キャンプファイヤー



 プロローグ

 涼子は半年前の5年生のときに行った修学旅行でのことを思い出していた。
 星明りしかない夜の広場の真中で、火柱を上げて燃え盛るキャンプファイヤー。
 ちょっと前から好意を寄せていた男の子の横で、その立ち上る火の粉を見上げていた。
 蛍が群れをなして紺色の天空に吸い上げられていくようだった。
 きれいだね、涼子が言うと、横の男の子もうん、と言って手を握る指に力をこめてきた。
 荘厳な火だと思った。

 火とはこれほど厳かなものだったのか。10年以上も生きてきてはじめて知ったことだった。
 そして今も目の前に、キャンプファイヤーがともっていた。
 あの時とは比べるべくも無く小さなささやかな炎だ。でも、あの時の厳かな火に負けないくらいに、この火も尊いものだと思った。みんなを安心させてくれる火だった。
 あと2時間もすれば両親も帰ってくるだろう。
 そうすればきっとすべての問題は跡形も無く消えていくはずだ。
 多少怒られることもあるだろうけど。



 1 涼子 12歳


 その日、涼子にとっていつもの事が一つと、そうでない出来事が三つ起こった。
 両親が自分たちを置いたままパチンコに行くのはいつものこと。
 何がそんなに面白いのか涼子には理解しかねたが、不機嫌な両親に当り散らされることが無いのはうれしい事だった。
 夕食が終わった6時頃から両親は出かけて、閉店の11時過ぎまで帰ってこない。
 その間、涼子が下の4人の兄弟の面倒を見なければならないが、一番下の裕太は六ヶ月の赤ん坊だからミルクを飲ませておけばあとは寝てるだけであまり手はかからない。
 2歳下の雄介はテレビアニメを見せるかゲームをやらせておけばよかった。
 問題は5歳下の加代子と6歳下の幸子だった。
 二人仲良く遊んでいたかと思うと、突然けんかしだしてどちらかが、普通は幸子が大声で泣き出してしまう。
 泣かれると裕太まで起きてしまいそうで冷や冷やしてしまう。
 とにかくその二人からはなるべく目を離さないようにしていた。

 裕太と一緒に先に涼子が風呂に入り、いつものように膝の上で頭を洗ってやる。
 裕太はこのときが一番幸せそうな顔をするのだった。
 自分が母親になったような気がして涼子にも幸せなひと時だった。
 浴槽に浸かると、裕太はふわふわ浮きながら涼子に微笑みかける。
 赤ん坊は本当に水を怖がらないんだなあ。自分なんか足のつかないプールに放り込まれたら必死でばた狂うだろうに。
 もうすぐ春が来る。
 そしてすぐに夏がやってくる。
 泳げない涼子にとって夏はいやな季節だった。
 数年前の海水浴で、父親に深いところまで連れて行かれたことがあった。
 泳ぎなんか一度溺れかければすぐに覚えるもんだ。
 そんなことを言いながら、涼子を浜から20メートルくらいの沖合いまで抱えて行ったのだ。
 苦い海水を飲み、恐怖と戦いながらも必死で砂浜に向かって犬掻きをした。
 必死で手足を動かしても、ほんの少しずつしか進まない。だんだんだるくなってきて息苦しさも限界に来る。もうだめだと沈みかけた時になって、やっとつま先が砂の感触を感じた。
 右足の親指に感じた微かな感触には心底ほっとさせられた。
 死なずにすんだと本気で思った。
 そんな涼子に、父親は、さあもう一度と近づいてくる。涼子は泣きながら父親から逃げようとした。
 しかし父親の手は涼子をきつく握って、決して離してくれなかった。
 そんな事があって涼子は二度と海で泳ごうとは思わなくなった。
 プールに入るのもできるだけ避けたかった。
 いやな思い出に対して一つため息をつくと、裕太を抱き上げて風呂から上がった。
 早速、今のところは仲良く遊んでいる幸子と加代子にいっしょにお風呂に入るように言った。
 別段変わったことの無い夜だった。
 このまま、宿題を済ませて寝てしまえば、明日の朝がやってきて母親が起こしに来るのだと思っていた。
 しかし、いつもと違うことが、その一つ目が起こってしまった。


 2 雄介 10歳

 今日こそラスボスのブラックサタンを倒してやる。ゲーム機のコントローラーを握る手の平に微かに汗をかきながら、雄介はテレビの画面をにらみつけた。気になるのは風呂の時間だ。
 幸子たちがあがったら自分が入らないといけなくなる。それまでに最終画面までたどり着けるか、それが問題だ。
 姉は裕太と一緒に風呂に入っている。出てくるまで約20分。そして幸子たちが15分くらいだから、自分に残された時間は約35分というところだ。
 まあそれくらいあればいいだろう。親のいるときは出来ないテレビゲームだ。
 今日のチャンスを逃したくなかった。
 調子よく敵を倒していく。
 姉が裕太とともに風呂から上がる頃には最終画面の一歩手前まできていた。
 後はブラックサタンの部下3人を倒すだけでラスボスまで行き着ける。幸子と加代子はなにやらこそこそ話し合いながら風呂場に消えて行った。さあ、あとひとがんばりだ。
 雄介がそう思ったとたん、何かの外れるような音がしてゲーム機がおかしくなってしまった。
「あれ、切れた」
 思わず独り言が出る。
「どうしたの?」
 裕太の髪を拭いてやりながら姉が尋ねてきた。
「わかった。また接触が悪くなったんだ。前にもおんなじことがあったんだよ。でもお父さんが直してくれた。それ見てたから僕も直せるよ」
 父さんの机の引出しに道具が合ったはずだ。
 心配そうに見つめる姉に大丈夫だといって、雄介はドライバーを一本取り出した。
 それでゲーム機の蓋を開けると、内部にあるソケットを抜いて、刺しなおした。
 雄介の唯一の失敗は、その時にゲーム機のコンセントを外していなかったことだった。
 ばちっと音がして、電気が全部消えた。窓から入ってくる街灯の明かりを残して、部屋の中が一気に暗くなった。
 


 3 加代子8歳・幸子7歳

 
 湯船の中で幸子がくすくす笑っていた。
 その意味がわからない加代子は、いらいらしながら指で幸子にお湯をはねてやった。
「何がおかしいのよ。さっきから笑ってないで教えなさいよ」
 ふんと幸子が横を向く、でも横目で加代子を見てる表情はむしろ話したくてたまらないという表情だった。
「さっき、裕太を抱いてるお姉ちゃんを見たんだ。裸ん坊のお姉ちゃん」
「それがどうしたのよ。別に、あたしだってしょっちゅう見てるわよそんなの」
 馬鹿じゃないのという意味をこめて加代子が言う。
「うふふ、今日ね、よく見たらお姉ちゃんのあそこに少し毛が生えてたの」
 あそこに毛と聞いてすぐに加代子は理解した。
 母親と自分を比べても、股間の感じはぜんぜん違うのを日ごろ気にしていたのだ。
 母親に聞いたら、あんたも中学生になったら生えてくるわよ、とそっけなかった。
「じゃあ、お姉ちゃん中学生になる前にもう大人になったんだ」
 大人になるというのがどういうことなのか、知らないまま加代子が言う。
 幸子だって知らないに決まってる。でも自分は知ってるんだとばかりに言うことに優越感を感じていた。
「お姉ちゃん、大人になるってどういうこと? お股に毛が生えたら大人になるの」
 案の定幸子が聞いてきた。
 今度は加代子が幸子をじらす番だ。
「さあね。子供は知らなくていいことよ」
 くすくす笑う。
 幸子がだんだんいらいらしてくるのが加代子には愉快だった。
 教えてよ教えてよ、としつこい幸子に、しょうがないなといって加代子は洗い場に移った。
 幸子も湯から上がってくる。
「教えてあげるから、ちょっとそこに座って足を広げなさい」
 湯船のふちを示して加代子が言う。
「ええ?恥ずかしいよ。どうして? 関係あるの?」
 関係なんか無い。でも、幸子を恥ずかしがらせるのが面白くて加代子はうなずいた。
「いやだなあ。じゃあお姉ちゃんも見せてよ。みせっこならいいよ」
「わかったわかった。早く足開いて見せなさいよ」
 幸子の細い足がゆっくり開いていった。
 覗きこむ加代子の前で今にも見えようとしたとき、ちりっという音がして風呂場の電気が消えた。
 


 4 裕太六ヶ月

 暖かいことほど満ち足りることは無い。お腹がすいていなければ言うことはない。
 今はミルクも飲んで空腹感は無かったし、湯船の中で浮いてるのは気持ちよかった。目の前には大好きな二つの目が自分を見守ってくれている。
 この目が自分を守ってくれる目なのだ。いつも一緒にいてくれる目だ。ミルクを飲ませてくれて、お風呂に入れてくれて、下半身が気持ち悪くなって泣いたときはオムツを換えてくれる。
 神様のような目だった。
 ゆったりとお風呂に浸かった後は眠る時間だ。もっとゆっくりその目を見ていたかったけど、眠気も強くなってきた。
 いつもはベビーベッドに横たわる自分の横でやさしい歌が聞こえてくる時間だ。
 この時間がずっと続けばいいのになと漠然と思った。
 でもその日はすこし違っていた。いきなり光が消えてしまって、みんなが慌てていた。
 あせる気持ちがなんとなく伝わってきて泣きたくなってきた。
 泣けばきっとやさしい目が抱き上げてあやしてくれるはずだ。
 背中をとんとんと叩いて、ねんねんころりよと歌ってくれるはずだ。

 
 5 キャンプファイヤー

「どうしたの、雄介か何したの?」
 ぐずりだす裕太を抱えあげながら涼子は聞いた。
「停電だよ、すぐに電気つくさ」
 上ずった声は涼子に不信感を持たせたが、とりあえず追求することは止めておいた。
 お姉ちゃーんと風呂場のほうからもSOSが聞こえてきた。
 涼子は裕太を抱いたまま、じわじわと風呂場に向かった。
「そうだ、雄介、仏壇からろうそく持ってきて。それをテーブルに灯してくれる?」
 すぐにOKと雄介が立ち上がる。
 暗いながらも勝手知ったる我が家だ。風呂場に行くのはたやすいことだった。
 引き戸を開いて、二人に声をかける。
「大丈夫よ。ちょっと停電しただけだから、今ろうそく持ってくるから、あがる準備していなさい」
 足音がしたかと思ったら、後ろから雄介が太いろうそくに火を灯してやってきた。
 真っ暗だった風呂場が明るくなった。
「よかったー死ぬかと思った」
 幸子がふざけて言った。余裕が戻ってきている。
「お兄ちゃん見ないでよ」
 加代子は幸子より一つ年上だからか、兄に対してすでに恥じらいを持ってるみたいだった。
 無事に二人を風呂から上げて、居間にみんなが戻ってきた。
 タオルで拭いてもドライヤーが使えないから髪がきれいに乾かない。
 風呂にまだ入ってなかった雄介以外はみんな髪が湿っていて、風呂上りの熱が冷めるにつれ次第に冷たくなってきた。湯冷めした体が自然と震えだす。
 電気が使えないから石油ファンヒーターも使えないし、ハロゲンヒーターも使えない。火の気が全く無いと、春が近いとはいえ夜はまだ寒くてたまらない。
「ほら、みんな体引っ付けて」
 布団を引っ張り出した涼子が皆を引っ張り込む。コタツは中に空洞があるから電気が消えた状態ではあまり暖かくなかったのだ。
 雄介たちはそれで何とかなりそうだけど、裕太が心配だった。抱きしめた手の中で震えてる。
「やっぱり何か無いとだめだよ。おれ、倉庫から石油ストーブ持ってくるよ」
 雄介が布団から身を起こした。
 家の外にある倉庫に古い石油ストーブがなおしこんであるのだ。
 ファンヒーターを買ってからお払い箱になったストーブだが、まだ壊れてるわけではなかった。灯油を入れさえすれば、冷たい部屋を暖めてくれるはずだ。
「一人で大丈夫?」
 そう言う涼子にうなずいて、雄介は火のついたろうそくを一本取り上げた。
 影が揺らめいた。深海の難破船にもぐりこんでるみたいだった。
「多分おれが悪いんだ。停電にしては他の家が電気消えてないのはおかしいし、街灯だってついてるんだもの、さっき修理するときショートしてヒューズが飛んだんだと思う」
 いつもは怖がりで、夜は近くの自動販売機に一人で買い物にもいけない雄介が、みんなのために積極的に行動しようとしているのだ。
 責任感じてるんだろうな。涼子は、気をつけてねと一言いって送り出した。

「お兄ちゃん大丈夫かな」
 加代子が震える声で言った。片手にろうそくを持って真っ暗な倉庫を探すのは大変だろう。
しかも重い石油ストーブを片手で持ってこないといけないのだ。
「加代子、裕太を少し抱いていてくれる?」
 寒いからかぐずりだしている裕太を加代子に預けるのも不安だが、雄介の手伝いに加代子をやるよりは、ましなような気がした。
 加代子の小さな体の中で、裕太は急に成長したモスラの幼虫みたいに見えた。

 家のドアを開けて外に出ると、中よりも明るかった。
 星も月も出ているし、いつもは頼りないと思っていた街灯が自分の道を明るく照らしてくれていた。風でろうそくの火が消えそうになるのをうまく体でかばいながら倉庫のほうに歩く。
 倉庫の戸は開いていて、中では雄介が奮闘中だった。
 ろうそくのオレンジ色の光がゆらゆら動く中で、他の荷物をどけてストーブを持ち上げようとしていた。
「雄介はろうそく持っていて」
 最初は自分でやるからといってきかなかった雄介だが、家の中から裕太の鳴き声が聞こえ出すと、あきらめたのかすんなり交代してくれた。

 居間に置いてあったファンヒーターをどけて、そこに石油ストーブを置いた。そのあと雄介が玄関口に置いてあるプラスティックの灯油缶を運んできた。
 半分くらいしか入ってないのが幸いだった。満タンだったらとても重くて運べない。
 加代子の腕の中で泣いている裕太を涼子は抱きかかえる。背中をとんとん叩いてやってやさしく声をかけてやると、次第に泣き声はやんでぐすぐすっと鼻をすする音に変わった。
 雄介がポリタンクから電動ポンプで給油をはじめる。
「おい 、 加代子あまりろうそく近づけるなよ、引火したらやばいだろ」
 加代子は親切でそうしてるのだが、実際危険すぎる。
「でも、暗いとこぼれちゃうかもしれないでしょ、お兄ちゃん大丈夫?」
「ああ、大丈夫さ。別に満タンにしないといけないわけじゃないんだからな」
 雄介はストーブに半分くらい給油してホースをあげた。
 でもその時、まだホースから灯油が出てるのに気づかなかった。
 雄介の膝にこぼれた灯油はじゅうたんの上を流れて水溜りを作ってしまった。
「ちょっと、加代子は離れて。幸子、ティッシュを持ってきて」
 裕太を抱いた涼子がてきぱきと指示を出す。
「あ、ごめん、こぼしちゃったよ」
「いいから早くふき取りなさい」
 離れたろうそくのゆれる光の中でする作業は時間がかかったし、完全にふき取れたのかも疑問だった。
「ストーブを少し横にずらして」
 涼子が雄介に命じる。このまま火をつけるわけにはいかないと直感で思ったのだ。
 1メートルくらい離してからストーブの芯を上げた。
 それにマッチで火をつける。
 ちょっとどきどきしたが、少しだけくすぶった黒い煙を上げながら石油ストーブが普通に着火した。網の目のドームから炎がでないように芯の具合を調節する。
 火の気のなかった冷たい部屋の中がじんわりと暖かくなり、それまでみんなが感じていた不安がそれに伴って氷解していくのを涼子は感じた。
 石油ストーブのオレンジ色の光に満たされた部屋の時計は9時になろうかとしていた。
 いつもなら裕太は寝てる時間だし、加代子や幸子もそろそろ寝ようかと言う時間だ。
 雄介はもうしばらくゲームがしたいと逆らったりしてるだろう。
 でも今夜はみんな寝ずにストーブの周りで暖を取っている。
 雄介はもちろん、加代子も幸子も、いつにない今夜の出来事に興奮して眠気など全く感じていないようだった。
 涼子の腕の中の裕太でさえ笑いながら涼子のほっぺたを触ったりたたいたりしていた。
 他の子はとにかく、長女である涼子は今夜の出来事を両親に知らせる義務があると思っていた。どうして石油ストーブを倉庫から引っ張り出して点けていたのか、なぜごみ箱に灯油で湿
ったティッシュがたくさん捨ててあるのか。

「テレビも見れないと、なんか退屈だね。お姉ちゃん面白い話してよ」
 幸子が涼子を覗き込んで言う。
 雄介も加代子も退屈なのは同じのようだ。後二時間何をしてすごすか。
 考えた涼子の頭に、半年前のキャンプファイヤーの事が思い出されてきた。
 火を囲んで歌うのは楽しかった。
「そうだ、歌を歌おうか。キャンプファイヤーの歌」
 涼子の提案にみんなうなずいた。しかし雄介がもうひとつ提案した。
「どうせならキャンプファイヤーやろうよ、もちろん家の中でだから小さなものだよ」
 いくら家の中でもそんなことできるわけない。
 涼子が反対するよりも早く、雄介は立ち上がり、準備をはじめた。
「大丈夫。友達の家でやったことあるんだ。皿の上にアルミホイルを引いて、そこに割り箸で骨組みを作るのそれをテーブルの上で燃やすだけだよ。ミニキャンプファイヤーって言うの。
もともとは骨組みを考えるためのシミュレーションなんだけどね」
 雄介の話を聞いて、涼子もそれなら大丈夫かもしれないと思った。
 テーブルの上なら居間からも離れてるからこぼれた灯油に引火する恐れもない。
 ストーブもそっちに持っていって食卓をみんなで囲むほうが、この場所にいるより安全なよ
うにも思える。てきぱきと雄介が動いて、皿の上の銀色の大地に割り箸の骨組みがくみ上げられる。
 高さ10センチくらいの小さなものだけど、形は立派なキャンプファイヤーの骨組みになっていた。雄介がマッチで火をつける。乾いた割り箸がゆっくりと炎を上げ始めた。
 心配していた火の粉はあがらなかった。
「じゃあ歌うよ、みんなも一緒にね」
 半年前を思い出しながら涼子が最初に歌いだす。

 燃えろよ燃えろよ 炎よ燃えろ
 火の粉を巻き上げ 天まで焦がせ
 
 簡単な詩だ。すぐに加代子や幸子も憶えて一緒に歌い出した。
 
 照らせよ照らせよ 真昼のごとく
 炎よ渦巻き 闇夜を照らせ

 二番も同じように一拍遅れて皆がついてくる。
 三番は涼子も覚えていなかったから、一番と2番を交互に何度も歌った。
 小さな炎に照らされた兄弟たちの顔は皆うれしそうだった。
 腕の中の裕太も楽しそうにきゃっきゃと笑っていた。
 石油ストーブで部屋も暖まってきている。涼子は長女としての役割を完全に果たすことができたことで満足感を感じていた。そのテーブルの上のキャンプファイヤーはいつもと違う2番
目の出来事だった。
 
 そしてその直後に3番目の出来事が起こった。
 喜んだ裕太が、手を伸ばしてミニキャンプファイヤーを触ろうとしたのだ。
 危ないと叫んで向かいに座っていた加代子が裕太の手を払う。その時、袖口が引っかかり、燃えた割り箸が飛んでいった。火の粉が飛んだ。
 一瞬暗くなったあと、居間と食堂の間においてあったごみ箱が音を立てて燃え始めた。
 灯油で湿ったじゅうたんに火が移るのもあっという間だった。台所ではてんぷらを作ったまま片付けられずにいたなべの中のてんぷら油に火が移り、見る見るうちに天井まで炎がなめ始
めた。
「みんな逃げて、はやく」
 唖然としていたみんなが涼子の言葉で動き始める。でも雄介は玄関とは反対方向に走った。
「119番に電話しないと」
 雄介は叫んでいた。
「間に合わないよ、早く来なさい」
 涼子の声に耳も貸さずに雄介は電話機の置いてある奥の間に行った。
「加代子と幸子は先に逃げなさい、そうだ、加代子、裕太をお願い」
 言ってから雄介を連れに涼子は奥の部屋に急いだ。
 煙で前が見えなくなっていた。息を吸うと激しい咳が止まらない。熱気で今にも髪の毛が燃え上がりそうだった。雄介、雄介と呼びながら部屋に入ると、雄介は受話器を持ったまま倒れていた。激しく咳き込んでいる。

「おねえちゃーん、チェーンが外れないよ」
 幸子の声がした。
 幸子と加代子は背が低いからドアのチェーンロックをはずすことができないのだ。
 唇をかんで悔しがる間にも酸欠で意識は朦朧となっていく。両親は夜出入りするとき裏口を使っていたのだった。
 表玄関はきちんとチェーンロックされているのだ。雄介と涼子は背が高いからはずすこともできる。
 さっき外に出たとき、外したままにしていればよかった。そんなことを思っても後の祭りだ。
 ごうごうと音を立てる炎が台所横の裏口もせき止めていた。
 雄介を助けることができない。
 担ぐには重過ぎる。でも、加代子と幸子と裕太を助けなければ。涼子はふらつく足で玄関に向かった。上がりかまちで煙に巻かれた加代子と幸子が倒れていた。
 裕太はまだ息をしてるようだ。でも泣くこともできずにあえいでいる。
 裕太を抱き上げて玄関の戸を開けようとしたとき、涼子の髪の毛が火を噴いた。
 チェーンロックにやった手が思わず引っ込む。意識はそこで消えていった。
 
 燃えろよ燃えろよ 炎よ燃えろ
 火の粉を巻き上げ 天まで焦がせ

 最後にその歌が涼子の心の中で響いていた。

 住宅街の一角にある一軒家から激しく吹き上げられた炎は、真っ黒い煙と無数の火の粉を星の瞬く紺碧の空に高く高く運んでいった。
 そして、それと同時に五人の子供たちの命も天空に向かってまっしっぐらに駆け上った。




                        キャンプファイヤー              おわり