出しが
壁から這い出てくるところだった。
 見ていると、他にもいくつか出てくる引き出しが有った。
 私は間違っていたのだろうか。あの冷蔵庫の食料はこの連中のものだとばかり思っていたが、そう
じゃなかったのか。
 あれは私たちに向けてのものだったのだ。
 土の怪物を倒せるくらいに進歩した私たちが、その褒美として与えられたものだったのか。
 では、この旧人類の食料はなんだ。どこにある?
 私はその答えを想像して背筋が冷たくなった。
 一応確認のために、一番近くの引き出しによじ登ってみた。
 そしてガラス張りになっている天窓から中を覗き込む。やはりそうだったのか。
 私はそこから飛び降りた。
「逃げるぞ」
 どの程度効果があるかわからないが、電波発信機を最大強度にしてそこに置いたまま、そのホール
を後にした。
 訳もわからずラシントンが追ってくる。
「どうしたのさ、何があったの」
 必死に聞いてくるラシントンに答える余裕なんてなかった。
 カーネルたちの死体の横を通り過ぎる。
 すでに土の悪魔の心配はなかった。彼らの仕事はもう終わったはずなのだ。

 砂を掘った坑道を全速力で駆け上がる。
 息が切れて心臓が破裂するかというころにやっと太陽の光が見えてきた。
「大丈夫ですか、土の悪魔が出たのですか」
 外で待機していた兵が聞いてくる。
 周囲を見回すと、村長のビーンとローザが立ているのが見えた。
 そこへ行って息を整える。
 村長は私たちの様子を見て唖然としていた。
 彼がここにいる理由はなんとなくわかった。カーネルたちの動きに不穏なものを感じ取っていたの
だろう。
「この坑道をすぐに爆破してください。カーネルたちは土の悪魔に殺されて全滅しました。土の悪魔
たちが押し寄せてきます。早く爆破してください」
 私の言葉を予測していたのか、それともそれが彼にとって都合のいいことだったからなのかはわか
らないが、ビーンは迅速に行動してくれた。
 土の悪魔がいるような危険な坑道なのだから、いつでも爆破できる設備ができているはずだという
のは私の感でしかなかったが、どうやら当たったようだった。
 しばらくすると爆破音と地響きが周囲の空気を大きく揺らした。
 大量の土砂が坑道に流れ込む。



「カーネルたちは土の悪魔を操る方法を私から聞き出そうとしていました。そのときは安全に食料を
確保したかったからだと思って、操作の仕方を教えたのですが、私の考えは間違っていた。彼はその
悪魔を使って村をのっとるつもりだったようです。当然周囲の村も占拠して広大な王国を作るつもり
だったでしょう。土の悪魔が自由に操れればそれも夢ではなかったでしょうから」
 カーネルには悪役になってもらうしかない。案外的を得ているかもしれないし。
 私たちはラドスの村長宅で休んでいた。
「しかし、カーネルたちは土の悪魔に殺されたと言っておられたが ・・・・・・」
 そうだった。しかし、カーネルたちの命を助けようと、爆破を遅らせる事にはしたくなかったのだ。
「そうです。私は土の悪魔を動かなくする呪文は教えましたが、それ以上は教えなかった。食糧確保
だけならそれだけでいいはずでしょう。しかしカーネルの考えは違っていました。土の悪魔に私たち
を殺させようとしたのです。殺せという命令を発したものを殺すように、私はプログラムを書き換え
ていたから、結局カーネルたちが殺されることになりました。そしてカーネル達の真の狙いもその時
わかったのです」
 私の横で、前もって何も言うなと念を押しておいたラシントンが複雑な表情で見守っていた。
「私もカーネルは何かしでかしそうな気がしていたんです。阻止してくれて本当にありがとうござい
ます」
 お茶を置きながらローザが微笑んだ。
「それから、この後あそこは絶対に掘り返さないようにしていてください。土の悪魔は動きをやめる
かもしれませんが、あそこには病原菌が蔓延しています。この前の病気以上に恐ろしい病気の元がう
じゃうじゃいるんです」
 私が言うと、ビーンは首をすくめて見せた。
「もちろんあそこは封印します。二度と発掘されることはないでしょう。食料に特別困っているわけ
でもないですしね」
 ビーンが約束してくれた。

 とりあえずの状況報告が済んで、私とラシントンは二人きりでベッドに横たわっている。
「でも、あれってどういうこと」
 ラシントンが私の股間に手をやったまま聴いてきた。
「あの巨大な棺を見ただろう」
「うん。でも中は覗かなかったし」
「あの中には旧人類が横たわっていたんだ」
「へえ、じゃああれの中に数十人が寝ていたって事?」
「いや。たった一人だった。ラシントンのいうように数十人が寝ていたのなら爆破する必要はなかっ
たかもしれないけどね。あの中には私たちの10倍くらいある身長の人間が一人寝ていたんだ」
「そんなにでかい身体だったの旧人類って、だからあれだけたくさんの食料が必要だったわけか」
 ラシントンがうなずく。
「おっと、ひとつ見落としてるよ、あの食料の入っていた冷蔵庫。あそこの操作キーは私たちに入力
しやすいようにできていただろう。あれはあくまで私たちのためのものだったわけだ。土の悪魔に守
らせていたのは、それを打ち破れるくらいに我々が進歩している必要があったから」
「どうもよくわからないよ」
「旧人類が目覚めるための条件を設定していたんじゃないかな。我々が土の悪魔に打ち勝つようにな
るためにはそれなりに進歩する必要がある。そして進歩には時間が必要だ。それと人間の数もね。あ
の食料は、そこまで進歩して増えた人間たちをさらに増やすためのものだったんだと思う。そしてあ
る程度の時間がたって地球の環境が回復したことが重なれば、旧人類が目覚める条件がそろうという
段取りだったんだろう」
「だったら、どうして旧人類を抹殺したわけ?」
「まだわからないのか? 旧人類が我々をこれほど小さく作ったのには、食料が少なくてすむとかエ
ネルギーが少なくてすむとかの理由もあるだろうけど、一番の理由は我々と旧人類との区別のためだ
ったのさ。そしてあの冷蔵庫の食料。あれは我々をたくさん増やすためだった。つまり家畜を太らせ
てから食べる。そんな意味だったんだ」
「旧人類があたしたちを食料にしようとしていたてこと? そんなことありえるのかなあ」
「まさか共存して行こうとは思っていなかっただろう。あれだけ身体の大きさの違う人種が共存でき
るわけがない。少なくとも利用価値がなくなったら抹殺するつもりだっただろうな。そのひとつの手
段がウィルスさ。多分この村ではやった病気はたまたまその武器を開いたやつが持ち込んだんだと思
う」
「なるほど。つじつまが合ってるようだけど、全部ロックの被害妄想って気もするわね。でもこれで
ロックの追っていた謎も解けたわね」
 裸のラシントンが私の身体に覆いかぶさってきた。
「いや。謎は深まるばかりさ。彼らが人類のすべてというわけではないんだから。別な方法で生き延
びることを考えた種族もいただろう。それに我々を作ったのが彼らだという証拠もない。たまたま作
られた私たちを利用しようとした一部分だったのかもしれないしね。旧人類が私たちをどうするつも
りだったのか、まだ判定はできないよ」
 それ以上言うことはできなかった。
 ラシントンの巨大なお尻に顔をふさがれて、私の欲情もぐんと起き上がってきたのだから。




斜陽XXX 二章 完