変な電車


 変な電車に乗ってしまった。
 向かいの座席に座ってる初老の男は、よく病院で支給される水色のパジャマ姿だし、
しかも左肘のところに点滴針を刺したままだ。
 管の中ほどにある透明なプラスティックの筒を観察すると、ゆっくりと一滴一滴黄色い
薬剤が落ちているのが見えた。
 乗客は多すぎず少なすぎず、立っている人間は一人もいない。

 なぜ俺はこの電車に乗ってるのだろう。
 記憶があやふやで、なんだか夢でも見てるみたいだ。 

 横を見ると、通路をはさんだ反対側の座席には紫の絣の着物を着た上品な老婆が
生まれたばかりの赤ん坊を抱いて座っている。
 その赤ん坊、まさしく生まれたばかりだというのが今わかった。
 赤ん坊を包んだ白い布の端から垂れ下がってるのは、よく見るとその子のへその緒
だったから。
 まだ切られたばかりなのか、赤黒い、多分血液だろう液体が、老婆の紫色の着物の生地に
シミをつけ、そのシミが少しずつ広がっている。
 俺は勢いよく立ち上がった。
 なんなんだ。この電車は。

 通路に出て他の乗客を見た。
 変なやつばっかりだ。
 電車に乗ってるのにヘルメットをして、ライダー用のカラフルな皮スーツを着た男は、向こ
う向きに座ってるのに頭だけこっちを向いている。
 身体と頭が逆方向に向いているのだ。
 あれで生きてるのが不思議だ。首の骨は折れないのだろうか。
 
 電車は海沿いの線路の緩やかなカーブを曲がっている。
 窓から見える海は午後の陽光を反射してきらきら金色に光っていた。
 俺は徐々にこの電車が現実の物ではないような気がしてきた。
 そうかと言って夢とも思えない。夢ではないという、何というかリアリティが存在する
気がしたのだ。
 
 奥の方で人影が動いてるのが見えたので行ってみた。
 全裸の若い男女がまさに真っ最中だった。
 
「電車の中で何やってるんだ」
 俺はついに声に出して叫んだ。
 二人は俺を振り向いて、それでもまだ恥ずかしげも無くゆれ動いている。

 幻なのか二人の周りには赤い炎のような光がめらめらと立ち上がりふらついている。

「ホテルが火事になっちゃんたんだもん。仕方ないでしょ」
 女が口をとがらせて言った。
 胸の隆起が俺を馬鹿にしてるみたいにゆさゆさうごめいていた。

「あんたひょっとして気付いてないのかい。自分が死んだ事」
 長髪の男がおかしそうに笑いをこらえて言った。
 その男の顔が徐々に燃え上がり、炎の中で溶け出した。
 女も同じだった。髪の毛がちりちりと焦げ、異臭を放ちながら灰になっていく。
 
 震えてうまく動かない足で、俺は後ずさりした。
 これはやっぱり夢だ。現実であるはずが無い。
 
「たまに居るんだよね。自分が死んだことに気付かないまま天国行きの電車に乗ってるや
つが」向こう向きに座ったライダーが頭だけこちらに向けて赤いヘルメットのシールドを上
げながら言った。

 俺は死んだのか? でもいつ?
 あやふやな記憶を懸命によびさます。
 昨夜は何事も無くベッドに入った。そうだ、やっぱりこれは夢なんだ。
 ベッドに入ったあとは眠るだけだから。

「夢だと思ってるんだろうけど、これは現実だよ。いや、現実と言う言い方は変か。
もうすぐ天国に着くから、そうすればはっきりするよ」
 点滴を刺したままの病人が言った。

 その時、車内のスピーカーから放送が流れ出した。
『長らくのご乗車お疲れ様でした。次は名も無い駅、次は名も無い駅。地獄へお越しの
お客様はこちらでお乗換えになられるようお願いいたします』
 
 とたんに周囲がざわめきだした。
「ええ、この電車は天国行きじゃなかったのかよ」
「誰が乗り換えるもんですか。このまま乗ってれば天国にいけるんだよね」
「そんな事言ってたら知らないよ」
「今更それはないでしょ」
 いろんな声が上がっていた。
 
 窓から進行方向をのぞくと、いかにも田舎の駅という感じのごくありふれたプラット
ホームが見えてきた。ホームには誰もいない。
 やがて電車はゆっくり停止した。
 乗客は誰も降りようとはしない。

 車両の入り口が開いて、車掌の格好をした男が一人入ってきた。
「切符を拝見いたします」
 車掌は別段変わった感じはない。ごく普通のどこにでもいる感じの男だった。
 最初に、入り口の近くに座っていた50代前半くらいの女性のところに行き、切符を
拝見と言って手を差し出した。
 その女性はおろおろしている。
 切符なんかあったかしら等と口走っていた。
「ここにありますよ」
 車掌は彼女の胸元から不意に切符を取り出した。
 そして切符を覗き込む。
 乗客がみんな注目する中、車掌は頷き、そして言った。

「ここでお乗換えのようですね。地獄行きの電車はしばらくしたら来ますから、ホームでお
待ちください」
 車掌がそう言うと同時に、その女性は消え去り、瞬間的にホーム上に現れた。
 唖然としていたあと、彼女は泣き崩れた。

 俺の周囲でも他の乗客がざわめきだす。
 
「赤ちゃんは預かりますよ。あなたはあちらへどうぞ」
 絣の着物の老婆に車掌が言う。
「赤ちゃんは渡さないよ、この子は大事な子なんだ」
 抵抗する老婆も、次の瞬間にはホームの上の人影に変わった。
 赤ちゃんは何事も無かったかのように車掌に抱かれて心地よさそうな寝息を立てている。

「赤ちゃん抱いてりゃ自分も一緒に天国にいけると思ったんだな」
 俺の横で燃える男がつぶやいた。こいつ、この期に及んでまだ動いてやがる。
 俺は最初いた場所から離れていたから順番は後の方になっていたのだ。
 そうでなけりゃ今ごろすでにホーム上だろう。

 大人はみんな乗り換えだと思っていたが、実はそうでもないみたいだった。
 何人かの居残り決定組が、安堵の表情で次の犠牲者へと遠ざかる車掌を見送っている。
 俺はどうなるだろう。記憶にある人生の中を意識は遡り、懸命に収支を計算する。
 やっぱり悪い事は誰でもするんだから、善行とのバランスが大事なはずだ。
 地獄行きになるほどの悪行を重ねたつもりは毛頭ないが……。

 最後に、俺と、燃える二人組みが残された。
 車掌の後ろには最初乗っていた乗客の約三分の一が残っていた。
 薄笑いでこっちを見ている。
 燃える男女はまずホームの上だろう。
 その予想は見事に覆されて、彼らは二人とも残された。

 そして最後が俺の番。
「切符を拝見しますよ」
 車掌はそう言って俺の目を覗き込んだ。
 彼の目は真っ黒で、希望の光り一つないさめた目つきだった。 
                                                



                                        変な電車      終わり
放射朗