エッチな方程式


 いいかげん腹が減って、どうにかしなきゃなあと考えていたとき、倉庫のドアが開いて乗組員が入ってきた。
すばやく元居た場所に戻って身を隠したが、今回はうまく行かなかった。まあいいか、いつまでも断食していられるわけじゃなし。
 この辺が発見される頃合というものかもしれない。

「そこに居るのはわかっています。おとなしく出てきてください」
 この貨物船の唯一の乗組員は女だったのか。
 かわいい声だった。
 女が船長の貨物船か、僕の星ではめったに無いことだけど、他の星では大して珍しくも無いのかもしれない。

「わかった、撃たないって約束するなら出て行くよ」
 腰だめに銃を構えている女に向かって物陰から叫んだが、その銃の先端が微かに震えているのを見ると、やっぱり出て行くのは止めとこうかと不安になってきた。

「あなたがおとなしく出てくるなら撃ちませんから……」
 語尾に優柔不断な性格も出ている。本当に彼女がこの船の船長なのか?
 なんか納得できないけど、僕は両手を上げて積み上げられたダンボールの上から飛び降りた。
 足元がぐらりときて、もう少しで転んでしまうところだった。
 着地した木箱の蓋が緩んでいたのだ。
 その木箱から降りながら中を見ると、その箱はもぬけのからだった。
 空箱なんか積荷にあったかな? だいたい意味ないじゃないか? 重量が増えるだけだ。

「どうやら人間みたいですね」
 そう言う彼女は流行りの金髪に加えて、少しでも屈めば後ろからお尻が見えそうな超ミニスカートをはいている、かなりセックスアピールの強い女と言うか少女だった。

 おとなしそうな性格のくせにすごくエッチな格好をしている。なんとも妙な女だ。

「僕をなんだと思ったのさ」
 両手を上げて彼女の前に立つ。

「ロボットかも知れないって思ってました。整備場の間抜けなロボットが、退船するタイミングを逃して降りれなくなった事が前に一度あったって聞いていたから」
「ふうん、でも人間の格好をしたロボットということもあるかもしれないよ」
 僕は自分の立場も忘れてついからかってしまう。
「ロボットという可能性は今消えました。質量モニターで調べた超過質量は約60キログラム。あなたの身長は、見たところ170センチくらいだから、もしロボットなら重さはその倍以上あるはずです。ロボットなら、外見はどうでも内部は金属のはずだから……」
 僕のつま先から頭の天辺まで、彼女の目がじわじわ視線を泳がせるのに約10秒かかった。一つうなずき、ひくついた笑顔を向ける彼女は最初思った通り若いようだ。
 二十歳前に見える。

「僕が人間だと証明されたのはいい事だよね。ところで、僕はすごく空腹なんだけど、何かご馳走してくれないかな」
 普通、相手に自分が人畜無害だとアピールしたい時、人はどうするだろう。
 僕の場合は、ちょっと卑屈な笑顔で、手になにも持っていないことを強調するように、手のひらをひらひらさせてみた。

「いいですけど、言いにくいんですけど、その前に着てるものをすべて脱いで、そこのダストシュート(ごみ箱)に捨ててください。今すぐ」
 いったい何を言い出すんだろう。この船は出港して、まだ3日目だ。
 彼女はたった二日セックスをしなかっただけで禁断症状が出るくらいのセックス中毒なのだろうか。見かけによらず?

 僕が考えていると、彼女の光線銃が鈍く光って、そばの床が一瞬オレンジ色に変わった。靴のゴムがいやなにおいを発して溶け出した。
「すいません、急いでください」
「あちちち。やめてくれ。わかったから」
 上着を脱いで、ズボンを下ろした。ポケットの中のわずかな貴重品を取り出そうとしたが、それも彼女に止められた。
 下着姿になった僕に、彼女は追い討ちをかけてきた。
「全部って言ったでしょ。シャツとパンツもですよ」
 ややヒステリックな口調で少女に見える乗組員が叫んだ。
 しかしその声を聞いて、見つかってから続いていた僕の緊張がやんわりと溶け出した。

「わかった。ほら、全部脱いだよ。これをごみ箱に捨てればいいんだね。そらよ」
 素っ裸の僕を見たとたん、彼女はいやだあと言って、銃を持たないほうの手で赤らいだ顔を隠した。
 おいおい、僕は悪者かもしれない密航者なんだぞ。そんなことじゃ襲われて、変なことされちゃうぞ。実際銃を奪おうと思えばできたと思うが、それはやめておいた。
 彼女の様子を見てると、いつでも形勢逆転できる自信が湧いてきたし、まだこのままだと自分がどうなるのかもはっきりもしていない。たいした罪にならないのなら無理をすることもない。
 ごみ箱に入れられた僕の衣類は、次の瞬間圧縮空気に流されて、澄み切ったガラスのような暗い宇宙のかなたに漂っていったはずだ。

 あの中には無け無しの金を払って買った地球製の腕時計も入っていたのに……。

「とにかく今後の事を説明しますから、操縦室に来てください。乾燥食料しかないけど御馳走しますから」
 彼女はそう言うと先に立って歩き出した。不注意なんてもんじゃない。
 僕をなめてるのか、あるいは弱そうに見えるのは仮の姿で、実は空手のチャンピオンなのか、おそらくそのどちらかだろう。
 僕は操縦室に行くまでにいくつかあった急な階段で、彼女のスカートの中に薄い布切れ一枚透してうごめく大臀筋をたっぷり鑑賞させてもらった。
 パンツもはかない僕の股間の状況が一変したことは多分僕が健康な男だとの証明になるだけで、特に僕が変質者だということにはならないと思う。
 そんな格好で宇宙船に乗ってるこの女が悪いんだ。

 操縦室は思ったより狭かった。この貨物船を操縦するただ一人のパイロットが過不足なく行動できる最小限のスペースしかそこにはなかった。

「そこの椅子に座っててください。今コーヒーと乾燥食料を開けますから」
 言いながら振り向いた彼女の口が大きく開いて、悲鳴と共になにか変な発音の言葉を発した。変態っとでも言ったのだろう。彼女の国の言葉で。
 しかし銃をぶっ放すとまでは思っていなかったから、僕の横のドアが半分溶け落ち、側に赤い溶鉄の水溜りができた時はさすがにたまげた。
 とっさに彼女の腰めがけてタックルする。
 しかしやはり格闘技のプロだったのか、小さな体の割には彼女の体は思いのほかどっしりとしていて、投げ飛ばされてのはこっちの方だった。

 危うく真っ赤な溶鉄に顔を突っ込みそうになって、飛びのいたあと彼女を見ると、やっと彼女が落ち着いたのか、荒れ狂う光線銃の軌跡はおさまり、彼女は肩で息をしながら目をつぶっていた。

「大丈夫かい? ごめんよ。驚かせたみたいで。 でも、悪気はないんだ。 状況上どうしようもないことなんだ」
 ひやひやしながら声をかける。
 目を開けた彼女は、ふうと大きく息を吐いて、また叱られちゃうなとつぶやいた。
 すごく悪い事をした気になった。
 
 燃え上がったプラスティックや溶け落ちたドアを、二人で消火器を使って始末し終えるのに約10分かかった。
 彼女の着替えを受け取って、僕がそれを着た。僕としては裸でいるよりはるかに落ち着かないが、また辺りを火の海にされることを考えれば超ミニのスカートに足を通さざるを得なかった。

「とにかく最初にお互い名乗りあわないかい? 二人しかいないから、君と僕で済むけど、僕としてはかわいい女の子の名前はぜひ知っておきたいんだ」
 熱湯で戻したヌードルを食べて、コーヒーを飲んだ僕は、すっかり彼女に対して強い立場に立っていた。なぜかわからないが、彼女は相対する男を優位な気持ちにしてしまうものを持ってるみたいだ。

「私はサイン・ルー・ケロンです。出身は工業惑星のタチバナ。普通はサインって呼ばれてます」
 神妙な声で彼女が自己紹介をした。

「僕はドスビー。この船が二日前に出港したサイラス生まれだ。密航したのは悪かったけど、こうでもしないとあの星を脱出する手段がなかったからなんだ。一般人の星間旅行は禁止されているから……」
 サイラスが星間旅行を禁止してるのには、もちろん理由がある。
 砂漠だらけのサイラスから、他の肥沃な星に行きついた旅行者はふるさとの星に帰る気などまったく無くなり、よその星に住み着くことになる。
 それで一気に人口が減り出したことに腹を立てた政府が、一定の人口に戻るまで人々にサイラスを出ることを禁止したのだった。
 そこまではまだ合法的だった。

 大統領は、さらに星間情報を制限し出し、圧政を敷くようになっていった。
 反政府的言動をするものを暴力で封じ込めるようになるのにも、ほとんど時間はかからなかった。
 何としても星間連盟の支部のある星まで行って、窮状を訴えるのが僕の使命なのだ。
 僕をこの船に乗り込ませるのに、何人もの仲間が死んでいった。
 めったに来ない貨物船に、可能性の低い密航という手段。今度うまく密航できるのは百年先かもしれない。これが最初で最後のチャンスなのだ。

「さっきは持ち物を捨てさせたりしてごめんなさい。星間運行規程の中に、密航者を見つけた時の対処法として、そうするように書いてあるんです。武装解除させる意味と、少しでも早く少しでも質量を減らすために」
 武装解除は理解できる。
 でも、二つ目の理由に引っかかった。

「貨物船は普通燃料をぎりぎりしか積まないんです。密航や乗っ取り、それに着陸時の万一の事故に備えるために」
「着陸時の事故っていうのはわかる。残りの燃料が多かったら、爆発しやすいだろうからね、でも密航を防ぐことになるのかな」
「自分が密航するほどの燃料も積んでいないとみんなが知っていれば、誰も密航しようとはしないはずでしょ。サイラスではもともと禁止されてるから星間運行規程を勉強することも無かったかもしれないけど」
「馬鹿にしちゃいけないよ。そのくらいはわかってる。でも、たったの60キロだ。そのくらいの超過は許容範囲のはずだよ。そうでもないと予想外の小惑星が在った場合、針路変更もできないじゃないか」
「やはりサイラスは遅れていますね。今のレーダーは10年前と比べてもはるかに優秀になっていて、最初に立てたプログラムから0.01パーセント以上軌跡がずれることはありえないくらいなんです。つまり許容範囲は限りなくゼロに近いんです」
 僕の目を見つめるサインの瞳の青が、一瞬赤く見えてぞくりときた。
「そうすると……どうなるのかな。僕は」
 さっきまで強い立場だったことも忘れて、こわごわと聞くと、
「星間運行規程では、密航者は速やかに船外に退去させること、となっています」
 本を読むようなサインの言葉が返ってきた。

「宇宙服を着ていたとしても、何も無い宇宙空間に一人ぼっちは寂しいね。寒そうだ。助けが来るまでに凍えそうだね」
「宇宙服を着て出るのはかまいませんが、助けが来ると思うのは非常識ですよ」
「助けがこなけりゃ死んでしまうじゃないか。それは無いよ。それで、もし僕が退去しなかったらどうなるのかなあ」
 自分がこんな猫なで声を出せるなんて知らなかった。

「この船は約十時間後にワープ領域に入る予定なんです。ワープ領域はご存知でしょうが船を瞬間移動させる時空間の隙間で、この宇宙上に無数にできたり消えたりしています。船のコンピューターが計算して、そのワープ領域に一定の時間内に入ることで星間旅行が実現できたわけですが、あなたが退去してくれないと、加速が足らずにそのワープ領域に入れなくなります。そうなると、帰るだけの燃料は無いわけですから、燃料が尽きて、なにも無い宇宙空間を永久にさまようか、どこかの太陽の重力に引かれて燃えてしまうか。そのどちらかになってしまいます」

「ちょっと待ってよ。まだ出港して三日目だよ。そんなに飛んでいないんだから、今引き返せば燃料は足りるんじゃない?」
 引き返すことは僕にとっての死を意味することでは同じ筈なのに聞かざるを得なかった。
「それは無理です。これまで加速してきた速度を落とすだけで、これまでと同じ燃料を使いますから、とても足りません」
 つまりどうあってもそのワープ領域に十時間以内に入らないと生還できないってことだ。
 しかし考えてみれば答えは簡単だ。
「僕の分、重さが増えたのがまずいんだったら、その分なにかを捨てればいいということじゃないか。服なんかの軽いものじゃなくて、この椅子だ とかそこらへんに飾ってある変な絵だとか。それでも足らなけりゃ、積荷のいくつかを僕が買い取るから、それを捨てればいい。なに、死ぬ気で働けばそのくらい二年で返せるさ」
「積荷はすでに買い手が決まってるんです。通信機で荷主と交渉するのは自由ですが、多分時間の無駄ですよ。足元見られますから、死ぬまでただ働きさせられるのが落ちです。きっとあの時死んでりゃ良かったって思うでしょう」
 しかしかわいい顔してきつい事を言う娘だ。

「10時間以内に僕は死んでしまうってことか」
 絶望感と共にため息つくひまも無く、サインが駄目押ししてきた。
「いえ、10時間以内にワープ領域に入るには、あなたに2時間以内に退去してもらわなければいけません」
「2時間? たったの2時間か、僕に残された猶予は。冗談じゃない、こんな服着てる場合じゃないぞ」
 立ちあがると服を全部脱ぎ、部屋の隅に在るダストシュートに叩きこんだ。
「君も全部脱いで捨てろ。それで少しは軽くなるから猶予も伸びるはずだろ」
 僕の剣幕に怖気づいたのか、サインはふらっと立ちあがると、ブラウスにブラジャーそれにミニスカートと下着を脱いで白くて木目細かい肌を僕の目の前にさらした。
 やせてる割には胸があり、きゅんと絞ったウエストから滑らかな曲線を描く腰のラインが、こんな状況にもかかわらず僕の胸を突いてくる。
 しかし見とれてる時間も惜しい。サインの服を引っ手繰ってダストシュートに放り込んだ。

「これで少しは時間が稼げるだろ」
「正確には2時間と6分30秒になりました」
 コンピュータも見ないであっさりと計算できてしまうなんて、さすがは難関を突破してきた操縦士だけあるってことか。
 次にやること。それは荷物を幾つか捨てることだ。
 命が危ないんだ。後のことなんか考えてはいられない。
 操縦室を出ようとして、気づいた。ドアが溶けてしまって開かなくなってるのだ。
 十センチくらいの隙間があるだけで、それ以上はまったく動かない。
 荷室にいけないんじゃ、荷物を捨てることもできない。
 でも、良く見たら入ってきたドアの他に、もう一つドアがあった。
「あのドアの向こうは何がある?」
「医務室です」
 サインは両手で胸と腰をかくして、赤い顔で言った。
 医務室を調べてみたが、全自動治療機が一台置いてあるだけで、それ以外は壁にがっちりと設置されたベッドがあるだけだった。
 捨てられそうなものは何も無い。

 再び操縦室に戻ると、捨てられそうなものをかまわずにごみ箱に投げ込んだ。
 食料以外は、光線銃も捨てた。サインは僕の行動に抵抗することも無かった。
 どうも変だ。サインは操縦士なんだろ。普通、密航者の言いなりになる筈が無いのに。

「君は本当に操縦士なのかい?」
 単刀直入に聞いてみた。
 僕の予想が正しければ、サインは正直に答えるはずだ。
「私は自分が操縦士だなんて言った覚えはありませんよ」
 サインの表情は少し変だった。額からは汗が流れてる。
「君はロボットなんじゃないのか?」
 荷室にあった空き箱を僕は思い出していた。
「その質問には答えられません。その質問には……」
 胸を隠していた手で頭を抱えてサインが苦しみ出した。
 隠れていた乳房が現れて艶のあるピンクの乳首が震えた。
「この船はもともと無人船だったんだな。出港後、船のコンピューターが、密航者を発見したけど、コンピュータには手足が無い。だから積荷だった君を無線で起こして、操縦士の代わりをさせることにしたんだ。僕が寝てる間に木箱を抜け出た君は、船のコンピューターに言われるままにこれまで行動してきた。そうなんだろ」
 サインは相変わらずいやいやをするように首を振っている。

「でも不思議だな。僕が寝てるうちにひっ捕まえておっぽり出してしまえば簡単に問題は解決したはずなのに」
「駄目です。ロボットは人間に危害を加えてはいけないんです」
 なにかを吹っ切ったようにサインは叫び、そしてやっと少しだけ落ち着きを取り戻した。 ゆれていた天秤が片方にちょっとだけ重い錘を載せられたようにも見えた。

「ちぇ、気づきやがったか。仕方ないかねえ。所詮ダッチワイフだからな。その女は」
 声が部屋の中に反響した。船のコンピューターの声に違いない。
「やっと黒幕のお出ましか。おまえがサインに命令を与えていたんだな」
「まあそんなところだ。その女が船長でないのは事実だが、それでどうなる? この船が重量オーバーで加速が足りないのは本当だぞ。おまえには出ていってもらわなければならない。法律で決まってるんだからおまえも諦めるんだな」
 確かに、サインがロボットだったとしても何がどうなるわけでもないのだ。
 いや、待てよ。
「サインはロボットなんだから宇宙に出ても死なないわけだ。それならサインを一旦外に出しておいて、僕を最寄の星まで送った後迎えにくればいいんじゃないかな」
「勝手なことを言うな。そのためにいくら燃料代がかかると思ってるんだ。その案は却下だな」
 自分でも勝手なことだとは思ってた。こんなかわいいサインを自分の身代わりに宇宙にほっぽり出すなんて、言った後すぐにでも口から出た言葉を吸い込みたくなった。

「僕がどうしてもいやだと言ったらどうする?」
 好奇心から聞いてしまった。
「その時は仕方がない。この船の中の空気を抜いておまえに死んでもらうしかないな」
 そして僕の死体はサインが泣きながら宇宙に葬るのか……。
 なにか方法があるような気がするんだけど、焦る僕の頭の中には冷たい宇宙空間に漂う自分の遺体がゆらめくだけだった。

「ちょっと待ってください。私が、……私が出て行きます。ロボットは人間を守らなければならないんです」
 意を決したサインが僕に抱きついてきた。サインの裸の胸が僕の胸に重なる。
 弾力のあるサインの乳房が弾む。
 思わず僕もサインの腰に手を回した。
 滑らかな背中のラインを手の平でさする。お尻に触って思いきり尻たぶを握ってみた。 しかしいったいどんな素材を使ってるんだろう。

 サインの体の感触は人間と寸分も変らない。涙で潤んだ瞳が僕を見上げてる。
 本当にこの娘はロボットなのだろうか。行動は確かにロボットだけど。
 サインの瞳を見ていて僕も決心がついた。
 僕がこのままここに居座れば、結局はロケットもろとも太陽に焼かれてしまうだけなのだ。
 密航者は死刑にならないといけないのだ。

「サイン、ありがとう。キミのその気持ちだけで嬉しいよ。僕が出て行く」
 船のコンピューターはよほど嬉しかったのか、それとも元来の皮肉屋なのか静静と葬送の曲を流し出した。
「気が利くじゃないか」
「このくらいはしてやるさ」
 そして僕の近くの二重扉が一枚だけスライドして開いた。
 1 メートルくらい先には暗黒の宇宙につながる2枚目の扉がある。
 僕が一枚目のドアを過ぎると同時に、一枚目のドアは閉ざされ、奥の扉が開くのだ。
 そして僕には弾ける空気と共に死へのダイビングが待っている。
 一瞬で血液が沸騰するのはどんな気持ちだろう。
 熱いと感じるのだろうか、マイナス二百七十度の極寒の世界なのに。
 空気か。いつもまったく気にもしていない空気をこんなにもいとおしく感じるなんて。 一度大きく息を吸った。

「ドスビー、行かないで」
 背中にサインの優しい言葉を聞いた後、僕は死への旅に一歩踏み出した。
 一瞬、頭の中で何かがひらめいた。空気、それに万能治療気。
 ヒントはすべて揃っていたんじゃないか。身を翻して船内に戻る。

 僕の足をもう少しで扉が挟みそうになった。
「どうした、やはり怖気づいたのか。自分で死ぬのが嫌なら青酸ガスでも流してやろうか」
「やれるもんならやってみろ。空気を抜くのも青酸ガスを流すのもどうぞご自由に」
 いきなり強気に出た僕に、コンピューターの返事が一瞬遅れた。
 何が僕を強気にさせたのか考えたためだろう。

「どういうつもりだ」
 他に言葉が見つからなかったのに違いない。彼に僕を殺す事はできないのだから。
 答えは最初から出ていたんだ。それに気づかなかった僕はなんて間抜けなんだろう。
 これに気づかなかったとしたら、あの世で死んだ仲間に死ぬまで罵倒されただろうな。

「ひとつ聞くけど、この船はもともと無人船だったんだろう? だったら、始めから生命維持装置が起動してるのはおかしいんじゃないか。無人船の中に空気を送り込む必要は全然ないはずだ。少なくとも倉庫の中は真空にしておく方が積荷が痛む心配も少ないはずだ」
「コンピューター倫理にも、人間を殺してはいけないことが決まってるんだ」
 苦しい言い訳だ。

「ふざけるなよ。サインを使って僕を追い出そうとしたくせに。サインは確かにロボット三原則が生きてるから僕を殺すことができなくて右往左往していたわけだけど、おまえにはそんな倫理なんかあるもんか」
「じゃあどうして生命維持装置が切っていないと考えてるんだ? おまえは……」
 まるで人間としゃべってるみたいだ。この船のコンピューターは感情さえ持ってるのかもしれない。しかしそれは邪悪な感情だ。

 僕は少し間を置いてから言った。
「サインが生きてるからさ。サインはロボットじゃないんだ」
 船のコンピューターは答えない。サインもきょとんとした顔を僕に向けていた。
 笑い声が聞こえて、その後に船のコンピュータの言葉が続いた。

「何を言い出すかと思えば……。さっきおまえが自分でサインはロボットだと言い当てたばかりじゃないか。自己矛盾もはなはだしい」
 その言葉に恐れが滲んでるのを僕は感じた。
「僕も最初は彼女はロボットだと考えた。でもそうすると生命維持装置が最初からONになってることの説明がつかないだろ。出発前、おまえは僕が密航してるのを知らなかった。だから警報を鳴らすことも無く、のんきに出港したわけだ。人間が乗ってることを知らないおまえが無駄なエネルギーを使って船内に酸素を供給することなどありえない。つまり僕以外にこの船に生命体が最初から乗っていたと考える以外に無いということだ。そして、生命である以上食事をとる必要があるから、すでに出港して三日目になるのにまだ木箱の中に隠れているのは無理がある。それらを考えあわせると、サインが生命体であるという結論以外無いんだよ」

「わかった。そうだ。サインは人間だ。おまえの言う通り。しかしだとしたらどうする?この船がエネルギー不足な事には変わりは無いぞ」
 船のコンピューターには結論を急ぎたいわけがあるのだ。エネルギー問題以外にも。
「いや、サインは人間じゃない。さっき言っただろ、サインは生きてるけど、人間じゃないんだ。サインは誘拐され、殺されて、ロボットの脳を移植された生命体ロボットなんだ。だからロボット三原則に支配されていて僕を殺す事ができない。しかし、おまえに操られもする。できないことを押しつけられてうろたえてる可哀想な子ウサギなのさ。さてと、生命体ロボットは星間法規で禁止されてるはずだよね。そのくらいは僕でも知っている。ということはつまりこの船は密輸船だったというわけだ」
 船がきしむような音を発してがくんとゆれた。
 船のコンピューターの動揺が、操縦系統を乱れさせたのだ。
 僕とサインは抱き合ったまま床に倒れてしまった。
 痛たた、と腰をさすりながらおきあがる。

 サインがすっと立ちあがった。顔を見ると今までの苦悩が嘘のように晴れた、生き生きした表情をしていた。
「やっと自由に話せるようになりました。今まで、私は船の意思に押さえつけられていたのです」
 僕も立ちあがり、サインの狭い背中に手をまわして、彼女の体を抱きしめた。

「もう大丈夫だ。これ以上君に行動を強いる必要性は、あいつにはなくなったはずだから」
 僕の胸の中で、サインの小さな顔が見上げる。
「でも、重量オーバーなことは変わりませんよ。積荷を捨てるにも、荷室にいけないから無理ですし……」
 困った表情がかわいい。
「やはり僕が出て行くしかないだろうね。この船が法規違反の密輸船だとしても、密航者の方が罪が重いし」
 サインが悲しげに目を伏せた。そして僕の胸に顔を押し付けてきた。
「駄目です。あなたを死なせるくらいなら、やっぱり私が出て行きます。体重は同じ位のはずですから」
 なかなか感動的なことを言ってくれる。でも、それはロボット第一原則上、言わなくてはならない言葉なのだ。

「僕を残して君に出ていってもらうのは困るんだよ。そうなると、この船のコンピューターは直ちに酸素を止めて僕を殺すに違いないんだ。口封じのためにね」
「でも、あなたを死なせるわけには……」
 サインのロボット脳はやや古いものなのかな。考えが煮詰まってしまうと、フリーズに近い状態になるようだ。
 
「大丈夫、ただじゃ出て行く気はないよ。僕だって死ぬのはごめんだ。……おいおっさん!」
 不利になった途端に黙りこんだ船のコンピューターに呼びかける。
「密輸のことは秘密にしておいてやる代わりに、一つ条件がある」
 大事な密輸品・サインを傷つけずに僕を始末することに意識を集中させていたであろうそいつが一拍置いて答えた。

「条件を言え。できることには応じてやる」
「医務室の万能治療機で僕の脳を取り出して保存しろ。その後僕の体は捨てていい。そして目的地に到着したら、僕のクローンを作って脳移植するんだ。それで重量問題は解決するだろ。脳の分の重さは、最低限を引いた食料を捨てることで補えるはずだ。それからもう一つ。サイラスの宇宙局には脳を取り出したこと以外を報告すること」
「なるほど、おまえは死んだことになるから追っ手がかからないということか。その提案は実行可能だ。サイラス政府がどうなろうとこっちの知ったことじゃない。それで、何を元にクローンを作るね」
 案外素直にのってきた。
「それは、これからだ」
 そして僕はサインに向き直った。
「船が正直に実行するように君が見張っていてくれないか? 船にとって君はとても大事な
存在だ。サインが守ってくれれば僕は生き返る事ができるはずだ」
「わかりました。私は、それでなくても人間を殺させることを見過ごしにはできませんから」
「それでなくてもの、それってなに?」
 船のコンピューターが言ったさっきの言葉から、大体のことは想像できたけど聞いてみた。
 サインは潤んだ目で僕を見上げていった。
「あなたを愛してるということです」
 やっぱりねという僕の言葉は、サインの唇で出口をふさがれてしまった。
 さっき船のコンピューターはサインをダッチワイフと呼んだ。
 つまり人間(男)に愛されるのがサインの役目なのだ。
 それなら自分も男を愛するようにできているのが当然だ。
 プログラム上の愛でも愛には変わりないだろう。きっとサインは僕を守ってくれるに違いない。 サインがダッチワイフロボットだったことに、僕は感謝した。

 熱い口付けを交わす間に僕の股間は元気よく持ちあがってきたし、触ってみるとサインのそこもどろどろにとろけていた。

 それから約一時間、僕らはお互いの体をむさぼるように抱き合った。
 その間、僕のクローンの元になる細胞が五回サインの体内に入っていった。
 

 手術の眠りの後、僕が再び目覚めた時には、カレンダーの数字が一週間分変わっていた。





         エッチな方程式  了