二章 もうひとつの出会い


 1

 
 うちの会社の職員旅行はいくつかのルートがある。
 日帰りがひとつ、一泊二日がひとつ、それに二泊三日の豪華なコースがひとつ。
 旅行の費用は職員と会社が半分ずつ出すことになっている。
 僕はいつも日帰りを選んでいた。
 毎月の積み立てから、旅行代金の半分を引いた分が帰ってくるからだ。
 日帰りプランだと、約2万円かえって来る事になる。
 会社の人間達との旅行に、金と時間を使うのを惜しむ人は割と多く、日帰り旅行は毎年人気のあるコースだった。
 行かなくてすむならそれが一番良いのだが、協調性という項目の査定に響くから、皆いやいや行ってるのだ。

 11月に入り夏の猛暑も影を潜めた頃、僕の行く予定の伊王島ツアーが行われた。
 9時に集合して15時の船で帰ってくる。
 僕はその後ローズビーズによって帰ることにしていた。
 この大波止海岸からはローズビーズは歩いて10分程度の近さなのだ。
 
 暑い夏の間、僕は何度か荒木さんとあったが、セックスはしてなかった。
 海岸にドライブに行ったときに、フェラチオをしてもらったのがせいぜいだ。
 あまり求めてこない荒木さんに、少し苛立ちを覚えていた。
 
 確かに、荒木さんにとってこの夏は忙しかっただろう。
 まだ20歳の娘さんができちゃった結婚してしまったのだから。
 しかしそれにしてもなあ、と思ってしまう。
 少しくらい時間をとって僕を抱きたいとか思わないのだろうか。
 40代も後半になると、それほど性欲も強くなくなってしまうのかな。

 それまでも、一人でローズビーズに行ったとき声をかけてくる男はいたけど、僕は荒木さんがいるからといって断っていた。
 その日、僕がその男とメールアドレスを交換したのは、やっぱり荒木さんが僕を求めてくれないことに僕が疑問をもってしまったからだと思う。

 15時の船で帰ってくると、大波止には16時前に着いてしまう。
 19時開店のローズビーズに行くには時間が早すぎるから、僕は幹事に言って単独行動することにした。
 帰りの船を遅らせることにしたのだ。
 
 温泉にゆっくり一人で浸かったりしながら時間をつぶした僕は、午後6時頃大波止に戻ってきた。
 近くのイタリアンレストランでミートスパゲティを食べた。
 そんな風にして時間をつぶした僕は、開店間もないローズビーズに入っていった。
 当然客は他にはいなかった。
「あら、いらっしゃい」
 マスターは、そう言いながらも料理の手を休めない。
 まだ突き出しの料理の途中なのだった。
「今日は伊王島ツアーだったんですよ。職員旅行で」
 カウンターに座っていつものお湯割を頼む。
「温泉どうだった?」
 焼酎とミネラルウォーターを混ぜたものを、電子レンジで暖めながらマスターは聞いてきた。
「よかったですよ。小ぢんまりとしてて、でも島の温泉だからかな、お湯がしょっぱかったですね」
 お湯を飲むわけではないが、顔を洗ったりするとどうしても唇についた温泉水を舐めてしまう。
「ちょっと待ってね、今お料理作ってるから」
 マスターはお湯わりを僕の手元において、再び突き出しの準備に入った。
 客も他に誰もいないし、僕は手元にあったゲイ雑誌を開いてみる。
 
 荒木さんとのことで、気持ちが変わったかもしれないと思って、雑誌を開いてみたが、相変わらず、その中の男達に大しては何も感じるものはなかった。
 突き出しが僕の前に並べられる頃、やっとお客が来はじめた。
 カウンターに人が増えてくる。
 常連さんが多かった。
 特に僕に声をかけてくる人はいない。
 しだいに話し声が店をにぎわせ始める。
 
 9時になろうかという時間だった。
 そろそろ帰ろうかと思っていたとき、その男が入ってきた。
「あらーカタさん、お久しぶりぃ。こちらにどうぞ」
 マスターが僕の隣の席を指し示す。
 彼は僕に会釈してそこに座った。
 だぼっとしたズボンと安っぽいジャンパーを着ている彼は、見た感じでは40代前半に見える。
 自分よりは上で、荒木さんよりは年下のようだった。

「あー青梗菜もって来ればよかったな、今ちょうど収穫中なんだよね」
 急いできたのか、少し息を切らせた隣に座った男がマスターに言ってる。
 農家の人だろうか。
 見た感じ日に焼けてるし体つきもごつかった。
「こちらエイト君よ。初めてでしょ、仲良くね」
 マスターに促されて、カタさんと呼ばれた男が僕に、はにかみながら笑いかけてきた。
「やあ、よろしく。君はネコかな? 俺はタチだから、相性合うね」
「ええ、まあ。カタさんはどういう人がタイプなんですか?」
 大して深い考えもなく聞いてみる。 
 好みのタイプを聞くのは、話のきっかけつくりとしては無難な話題なのだ。
「君みたいな人がめちゃタイプ」
 それはどうも、と言って僕は一口お湯わりを飲んだ。
 そのあと少し話をしたけど、荒木さんと違ってカタさんはあまり話し上手ではなさそうだった。
 荒木さんは知的なタイプだけど、この人はもっとワイルドな感じだ。
 言葉より実行と言う感じに思えた。
「お散歩でもしてくれば?」
 マスターが僕らに言った。
 少し妙な気がした。
 マスターは僕らを引っ付けたがってるみたいに思えた。

「アバンチュールもたまには楽しまなきゃ」
 荒木さんがいるからと、消極的な僕に、そうまで言ったのだ。
 何か魂胆でもあるのか、なんて特に思うわけではないがちょっと気になった。

 散歩くらいは良いかもしれないと思ったけど、外はあいにくの雨だった。
「雨降ってなかったらよかったですけどね」
 僕がそう言うと、カタさんもそれ以上は誘ってこない。
 そのまま帰ろうかと思ったけど、彼に少し惹かれるものを感じたのも事実だったから、結局メールアドレスを交換することにした。
 僕のことをそこまで気に入ってくれてる人に、あっさりさよならするのも悪いからと、僕は自分に言い訳までしていた。


 2


 カタさんと二回目に会ったのは、スーパー銭湯でだった。
 偶然ではない。僕がメールで誘ったのだ。
 なかなか会えない荒木さんとの付き合いに、少し苛立ちを感じていたからかもしれない。

『どこにいるの?』
 というメールを受け取ったのは、夜の暗い駐車場に車を入れたときだった。
 夏が終わったときに僕は車を買い換えていた。
 燃費の悪いRX−8では、リットルあたり180円を越す、この年の夏を乗り切るのがせいぜいだったし、今のうちに買い換えた方が高くで買い取れると言う行きつけのディーラーの人の意見も聞いてのことだった。

 だからその日駐車場に止まった僕の車は、これまでの白のRX−8から紺色のプジョー207になっていたのだ。

 メールの返事も出さずに、銭湯の入り口を過ぎる。
 ホールにはそれらしい人影はなかった。
 もう男湯に入ってるのかな。
 そう思って券売機に行こうとしていたら、喫煙所の中から男が出てきた。
 目が合う。
 ちょっと感じが違ってるかと思ったが、カタさんに違いなかった。
「やあ、なんかちょっと見違えた」
 カタさんもそんなことを言ってる。
「よく見たら変な奴だったでしょ」
 僕が笑いかけるとかぶりを振って答えた。
「反対反対、此間は横顔くらいしかよく見れなかったけど、いま見たらますますタイプだってわかったよ」
 あまり口のうまいタイプには思えなかったけど、案外お世辞も使うのかな。

 券売機で券を買って、男湯のある二階に上がる。
 わくわくはしていたけど、始めて荒木さんとここで会った時ほどの緊張はなかった。
 脱衣所で服を脱いでる間も、彼は僕をじろじろ観察していたが、それも特に気にはならない。
 カタさんは荒木さんほど背丈は高くないけど、筋肉質で腹筋なんて割れていた。
「うわー格好良いですね」
 僕がお腹を触ると、嬉しそうに彼も僕のお尻を撫で回してくる。
「エイト君だって、めちゃ裸きれいじゃないか。ところで年聞いてなかったけど、いくつ?」
 脱衣所から浴場の方に移りながらカタさんが聞いてきた。

 軽くシャワーを浴びて、洗い場に移った。
 客の入りは、平日の夜とあってか少なかった。
「いくつに見えますか?」
 洗い場の椅子に腰掛けて左に座るカタさんを見た。
「うーん、難しいな。24くらい?」
 思わず笑ってしまった。
 28くらいと言われることはあったけど、最年少記録更新だ。
「まさか。冗談言わないでくださいよ。カタさんはいくつですか」
「俺は今年四十になるよ」
 大体見た目どおりか。
「じゃあ僕より5歳上なんですね」
「えー、35なの? ぜんぜん見えないぞ」
「いつもかなり若く見られるけど、男で若く見られるのって、仕事なんかでもあんまり良いことないんですよね」
 本心だった。
 どうしても相手に舐められてしまうのだ。
 自分の仕事が営業でないのが救いだった。

「なるほど、そういう事もあるかもしれないな」
 並んで湯船に浸かりながら、僕の話を聞いていたカタさんがうなずく。
 その後すぐにお湯の中で手を伸ばして僕の股間を触り始めた。
「俺のも触って良いぞ。でかいぜ」
「だめですよ、こんなところで、おっきくなったら上がれないじゃないですか」
 近くには客はいないけど、それにしても彼は大胆なのかぴったり密着してくる。
「外に行ってみようぜ」
 カタさんが露天風呂コーナーを顎で示した。

 大きくなりかけたものをしずめて、薬湯を出る。
 何気なく見ると、カタさんの股間のものがずいぶん太く見えた。
 つい荒木さんのものと比べてしまう。
 どうだったかな。
 でも荒木さんのものがよく思い描けなかった。
 あんまりじっくり見ていなかったからな。
 お尻の感覚はまだ覚えてるけど。
 そんなことを考えてると、前が硬くなる予感がした。
 急いで露天の風呂に入り込む。
「こっちに来いよ」
 先に入ってたカタさんが奥から呼んでいた。
 打たせ湯の場所で仕切りに壁があるが、今はお湯が出なくなってるから、そこに誰かがいるのはあまり見たことない場所だった。

 カタさんの横に来たけど、こんな狭いところに男二人入ってるのは、ちょっと変だ。
 周囲の目が気になった。
 彼はと言うと、周囲のことなど眼中にないようで、僕だけを見つめている。
 そこでもあちこち触られたけど、僕は誰かに見られないか、気が気じゃなかった。
「もう、困りますよ。誰かに見られるじゃないですか」
 少ないとはいえ客はいるのだ。
「大丈夫さ、誰も気にしてないよ」
 すごく無頓着な人だ。
 僕は釜風呂に場所を変えた。
 すぐに彼もついてくる。
 こんなところも荒木さんとは違うな。
 荒木さんとは何度かここで一緒に入ったことがあるけど、あんまりぴったり付いてくる事はなかった。
 僕がうろつくのを遠くで見てる感じなのだ。
 だから、つい僕にはあまりセックスアピールを感じていないのかと思ってしまうのだった。
 カタさんは対照的に、一時も離さないという風に寄り添ってくる。
 初めてだからかもしれないけど、荒木さんは初めてのときもこんな感じはなかった。
 それだけ気に入られてるのは喜ぶべきことなんだろうか。
 でも、僕は荒木さんと別れる気はない。
 あまり好かれても困るのだ。
 自分がこんな場所に誘うから悪いのだけど、ちょっとした火遊びのつもりが、大火事になりかねないと、僕はやっと気づいたのだった。

 しかし僕は基本的に楽天家なのだろう。
 大抵のことはなるようになるもんだと思っている。
 カタさんは悪い人じゃなさそうだ。
 マスターの推薦まであったわけだし。
 いい飲み友達、たまに銭湯友達でいれればいい、そのくらいの付き合いで勘弁してくれるだろう。
 釜風呂の中で汗をたらしながら、僕は好かれることの喜びと困惑を感じていた。


 3


 来たときは降っていなかった雨が、帰りにはかなり本降りになっていた。
 露天風呂にいるときに雨が降ってるのはわかっていたが、さらにひどくなってきたみたいだった。
「カタさん車ですか?」
 玄関ホールで聞くと、首を振って、バスだと答えた。
「じゃあ送りましょうか、雨ひどいし」
「いいの? 遠回りになるよ」
 先ほど話した時に家の場所は聞いている。
 長崎の中心部から南側の山の上だった。
 バスで帰るにしても、相当不便な場所だ。バスは一時間に一本くらいだろう。
 しかもこの雨だ。
「いいですよ。20分ほど余計にかかる程度だし」
 僕達は雨を避けながら小走りに車のところに走った。

「いい車に乗ってるんだな」
 急いで乗り込んだ後、カタさんが感心したように言う。
「外車といってもフランスの大衆車ですから」
 タオルで軽く服を拭いた後、シートベルトを締める。
「どんな風に行ったらいいかな」
 帰りの道筋を考えてみる。
「大浦の方からも回れるけど、自動車学校の道わかる?」
 カタさんの言う道は何度も通ったことのある道だった。
「あそこから上れば、近そうですね」
 僕はエンジンをかけて、ギヤをドライブに入れた。

 途中からカタさんの案内で来た場所は、町の灯りも見えないくらいの山奥だった。
 中心部から車で20分くらいなのが信じられないほどだ。
 街灯すらない場所で、ここでいいとカタさんが言う。
「こんな所でいいんですか?」
 周囲に民家はまったくない。
 この道の下に下りていく車一台通れるかどうかの、コンクリート道路があるだけだ。
 身の危険を感じるということが無かったのは、カタさんの人柄のおかげか。
「そこ下ったところなんだけど、車じゃ下りにくいからここでいいよ」
 カタさんがシートベルトをはずした。
「俺、片岡って言うんだ、今度からそう呼んでくれ」
 そう言われると、こっちも名乗らないといけないのかと思ったけど、あえて黙っていた。
「なんかすごく好きになった」
 片岡さんが僕の方に身体を寄せてきた。
 だめですよ、と言おうとした僕の口がふさがれる。
 タバコの苦い味がした。
 彼の手が僕のシャツを捲り上げて胸を触る。
 乳首をつままれて、うん、と声が出てしまった。
 快感に弱いのかな。僕は。
 荒木さんのことを思い浮かべるのに、抵抗する気持ちにはなれなかった。

 片岡さんの手が僕のズボンのベルトをはずした。
 ずり下げるのに、僕も腰を浮かせて協力してしまう。
 すでに硬直したものを擦られて、僕は大きくため息を吐いた。シートも倒す。
「気持ちいい?」
 はいと答えると、もっと気持ちよくしてやる、と言って彼は僕のものを口に含んだ。
 車のヘッドライトが横を通り過ぎる。こんな道をこんな時間に通る車もいるんだな。
 一瞬明るくなった車内。
 僕の股間で上下する片岡さんの横顔が見えた。
 興奮した鼻息も聞こえてくる。
 
 荒木さんとはやっぱり違うな、と僕は変に冷静な目で彼を見つめた。
 荒木さんはこんな風に興奮に身を任せるって感じじゃなかった。
 やっぱり片岡さんの方が若いからだろうか。
 
 でも、性欲のままに向かってくる相手に畏怖を感じるのも事実だった。
 思わず逃げ出したくなる。
 ちょっと怖かった。
「俺にもしてくれよ」
 身体を離した片岡さんが、チャックを開けて自分の硬直した棒を取り出した。
 拒否するのが怖いというのもあったけど、自分自身の興奮が背中を押した。
 言われるまま彼のものを手にとり顔を近づけた。
 口に含むと、片岡さんの気持ちよさそうなうめき声が頭の上から降ってきた。
 ビクンビクンと口の中でそれが脈打っている。
 舌を絡めて性感帯をたっぷり攻めてやる。
 
 しかし、最後まで行く前に僕は顔を上げた。
「これくらいでいいでしょ。あんまり遅くなると困ります」
 時計の文字盤は11時をすでに回っていた。
 いつも家に帰る時刻から1時間は遅くなっている。
「エイトがすごく好きだ。愛してる。今度遊びに来いよ、俺は一人暮らしだから、土、日は休みだし、待ってるぞ」
 車を出ようとする片岡さんを呼び止めた。
「ちょっと待ってください。雨ひどいでしょう。トランクに傘入ってるから出します」

 愛してるなんて言葉は荒木さんからは聞いていなかった。
 そんな言葉を、二度しか会ってないのに、片岡さんは平気で口に出す。
 あんまり本気になられても困るが、悪い気はしなかった。
 でもやっぱりちょっと軽い気がする。
 どこまで本気なのか、なんともつかみ所の無い人だと思った。

 家に着いたのは11時半を少し回っている頃だった。
 遅かったねと言う妻に、休憩所で転寝してしまったと言い訳した。


 4


 次の週の土曜日。
 僕は片岡さんの家に行ってみることにした。
 土日は仕事の忙しい荒木さんには会えない。
 月に一度くらいしか会えないけど荒木さんのことは好きだ。
 でも、もっと頻繁に会って一緒に遊べる友達が欲しかった。
 先週、片岡さんが下って行った私道を車で下りていく。
 前回来た時は夜でよく見えなかったが、昼下がりの太陽に照らされた道は狭いことは狭いけど、それほどきつくは無かった。
 完全に車一台分の幅しかない狭い道を下りていくと、右ヘアピン状のカーブに差し掛かった。
 外側はガードレールも無い崖だ。
 じんわりと大回りしながら回る。
 さらに下ると今度は反対向きのカーブが来た。
 結局3回そんなカーブを曲がって下りていった先にいくつか民家が見えてきた。
 メールを送っていたからだろう、一番手前の平屋の前で片岡さんが手を振っていた。

「下りてくるの大変だったろう」
 座卓の上にお茶を置きながら片岡さんが言った。
「ええ、少し。でも207は小回り利くし、それほどでも無かったですよ」
 結構広い家だった。
 平屋だけど部屋数五つはありそうだ。
「青梗菜、持ってかえってくれよ」
「ああ、どうも」
「ベーコンと一緒にバター炒めにするとうまいよ」
 片岡さんは立ち上がって台所の方からいっぱいになったビニール袋をひとつぶら下げてきた。
「うわ、そんなにですか、食べ切れませんよ」
「炒めればしぼむからこのくらい大丈夫さ、玄関においておくから」
 玄関に歩く片岡さんの背中を見ながら僕はお茶をすすった。
 お尻の処理はしてきてあった。
 ここで抱かれることになるのは予想しているのだ。
 荒木さんに悪いと言う気持ちはもちろんあったけど、最近ぜんぜんかまってくれない彼も悪いんだと思った。
 それに僕は荒木さんが初めてだったけど、荒木さんは僕が初めというわけじゃない。
 僕も少しくらい遊んでもいい気がする。
 
 戻ってきた片岡さんが僕の後ろから抱き付いてきた。
「めちゃかわいがってやるよ」
 耳元で荒い息を吹きかけられる。
 僕は自分でジャンパーを脱ぐと、そこに横になった。
 片岡さんの手が僕のジーンズのボタンをはずしてきた。
「なんか、昼真から恥ずかしいな」
「カーテン閉めるよ」
 薄いカーテンを閉めても部屋の中はまだ明るかった。
 僕のシャツがたくし上げられて、手が胸に入ってくる。
 乳首を転がされてのけぞったところに、片岡さんの顔が迫ってきた。
「キスは勘弁して欲しいな」
「え? 嫌なのか?」
「うん、タバコの味は好きじゃないから」
「わかった」
 彼の顔はそのまま下がり、僕の胸にキスをする。
 男に抱かれるのは、これが二人目で二度目だ。
 荒木さんとは最初に一回したきりだったから。
 その後すでに半年以上の時間が過ぎている。
 だから、実際僕は荒木さんのタイプじゃないんじゃないかと思ってしまう。
 
 でも片岡さんは僕のことが一番好きだと言ってくれている。
 僕の身体でここまで興奮してるんだから。
 なんとなく嬉しかった。
 今までこんな風に誰かを喜ばせることがあっただろうか。
 妻とのセックスでも、少し気持ちよさそうにする程度で、彼女の興奮はそれほどでもなさそうだったし。
 荒木さんとの時は、僕を喜ばせようとしてくれるのは嬉しかったけど、結局彼はいってなかったのだ。

「お尻は大丈夫?」
 彼の手が後ろに回る。
「はい、一応処理してますから」
「じゃあ布団に行こうか」
 立ち上がった片岡さんが、隣の部屋に通じる襖を開けると、厚手の布団がしかれてあった。
「昨日干したからふわふわだよ」
「まめなんですね」
「一人だからね、料理から掃除、何でもやるさ」
 これは荒木さんと同じだ。
 荒木さんも奥さんを亡くしてから一人で娘達を育ててるのだから。

 片岡さんが服を脱いで布団にもぐりこんだ。
 先日銭湯で見ていたけど、日に焼けた背中の分厚い男の身体だ。
 僕もそれに続く。
 布団の中で裸の肌が密着する。
 男同士のセックスはまだ二回目だ。

 前回の荒木さんの時は緊張していて何も考えられなかったけど、今は最初のときとはまた違った喜びを感じていた。
 じかに裸で触れ合うことの喜びだ。
 なんだか懐かしい気がした。
 仰向けになった僕に片岡さんがかぶさってくる。

 ずっしりと量感のある身体に押さえつけられる拘束感は女性とのセックスでは決して味わえないものだった。
 がっしりした身体が僕の上に乗る。
 頭が布団の中にもぐったかと思うと、すぐに僕の物の先端があったかい口に含まれるのがわかった。
 思わずため息がでてしまう。
 布団が持ち上がったかと思うと、片岡さんの体が起き上がった。
「あんまりすると、先にいってしまいそうだからな。入れるぞ」
 彼の手が僕の両足を持ち上げる。
 手に唾をつけて、僕のお尻に塗っている。
 ゼリーは持っていないのか。
 ちょっと不安だけど、大丈夫だろう。
 でも、コンドームはつけていない。
 そのことを言う前に、彼の先端が僕のお尻を開き始めた。
 ちょっと待って、と言おうとしたけど、痛みで声が出ない。
 僕は口をあけるようにしてお尻の力を懸命に抜くしかなかった。
 ぐいぐいと入ってくる。

「大丈夫か?」
 そんな言葉とは裏腹に、彼のものは侵入を止めない。
「う、くう」
 苦痛に出てしまう僕の言葉を聴きながら、彼のものはさらに入ってくる。
 そして一点を越えた所で、痛みは急激に消え去る。
「半分入ったぞ」
「でも、コンドームつけないと駄目じゃないですか」
 僕にもやっとそれだけ言う余裕ができた。
「俺は病気は持ってない。お前もだろ、ならいいじゃないか」
「でも、尿道炎になるかもしれないですよ」
「終わってから洗えばいいさ」
 能天気なことを言いながら、片岡さんが腰を動かし始めた。
 
 快感がおおきくなり、僕ももうどうでもいいという気持ちになった。
 今はもっと気持ちよくなりたいだけだ。
 二人で協力して、快感を高め合うのだ。
 泥をこねるような卑猥な音の中で、僕達はどんどん高みに上り詰めて行った。


 5


「良かっただろ、俺のものになれよ」
 終わったあとで、片岡さんが言った。
 布団の中で密着している。
 終わったあとのだるい気分の中で、こうしているのは好きだった。
 片岡さんの放った精が、僕のお尻の中にまだある。
 お尻の中に発射されたのは初めてだ。なんだか幸福感を感じてしまう。
 でも、それに流されちゃ駄目だ。

「でも、駄目ですよ。荒木さんが好きだし……」
 言いながら、それならどうして此処にいるんだ? と自分で自分に突っ込んでしまう。
「でも、そいつ、最初に抱いたっきり、お前に手を出してこないんだろ。本当はお前の事好きじゃないんじゃないか?」
 これは僕も気にしてるところだった。
「この夏は、娘さんの結婚なんかで忙しかったんですよ」
「俺とどっちが好きだ?」
 片岡さんの手が僕の顔を引き寄せた。
 覗きこんでくる。
「わかりません。おんなじ位かな」
「俺はお前を愛している。絶対に離さないからな」
「愛してるなんて軽々しく言わないでくださいよ、まだ会ってから二週間にもならないのに」
「愛に時間は関係ないだろ。一目惚れすることだってあるじゃないか。俺はもうお前と三回も会ってる」
「好きになってくれるのは嬉しいけど、僕はあんまり縛られたくないんです」
「俺は諦めないぞ。俺だけのものにして見せる」
「僕はものじゃないし、あんまり熱くならないでくださいよ」
 僕は彼の腕の中から出ると、おきて下着を身に着けた。

 適度に絡まれるのはいいけど、度を越すのは勘弁して欲しい。
 こう思うのは身勝手なんだろうか。
 片岡さんをこれほど熱くさせたのは、誰でもない僕自身なのだから。
 ちょっと浮かれてたのかな。
 片岡さんも起き上がって、裸のまま台所に向かった。お茶を入れてるようだ。

 ちょっと軽すぎたかな。
 簡単に抱かれすぎだ。
 男同士だと、銭湯なんかでお互いの裸を簡単に見ることができる。
 男女の間では、お互いの裸を見るのはセックスするときだけだ。
 お互いに裸を見てしまうと、そこからセックスまでの距離は一気に近いものに感じてしまう。
 ということは、銭湯デートしたときに、すでに身体を許してるのと同じことになるのかもしれない。
 今度からは気をつけることにしよう。
 
 お盆に湯飲みを二つのせた片岡さんが、座卓にそれを置き、僕の向かいに座った。
 まだ裸だ。
「服、着てくださいよ、寒いでしょ」
「いや、お前を見てると体が火照って、ぜんぜん寒くない。二回戦行きたい位だ」
「元気なんですね」
 僕はお茶をもらって一口飲んだ。ほうじ茶だった。
「元気さ、荒木って45過ぎなんだろ、俺はまだ40なったばかりだぜ、まだ枯れてないんだよ」
 荒木さんだって、枯れてるわけじゃない。言いたかったけど、止めておいた。

 メールの着信音がした。多分荒木さんだ。
「メール、来たみたいだぜ」
 黙ってお茶をすする僕に、片岡さんがジャンパーの方を指差して言う。
「別に、後で見ますよ」
 歯切れの悪い言い方に、片岡さんもぴんと来たようだった。
「恋人からかな。毎日メールしあってるんだろ」
「別にいいじゃないですか」
 片岡さんが身体を伸ばして、僕のジャンパーを引き寄せた。
 ポケットの中から携帯を取り出す。
「止めてくださいよ」
 僕はそれを取り戻そうとしたが、片岡さんに阻止されてしまった。
 体力的にも片岡さんにはかないそうも無い。
 僕の両手をあっさり一握りにしてから、もう片方の手で携帯を開いた。

「見ないでください。じゃないと、片岡さんが嫌いになる」
 その言葉でやっと片岡さんは力を抜いた。
「冗談だよ、人のメール見たりしないさ」
 彼はおどけて笑顔を見せるが、僕の言葉がもう少し遅かったら、メールは開かれていただろう。

 その日の帰りの車の中で、胸の奥に黒いもやもやが湧き上がってなかなか消えてくれなかった。
 片岡さんへの不信感と言うより、自分に対するもやもやだった。


 6


『いろんな事が収まるところに収まってきた。久しぶりに会いたいな。明日の晩飲まないか?』
 二日後の昼休み、携帯にそんなメールが来ていた。荒木さんからだ。
 とんかつ屋で、昼の定食を頼んだところだった。
 お冷をいっぱい飲んで、返信を打つ。
 今日の昼休みは仕事でずれていたから、午後二時を回った店内は空いていた。
『僕も会いたいと思ってました。明日、いいですよ。また七時にアミュでいいですか?』
 送信ボタンを押したところで、頼んでいた定食が運ばれてくる。
 熱々のとんかつがまだ音を立てている。
 揚げた油の臭いが、食欲をそそった。
 割り箸を割り、ソースをかけていると、着信音がした。

『いや、君の会社の近くのバス停にいてくれ、車でひろうから』
 どういうことだろうか。
 お酒を飲みに行くのに車で来るだなんて。
 ご飯を飲み込むと、早速疑問点を送信した。
『たまにはホテルでディナーでもと思ってさ。俺は飲まなくてもいいから、付き合ってくれるだろう?まあ、飲んだらホテルに泊まることにするよ。もちろん君は帰っていいし』
 そういう事か。
 荒木さんもやっと僕を抱きたくなってきたのかもしれない。
 わくわくしながらOKを送信する。

 その後、定食を食べ終わる頃に、またメールが来た。
 何か追加事項かと思って携帯を開くと、送信元は片岡さんの方だった。
 メールは別のフォルダーに行くようにしている。
 フォルダーKを開く。

『エイト、どうしてる?俺は今日は休みだったから、畑耕していたぞ。今度焚き火しながら夜飲もうって言ってたよな。場所も作ったから、明日なんかどうだ?』
 こちらは、ずっとワイルドなお誘いだ。
 焚き火でビールもいいな。
 でも、先約を断る気にはならない。
『明日はちょっとまずいです、今度の土曜日でどうですか?』
 メールの返事はなかなか来なかった。
 それが来たのは、僕が昼食を食べ終わって、水を飲んだときだった。
『先約有りだったか、まあいい。そのうちな』
 片岡さんは、僕に荒木さんがいるということを知っている。
 的外れな焼きもちを焼くことも多いが、このときは当たりだった。


 仕事も終わり、家に帰ってから響子に切り出した。
「明日、急な接待が入ったんだ。そういうわけで夕食はいらないから」
 響子は洗物を片付けながら、ところでさ、と別な話を持ち出してきた。
「修一も小学校に上がったことだし、私も少し仕事増やそうかと思ってるんだ」
 タオルで手を拭きながら響子が振り向いた。
 響子は今はパートタイムで仕事をしている。
 だから、昼過ぎには帰ってきて、修一の面倒を見ているのだ。
「でも、修一一人じゃ危ないだろ」
「それほど増やすわけじゃないのよ。今は13時上がりにしてるけど、16時上がりにしようかって思ってるの。それなら修一が一人の時間はせいぜい二時間くらいですむでしょ」
 どうして急にそんなことを言い出すんだろう。
 僕の収入だけでも十分やっていけてるのに。
「実は所長に頼まれてるのよ。最近仕事量が増えてるからって。もちろん収入もその分増えるわけだし、修一の今後の学費もたくさんあったほうがいいでしょ」
 
 とはいえ出来れば響子にはなるべく家のことをしてほしい。
 自分が家事をするのが嫌というわけではない。響子が家にいない時間が増えれば、修一をおいて出にくくなることもあるだろうからだ。

「きっちり16時に帰れるのなら、まあいいけど」
 しかしむげに反対するわけにも行かない。
 それより、遅くならないように釘をさしておいた。

「おとうさん、対戦しよう」
 修一がゲームを誘ってきた。
 格闘するゲームだ。
「よし、こてんぱんにしてやるぞ」
 僕はコントローラーを持って、座椅子に腰を下ろした。
 以前は僕の楽勝だったが、最近修一もかなりうまくなってきていて、三回に一回は負けてしまうくらいだった。
 子供の成長の早さは、驚くべきものがある。
 この子もいずれ中学生になり、高校生になって、脛毛の生えた兄ちゃんになるんだろう。
 もしその頃、この子が好きになった人が男の子だったら。
 変な想像をしていて早速負けてしまった。


 7


 飲む予定だったから、車は置いて今朝はバスで来た。
 曇り空から、少しだけ雨粒が落ちてきている。
 傘をさすまでもない程度だから、僕は少しだけ急ぎ足で会社に入っていった。
 会社のデスクについて携帯を見ると、メールが二通来ていた。
 片岡さんと、荒木さんから一通ずつだった。
 
 まず荒木さんの方を開いてみた。
『おはよう、あいにくの雨だね。でもこの雨は昼過ぎには上がるらしい、多分きれいな夜景を見ながら食事ができるだろう。今日は満月だしな』
 そうだったのか、月なんか見上げないからな。

 次に片岡さんのメールを見てみた。
『お疲れ様。今日も仕事遅いのか? 俺は満月でも見ながら焚き火してビール飲んでるぞ』
 燃えた木の枝が弾ける音が聞こえるようだった。
 片岡さんとも今度ぜひ一緒に飲みたい。

 僕は、荒木さんにはありきたりの返事を、片岡さんには、『残業はないですよ、一応忙しい時期はすんでるので。6時半には終わると思います。今度焚き木に付き合いますよ』
 と返事をした。
 
 そして終業時刻が過ぎて、タイムカードを押す。
 荒木さんは七時に迎えに来るということだったから、30分ほど、近くの本屋で時間をつぶした。
 そして、10分前に、本屋を出て、会社近くのバス停に向かった。
 周囲はすでに暗くなっている。
 車のライトがいくつも前を通り過ぎていく。
 荒木さんのパトリオットはまだかと、車道を覗き込んでいると、うるさい排気音が近づいてきた。ハーレーのようだった。
 僕が車道から身体を離すと、そのハーレーは僕の横で泊まった。
 
「よお、やっと見つけたぜ。そろそろ出てくる頃かと思ってこの前を何度も通ってたんだ。
三度目の正直だったぞ」
 バイクの上から声をかけてきたのは、片岡さんだった。
「どうしたんですか。今日はだめだって言ったのに」
「ほら、これかぶれよ」
 僕の質問は無視して、自分のかぶっていたヘルメットを彼は脱いでよこした。
「なんですか?」
「後ろに乗れよ」
「だめですよ、約束があるんだから」
「いいから乗れって、その辺一周したら戻ってきてやるよ」
「嘘だ、戻る気なんかないくせに」
 押し問答をしてたら、見慣れた車が近づいてくるのが見えた。
 荒木さんのパトリオットだった。
 片岡さんと一緒のところではとても会えない。
 最悪のタイミングだ。

 僕は仕方なくヘルメットをかぶると、ハーレーの後ろにまたがった。
 バス停の人ごみが壁になってくれてるから、荒木さんには見られていないはずだった。
 スピードを緩めるパトリオットの鼻先をかすめる様にして、騒々しい音とともにハーレーは加速した。
「もう、勘弁してくださいよ。困るじゃないですか」
 排気音に負けないように、片岡さんの耳元で叫んだ。
「花嫁をさらったのは俺さ〜」
 僕の抗議には、そんなちょうしっぱずれな歌が返ってくるだけだ。
 荒木さんをすっぽかすことになってしまう。
 それは仕方ないにしても、お詫びのメールを早く打ちたかった。
 待たせっぱなしにはできない。
 
「お願いですから、止めてください」
 スピードがゆるくなった。
 ほっとしたとたん、再び加速しだす。
 交差点の信号の所為だった。
「頼みますよ。荒木さんにメールうつだけさせてくださいよ」
「やっぱり、荒木と会うつもりだったんだな、そうは問屋が卸さないぜ」
「お願いですよ」
「わかったよ、じゃあ今日は俺の言うこと聞くか?」
 こうなってしまっては仕方がない。
「わかりました、言うこと聞きますから」
 旭大橋をわたって、福田に抜ける道沿いで、やっとバイクは止まった。
 すぐにバイクから降りて、携帯を取り出す。

『すいません!急な仕事が飛び込んでしまって、今日はいけなくなりました。今度、埋め合わせさせてください』
 送信ボタンを押す。
 ほっと一息ついた。

「じゃあ行こうぜ。乗りな」
 後ろから携帯を覗き込んでいた片岡さんが僕の肩をつかんだ。
「もう、ひどいじゃないですか、こんな事する人だとは思わなかった」
 強い口調で非難の言葉を浴びせても、片岡さんは顔色一つ変えない。
「お前が好きなだけさ。恋愛ドラマにだってよくあるだろ」
 横を向き、側の石ころを蹴飛ばす。
「信じられない。僕はタクシーで帰りますから」
 片岡さんの手にヘルメットを押し付けると、僕はその場を離れた。
 車の隙を着いて反対車線に走る。

「待てよ、言うこと聞くって言ったじゃないか」
 バイクの横で片岡さんが叫んだ。
「あれは嘘ですよ」
 僕も負けないくらいの声で返す。
「ひどい奴だな、でももう荒木は帰ってるだろ」
 その言葉は無視して、近づいてくる空車のタクシーに手を振った。
 そのとたん片岡さんが走り寄ってきた。
 車のクラクションが響く。
 車の来るのもかまわず近寄ってきた片岡さんが、僕の腕を抑えた。

「放してくださいよ」
 青と白のツートーンカラーのタクシーが近づいてきた。
 止まろうとするタクシーに、片岡さんが手で行くように合図する。
 僕は抑えられて動けなかった。
 畑仕事なんかで鍛えられた体の片岡さんには、とても力ではかなわない。
 いったんスピードを緩めたタクシーのエンジン音が大きくなって、遠ざかっていった。

「もう、なんですか。頭にきた。片岡さんとはもう会わないから」
 振りほどこうとするけどその手は力強く僕を抱きしめている。
 睨みつけようとした僕の顔に片岡さんの唇が迫ってきた。
 舌が滑り込んでくる。
 噛み付いてやろうと思ったけど、やっぱりできなかった。
 舌を吸われて力が抜けてしまう。
 タバコ味の苦い唾液を飲まされる。
 うわーあれ男同士じゃない、という声がどこからか聞こえてきた。

「いい子だな。バイクに乗るだろ」
 離れた唇は糸を引いていた。
「わかりました」
 僕はそう答えるしかなかった。


 8


 海岸に下りたところで、ハーレーのうるさいエンジン音が静かになった。
 街灯が遠くにあるだけで、バイクのライトが消えると周囲は真っ暗になる。
 波の打ち寄せる音がすぐ近くに聞こえていた。
 真っ暗だと思っていたが、しばらくして眼が慣れると、案外明るかった。
 頭上に満月が浮いていたからだった。

「うーん、ちょうどいい月だしな。ムード満点じゃないか」
 バイクから降りた片岡さんが、僕から受け取ったヘルメットをバックミラーにかけて言った。
 岸壁の防波堤は高さが150センチほどか。
 その向こう側から波の音が聞こえて来る。
 風もない穏やかな夜だった。
 
「荒木が好きなのか? 今日は抱いてくれることになってたのかな」
 防波堤に座った片岡さんが聞いてくる。
 僕も防波堤に上がり、彼の横に座った。
「荒木さんは好きですよ。だから僕はこっちに来たんだし」
「こっち?」
「こっちの世界」
「ああ、そういう意味か。じゃあ本当にその前まで、ほんの一年前まではまったく男には興味なかったのか?」
「そうですよ。ごく普通にアダルトサイトの女のおっぱいや尻の写真を集めてましたよ」
「ガキの頃からも?」
「ええ、もちろんその頃はアダルトサイトは見てなかったけど、普通に女の子を好きになってました。男には友情以上は感じなかった。それに、誘われることもなかったし」
「へえ、もてなかったんだな」
「男にはね。女の子にはそれなりにもててましたよ、自慢じゃないけど」
「じゃあまたなんだって今頃?」
「さあ。自分にもわかんないですよ。まだ戸惑ってるところです、普通のゲイの人とは感覚的に違うところが多すぎるし、本当に此処が自分の居場所なのかよくわからないんですよ」
「そんなに違うか?」
「だって、片岡さんも男風呂でタイプの男が近くに来たら、あそこ立てるんでしょ? 僕はそんな事絶対ないですから。荒木さんや片岡さんのことは好きだけど、その裸見ても興奮はしないですしね」
「しかし男に抱かれる喜びを知ってしまったと」
 片岡さんはそう言って僕の肩を抱いた。
 ぐっと引き寄せられる。
 波の音が低くなったと思ったら、片岡さんの唇がかぶさってきた。
 ねっとりした苦い舌が入り込んできて僕の舌を引き寄せる。
 シャツのボタンをいくつかはずされた僕の胸元から、肉厚な手のひらが入り込んできた。
 その通りだな。僕は男が好きでもないのに、女として男に抱かれることが好きになってしまったのだ。
 こうして、半ば無理やりにされることさえ、僕の心臓の鼓動を喜びで早くしてしまう。
 でも、僕は自分が女だと思ってはいない。
 女になりたいとも。

 ではいったい僕は何なのだろうか。
 ゲイでもないのに男に抱かれるのが好きな変態?
 いや、男に抱かれるのが好きだと言う時点ですでにゲイなのか?
 いつ考えても答えは出ない。
 しかしつい考えてしまう問題だった。
 いつしか彼の唇は僕の顔から離れ、左胸の乳首を転がす作業に移っていた。
 キスから開放された僕の唇からは、甘い声が流れ始める。

 野外プレイか。
 男として女としたことはあったけど、女役では初めてだ。
 彼の手が僕のズボンのベルトを緩めようとしたとき、無粋なライトが道を降りてくるのが見えた。
 車が迫っている。
 片岡さんも気づいて、顔を離した。
 僕は服の乱れを整える。
 ディーゼルエンジンを響かせて、車が近づいてくる。
 ルーフライトも照らしてるその車は、車種まではわからないが背の高い四輪駆動車らしかった。
 三菱のパジェロか、トヨタのハイラックスサーフあたりだろう。
 てっきりカップルの車が下りてきたものと思っていた。
 それだったら、先客とは離れた位置まで行くか、別の場所に向かうために引き返すだろう。
 しかし、その車はそのどちらも選ばなかった。
 ハーレーのすぐ後ろに止まると、助手席のドアが開く音がした。

「おい、防波堤の裏に行ってろ」
 片岡さんが珍しくまじめな口調で言った。
 防波堤の裏と言えば、テトラポットの積み重なった場所だ。
 はやく、と急かされて、僕は腰を上げた。片岡さんは僕より先に立ち上がっていた。
「邪魔して悪いな。おじさん達、手っ取り早く財布置いてってくれないかな。現金だけでいいからさ。カード類はいらねえから」
 若い男の声が、開いた運転席から聞こえた。
「ほら、はやく隠れてろ」
 片岡さんに言われて、僕は裏側に降りた。
 海面はまだ二メートルくらい下にある。月の光を反射して緩くうねる海面を見下ろすと、少しめまいがした。
 甘い雰囲気が急に緊迫した場面に変わる。
 その変化に心がついていかない。
 ヘッドライトの前に浮かんだシルエットは3人だった。
 そのうちの二人は、金属バットのような棒を手に下げている。
 ジャケットのポケットから財布を取り出そうとしてる僕に、片岡さんが出すなと叫んだ。
 まさかこいつらと戦うつもり?
 相手が二人でも無理があるのに、三人で、しかも武器まで持ってる相手と戦うのは荒唐無稽なアクション漫画だけでたくさんだ。
 現実的じゃない。
 僕に格好いいところを見せて、一気にほれこまさせようという理由だけでは、リスクが大きすぎる。

「消えうせろ、ハイエナ野郎が」
 その、あまりに非現実的な言葉が、片岡さんの声であたりに響いた。


 9


 何か武器になるものがないか、周囲を見回すにしても暗すぎる。
 満月の光があるとはいえ、壁の向こうのライトが逆に陰になるこちら側を暗くしていた。
「おい、お前あっちを頼む。携帯使われるの面倒だから」
 不良の言葉でやっと僕も携帯電話で警察に通報することを思いついた。
 しかしそれを取り出す前に、長髪の男が近づいてくるのが見えた。
 逃げろ、と言う片岡さんの声も追ってくる。
 その片岡さんは金属バットを構えた二人組みに挟まれて身動きできないようだった。
 
 テトラポットの積まれたこの場所は、幅が三メートルほどある。
 僕は海の方にいっぱいまで下がった。
 男が塀に上がって、こちら側に降りた。
 塀の向こう側では、金属バットが地面をたたく音が聞こえてくる。
 ほえる声にうめき声。
 映画かテレビドラマでしか体験したことのないアクションシーンの真っ只中にいるのは、奇妙な感覚を僕に呼び起こす。
 夢でも見てるような、地に足の着かなさ。
 しかし近づいてくる男の持つ危険な雰囲気は、気持ち悪くなるくらいに本物だった。

「おとなしくこっちに来いよ。金だけ出せば開放してやるからさ」
 長髪のシルエットが言う。
 暗くて足場の悪い場所だ。
 向こうも簡単には近づけないのだ。
 こんな場所で乱闘になれば、バランスを崩して二人とも海に落ちてしまうだろう。

「こっちに来るな」
 言いながら僕は携帯を取り出すが、それを操作する隙がなかった。
 相手から目を離せば、一気に近づいてきて僕を海に突き飛ばすだろう。
 僕が彼をつかむよりも早く。
 彼も動きが取れないが、僕もまた同じことだった。
 
 しかし、こうしている間にも片岡さんが痛めつけられてるかもしれない。
 僕はじわじわと横に進んで男から距離をとる。
 しかし、男も同じように移動するから、依然として隙を見つけることはできない。
 男が足元を見た。
 そしてかがみこむ。
 棒切れを拾い上げていた。
「言うこときかねえならこいつで突き落としてやるか」
 男の持った棒は二メートル近くある竹だった。
 どこからか流れ着いたのか、誰かが捨てたのかわからない竹の棒は、一気にこっちの形成を悪くしてくれた。
 海辺に近い僕の周囲にはそういった漂流物はない。
 波で奥に押されるか、流されてしまうからこちら側にはほとんどごみも落ちていないのだ。
 竹をやりのように男が構えた。
「わかった。降参するよ。金は出すから」
 僕は手に持っていた携帯電話をポケットに収めた。
「最初からそうすりゃいいんだよ、こっちにきな」
 男はそう言って自分が先に岸壁をよじ登った。
 僕もその後に続いて岩壁に手をかける。
 片岡さん、あんまりひどいことになってなければいいが。
 先ほどまで乱闘の物音がしていたが、今、壁の向こう側は静まり返っていた。
 そのとき、男の声で、貴様と叫ぶ声が聞こえた。
 目の前の男が、あわてて塀を向こう側に飛び降りた。
 壁に上って見下ろすと、片岡さんが金属バットで男に殴りかかっていた。
 鈍い音が聞こえた。

 ハーレーのエンジン音に負けないように大声で僕は言う。
「大丈夫だったの? 殴られなかった?」
 風が僕の声を後方に巻き上げていく。
「何発か食らったけどな。どうってことないさ。お前が無事でよかった」
「どこかで休もうよ。あのファミレスは? お腹も減ったでしょう?」
 片岡さんに回す腕に必要以上に力を込めて、後ろのシートから僕は抱きついた。
 まんまと片岡さんの計略にはまってしまったみたいだ。
 強い男に女は弱い。
 それまで思っていた以上の気持ちが、片岡さんの方に傾いていくのを僕はどうすることもできなかった。
「ラブホテルでもあれば入りたいところだけどな、さすがに今はそんな気にもならんか」
 その言葉は僕にはちょっと残念に思えた。
 片岡さんが街道沿いの安っぽいレストランにバイクを乗り入れた。
 さっきの海岸と比べて明るい光に満ちている。
 黄色いその光たちは、仮にさっきの男達が追いかけてきたとしても、此処は十分安全だといってるようだった。

「ああ、あいつらが追ってくるのは心配要らんぞ。タイヤ、パンクさせてきたからからな」
 明るい店内で見ると、片岡さんの左の頬が腫れていて、右耳の上あたりから血が出てるのがわかった。
 ハンカチを出して、お冷の水で濡らすと、その血をふき取ってやる。
「たいした事はない。バットがかすめただけさ」
「でもすごいな。二人もやっつけるなんて」
 僕の感嘆の台詞に、片岡さんはにやけた笑い顔を作るが、痛みが走ったのか一瞬顔をゆがめた。
「一人そっちに行ってくれたのが助かった、しかも素手の奴が行ってくれたからな」
「どうして? バット持った敵二人が残ったのに?」
「複数との喧嘩のときは、タックルされて抱きつかれるのが一番まずいんだよ、動きを止められるから。金属バットみたいな大物振り回す奴には隙ができるから、まだましだ。あ
いつら、あそこで何度か強盗やってたんだろうけど、喧嘩慣れはしてなかったみたいだな」
「片岡さんは喧嘩慣れしてるわけ?」
「まあな。俺なんか猪と戦ったことだってあるぜ」
 ふざけた言い方だったけど、嘘には聞こえなかった。

 注文していたトルコライスが二つ運ばれてきた。
 チキンライスの小盛に、スパゲティやとんかつ、サラダ、それと小さなハンバーグが添えてある。
 それまでなかった食欲が、あつあつのとんかつの匂いにつられて膨れ上がった。
 時計の針は九時になろうかとしていた。


 10


「女の子ってさ、二人の男から好きになられて、自分は二人とも同じくらい好きだったらどうするのかな」
 ハーレーに無理やり乗せられた次の日の夜、夕食後の居間でテレビのバラエティの軽い音楽を聞いていると、ふと僕の口からそんな言葉が出てしまった。
「なにそれ、脈絡もなく変な話題出してきて」
 響子がテレビに向けていた顔をこっちに向けてにやけている。
「いや、会社での話。事務の子が今そういう状況なんだ」
 うっかり変なことを口に出してしまった僕は、やぶへびにならないように慎重に設定を選んだ。
「そうね。女は案外シビアだからね。同じくらい好きなら、ものを言うのは経済力かな。
それと、相手の家族なんかもね」
 まさかその女の子が僕自身をさして言っているとは思ってもいない響子がコーヒーを一口飲んだ。
「でもそれって結婚する場合だろ? 結婚しない場合はどうなる?」
 僕の言葉に、今度は首を傾げる響子。
「でも、普通は結婚が前提でしょ。大人の恋愛って」
 確かにそうだ。一呼吸おいて、響子がまた言う。
「結婚を前提としないのなら、経済力はおいておくとして、それ以外の条件ってことになるでしょうね」
「たとえばエッチがうまいとか?」
 言った僕の顔を響子が睨んだ。
 しまった。修一が側にいたのだった。
 そっとわが子を見ると、彼はテレビに集中していて、こっちの話には興味なさそうだった。
「そういうのもあるでしょうけど、それを含めて同じくらい好きって話なんでしょ」
「そうだけど」
「じゃあ、結婚しないのなら二人とそのまま付き合ってればいいだけじゃないの?」
 投げやりな言い方だ。
「そんな無責任な」
「でもそうなるわよ。女が男を一人に決めないといけないのは、結局一人の男としか結婚できないからで、恋愛は結婚がゴールになるものだからでしょ」
 まったくその通りだ。
 僕はそれ以上反論するのは止めて、テレビを見る振りをした。
 
 響子が言った言葉には、その先もあるように思える。
 つまり、自分以外の男と付き合うのを男が阻止しようと努力するのも、結婚は一人としかできないからというのがある気がするのだ。
 結婚というのは家庭のことで、家庭というのは子供を作るということだ。
一般論としては。

 男女の恋愛は、生殖行為が目的だからこそ、相手を独占したくなるわけだ。
 だとしたら生殖と無関係な男同士の恋愛ではまったく様相が異なってくる。
 男女の恋愛とは根本的に違うものなわけだ。
 
 僕はソファから立ち上がると、自分のコーヒーカップを持ってキッチンに向かった。
 そこでお代わりのインスタントコーヒーを作ると、居間には戻らずに自分のパソコンの置いてある部屋に入った。二つつながった六畳の和室の手前側。
 物置兼パソコン部屋だった。

 僕は堅苦しく考えすぎていたのだろうか。
 およそ見当違いの例えを持ってきて無理やり当てはめようとしていたのだろうか。
 男同士のことに、男女の恋愛の常識を重ねるのは意味の無いことなのか?
 しかし、男同士でも一対一できっちり付き合ってる人も多いはずだ。
 それは、彼らが男女間の常識を見当違いな所に当てはめているだけなのか?
 いや、ひとつ理由があった。
 病気の問題だ。
 不特定多数と付き合うことは感染しやすいということがある。
 
 でもそれはあくまで相手がどこの誰ともわからない、素性の知れない者同志の場合であって、大勢との付き合いでも全員がしっかり病気を持たないことが知られていれば問題ないはずだ。

 ということは、結婚または同居する意思がない以上、僕には荒木さんと片岡さんのうちどちらかを選ばなければならない理由はない事になる。
 そのまま二人と付き合ってればいいんじゃない? という響子の言葉が耳によみがえった。

 でも、そうするとその物語の行き着く先はどこになるんだろうか。
 ハッピーエンドには程遠い気がするけど。

 メール着信音がした。
 開く前からわかっている。こんな時間にメールしてくるのは片岡さんだ。
『山の中は寂しいぞー泊まりに来いよ』
 片岡さんからのメールに、僕は返事を打ち込む。
『まだ無理ですよ。もう少し待ってください』
 送信したら、五分後にまた来た。
『もう少しってどのくらい?』
 どのくらいと聞かれても困る。

『そんなのまだわかりません。もう少しです。片岡さんという友達がいること、まだ響子は知らないんだし』
 送信しながら、確かに、片岡さんという友人ができたことを響子に知らせればいいんだと自分で納得していた。
 僕には、一緒に遊んだり飲みに行ったりする友人が居なかった。
 飲み会はこれまでずっと会社関係だけだし。

 もちろん友人が居ないわけじゃない。
 大学が地元じゃなかったから、その頃の友人は距離的に隔たりがあるという理由で身近に居ないのだ。
 高校時代の友人も居ないことはないけど、彼らとは暇な時間が合わなかった。
 それに大学時代の時間の隔たりで10年も前から疎遠になってしまってる。
 今では年賀状をやり取りする程度なのだ。

『じゃあ今度遊びに行くよ。青梗菜もって行くから』
 片岡さんのメールに、これまでなら絶対の拒否反応を示していた僕だけど、案外それもいいかもしれないと思えた。


 11


 日曜日、僕は響子と二人でいつものように大波止のショッピングプラザに買い物に行った。その週の夕食用の食材など、それと、酒が切れていたので芋焼酎のビンを一本。
 修一はマンションでアニメを見ている。
 
「そうだ、今日、午後に友達が来るから」
 弁当にいれる、生姜焼き用の肉を選んでいる響子に僕は言った。
「友達? 長崎の?」
 長崎の、という質問は、以前来た岡山の友達を思い出してのことだろう。
 そのときは、響子と修一も一緒に、長崎の古い料理屋に案内したのだった。
「ああ。会社の飲み会で来てた人なんだけど、なんか気があって、仲良くなったわけ。その人野菜つくりが趣味なんだけど、青梗菜たくさん出来たから御裾分けするってさ」
 用意していた台詞を、できるだけさりげなく言う。
 生姜焼きの肉をカートに入れて、響子がうなずいた。
「じゃあケーキでも買っておこうか」
 気を使ってくれる響子に、ちょっと僕の胸が痛む。
 実は浮気相手、だなどとはまったく思ってないだろう。
 あたりまえだ。
 
 僕のことは、どっちかといえば女好きなやつと思ってるだろうから。
 信頼してくれている相手を裏切っている罪悪感が、ちくちくと僕の心を刺す。
 でも、元はといえば響子がセックスを拒んだのが悪いのだ。
 それがなければ、僕はこの世界に首を突っ込むことは一生なかっただろう。
 一つ大きく息を吸って、僕ははいた。

 ケーキはチョコロールをひとつ買った。修一も喜ぶだろう。

 十二時に三人で昼食をとった。
 今日の昼食はスパゲッティ。麺を三人分ゆでて、レトルトのミートソースを温めてかけるだけだ。簡単だから僕が用意した。
 麺をゆでている間に、片岡さんにメールを打った。

『青梗菜、2時ころ持ってきてくれますか?マンションの場所は館山公園の上なんだけど』
 そのメールに、顔文字で歓喜の表情をみなぎらせた返事がすぐに来た。
『わかった。行くよ。マンション、何号室?』
 それに返事を打って、しばらく待つと、『了解しました〜』という返信が届いた。

 テレビを見ている二人の前に、ミートソースを置くと、修一が歓声をあげて飛びついてきた。
 二人のいただきます、を聞きながら、自分の分をとりに戻る。
 日曜日の昼のバラエティとともににぎやかな時間が過ぎていく。
 今は幸せなんだよな、と改めて思った。
 妻も子も、もちろん自分も健康で何の問題もなく生活している。
 金銭トラブルもないし、交通事故も起こしていない。
 会社も今のところ安定して収益を上げている。
 
 何の不満も不安もない生活だ。
 ただひとつ、夜の夫婦生活を除けば。
 他がすべてよくても、ひとつの事が駄目な所為ですべてがぶち壊しになる。
 夫婦のセックスってそういうものだろうか。
 それとも、他が良ければ我慢するべきことだろうか。

 壁の掛け時計の針が2時をもう少しで指そうかというときに、ドアチャイムが鳴った。
 片岡さんだろう。
 僕はソファから立ち上がると、玄関に向かった。
 
「よお、こんにちは。いい天気だね」
 ドアを開けると、にやけた片岡さんが、左手に革ジャンを、そして反対側の手には大きなビニール袋を持って立っていた。水色のトレーナーにジーンズの彼は、額に少し汗をかいていた。
「時間通りですね。あれ、でもバイクの音が聞こえなかったな」
 ハーレーで来たのなら居間に居た時でもはっきり排気音が聞こえたはずだ。
「ああ、ちょっと故障しててね、修理に出してるんだ」
「そうなんですか、まあ上がってくださいよ」
 しかし、ハーレーが故障しているのならどうやってきたんだろう。
 バスが上ってくる時間でもないのに。
 居間に案内していると、響子がキッチンでコーヒーを入れているのが見えた。

「こんなにたくさんどうもありがとうございます」
 青梗菜のビニール袋を受け取った響子がにこやかに言う。
「ベーコンと一緒にバター炒めするとおいしいですよ」
 片岡さんは勧められたソファに座ってコーヒーを一口飲んだ。
 二人がしゃべってるのを横から見ていると、なんとも変な気分になる。
 二人の話は、片岡さんが作ってるほかの野菜とそれを使った料理にシフトしていく。
 女が苦手な割には軽快に話をしている片岡さん。
 不思議に話が弾んでいて、僕は修一のしているプレイステーションの画面をぼんやり見ていた。

「ねえ、あなた、今度畑仕事手伝ってあげれば?」
 話が振られたので振り向くと、片岡さんが響子の後ろで小さく手を振った。
「そうだな。たまには土いじりもいいかもね」
 渡りに船という展開に、逆に心配になってしまう。
 調子がいいときほど落とし穴には気をつけるべきだから。
 でも心配するようなことは何もなかった。
 
「そう言えば、さっき不思議だったんだけど、バイク故障してたらここまではどうやって?」
「ああ、下からは歩いてきたよ。バス待ってたら遅れそうになったから」
「ええ? 結構きつかったでしょう」
 片岡さんの返事に響子も同情の言葉をはさんだ。
「それほどでもないですよ。後のことを思えば」
 後のこと? 小さくつぶやかれた言葉に、一瞬疑問符が浮かぶが、すぐに気がついた。
 そういうことか。

 おやつをみんなで食べて、しばらくしたところで片岡さんが立ち上がった。
「あの、じゃあそろそろ帰りますので。今後ともよろしくお付き合いください」
「あら、こちらこそよろしくお願いします」
 響子も立ってお辞儀をひとつする。
「じゃあ、送りますよ。なんだか曇ってきたし、寒くなってきたから」
 僕が、片岡さんの待っていた台詞を言ってやった。


 12


「なかなか美人な嫁さんだな。さすがエイトだな」
「何がさすがなんですか」
 207に二人で乗り込んで、僕はエンジンをかけたところだ。
「別に。二人の男を手玉に取るエイトなら、あのくらいの美人でも落とすのは簡単だったかなって思ってさ」
 いったん駐車場から出るのに急坂を登った207が、なだらかな下り坂を下りて行く。
「修一君もかわいいし、エイトは幸せだな」
「まあ幸せでしょうね、あれさえ無しにならなければ」
「でも、なんでセックス拒否してるのかね、奥さん」
「わかりませんよ。聞いても答えないし。ネットでもよく見かけるけど、たまにセックス嫌いの人がいるみたいですから、そういうのじゃないですかね」
「奥さん、お前が最初だったのか?」
「何ですか急に」
「他に男知らないのかなって思ったんだけど」
 変な方向に話がいってると思ったけど、来た道は引き返すわけにも行かない。
「多分知らないでしょうね、僕以外は」
 響子とは25歳のとき知り合った。
 彼女は僕よりひとつだけ年下で、僕の会社の向かいの調剤薬局で薬剤師をしていた。
 今はそこはやめて、もう少しマンションに近い薬局でパートをしている。
 響子と初めて抱き合ったときのことを思い出した。
 雪の降る日だった。
 会社の忘年会を一次会で抜け出した僕を、うっすらと雪の積もった近くの公園で彼女は待っていた。
 響子はその日が初めてだったはずだ。

「じゃあもしかしたら他の男とだったら続いていたかもしれないな」
「どうしてですか?」
「あれって相性があるからさ。ソフト面の相性ももちろんだけど、ハード面の相性が大きかったりするんだよな」 
「ハード面って?」
「セックスする道具のこと。大きさ以外にも形なんかも関係するんだぜ」
「片岡さん、女は駄目なんでしょ、よくわかりますね」
「わかるさ。男同士だって相性あるんだしな。あんまりでかいの入れられたくないだろ、エイトだって」
「僕のはそんなに大きくないですよ」
「それはわかってる。まあ標準より少し小さいサイズだったな」
 何の話なんだよまったく。
 諏訪神社の上の曲がりくねった道を下りてるのに、ハンドル操作に力が入らなくなってしまう。
 舗装された道路の真ん中に巨木が伸びているという、珍しい道路だ。
 
 左に急旋回していると、後ろの席に置いた僕のバッグからメール着信音が聞こえた。
「奥さんからメールかな? ついでに何か買って来てっていうんじゃないか? 俺が見てやろうか」
 わかっていて言ってるんだろうな。
 メールの主は多分荒木さんだ。
「いえ、後で見ますからいいですよ」
「そうだな。俺が一歩リードしたしな。まだ荒木とは一回しかやってないんだろ? もちろんお前の家に招待もされていないはずだし」
 ため息が出てしまう。
「荒木さんには悪い事したから今度会います」
「そのときは思いっきり抱いてくれるかな? お仕置きされるかもしれないな」
「お仕置きって、いったい誰の所為でこうなったんですか?」
「まあまあ、怒らない怒らない。運転中に感情的になるのはよくないぜ」
 わざと怒らせて面白がってるのかな。
 これも恋の駆け引きなんだろうか。
 そう思ったら怒りもしぼんでしまった。

 そして、今日も生でやられてしまった。
 布団から上体を起こすと、冷えた空気が火照った体に気持ちよかった。
「コンドーム、買っててって言ったじゃないですか、また忘れたんですか?」
 下から見上げている片岡さんの鼻を指ではじいてやった。
「いてえなあ。いいじゃんか。俺は病気持ってないんだから」
「まあ、今更つけても始まらないかな」
 本当はコンドームつけるのが好きじゃないから、というのはわかっている。
 実際僕も女性とするときは、あれをつけるのは苦手だった。
 空気が入ったりしてうまく付けきれなかったのもあるし、あれをつけると性感が鈍って気持ちよくなくなってしまう。
 
 僕は裸のまま布団から這い出ると、ふすま越しの隣の部屋に脱ぎ捨ててある衣類を着始めた。
 たっぷり欲求を吐き出して満足したのか、片岡さんはまだ布団にもぐったままだ。
 バッグから僕は携帯電話を取り出した。
 シルバーボディの端で、緑色の小さい光がゆっくりとした周期で点滅している。
 携帯を開いてみる。
 メールはやっぱり荒木さんからだった。

『先日は残念だった。今度はいつ会えるのかな。君の都合に合わせるよ』
 確認した後、僕も返事を打つ。
『本当にすいませんでした。今度の金曜日はあけておくようにします。その時は僕におごらせてください』
 送信ボタンを押す。
 片岡さんの起きる気配がしたから、僕は携帯をバッグにしまった。
「寒いな。雪でも降るんじゃないか」
 がっしりした体を僕にくっつけてきた。
 ぐっと後ろから抱きしめられて、ふんって声を上げてしまう。
「かわいい声だ。あの時ももっと鳴いていいんだぜ、かわいい子猫ちゃん」
 
 そんなにきつく抱かれると苦しい、と言おうと振り向いた僕の唇は片岡さんの唇で閉ざされた。
 舌が入ってくる。
 男とのディープキスにだんだん抵抗感がなくなってきてるな。
 初めてのときに感じた違和感はもうなくなってる。

 キスしたまま僕らはしゃがみ込んでしまった。
「また大きくなってきたぞ」
 唇を離した片岡さんがにやりと笑った。
 僕は、はいと一言だけ答えた。


 13


 その週は仕事が忙しくて過ぎるのが早かった。
 荒木さんと約束してる金曜日に残業はしたくないので、前日にその分少し多めに居残りした。
 12月に入って気温もぐっと下がっている。
 僕は、すでに荒木さんと去年会ったときに着ていた黒のN2Bジャケットを長袖Tシャツの上から羽織っていた。

 金曜日、時計の針が午後七時をさすとき、一週間前と同じような感じで会社近くのバス停に荒木さんのパトリオットが滑り込んできた。
 ドアを開け、自分の207より20センチは高いシートに腰掛けた。
「今日は、急な仕事、入らなかったようだね、よかったよ」
 荒木さんの笑顔、久しぶりに見る。
 最後に会ったときよりも髪が短くなっていた。
「髪、切ったんですね」
「ああ、先週ね。のばそうと思ってもだんだんわずらわしくなってくる。いっそ坊主にでもしようかな。それならかなり持つだろう。ついでに髭も生やすか? らしくなるかな」
 ゲイらしくなるかということだろう。
「らしくない荒木さんが好きなんだけど」
 窓の外にある大きなクリスマスツリーのイルミネーションがゆっくり後方に流れていった。赤や黄色の光に街中がにぎやかだ。
「もうすぐクリスマスなんですね」
 イルミネーションを目で追いながら僕は言った。
「そうだな。クリスマスパーティーは行くかい?」
「パーティ?」
「ローズビーズのクリスマスパーティーさ。たしか22日にあるはずだけど。3000円出しの食べ放題飲み放題、マスターは料理上手だからいろんな手料理作って待ってるよ」
「いいですね。一緒に行きましょうか」
「他に用事はないか?」
 一度すっぽかされて用心深くなったのかな。
「ないですよ。イブイブイブはあけておきます」
「結構」
 車は市内を南下して、大浦のホテルの前に横付けされた。
「ここのディナーを予約しておいた。下りて」
 適当な場所を予約して置くように僕が頼んでいた。もちろんここの費用は僕が持つつもりだ。このホテルは会社の忘年会なんかで何度か来たことがあった。
 背の低いホテルマンが素早くよってきてドアを開けてくれた。
 
 正面玄関のオレンジ色の明かりを受けて、荒木さんが車の裏側から歩いてくる。
 裏のパーキングに移動させるために、荒木さんの下りた運転席にホテルマンが乗り込んだ。
「この一週間は待ち遠しかったぞ」
 耳元で荒木さんの声。人目があるというのに荒木さんの右手が僕の肩を抱く。
 でも、先週のことがあったから僕は逃げるわけにも行かない。
 そのまま玄関を入ってロビーに向かった。
 いい年した男が二人体を密着させて歩いてるのは、一般にどう見られるだろう。
 おかしく見られないように、めまいでも起こした振りをするか?
 ふとそんな考えが浮かんできたけど、その考えは僕の顔をにやけさせる働きしかしなかった。

 広いホールをそんな格好で横切った後、エレベーターで七階まで上がる。
 片面がガラス張りになっているエレベーターから、暮れ色に沈む長崎港が見渡せた。
 背の高いマンションが対岸にそびえているのが見える。
 確か28階建てのタワービルだ。
 周囲に同じくらい高いビルは皆無だからことさら高く見えた。
「俺のもあんなふうになってるぞ」
 二人きりのエレベーターで荒木さんが僕に腰を押し付けてきた。
 硬い棒が僕の下腹部に当たった。
 今夜は泊まりになるかもしれない。
 響子には友達と飲んでくると言ってあるけど、悪酔いしてしまったから友達のマンションに泊まったことにするか。
 エレベーターから降りた階は、下と比べて明らかにじゅうたんがふっくらしていた。
 
 料理も、それに椅子の座り心地もとてもよかった。
 僕らは恋人同士のように談笑したりはにかんだりしながら運ばれてくる色とりどりのご馳走を胃の中に収めていく。
 デザートにチーズケーキが来た。
 暗めのルームライトはテーブルの上のろうそくを綺麗に演出するためだ。
 
「ところで、先週の彼は、やっぱりローズビーズで出会ったのかい?」
 いきなり言われて、フォークの先からケーキが落ちてしまった。
 それまでまったく汚されることなく数々の料理を載せてきた真っ白なテーブルクロスにしみができた。
「先週の彼、ですか?」
 無駄とわかっていても、ごまかす台詞しか出てこない。
「ハーレーに乗っていた彼さ。君が後ろに乗って行ったじゃないか」
 やっぱり気づかれていたのか。
 でも、周囲に人は多かったのに。顔は見られなかったはずだ。
 とはいえ、ごまかしは状況を悪くするだけだろう。
「ずいぶん目がいいんですね、暗かったのに」
 フォークを皿に置く。
 深いため息がでた。
「やっぱりそうだったか。暗かったからわかったのかもしれないな。ルミノックス3059、君の腕時計さ。オレンジ色の光が手首で光って見えたんだ」
「そうですか」
 自然と左の手首に目をやった。
 細い手首には不似合いなごつい腕時計が、今も凝りもせずにオレンジ色の光をともしている。
「それほど珍しい時計ではないけど、状況を考えるとね。君の電話がかかってきたのも七時をかなりすぎていたし。普通なら来れなくなったと言う知らせがあるなら時間前にあるだろうから、特に君がそんな失敗するとは思えない」
「すいません、確かにその通りです。片岡さんって言う人で、ローズビーズで出会いました。出会って一ヶ月です」
 ばれてしまった。
 これは別れにつながるのかな。普通なら大いにうろたえるところだけど、なぜかそれほどの焦りは感じなかった。やっぱり男女の付き合いとは感覚的に違う。

「どこの誰かには興味ない。まあ、病気持ちじゃないことは祈るけどね。それからこれで僕らの関係が終わりになると考えているのなら、それもちょっと違うな。絶対エイトを離さないって言わなかったかな」
 僕の安堵の気持ちが読まれたのか、荒木さんは軽く首を振った。
「でも、少しお仕置きしないといけないな。俺から絶対離れられないようにしてあげようと思う」
「お仕置きですか? ひょっとしてSMとか?」
 恐る恐る口にすると、荒木さんは笑って答えた。
「それも面白いけど、今日は別の趣向を考えてある。まあ、部屋に行こう、怖いか?」
 確かに何が待ってるのかわからないのは怖いけど、物騒な雰囲気は荒木さんからは感じられない。
 それに、やはり僕は荒木さんが好きだった。

「いえ。大丈夫です」
 僕は立ち上がる。
 テーブルを見下ろすと、チーズケーキとともに運ばれていたコーヒーは結局一口も飲まれることなく冷めてしまっていた。


 14


 チェックインするのを忘れていたと言って、荒木さんは一人で一回のフロントに下りていった。
 部屋は九階だから先の上っておくように言われている。
 僕は左側のエレベーターで荒木さんを見送った後、右側エレベーターに乗った。
 九階のフロアにでる。
 エレベーターホールから左右に廊下が伸びていたが、部屋の番号までは聞いてないから、そのまま待つことになる。

 誰もいない、と思っていたら左側から男が近づいてきた。
 背は高く、体重も僕なんかよりは30キロくらい重そうに見えた。
 一口に30キロと言っても、10キロの米袋3袋ぶんだ。
 同じ成人男性でそれほど違うことがあること自体が不思議に思える。

 黒い上着を手に持った彼の肩はベージュ色のTシャツ越しでも筋肉が盛り上がっているのがわかる。年齢は自分と同じくらいかやや上に見えた。
 僕からそう見えるって事は、彼から見たら、僕の事はかなり年下だと思ってるだろう。

 髪は短く刈っていて、自衛隊員を連想してしまう。
 エレベーターに乗るのだろうと思って、譲るように下がるが、彼はエレベーターのボタンを押すでもなく僕の方をじろじろ見ている。
 目が合うと、彼は大きな唇をゆがめてにやりと笑った。湿り気のある妙な笑みだった。

 何なのだこの男は。
 気持ち悪くなってくる。
 顔を背けると、僕はさりげなく彼とは反対方向に廊下を進んだ。
 追いかけてこられたらどうしよう。
 考えると、心臓のリズムが早くなってくる。誰も居ないホテルの廊下が非現実的なSF映画のロケット内部のように見えてくる。

 後ろの男が動く気配がした。
 一気に走って、向かってきたらどうしよう。
 脇の下に冷たいものを感じたとき、背後のエレベーターが来て止まる音がした。
 荒木さんが帰ってきたかな。
 息を落ち着けるようにしてゆっくりエレベーターを振り返ると、開くドアから右手に部屋の鍵をぶら下げた荒木さんが出てくるところだった。
 ふっと気が緩んで、荒木さん、と声をかけようとした僕は意外な光景を見て口をつぐむ。
 エレベーターの前に立っていた巨漢の男と荒木さんが挨拶を交わし、話し始めたのだった。
 荒木です、ジョージさんですか、と言う声が聞こえた。


「どういうことなんですか、いったい」
 ダブルベッドの置かれた部屋の中で、僕は荒木さんに尋ねた。
「ジョージさんとはネットで知り合った。今日来てくれるように頼んでたんだ」
 荒木さんはグレーの上着を脱いでクローゼットにかけた。
 モノトーンのコーディネートは、落ち着いた上品なものだった。
 巨体の男は成り行きを見守ろうと入り口のドアのところでこちらを観察している。
「そういうことじゃなくて、どうして、そのジョージさんがここにいるのかですよ」
「お仕置きするって、さっき言っておいただろう。エイトを俺から離れられないようにしてやるとも。彼に少し手伝ってもらうことにしたわけだ」
 頭から血の気が引く音が聞こえそうな気がした。
 砂浜に上がった波が一気に引いていく音だ。
「そんなところに立ってないで、そこのソファにどうぞ」
 荒木さんは詰め寄る僕をわきにどけると、入り口に突っ立ていたジョージと言う男に声をかけた。外国人には見えない。ジョージと言うのはネット専用の名前なんだろう。
「大丈夫なんですか? 言ってなかったんだ」
 ジョージが驚きの声を上げながら僕の方に来た。
 外見に似合わず少し高めの声だった。
 後にさがろうとしてベッドのふちに躓いた僕は、スプリングのきしみ音をかすかに立ててダブルベッドに座り込んだ。
 ジョージが僕の顔を覗き込んできた。
 でかくて脂ぎった鼻が付きそうになるくらいに顔を近づけてくる。
「かわいい子ですね。今夜は楽しくなりそうだ」
 
 横を向いてジョージを避けると、立ち上がって荒木さんの腕を取る。
「僕は帰ります」
 叫んだあと、ドアを出ようとしたが、左腕を引かれて引き戻された。
「どうしてもいやだと言うのなら、無理にとは言わないさ。でも、君は男が好きなんだろ。
ジョージじゃ不満か? ガタイもいいし顔だってイケメンとは言えないかも知れないが、悪くはないじゃないか、片岡って言ってたかな、君はもう一人男を受け入れたんだろう、
俺以外に。それなら次の三人目を受け入れてもいいのじゃないか」
「でも、こういうのって変態的ですよ。三人でするなんて」
「変態的でもいいじゃないか。男同士で抱き合うことがすでに、一般的に言ってそうなんだから」
「これが、お仕置きですか」
「そうだ。先週約束を破った君は、今夜二人の男に同時に抱かれるんだ。今は嫌かもしれないけど、明日の朝には今夜の事が忘れられなくなってる。もちろんいい意味でね。俺はむしろ、君がのめり込んで、こういうやり方でないと感じなくなるんじゃないか、そっちの方を心配してるくらいだ。まあ、そうなったらそれはそれで良いけどな」
「冗談じゃない。僕がそんな変態になるわけないです。確かに一般人と比べたら変な趣味があるかもしれないけど。だから、今夜限りです」
 非は自分にある。
 約束を破ったのは僕なんだから。
 だから、今夜は仕方ないのだと、僕は自分に言い訳しているのだ。
 すでに荒木さんの提案を心の中では受け入れている。
 しかし、それは僕が変態だからではない。
 そしてそれを証明するには、今夜の3Pプレイに応じるしかない。

「いいね。今夜限りで結構。俺もその方が安心だ。じゃあ、お尻の処置しておいで、まだなんだろ」
 荒木さんが僕の尻を右手でなでた。
 
 バスルームは割と広かった。奥にバスタブがあり、手前に水洗便器が置いてある。
 クリーム色の周囲にはカビひとつなく磨かれている。
 服を脱ぎながら、この後のことについて想像をめぐらした。
 二人の男に同時に抱かれる。
 どんな風に?
 アダルトサイトで見た写真が、記憶の中から浮かび上がってくる。
 うつ伏せで、一人の男のものを口に含みながら、バックから犯されてる女。
 あの女みたいにされるんだ。
 ずきんと股間がうずいた。僕のものはこれ以上ないくらいに硬くなっていた。
 シャワーのノズルをひねってはずす。
 浴槽の中で、シャワーの温度を調整して、お湯のあふれる先端を自分のアヌスにあてがう。
 いつもは出て行くだけの場所にぬるいお湯が侵入する。
 はじめは一瞬行き場を失った水流がはじけるが、僕が力を抜くとその水のエネルギーは周囲の壁ではなくて僕の体に向けられる。
 じんわりと下腹が温かくなってきた。


 15


 火照る肌をバスタオルにくるんだ僕が、シャワー室から出てベッドを見ると、ジョージの褐色の肌がそこに横たわっていた。
 すでに全裸になっている。
 腹筋は割れていて股間は黒々とした短い縮れた毛に覆われている。
 僕を見て彼は、再び湿り気を帯びた笑みで笑った。

 荒木さんはまだ服を着たままだ。
「キレイにしてきたかな。じゃあエイトはソファで見てなさい、ジョージのを元気にするから」
 いきなり抱かれるかと思っていたけど、そうじゃなさそうだ。
 荒木さんは上半身裸になると、ベッドに横たわるジョージに覆いかぶさった。
 ジョージの股間に手をやる。
 まだダランとした物を右手に握ると、僕の方に見せ付けるようにしてから、顔を近づけていった。
 荒木さんのしようとしている事を見て僕は軽くパニックになる。
 
 荒木さんは僕を好きなんだろう?
 それなのに好きな相手の前で他の男の物をくわえるなんてありなのか?
 しかし、止めに入るという考えは僕の中で浮かんでこなかった。
 ディナーで飲んだワインが僕の心を鈍らせているのか、この異常な状況がそれをしてるのか、判断はできなかったけど、おそらくその両方が僕の気持ちを静めてしまってるんだろう。
 荒木さんは僕に顔を向けるようにして半分硬くなった男の物をくわえ込んだ。
 口を大きく開けるから端正な顔がゆがむ。
 でも、荒木さんは僕に出会うまで何人もの男とこんなことをしていたんだろう。
 ちょうど僕が女性と楽しんでいたのと同じように。
 そして、荒木さんがジョージとこういう事をするのは、僕がジョージに抱かれることで釣り合いが取れるのかもしれない。

 見る見るうちにジョージのものは大きくなっていった。
 巨根というのがどの程度のものを言うのか、僕は知らないが、彼のをそう呼んだとしても、誰からも異論は唱えられないだろう。
 あんなのが入るのか?
 今度はそっちが心配になってきた。

 荒木さんの顔が上下に動くたびに、長い髪の毛がカラスの羽のように羽ばたいている。
 ジョージの息がだんだん荒くなってきた。 
 なんだかいきそうな感じに見える。
 ここでジョージがいってしまったらどうなるんだろう。
 じゃあ二発目ってことになるのかな。
 ずいぶん長い時間が過ぎてるように思えた。
 自分ならこれ程されたらとっくに発射してるだろう。

 上質なベッドのスプリングはその運動を吸収して、ほとんどきしみ音も発しない。
 素肌にクリームを塗りたくるような湿った音が聞こえるだけだ。
「お上手ですね、いきそうですよ」
 ジョージの言葉で、荒木さんが顔を離した。
 乱れた髪の荒木さんが僕を見る。
「じゃあ代わろうか。エイト、こっちにおいで」
 うなずく荒木さんの口の脇のしわがぐっと深くなった。
「わかりました」
 自分の声が他人の声みたいにかすれて聞こえてきた。
 立ち上がり、ベッドサイドに数歩踏み出す。
 ジョージが体を起こして、脇に寄った。
 そしてその空いたスペースに僕が横になる。
 左手にジョージの微かに汗をかいた身体があった。
 横向きになって肘で頭を支えるジョージの顔が僕の左耳に息を吹きかけてくる。
 荒木さんの手が僕の身体を包んだバスタオルを開く。
 まるでプレゼントの包みを解かれるような期待した顔をジョージはしていた。

「じゃあ足を上げて。ゼリーを塗ってやるよ」
 荒木さんがゼリーの蓋を緩めながら言う。
 羞恥と屈辱に心が煙を上げてるみたいに思えた。
 そのためなのか、目の前の光景に霞がかかる。
 現実ではないみたいだ。
 では、どこまでが現実だったのか。
 ローズビーズの階段を初めて上がる前まで?
 でも、それにも理由がある。
 理由があってそれが原因になって、結果につながるのだ。
 そして結果が次の原因になる。
 現実は、原因と結果の因果関係でずっとつながってるのだ。
「早く足を上げて」
 赤ちゃんがおしめを換えるような格好を荒木さんは要求している。
 でも、ジョージの目の前でそのポーズをするのは嫌だった。
「手伝いますよ」
 ジョージが脇から手を伸ばして僕の両膝をつかんだ。
 足が持ち上げられる。
 抵抗するほどの気力は僕には無かった。
 
 無様な格好を見たくなくて目を瞑る。
 ぐっと足を引かれて、アヌスが荒木さんの目の前にさらけ出される。
 二人の視線を感じて僕の股間も少し興奮の意思を示し始めた。
「じゃあ力を抜いて」
 荒木さんの細くてしなやかな指がたっぷりとゼリーをのせて僕のアヌスに到達する。
 恥ずかしい感触。
 するりと指が中に入ってきて、僕の体内をかき回す。
「二本いくよ」
 いったん抜かれた指が、太くなって再び入ってくる。
 人差し指と中指を入れられてるんだ。
 くちゅくちゅという音がいやらしい。
 僕は股間がすっかり立ち上がったのを自覚した。
 そして、ゆっくり口から息を吐く。
 ジョージの手だろうか、わき腹をツーと指でなぞられて、快感に声を上げてしまった。


 16


 コーラのビンくらいはありそうだ。
 そんなジョージの物が薄いピンクのビニールで覆われて僕の目の前にあった。
「これを今から入れてやるからな。痛かったらいいなさい。ゆっくりするから」
 ジョージの言葉使いは、どこと無く外国人を思わせる。
 一見日本人だけど、そうでもないのかな。
 そんなジョージが僕の両足を担ぐ格好でベッドに上がった。
 腰をずらすようにして硬く膨れ上がったそれの先端を僕の緩んだアヌスに押し当ててきた。
 ズッと入ってくる。ずきんと激痛が走る。
 痛い、という言葉が思わず口から出て、腰を引くけど、がっしり保持されているから逃げられない。
「おっと、失礼。もう少しなじませないと無理だったかな」
 ジョージがいったん腰を引いてくれたから、激痛は一瞬で治まった。
 僕は口を大きく開いて呼吸する。
 口を開くと、下の穴も緩んでくるのだ。
 思わず開いた目の前に荒木さんの顔が迫ってきた。
「大変だな。でも、痛いのは最初だけだぞ」
 荒木さんの口がつぶやいたかと思うと、そのまま僕の口にかぶさってきた。
 荒木さんの熱い舌が僕の舌と絡まりあう。
 ねっとりとした唾液が僕の口にあふれてくる。
 僕は荒木さんの肩を抱き寄せるようにしてその舌をむさぼるように吸った。
 興奮で状況判断が麻痺していくようだ。
 
 荒木さんの手が僕の胸からわき腹を撫で回す。
 神経がすごく敏感になっているみたいだ。
 そんな軽い愛撫が強い性感になって僕の気持ちを高ぶらせる。
 アヌスが再び大きく広げられた。
 また激痛がくるが、今度はそれほどきつくは無かった。
 太い先端が侵入してしまうと、驚くほど簡単に奥まで蹂躙される。
 痛みは引いていき、僕が感じるのは大きく広げられたアヌスの引きつりと、鈍い快感だけだった。
「よし、全部入ったぞ。どうだい?」
 ジョージが腰を入れてくる。
 いっぱいいっぱいまで入ってる感触に、思わず僕はうっとりしてしまう。
 すべてが満ち足りてしまう感じだ。
 このままずっと入れたままにされたいと思ってしまう。
 初めて会った男に、荒木さんの前で犯されている、そんなことさえスパイスとなって僕の気持ちを刺激する。
 つんっという快感が胸から来た。
 荒木さんがキスをやめて、僕の乳首を軽くかんだのだ。
 そのまま乳首を吸われる。
 ジョージがゆっくり腰を動かし始めると、鈍かったアヌスの快感が、徐々に鋭さを増して僕に襲い掛かってくる。

 もう止めて。つぶやくように僕は言う。
 これ以上されたら引き返せないところまでいってしまう気がした。
 すでに後戻りできない道を僕はずっと歩いてきたのか。
 振り向くと、ノーマルだった日々が陽炎の中にかすんで見えるだけのようだ。
 
 う、うん。
 自分自身の甘いあえぎ声が、耳をくすぐる。
 まるで少女のような愁いを帯びたかすかな声。
 その声が男をさらに元気にさせると知っていて、それを期待しているかのような悩ましさに満ちている。
「いい傾向だな。このネコちゃんすっかり立ってるぞ」
 多分ジョージの手だろう。
 僕の勃起したものが分厚い肉で包まれた。
 軽くこすりあげられるだけで、僕はすぐにでも行きそうになった。
「おっと、あんまり早く一人だけ行ってしまうと後がきついからな」
 幸運なことに、その分厚い手は僕が行く前に仕事を止めてくれた。
「どうかな、三人目の感触は? 最初の二人より具合がいいかい」
 耳元で意地悪な質問をするのは荒木さんだ。
 ここまでくれば僕もいい加減あきらめてしまえる。
「すごく良いです。おっきくてたくましくて」
 うわごとのような声で言ってやった。
 それを合図にしたかのように、静かだったベッドのきしみ音が大きくなった。
 ジョージの腰の動きが、それまでの震度2から震度5に大きくなった。
 アヌスがこすり上げられるのは、快感もあるが、切ない痛みを伴う。
 動きが激しくなると、快感よりもその切ない痛みの方がより大きくなって、次第に苦痛になっていく。
 痛い。
 やはりまだ僕はこのやり方に完全に慣れているわけではなさそうだ。
 荒木さんによる上半身の愛撫に意識を集中しようとするけど、なかなか難しかった。
 さらに震度が6まで上がったところで、いっきにジョージの腰が突き出してきた。
 最後は3回か4回に分けて大きく僕のアヌスの奥底までジョージが突き入れて、やっと静かになった。
 喧騒の後には、巨漢の激しい息遣いが部屋の中いっぱいに響いていた。

 大きくため息が聞こえて、アヌスの中のまだ弾力に富んだ棒がゆっくり出て行く。
 ゼリーで滑りが良いから、引っかかる感じも無くてスムーズに、それは出て行く。
 僕は大きく息を吸い込んだ拍子に埃でも入ったのか、激しく咳き込んでいた。
 横を向いて丸くなった僕の背中を優しくさすってくれる手があった。
 そのままうつぶせになって枕に顔をうずめる。
「久しぶりにたくさん出してしまいました。見てくださいよこれ」
 ジョージはコンドームをはずしたんだろう、そこに溜まった白濁の液体を荒木さんに見せ付けている光景が枕の奥に見えた。
「満足していただけたのならよかったですよ」
 敬語を使って話し合う二人がすごく場違いだ。
 こんなプライベートな室内で、他人行儀な人間が集まってるなんて。

「今度はこっちにおいで」
 服を脱いだ荒木さんの声がしたかと思うと、僕は腰を引かれてうつぶせのまま足側に移動させられた。
 顔を上げると、ジョージの太い足が見える。
 そのまま僕の前にジョージがあぐらをかいた。
 さっきまで僕の身体の中に入っていた黒い棒が、縮れた短い毛の中にそびえている。
 それは自身の排出した白濁液でぬらぬらと濡れ光っていた。
 荒木さんが服を脱いでいるほんの数分の間に、大砲は次の砲弾を装着されて、元気を取り戻したかのようだ。

 いつか見た3Pのアダルトフォトが浮かび上がる。
 今からまさにその状態になるんだ。
 僕のものが痛いくらいに硬くなって、シーツに少しでも強くこすり付ければ発射しそうになっている。
「エイトはこんな風にされるのが好きだろう?」
 腰がぐっと上に持ち上げられて、うつぶせのまま膝を立てた、お尻を突き出す格好にされた。
 目の前のものをくわえながら、バックから犯されるのだ。
 
「じゃあやってもらおうかな。下のお口で味わったものを、今度は上のお口で味わうんだ」
 ジョージの声が降って来た。
 手を添えられたそれの先端が僕の唇に密着して、独特のにおいが鼻につく。
 突き出すようにされたお尻からは、荒木さんの先端が緩んだそこを広げようと侵入してくる感覚があった。
 僕は口を開くと、ゴムボールのような先端を含んだ。
 ぬるりとくる液体の味をみないですむように、一気に奥までくわえ込んだ。
 びくんと脈打つ棒に唾液を絡めると、尿や汗や精液の混ざった匂いが内側から鼻をくすぐった。
 臭いをこらえるのに苦労していると、今度は荒木さんのものが僕のアヌスを大きく押し広げて入ってきた。
 ジョージを迎え入れた後だから、痛みはまったく感じない。
 それよりも、自分の今の格好を客観的に想像してしまって羞恥心を刺激される。
 その刺激は不快なものではなく、興奮をさらに膨らませてくれるスパイスになる。

 変態め!淫乱な雌犬め!二人の男にはさまれて犯されることに興奮するオカマめ。
 そんな声がどこからか聞こえてくる。
 その声は、とてつもなく心地よい響きを伴っていた。




ハッピーエンドでは終われない
二章 おわり