放射朗
 

 1   主将の屈辱



 俺の意識は確実に消え去りつつある。
 首に巻きついた蛇のようなその腕は、細いが力は強い。

 何より技術レベルが高い。
 つぼを押さえてるというのか……。
 女に、それもまだ部員でもない新入生の女に柔道で絞め落とされる可能性なんて、考えもしなかった。

 俺は男子柔道部の主将なんだぞ。
 
 最後に一絞りの力を出して、技を解こうとした。

 しかし、しなやかに絡みついた彼女の腕はそんな俺をあざ笑うかのように、更にほんのちょっとだけ力を
加えた。

 意識がスポンジに吸い取られる水滴みたいにしぼんでいくのがわかった。



 今年の四月は、その新入生の噂で持ちきりだった。
 女子の部は彼女を勧誘することが最優先事項になっていた。

 この春入学してくる彼女の名前は、由利夏海。
 意外に小柄な少女だった。

 柔道をしているようには見えない。
 髪型はショートカットでスポーティに見えるが、どちらかといえば文芸部などのおとなしいクラブが似合う、
骨格の細い少女だった。

 その少女が、この町の柔道場で同クラスなら男子にも負けない猛者だというのだ。

 はじめてその娘を見たとき俺は信じられなかった。

 だが、女子部の主将の小川房子の言葉は更に信じがたかった。
 
「柳谷主将。この娘が噂の由利さんよ。柔道やってるなんて信じられないくらい美少女でしょ。でも、この
娘うちの部には、入る気無いって言うのよ。 高校の柔道部なんてぬるいところにいても上達しないか
らって」
 小川に連れられて男子の柔道場に来た彼女は、真新しい制服に包まれて、無表情に立っていた。

「まあそうかもしれないな。うちの女子部は弱いからな」
 まだ小川の意図が読めない俺は適当に答えた。

「でも男子と練習させてくれれば、入ってもいいと言うのよ。どうだろう」
 よそはどうだか知らないが、うちの部では男女は道場から分けてあるくらいだ。

 女子が男子と一緒に練習するなんていうのは前代未聞の事だった。

「そりゃ無理だよ。いくら彼女が町の道場で男子相手にいい戦いしてるといっても、そりゃ中学生レベルの
話だろ。高校レベルでは怪我するのが落ちというもんさ」

 発育の遅めの男子といい勝負が出来た事で、やや自惚れているのだろう。
 どうせそんなところだ。

「私もそう思うわ。でも口でいくら言っても説得力無いでしょ。 一回で良いから女子の道場でこの娘の
相手をしてやってくれないかしら。絞め落としてもらっても良いって言ってるわよ」

「本当かいそれ」
 俺は小川にではなく斜め後ろにひかえめに立っている少女に言った。

「本当ですよ。でも私に勝てるかしら。私に絞め落とされて泣く覚悟は出来てますか?」

 少女は可愛い声であきれるくらい生意気な言葉を吐いた。

 締め技で落とされる時は誰でも、白目はむくは涎はたらすは、痙攣してひどいありさまになる。
 運が悪い奴は失禁して畳を濡らす事もあった。

 俺は思わず笑いがこみ上げてきた。
 余りの生意気さにむしろ清涼感を感じたのだ。

「すごい自信だね。わかった、相手してやるよ。ちょっと待ってて、連中に練習メニューを言ってくるから」
 俺は何事かと興味深げにのぞいている後輩たちの方を顎で示した。

 しかし絞め落とされても良いなんて、ちょっと調子に乗りすぎというものだ。

 どんなに可愛い娘でも、落とされている所を彼氏に見られたらふられてしまうだろう。

 それくらいの醜態なのだ。
 俺は彼女らについて女子道場まで行く間、考えていた。

 ひょっとしてこの娘は絞め落とされる事に快感を覚えるマゾなのかもしれない。
 人前で醜態をさらす事に異常にもえる、そんな性格なのかも……。

 だがそれは違うはずだ。
 町の道場の噂でも、彼女が醜態をさらしたなんて話は聞いたことが無い。

 4月も終わりとはいえ、夕暮れ時の風は冷たく、火照った身体は気持ちよく冷えていった。
 
 二十人あまりの女子柔道部員は全員両側に正座して俺達の試合を待ち構えていた。

 由利夏海が着替えに立っている間、小川が俺の横に来て言った。

「ただ勝負するだけじゃ面白くないわね。何か賭けない?緊張感があったほうが面白いでしょ」

「俺が負けるわけ無いじゃないか。決まった勝負に賭けても意味無いだろ」
 小川は何考えてるんだろう。

「あの娘を絞め技で落とせたらあたしを好きにしていいわよ。貴重な時間を割いてくれたあなたに、
すこし恩返ししたいの」

 何言ってるんだか。

 結局自分がやりたいだけなんだ。
 発情しやがって。
 しかし小川の身体は悪くはない。
 顔はまあ普通だけど、ウエストが引き締まってるし腰つきはぐっと来るものがある。

「いいぜ。でも俺が負けたら、何すればいいんだ? 聞くのも無駄だけど一応な」

「ありそうも無い事だけど、あなたが負けたら、ここでみんなの前であそこの毛をつるつるに剃ってしま
うってのはどう?」

 俺は笑いをこらえて、OKした。

 まったく変な事を考え付くもんだ。

 空手などの打撃系の格闘技では、確かにスピードが命だから体重の軽い女でも男に勝つ事は可能かも
しれない。

 急所蹴りがOKなら、うまく入れば男はその時点で動けなくなる。

 しかし柔道ではスピードよりも力と体重だ。
 力も弱く体重も軽い女に、男に勝つ可能性は限りなく小さい。

 もっとも素人相手なら別だが、相手の男に柔道の経験が少しでもあれば、女が勝つのは無理という
ものだ。


 試合が始まった。
 組んでしまえば不利になると分かっているはずだから、夏海は容易に組むような事はしないと思って
いた。

 しかし彼女はあっさり俺の腕の中にいた。
 夏海の襟を握ったなら、後は簡単だ。

 ちょいと腰を入れて背負い投げしてもいいし、いっそのことこのまま絞め上げてやってもいい。

 でも俺はすぐに勝負をつける気は無かった。

 生意気な言葉を吐いた罰だ。
 少しいたぶってやろうと思った。

「ほら。得意な技を出してごらん」
 俺はわざと隙を作りながら挑発した。

 夏海の足払いはなかなかスピードがあって見事だったが、所詮軽量級の女の技だ。

「まだまだ。今度は背負い投げにいってごらんよ」
 俺は投げやすいように夏海に体重を預けた。

 すっと夏海の身体が沈み込んだかと思うと、俺の身体が浮き、回転した。
 背負い投げもまずまずだ。

 もちろんこっちは身体をひねって技ありを取られないように着地する。
 すかさず寝技に持ち込んだ。

 まあ、正直言えば寝技に持ち込みたかったのだ。
 可愛い少女が相手だ。
 立ち技より寝技でいたぶるほうが断然楽しい。

 俺は夏海の身体を縦四方固めで押さえ込むつもりだった。
 高校入学したてのピチピチ娘の身体を思い切り抱きしめて匂いを嗅いでやろう。

 柔道の試合だ。
 相手の胸を触ろうが尻を揉もうが文句をいわれる筋合いじゃない。
 わざとやったなんて証拠はどこにも残らない。

 しかし彼女はするりと俺の腕の中から逃げると、すかさず反撃に来た。
 俺の左腕を取り、腕ひしぎ逆十字を決めようというのだ。

 思いのほか力が強かった。
 確かに油断もあったが、彼女の無駄の無い動きに翻弄され、俺の左腕は彼女の足にはさまれ、
完全に技を決められてしまった。
 
 ズキンと左腕に激痛が走る。
 男相手なら、すかさずまいったをするところだ。

 力があるといっても所詮相手は女だ。
 俺は力で返せるつもりで降参はしなかった。
 
「柳谷主将、きまってるわよ。まいったしないの?」
 審判役の小川が俺の顔を覗き込んだ。

「大丈夫。かえせるよ」
 俺の言葉に夏海の腕の力が更に入る。
 うう。きびしい。

「大丈夫ですか。まだ力入れられますよ。折れても知りませんよ」
 夏海が一瞬力を抜いて俺に確かめた。

 俺の身体が屈辱で燃え上がる。

 新入生の女に油断したとはいえ負けるわけにはいかない。
 俺は一瞬力が抜けた隙に乗じて腕をひねり、強引に技を解いた。

 女相手でも完全に決められた腕を跳ね返す事は、そんなに簡単じゃない。

 この時は気付かなかったが、後から思えば夏海はわざと技を解かせたのだと思う。
 
 すばやく起き上がる。
 いったん夏海の身体が離れた。

 左腕がうまく動かない。しびれているのだ。

 しかし利き腕の右手一本あれば十分だ。

 俺はここからふざけた色気も油断も一切排除して、この少女を絞め落とす事に全力をあげた。

 思いっきり無様な格好で白目むかせてやる。

 失禁して、せっかく入学した学校に思いっきり来にくくしてやる。

 目つきの変わった俺を警戒したのか、夏海はさっきみたいに容易に組むことはしなかった。

 しかしそれで時間を稼げたおかげで、左腕のしびれも収まってきた。

「主将、間違っても負けないでくださいね。柔道部の恥ですよー」

「油断しちゃ駄目ですよー」
 外野から声がかかる。

 彼女らは、意外にもいい勝負になったスリル満点の余興を楽しんでるみたいだった。

 俺は何度か夏海を捕まえようと、手を出すがなかなか捕まえきれない。

 何度目かでやっと彼女の襟をつかめた。
 つかんでしまえばこっちのもんだ。

 俺は引き寄せ、軽量級の男子より更に軽い彼女の身体を今度は逆に足をかけて押し倒した。

 抵抗無く後ろに倒れる夏海は右足を上げて巴投げに来た。

 それを外し、再び寝技の体勢だ。
 夏海の寝技のスピードはすごかった。

 俺はくるりと後ろに回った彼女の腕に首を決められてしまった。
 
 何度も言うようだが、柔道では体重差はそのまま実力の差だ。

 寝技でも負けるはずは無いのだ。
 それなのに彼女の腕はしなやかに俺の首に巻きつき、俺の後頭部は反対の腕で押さえられた。

 頚動脈が圧迫され、瞬間意識が遠ざかる。

 気道は確保されているから息は出来る。
 ただこのまま絞められれば、落ちるのに10秒もかからない。

「どうですか。落としますよ」
 夏海の声が耳元でした。

 俺はその一言で更に頭に血が上る気がした。
 このまま負けるような事があれば、今はその可能性が高いが、俺の面目はまる潰れ。

 女子柔道部員全員の前で、新入生の女子に絞め落とされた男子部の主将は、この部が
続く限り永久に笑いものにされるだろう。

 絶望で目の前が真っ暗になった。
 絞められているのも関係しているのだろうが。

 俺は暗くなる世界の中で負けを確信していた。
 確か膀胱にはあまり溜まっていなかったはずだ。

 汗もかいているし……。

 失禁しない事だけをひたすら願った。
 不意に周りが明るくなった。
 夏海が力をほんの少し緩めたのだ。

 俺の脳が切実に求めていた酸素が血流に乗って少しだけ流れ込むのが感じられた。

 夏海にいたぶられている。

 俺は情けなくて涙があふれてきた。
 こっちがいたぶってやるつもりだった少女に、反対にいいように遊ばれているのだ。

 自分の顔が自然にゆがむのがわかった。
 
「主将泣いてるー、由利さん可哀想だから解いてやんなよー」

 そんな周りの同情の声も、俺の自己嫌悪に更に拍車をかけるだけだった。

 明るくなった周りを少しだけ見ることが出来た。
 みんな驚いてあきれてみているだろうと思った。

 だが実際はみんな、小川までも楽しげに笑っていた。
 落とされていく俺を嬉しそうに見守っていた。

 その時やっと、これは罠だったのだと俺は気付いた。

 最初から俺を落とす事が目的だったのだろう。
 そういえば女子部から恨まれてる事もあるかもしれない。
 セクハラしたこともあったし。

 賭けのことも思い出した。
 そんな事を思っているうちに、夏海はまた力を入れ始めた。

 ふたまわりも身体の小さい夏海の腕の中で、俺の身体は痙攣した。

 意識はゆっくりと消えていった。
 


                                    柔道女登場 1 終わり







柔道女登場