ありさの放送局 



 さっきまであんなに切実に望んでいた土砂降りが、なんとも間の悪いことに、今ごろになって降って来た。仰向けに倒れた俊夫のライムグリーンのポロシャツが濡れて黒っぽく変色していく。
 苦しそうにしている俊夫の身体に私は自分の身体をかぶせて、少しでも俊夫が濡れないようにした。
 夏の雨だから、冷たくはないけど、素足にあたる水滴は痛いくらいだ。
 そうだ、受信機。
 
 俊夫がすごく気にしていた黒いプラスティックの筆箱くらいの機械。
 濡れたらきっと壊れてしまう。俊夫の右手からそれを無理やりもぎ取ると、私の胸元に移した。さっき付け替えられた細い伸び縮みアンテナが私の肩口から伸びてまるで俊夫の胸に矢が刺さってるみたいに見えた。
 救急車はまだ来ない。携帯で連絡してからすでに十五分が過ぎようとしているのに。
 きっとこの土砂降りで道路が混雑してるんだ。
 もどかしさが怒りに変わるころ、周囲の家から傘を持った人たちが数人寄ってきて私たちをかばってくれた。口々に、大丈夫? とか物騒ねえとかつぶやいてる。
 その頃になってやっとサイレンの音が聞こえ出した。
 ゆっくり近づいてくる。よかった。間に合ったみたいだ。
 俊夫は激しく咳き込んでいた。街灯の光の中に黒い飛沫が飛ぶのも見えた。

 心の底から土砂降りを望みながら家路をちんたら歩いていたのは、ほんの三十分前のことだった。夏の夜の空気は十分湿っぽかったし、天気予報でも夜半に局地的な雷雨の予報が出ていたのだ。
 一気に降り注いで私の身体をびしょ濡れにしてほしかった。
 面白いことの何もない毎日に半分いらだちを覚えながら道端に落ちていた空き缶を思い切り蹴飛ばした。
 悪友の澄子や香織とつるむのも厭きてきたところだったし、何より今の自分に嫌悪感を持ってしまう。自分より弱いものをいじめる私は最低の人間だった。
 自分の体が腐臭をあげているように思えて、生理の日でもないのにパンツの中に指を入れて嗅いで見たりした。
 そんな私の全身を、思い切りでっかい雨粒が私の身体を叩き、何週間も風呂に入っていないホームレスの男の垢のように何層にもこびりついた私の憎しみや嫌悪感を洗い流して欲しい。そう願いながら歩いていたのだ。
 ゲーセンで暇をつぶしてから澄子たちと別れたのが九時過ぎ。
 そして団地にはさまれた、暗くて細い道を歩いて、家まであと数分というところまで来ていた。
 そのとき、左手の小さな公園内で数人の争う声が聞こえてきたのだ。
 放せ、それが要るんだと叫ぶ声は、よく私のグループがいじめている俊夫の声に妙に似ていた。
 何も考えずに私はその場に向かった。好奇心、それもあるけど、暴れたい衝動のほうが強かった。
 四人の男たちが喧嘩をしていた。1対3のようだ。喧嘩というより袋叩きだった。
 倒れた一人は三人に蹴られながらも、何かを取り戻そうと、必死に喰らいついていた。
 必死になって3人組の一人のジーンズに取りすがってる少年は、よく見るとやっぱり俊夫だった。
 以前は卑屈に私たちの使いっ走りをしてる俊夫が今夜はやけに勇敢に不良たちに立ち向かっている。ちょっと目を疑う光景だった。最近俊夫がなんだか変わってきてるのを思い出す。
 そんな俊夫が必死になっているのを見ると、何だか加勢したくなってきた。
 そして、第一に暴力の衝動が勝った。
「あんたたち、卑怯じゃないの一人に3人がかりかよ」
 三人組は高校生のようだった。俊夫よりも頭ひとつ分背が高い。
 三人組がやっと私の存在に気づいた。
 街灯の青っぽい光の中で、きつい目をした不良達は一瞬驚いた表情を浮かべたが、私がたった一人なのを確認すると、今度は舌なめずりでもするかのように顔をにやけさせた。
「こっちの方が何倍もおいしそうな獲物だぜ 。 自分から網にかかるなんて間抜けな獲物だ」
 ラグビーでもやってるかのように腰周りの太い短髪の男が木と針金でできたテレビのアンテナみたいなものを地面に叩きつけて踏みにじった。
「どこでやる?」
「あそこの公園の公衆便所でいいだろ、裸に剥いて後ろと前にぶち込んでやろうぜ」
 あとの二人がそんなことを言いながら私に逃げられないように両側から挟み撃ちにしようとしている。
 
 複数の敵を相手にするときには一番強そうなやつの足を狙って、まず動きを止めろ。父から教わった戦闘の極意が自然と頭の中に蘇る。
 私はすばやく踏み込むと5メートルほど先にいたラグビー男に飛びげりを食らわせると見せかけて柔道の技、かにバサミで左足を狙った。
 油断していたその男は一瞬の出来事にまるで対処できずに、次の瞬間左足に深手を負った。骨は折れてないだろうけど、靭帯損傷でしばらくは歩くのが苦痛になったはずだ。
 このやろうとか怒号があがる中、残りの二人の鼻を正拳でつぶしてやり、ついでにラグビー野郎には裏拳もお見舞いしてやった。
 格闘技に長けていなかった三人は、その時点で戦意を喪失して泣きながら逃げていった。

「俊夫、片付いたよ。俊夫が夜遊びするなんて、意外だね」
 伸びて横たわってる俊夫の横にしゃがんで声をかける。
「受信機と、アンテナを……」
 俊夫はまだ苦しそうだ。私に助けられたことを不思議に思う余裕も無いらしい。
 踏みつぶされたアンテナを拾い上げ、さらに奥の芝生に転がっていたトランシーバーみたいな受信機を探し出すと、急いで俊夫に手渡した。
「くそ。アンテナが壊れてる。これじゃ、ありさの居場所がわからない」
 俊夫の震える手の中で折れたアンテナがカラカラと乾いた音を立てた。
 気落ちしたせいか、座っていた俊夫は再び倒れて荒い息をはいた。
 さっきの蹴りは思った以上に俊夫にダメージを与えたのかもしれない。
 ひょっとして内臓破裂とか? 救急車を呼ぶべきかしら。
「今、……何時ごろ?」
 俊夫の声は荒い息にさえぎられて途切れ途切れにでてきた。
 十時十分だと答えると、俊夫は手に持っていた受信機のスイッチを入れた。
 壊れたアンテナの変わりに、ポケットから別の細い伸び縮みアンテナを取り出し、それをつなげる。
 受信機のスピーカーからは雑音が聞こえるだけだった。
「何をしてるの? ありさって何?」
 私の質問に答えるだけの余力は俊夫には残っていないようだった。
 懸命に話したそうにしてるが、唇が震えるだけだ。
 これはやばい。私は携帯電話を取り出すと、急いで一一九に電話した。
 俊夫は苦痛の表情からうつろな表情に変わりつつあった。
 待つ時間がすごく長く感じる。俊夫はこのまま死んでしまうのではないか。手足が不規則に震えだしている。右サイドへの蹴りだったから、肝臓が破裂してしまったのかもしれない。

 サイレンの音でやかましかったけど、私の胸元にある受信機が、その時少女の歌声を流しだした。雑音混じりの声を聞き取るために私は受信機を耳に当てる。鳩ぽっぽを歌う少女の声は、やがて一人語りをはじめた。
『ありさは暗い押入れで泣いています。今夜はここで寝ないといけません。暑いよう。お父さんは帰ってこないし、帰ってこないお父さんにお母さんは文句いってます』
 なにこれ。訳がわかんない。少女は親に虐待を受けてる様子を、事細かに話して、そしてまた歌を歌うと終わりになった。
 この電波はなんなのだろう。ラジオ放送でもないし、電話の声とも違う。
 私は俊夫を運ぶ救急車の中で、謎の放送について考えてた。
 しかし、いくら考えても結論は出ない。私はため息をついて考えるのをやめた。

 救急車に乗るのは二度目だった。
 一度目は、肺がん末期の父が、最後は家で死にたいからと言って帰っていた時だ。
 どす黒い血を洗面器に激しく吐き出した父を見てられずに、救急車を呼んだのだった。看護婦をしている母は気丈にてきぱき処置していたけど、私は呆然としてしまって泣いてるだけだった。三年前の事だった。
 俊夫の口元に装着された緑色の酸素チューブを見ていると、もう三年も経つのかとびっくりするくらい細部まで思い出されてきた 。
 父のやせ細った顔。無精ひげ。青白くてひび割れた皮膚に覆われた、まるで別人のような顔は、目だけがぎょろりとしていて、あれほど好きだったのに、私は怖くて近寄る事もできなかった。
 枕もとに置いた洗面器に、牛乳瓶三本分くらいの黒っぽい血を吐いて泣く父の背中をさすってやる事さえ、怖くて出来なかった。
 父に触ると、その病気がうつるような気がして、優しく背中をさする母を部屋の端から見つめるだけだった。

「もう駄目だ。楽になりたい……」
 父の声はひび割れて、よく聞こえなかったけど、その部分だけはきちんと聞き取れた。
「しっかりして。紗江子が見てるのよ。あなたの一番弟子が見てるんだから、弱音ははかないで」
 母の声も涙まじりだった。畳の匂いに混じって血の匂いが部屋に拡散して、やがて充満していく。蛍光灯のチラチラする青い光に、時折蛾の当たる音がカツンカツンとやけに軽く響いてた。
 私に気付いた父は、顔を上げると正面から私を見た。
 赤く濡れた顎が光ってた。青い縞模様のパジャマは胸元が黒っぽく変色して、汚かった。
「紗江子……ずっとそこに居たのか」
 苦しげな表情が一瞬消えて、父は嬉しそうに私を見た。
「居たのかじゃないわよ、ガタガタする音にびっくりして目がさめちゃった」
 私は自分でも何を言ってるのかわからなかった。どうしていいかわからなかった。
 恐怖感でひざが震えていた。
「フフ……。子供の頃は蹴っ飛ばしても起きなかったのにな。でかくなりやがって」
 でも、そう言う父の笑顔を見たら、私は父のそばに行かずにいられなくなった。
 その笑顔の中には元気だった頃の父の面影がはっきり見て取れたのだ。

「どうしてよ。どうしてタバコも吸わないお父さんが肺癌なんかにならなくちゃいけないの? 強くて優しくていつも人に親切にしてたお父さんが、こんなに苦しい思いをしないといけないのよ」
 父の身体は枯れ木のように硬くて軽々しかった。
 父の肩を抱きしめた私の掌には、ごつごつした骨の感触しか帰ってこなかった。
「止めろ、血がつく」
 父の顔に接触した私の頬を父ははらおうとするけど、思うように腕も動かないみたいだった。
 サイレンの音が近づいたと思うと、呼び鈴のベルが鳴らされ、すぐに救急隊員が三人入ってきた。担架の上に移される父を見つめてると、父は一言私に向かって言った。
 いい子をたくさん生めよって。それが父の最後の言葉になった。
 救急車には一緒に乗って行ったけど、父はその後すぐに意識がなくなってしまっていたから。
 そして二日後に命の火が消えるまで、父はずっと意識不明だったから。

 父の死は私にとって大げさじゃなく人生の転換点だった。
 それまで私は神様の存在をなんとなくだけど信じていて、悪い事をしたら必ずいつか神様の罰が与えられると素直に思っていた。
 逆にいえば、心正しく生きるものにはそれなりの幸福が約束されるはずだと思っていたのだ。でも、父の死でそれが嘘っぱちだとわかった。
 厳しいけど優しかった正義漢の父が、他人の吸ったタバコの副流煙でか何でかしらないけど、肺癌になってあれほど悲惨な最期を迎えたのだ。
 心正しい正義の人も、悪の道に走った人も末路に変わりがないならば、無理して正義を貫く意味は何もないじゃない。
 もし神様がいて、あの時私に気まぐれで意地悪をしたのなら、今から生涯かけて復讐してやる。運命にか神様にかわからないけど……。その憎しみは怒りに変わって、それからというもの私の心をずっと支配する事になったのだ。
 私はそれまで父の言い付けで封印していた空手を、専守防衛以外にも使う事に決めた。というか、喧嘩するのって結構ストレス解消になるのだ。
 父の死んだ悲しみが、やがて神様への怒りに変わった私は、歯向かう男も女も、拳と肘と膝で屈服させるのに暗い快感を感じ始めた。
 夜のゲーセンとか、学校で不良を相手に暴れるのは実に楽しかった。
 父の言い付けを破る事が父を裏切る事だと中学に入る頃には気付いたけど、暴力の衝動は止められなかった。
 暴力をふるう度に、父を殺した神に対してほんの少し仕返しを果たした、そんな達成感が私を今まで支えてきたのかもしれない。

 今年になってからは、澄子と香織と三人でよく俊夫をいじめていた。
 喧嘩と違って、いじめは卑怯だという思いが少しはあったけど、俊夫を見てるとなんだかイライラしてきて、ついやってしまうのだ。
 いじめられっ子って言うのは厳然と存在するのだ。何かいつもおどおどしていて、嫌なことを命令されても卑屈に笑うだけで抵抗しない奴。がつんって抵抗されれば、いじめっ子だって手を出さないものなのだ。
 まあ、クラス全員でやる『無視いじめ』みたいな陰湿なのは誰彼お構いなしなんだろうけど、一対一か、一対数人のいじめは、いじめられっ子にも問題があると思う。
 別に自分の責任を転嫁したいから言うんじゃないけど。

 先々週は隣のクラスの雄大と組ませてセクハラいじめをやってみた。
 澄子の発案だったけど、まさか本当にやるとは思わなかった。
 二人を組ませてボーイズラブをやらせようということになったのだ。
 ボーイズラブって言うのは、美化されたホモのこと。なぜか女の子の雑誌なんかで流行ってるのだ。
 ホモ関係の載っていない少女雑誌なんて見たことがないくらい。
 香織の後輩たちが空けておいてくれたバレー部の部室は、女の汗の匂いでむっとしていた。鉄製のロッカー以外には、ボルトが緩んでがたがたするテーブルが一つと、灰色のパイプ椅子が三脚たたんであった。そこに二人を連れ込んで脅したのだ。

「でも、どうすればいいのかわからないよ」
 そう言うのが俊夫の精一杯の抵抗だった。
 澄子が俊夫の腕を取って引っ張る。
「ほらこっちに来て。まず二人でじゃんけんしなさいよ。負けた方が受けね」
 受けというのが何を意味するのかもわからない二人は、とりあえず言われた通りにじゃんけんする。負けたのは俊夫だった。
「よし、じゃあ俊夫が受けだね。あんたズボンとパンツ脱ぎなさい」
 澄子が命令した。俊夫にもやっと自分が何をされようとしてるのか理解できてきたみたい。俊夫の顔が赤くなり、一瞬だけ怒りの表情を見せた。
 しかしその感情は長続きしない。風に吹かれたタバコの煙みたいにすぐに消えてなくなった。殴られた時の痛みや、股間を思い切り蹴り上げられた時の苦痛と吐き気がよみがえり、俊夫の攻撃心を雲散霧消させてしまうのだろう。
「早くしなよ、ぐずぐずした奴は鞭打ちだよ」
 澄子が俊夫のベルトを外して二つ折りにすると、いったん緩めてすばやく引く。
 緩んだベルトの皮がパシッと小気味よい音を立てた。
 恐れをなした雄大はすばやくズボンを脱ぎ捨てると、パンツをずりさげた。
 遅れないように俊夫もグンゼのパンツを脱ぎ捨てる。
 下半身がよく見えるようにワイシャツも脱がせて、二人を並べてたたせた。
 うっすらと生えた陰毛の中に二人の物が縮こまっていた。
「らっきょが二つ並んでるみたいだね。俊夫、こっちにきて、このテーブルに手をついてお尻を突き出しなさい」
 澄子の命令で俊夫はゆっくり動く。電池の切れかけたロボットのようだ。

 薄汚れてぐらつくテーブルに両手をついて、俊夫は尻を後ろに突き出した。
 俊夫の生白い尻が薄暗い中にぼんやり浮き上がる。
「うふふ、どんな気分? 普通は女の子がこうして犯されるんだよね」
 香織が俊夫のお尻をなでて、ぴしゃりと叩いた。
「そう言えばさ、3組の増田、バスケット部の男子にここで先週やられたんだってね。聞いた?」
 香織は俊夫の後ろから俊夫の股間を刺激しながら話し出した。
 あえてすんなり始めないで俊夫の恥ずかしい時間を長引かせているのだ。
「聞いたよ。5人の男子にまわされたんだって? 一人目のときだけ抵抗したけど、あとの4人の時は自分から腰振ってたって言うじゃない。すました顔して優等生面してたけど、淫乱には変わりないって訳だね」
 澄子は雄大の受け持ちだ。雄大のしぼんだペニスをもんだりしごいたりして何とか使い物になるようにしている 。
「バックでがんがん突かれて、終わった時は5人分のミルクが膝の裏までたれていたらしいね」
 こんな話をしたのは、その目的もあったのだろうか、雄大のものがぐんと元気になってきていた。
 
「うう、止めてくれよ。お願いします」
 雄大はまだそんなことを言っていた。
 受けの俊夫のほうはというと、硬くすぼまった肛門に潤滑用のゼリーを塗られて、ジュースの瓶をゆるく入れられたりしてた。
 口ではいやだと言いながらも雄大は結構気持ちよさそうにしてる。実際痛い思いをするより気持ちいい事をしてもらう方が100倍もいい筈だ。
 ああ……。雄大の断末魔は、彼のものが完全に固くなってしまったことを物語っていた。
「じゃあ俊夫、お尻の力を緩めるのよ。自分から入れてもらおうとするほうが、怪我しないからね」
 澄子にお尻を叩かれて、俊夫の首ががくんと垂れた。
 完全に諦めた様子だ。
 雄大の丸々と太った亀頭が、香織に導かれて俊夫のお尻の真中を狙う。
 狙いを定めて後ろから香織と澄子が体重をかけて一気に押した。
 ぎゃあと言う声は当然俊夫の悲鳴だ。澄子にマッサージされてたけど、処女を失うのはさすがに痛いんだろう。
 雄大は命令どおりに腰を自分から動かしだした。それにあわせてテーブルの軋む音が部室の中に響く。
 最初は二分の一拍子で、その後だんだん四分の一拍子になる。
 最後はエイトビートのロックのリズムで、雄大は俊夫のお尻の中に溜まってたミルクを思いっきり吐き出したのだ。さすがに16ビートまではいかなかった。
 まだまだ修行が足りないのかな。

 ああいう場合ってどっちがより屈辱的なのだろう。
 無理やり犯される方も、もちろん嫌だろうけど、その気も無いのに女の手で勃起させられて、男の肛門にねじ込まれるのって、むしろそっちの方が男にとってはトラウマになるんじゃないだろうか。

 そんなこと思ってたら、救急車が病院に着いた。目の前で俊夫が苦しんでるというのに、私はこんなこと考えてる。薄情を通り越して異常だよね本当。
 病棟に運び込まれた俊夫は、救急隊員の処置のおかげか、ずいぶん楽そうになっていた。なにより呼吸が安定してる。暴行傷害事件という連絡が入ってたんだろう、待合室には警察官が二人いて、付き添っていた私は、おいでおいでと呼ばれてしまった。
 いくつかの質問に答えてすぐに開放された私は、受付ロビーの長椅子にどっしりと腰を下ろす。救急車の中でタオルをもらって、髪はふいたけどまだ制服が濡れていて気持ち悪かった。
 そういえば今日、母は準夜勤だった。もう帰った後だけど、さっきまでここで仕事をしていたのだ。
 今ごろ家で私が居ないのを不審に思ってうろたえてるかもしれない。
 私はカバンの中から携帯電話を取り出すとモニターを眺めてみた。やっぱり、家からの着信が2件入っていた。救急車のサイレンで聞こえなかったのだ。
 家に電話すると母は驚いた様子で電話に出てきた。
 あなた今どこに居るの、こんなに遅くにって言われても、母さんが知らないだけなんだよ。私は不良の紗江子なんだ。喧嘩じゃ負けたことないし、母さんが泊まりのときなんて夜中の二時まで駅前の繁華街をうろついた事もあるんだよ。
 ウリとシンナーはやらないけどね。
 口から出たがってるそんな言葉を飲み込んで、私は俊夫の暴行現場に偶然居合わせたこと、そして彼を救急車で母さんの勤めてる病院に運んだ事を話した。
 母は一応納得したみたい。すんだらすぐ帰ってらっしゃいって言われたけど、今日はここに泊まりたいという私の答えに、じゃあ同僚に言っておくから仮眠室を貸してもらいなさいと言って、母は優しく電話を切った。
 9時までも何してたのって聞かれなくて少しほっとした。
 駅前のゲームセンターのでの事がよみがえる。

「こないだはケッサクだったよね。またあいつらホモらせようよ。今度は雄大をウケにしてさ」
「お釜掘らせるのもいいけど、シックスナインでお互いのをしゃぶらせるのも面白そうだよ。どんな顔して男同士でチンコしゃぶるか見てみたいじゃん」
 横で澄子と香織がはしゃいでいた。
 午後9時の駅前繁華街外れにあるゲームセンターの中には、一見して中学生とわかる男女が私たち以外にも十人近くたむろしていた。しかし制服姿なのはあたし達だけだった。
「あんた達、あんなのがそんなに面白かったの。私は気持ち悪いだけだったよ。馬鹿馬鹿しいわ」
 はき捨てるような私の言葉に、澄子はひとつため息をついてゲーム機の上においてあった缶ジュースを流し込んだ。
 香織もおしゃべりを止めて周囲に視線を泳がせる。くだらない。何も面白い事なんてない。俊夫といい、雄大といい、最近の男ってなんて歯ごたえの無い連中ばかりなのろう。プライドって無いんだろうか。少しでも機嫌を取ろうといつも卑屈に
笑ってる。男だったらもっとしゃきっとしろよ。

 私の胸のもやもやは不完全燃焼のくすぶりだ。
 不完全燃焼は臭いガスを出す。有毒ガスだ。でも、一体自分の中で何が燃えてるというんだろう。父が死んだときに燃えるものなんて何もなくなってしまったはずなのに……。
「どうすんの。もう帰るの」
 澄子がのろのろと見上げて言う。
 前歯がウサギのように突き出た澄子はいつも口が半開きだ。あんたの顔の方がよっぽどオモロイよ。口に出さずに心の中でつぶやくと私は二人に背を向けた。
 その時、ちょうど声をかけようと近寄ってきた高校生風の男と面と向かう形になった。とっさに一歩退いて半身の体制になる。
「おっと失礼。キミたち戸城中学生? 俺達も3人なんだけど、一緒にどう?」
 最近流行ってるのか丸刈りに近い短髪のその男は、口と顎に無精ひげをまばらに生やしていた。にょろにょろと弱々しい髭先、なんとも汚らしい無精ひげだ。
「何だよ、ご機嫌斜めなのかな。彼氏にふられちゃったかな。こんなかわいい顔してるのに、怖い顔してちゃもったいないぜ」
 男の手が茶色に染めてる私のストレートヘアにかかろうとしたとき、私は右ひざをスムーズに持ち上げた。それは彼の股間に入っていった。
 ぶっと息をはきながら無精ひげが前かがみに崩れ落ちる。椅子が転がって、周りにいた数人の客が慌てて立ち上がった。
「何しやがる」
 叫んで向かってきたのは、倒れた男の連れ二人だ。狭くて足場の悪い場所での乱闘は面倒くさい。近くのテーブルの灰皿を取り上げると、二人の顔に向けてなかみをぶっ掛けてやった。ラークやマイルドセブンの吸殻が宙に舞う。
 灰と吸殻が二人の顔にかかり、動きが止まる瞬間を狙って横を通り抜け、出口に走った。澄子とかおりも慌てて私の後を追ってくる。何度か人にぶつかってよろけながらも表に駆け出す。半分期待していたのに男達は誰も追って来なかった。
 車の行き交う道路沿いでは、ハンドルを細長く伸ばしたり排気管を短く切って改造をしたバイクと、濁った目をした若者たちが数人ずつのグループに分かれて道行く者達に無遠慮な視線を投げかけていた。
 無視して歩く。その中の一人が口笛を吹いて話し掛けたが、睨みつけてやったら、肩をすぼめてそっぽを向いた。
「ちょっと待ってよ、紗江子。いきなり喧嘩はないでしょう」
 やっと追いついてきた澄子が肩に手を置いて言った。
 不満を口にする時も、笑いを顔にへばりつかせた卑屈な言い方だった。
「私もう少しで奴らにつかまりそうになったよ」
 やや太目の香織は体中から噴出した汗に閉口してるようだ。しわくちゃになったハンカチを取り出して額の汗をぬぐっている。
「私もう帰るから。あんた達まだ遊んでいくなら、また明日ね」
 残った二人は不愉快そうに顔を見合わせてた。
 
 俊夫の両親が私に挨拶に来たのは、母に電話を入れたそのすぐ後だった。状況は警察からも聞いたんだろう。私がさんざん聞かれて説明した事はすでに俊夫の両親の耳にも入ってるみたい。
 助けてもらってありがとうとか、お世話になりましたとか言われちゃって、いつもはいじめてるから私も焦ってしまった。
 怪我の具合はどうなんですかと聞いたら、いや、肋骨が2本折れてるだけで、内臓の方は大丈夫みたいです。おかげさまでって背の低い俊夫の御父さんがやたら恐縮してた。
 ご両親は、泊まる必要も無さそうだと、その後帰っていった。まあ、そうだろうな。命が危ないわけでもないんだから。

 朝日は寝不足の目には眩しかった。部屋の窓についた水滴が光を反射してきらきら輝いていた。
「天国に来たかと思った」
 窓からベッドに目を移すと、俊夫が私と同じように眼を瞬かせてた。
「大丈夫? 痛くない?」
 私が覗き込むと、俊夫は複雑な表情を顔に浮かべた。
 いつもいじめられている不良にきわどい所を助けられるのは、確かに複雑な状況だ。
「どうして……」
 俊夫はそこで言葉を切った。
「偶然通りかかったんだよ。俊夫が必死になってるのはじめて見た。あの機械がそんなに大事だったんだ」
 俊夫が最近変わってきたのを私は思い出してた。
 いつも卑屈な感じだったこの子が、昨日の朝、いじめっ子についに反撃してたもんね。
「ありさちゃんって、誰なの」
 何もしゃべらない俊夫に、私はさりげなく聞いてみた。寂しそうな歌を歌うありさ。あの放送は昨夜から私の気持ちを圧迫している。
「聞いたのか? あの時」
 目を見開く俊夫は何考えてるんだろう。自分がそのつもりで受信機の周波数もセットしてたんだろうに。
「あのラジオはなんなの? 普通のラジオじゃないよね。トランシーバーみたいな形してたし……」
「マルチバンドレシーバーって言うんだよ。広帯域受信機。ラジオの電波からテレビの電波、コードレス電話の電波やタクシー無線や警察無線が聞けるんだ。もっとも最近の警察はデジタル無線になってるから聞けなくなっちゃったけどね」
 なるほど、俊夫はいじめられっ子の受信小僧だったわけだ。なんともネクラな趣味だな。私の表情を読んだ俊夫は少し不愉快そうに口を突き出した。
「どうせネクラな趣味だよ。他人の会話聞いて何が面白いんだって思うかもしれないけど、会話聞く事より、電波を受信する事が面白いんだ。言い訳に聞こえるかもしれないけど」
「ネクラだなんて思ってないよ。変わった趣味だとは思うけど」
 いつになく下出にでる私にそろそろ俊夫も不審な感じを受けてきたみたいだ。
 眉間に疑問符が見える。
 でも私はその事には何も答えられない。もういじめるの止めるよ、なんて改まって言えるわけない。だからありがたく思えよとでも受け取られかねない。
「ありさの放送はどんな感じだった?」
 黙り込む私に俊夫が聞いてきた。
 どうだったって聞かれても、困るけど。感じたままを言えば……。
「悲しそうだったよ」
「いや、そうじゃなくて、きれいに聞こえた?」
 そういえば雑音であまりきれいに聞こえなかった。私がそう言うと、俊夫はため息をついた。
「だいぶ近くだと思ったんだけどな。それとも電池がますます弱くなったかな」
「どういうこと?」
 俊夫の目が一瞬きょろきょろした。何か考えてるみたい。
 そして俊夫から聞いた話は、私の背中を冷たく流れる汗の筋になって、胸焼けしそうな水溜りを私の心の中に作った。

「最初に聞いた時は偶然その電波を拾ったんだけど、子供のいたずらだと思った。
タバコの火を押し付けられて熱かったとか、針を刺されたとか、それにしても変ないたずらだと思ったよ。それが2週間前のこと」
 ちょうど雄大と組ませて私たちがひどいことをした頃だった。
「その電波の周波数を記録しておいて、時々サーチしてたんだけど、2回目に引っかかったのが先週の水曜日だった。内容はさらにエスカレートしていてだんだん心配になってきた。3回目が今週の火曜日、その時、電波が徐々に弱くなってるのに気づいたんだ。多分トランシーバーの電池がなくなりつつあるんだと思った。そして、とにかくどこからその電波がきてるのか確かめるために昨夜あのあたりを探索中だったんだ」
「そこであの3人組に絡まれたって訳だね。よし、あたしも力になるよ、無抵抗の幼児に虐待を加える親なんて最低だ。とっ捕まえてぶん殴ってやるよ」
 威勢のいい台詞とは裏腹に私の気持ちは沈んでいった。
 だって、その最低の親と同じことを私は今までずいぶんやってきたんだから。 ありさを助けたいと思う気持ちが、そのまま自分を否定して抹殺してしまう事につながるのだ 。

 最近なんとなく俊夫が変わってきたと思っていたけど、それはありさの言葉を聞いたからだったのだ。
 弱いものを助けるためには自分が強くならなくてはならない。俊夫もやっとそのことに気づいたのかもしれない。
 昨日の朝のことだ。
 数人の男子が俊夫を取り囲んでからかっていた。
「よお、オカマ、尻を突付かれた感じはどうだった? 気持ちよかったか?」
 身体の大きな弓川武士が背の低い俊夫の顔をかがんで覗き込むようにして言った。
「尻を見せてみろよ。切れ痔やいぼ痔になってないか診察してやるぜ」
 無視する俊夫をなおもからかうように武士は笑いかける。
 武士の後ろでは別の二人が尻と腰をくっつけあって結合の様子を演じて見せている。あんあん、もっとー、なんて前に立って尻を突き出してる田中がウラ声で騒ぎ立てていた。クラスの他の生徒達は、半数は笑いながら、それ以外は興味深げに俊夫の反応を見守っている。
 俊夫の反応はいつもと違ってた。いつもなら真っ赤になってうつむくか、笑い顔で言う事聞くかどっちかだ。みんなの前でパンツ下げられた事も一回や二回じゃなかったはずだ。
「ああ。すごく気持ちよかったぜ。羨ましかったら雄大に頼んでやるよ。おまえのケツも掘ってやれってね。それとも僕がやってやろうか。武士のケツはでかいから僕のじゃ物足りないかもしれないけどね」
 俊夫の声は落ち着いていた。おーなんて、みんなの歓声が上がった。
 俊夫の思いがけない反撃を受けて、武士は眼を白黒させてたっけ。そんな武士がおかしくてみんなくすくす笑った。
 悔しそうにした武士が、先生の入ってくるのを横目でみとめながら、俊夫に耳打ちしたのは、多分、放課後おぼえてろだ。
 その放課後にどうなったのかは知らないけど、昨夕の様子では俊夫は武士を無視して帰ったんだろうな。そしてありさちゃんの探索の準備をしてたんだろう。
 あたしはそんな俊夫が羨ましくなった。誰かのために一生懸命になれるなんてすばらしい。そんな機会はありそうで、あまりないのだ。
 どうしても利害がからんじゃうからな。これをやっておいたらいつか恩返しされるとか、こいつには貸しを作っていた方がいいとか。
 そんな人助けはただの偽善だ。
 偽善の人助けなんて、自分が不利になってきたらすぐに逃げるだけなんだきっと。
 でも俊夫は向こうを向いたまま、私の言葉を無視していた。
 無視というより考え込んでいた。紗江子なんかが信用できるだろうか、きっとそんな風に思ってるんだろう。
 もう一押ししようとした時、こっちを向いて俊夫が言った。
「じゃあ、僕の頼みもきいてくれるかな」 
 やっとあたしを見てくれた俊夫は、正面から私を見つめてきた。
「あたしも入れてくれるの?」
 かくれんぼや鬼ごっこじゃないって言うのに、そんな風にしか言えなかった。
「ありさを助ける事が一番重要だからね。僕の気持ちなんか本当はどうでもいいんだ。個人的な感情を抜きにしたらオタクに手伝ってもらうのはすごく助かるし」
 うんうんと頷くあたしに、俊夫は簡単にメモを書いてくれた。
「アンテナの材料……、壊されたからまた作らないと……」
「わかった。買って来るよ」
 あたしはその薄っぺらいメモを受け取ると、立ち上がった。
 金曜の朝だ。とりあえず学校に行って、帰りにホームセンターによることにしよう。

『お母さんは今日はまだ帰ってこない。ご飯はまだかな。お菓子が残っていて良かったよ。ジュースもあったからラッキーだよ。お母さんが帰ってこないと押入れに入らなくてもいいの。今日は涼しい所で寝れるかな。もしもし? 誰か聞いてますか? ありさはここに居るんだよ』
 ありさの悲痛な叫び声が鮮明に聞こえてきた。改めて怒りが湧いてくる。
 ありさって幾つくらいの子だろう。声を聞いた感じは幼稚園から小学2年生の間くらいだと思うけど、ひょっとしたらもう少し上かもしれない。
 虐待された子って、精神的に傷ついて精神年齢が発達しにくいって何かで読んだ記憶もあるし。どっちにしても自分がどうして痛い事されるのか理解できないままで、殴られたりつねられたり、針を刺されたり、ひどい事され続けなのだ。
 小さな手足にたくさんの切り傷やあざを蓄えたありさは必死の思いで電波を出しつづけてるんだろう。誰かに助けてもらえると信じてるのか、それとも絶望の中であがく手が偶然それをつかんだのか。
 怒りと同時に気分が一気に鬱になる。あたしだって似たような事やってたんだから。最低の人間なんだから。
 とにかく、今はありさを助けてあげたい。その事だけを考える事にしようと思う。
 あたしは俊夫に教わったとおりに、アンテナで電波を探しながら、暗い団地内を行ったり来たりしていた。
 なかなか思うように行かない。いろんな障害物が周囲に立ち並んでるから、電波は一直線に飛べないんだ。だから探知するのも一苦労する。
 病院のベッドであたしが買ってきた材料から俊夫が作ったアンテナはなかなか優秀だけど、それを扱うあたしの知識が追いついてないんだ。
 うろうろするだけで、ありさの居場所を探ることなど全然無理のようだ。
 病室での俊夫の諦め顔が思い出される。

「まいったよ。退院は来週だなんて。一週間も足止め食らったらありさを助けることなんて出来なくなる」
 あたしが買っていった材料を弱々しい笑顔で受け取った時の俊夫の言葉だ。
「どうして? ありさちゃんが死にそうなの? 退院してからだって探せるでしょ」
 俊夫が首を振る。
「言わなかったかな。ありさのトランシーバーはもう電池が切れそうなんだ。あの子に電池を換えることなんてできっこない。第一親の見様見真似でやってるだけで、本当に電波が出てるかもわかってないと思う」
「毎日放送してるのかしら」
「毎日じゃないみたいだけど、別に決まりなんて何もないし、昼間だって親のいない時にやってるかもしれない」
 俊夫は本当に悔しそうだった。泣きそうなくらいにしていた。
 その時、病室のドアが開いて、男子が一人入ってきた。
 雄大だった。雄大はあたしがいるのを見て驚いて、うつむきもじもじしていた。
「雄大、見舞いに来てくれたのか、ありがとう」
 俊夫が雄大を招き入れる。雄大は持っていた缶コーヒーを2本ベッドサイドのテーブルに置いた。

 あたしは決まり悪くてすっかり困ってしまった。でも、言うべきことは言わなければいけない。自分が変わるためには傷つくことを恐れてはいけないのだ。
「雄大、この前は、ごめん。もういじめないから。許してなんて言わないけど、もういじめないから……」あたしは雄大の顔をちらりと横目で見ながら出来るだけはっきり言った。
 雄大の眼が見開かれ、輝いた。その嬉しそうな顔に、あたしも雄大の方をまっすぐ向いた。でも、次の瞬間、雄大は顔を真っ赤にして怒り出した。
「ふざけるなよ。俺がどれだけ苦しんだと思ってるんだよ。好きなだけ人を辱めておいて、飽きたらもうやめるから許してかよ」
 唇がぶるぶる震えてた。輝いてたと思った眼からは、大粒の涙がぽろぽろこぼれだした。
「ごめん。殴っていいよ」
 あたしは雄大が殴りやすい位置に移った。
 雄大の右手がすっと上がったのを見て、あたしは歯を食いしばる。
 でも持ち上がった手はすぐに下ろされた。
「冗談じゃない。一発殴ってチャラになんかしてやるもんか。ずっと恨んでやるから」
 雄大は涙を拭きながら出て行った。
 そうだろうな。当然だ。俊夫だって本当は雄大と同じように思ってるはずなんだ。
 俊夫を見ると、厳しい表情で唇をかんでいた。
 二人ともそのあと二十分くらいは黙ったままだった。
 俊夫は何か言いたげだったけど、無理やり言葉を飲み込んでたみたいだった。
 さっきまで何の話だったっけ。そうだ。ありさちゃんの事だった。

「いっそのこと警察に言ってみたら?」
 思い切ってあたしが話を戻した。
「だめだよ。何の証拠も無いし、声を録音さえしていないんじゃ、まず警察は動かないさ」俊夫が一つ咳をしてから言う。
「じゃあ、俊夫の代わりにあたしが追ってみるよ。やり方教えてよ」
 正直言って本当に俊夫がやらせてくれるなんて思ってなかった。
 そんなに信用してくれるわけ無いと思ってたから。というか、自分のやりがいのある仕事を譲ってくれるなんて思えなかったから。
 でも俊夫はすんなりやり方を教えてくれた。今までずっとあたしからいじめられていたというのに。
 あたしを許してくれたのかな。そんな楽観論が頭をもたげる。
「ありがとう。でも、あたしの事許してくれたとは思ってないから」
 あたしは、許すよという言葉を半分期待しながらそう言ってみたけど、俊夫はあいまいにうんとうなずくだけだった。
 あたりまえだ。人は人を憎むのは簡単だけど、許すのは何倍も難しいのだ。

 しかしこれも難しい。
 電波が強くなったと思って喜んでそっちに走っていくと、とたんにレベルメーターのブロックが消えていく。あちこちに立ってる6階建てのアパートが屏風のように立ち並ぶ団地内では発信地を素人が探し出すなんて不可能なんだ。きっと。
 その時、あたしの携帯電話のベルがなった。
 俊夫からだった。低い塀に腰掛けて、あたしは携帯を取り出した。
「どう? 電波受信できた?」
 ひそめた俊夫の声は、心配そうに聞いてきた。
「うん。受信はできてるんだけど、方向がよくわかんないのよ」
「おかしいな。アンテナの作り方がまずかったのかな」
「わかんないけど、感度のいい方向に歩いても、すぐに切れたりして一定しないのよ」
「そうか。その辺、障害物が多そうだからな。わかった、明日ジーパンとTシャツ持ってきてくれるかな、明日の夜は僕も一緒にいくから」
「病院抜け出すつもり? 大胆だね、でも身体はいいの?」
「もうどうって事ないよ」
 そういうやり取りをした後、電話は切れた。ジーパンとTシャツか。あたしのでいいかな。まあ何とか着れるでしょう。

 土曜日。予定通りに病院を抜け出した俊夫とあたしは、団地の公園で九時過ぎからありさの放送を受信するために待機した。
 九時半、十時半、そして十一時まで待ってみたけど、その夜はありさの放送局はお休みだった。
「放送がお休みという事は親が家にいるって事かしら」
 あたしが言うと俊夫がうなづいた。
「そうだね。昼間は親がいるからできなくて、夜親のいないときにやってるのかもしれない。普通は逆のはずだけどね。親は夜勤の仕事してるか……それともパチンコかな」
「パチンコって案外当たってるかもしれないね」
 子供をほっぽりだして親がする事といえばそれが真っ先に思い浮かんでくる。
 親がパチンコで遊んでる間、ありさは悲痛な声を夜の空気の中に放射しつづけてるんだきっと。重苦しい雰囲気があたし達を包む。
「でも、松本と一緒だと不良にからまれる心配がないから本当に楽だな」
 俊夫のその言葉だけが、その夜のあたしの収穫だった。

 日曜の朝。携帯を見たら澄子からメールが来ていた。
『おーい。最近何してんの、駅前で遊ぼうよ。俊夫は入院中だから雄大でも拉致してやんない?』
 今までずっとつるんで遊んでいた仲間だと思うと、なんとも鬱な気分になる。
 もう自己嫌悪するのは嫌やなんだ、あたしは。
 金輪際あんた達とは付き合わないから、というメールを送って、あたしはベッドに再び寝転んだ。巣立ったばかりのツバメ達が窓の外でうるさくさえずっていた。

「さんざんあたしたちを利用しておいて、何よこれ。自分だけいい子になろうっての? 冗談じゃないわよ」
 澄子の言葉は、もうあんたたちとは付き合わないから、というメールに対する言葉だった。利用してたのはむしろあんたたちの方でしょ、と言いたかったけどやめた。ここで言い争いをしても始まらない。
 午後五時の公園はやっと少しだけ日が斜めになっただけで、まだ暑くてたまらない。ここには澄子のメールで呼び出された。どうせ落とし前をつけろなんていうのだ。まるでやくざみたい。
 澄子と香織の他に、短髪にサングラス男と、黒の短パン男が待っていた。
 気の早いせみの声があたりに湧き上がる。まだ梅雨も終わっていないのに、ほんの少し晴れ間が続いただけで、彼らは勢いよく夏に向かって走り出すのだ。
「落とし前ってどうするつもり? 小指でも落とすの? やくざみたいね」
 含み笑いをこらえて言う。
「あんたのそう言うところが気に入らないのよ。ちょっと強いからって偉そうに。
でも今日はあんたがやられる番だからね。この二人にかわいがって貰うんだから」
 香織が憎々しげにメガネをずり上げると、それが合図でもあったかのように横にいた二人の男たちから殺気が漂ってきた。

 二人は武道の心得があるようだった。
 前と後ろにすばやく回りこむと、笑みを浮かべながら彼らは襲い掛かってきた。
 前面のサングラス男が前蹴りから正拳突きのコンビネーションで攻め立てる。
 周囲に人影はない。さっきまで犬の散歩などをしていた人たちも、不穏な空気を感じたのか早々と立ち去っていた。
 防戦一方だ。一人だけなら何とかなるけど、もう一人がフォローしてる中で一人に集中して攻撃したら、あとの一人の男に致命的な隙を与えることになる。
 すばやく動いて木立を背にした。サングラス男の回しげりをかわして、その隙の出来た左ひざ内側をつま先でえぐってやる。倒れる男のしかめた顔面に膝を入れようとした時、短髪男にタックルを受けた。太い腕が巻きついて、もがいてももがい
ても、絡みつく蜘蛛の糸のようにあたしの自由を奪い取る。
 立ち上がったサングラス男の拳をみぞおちに受けたとき、負けを確信した。走りよった澄子たちに、用意していたロープで私は手首を縛られた。
 抱えられて木立の中に連れ込まれるあたしの頭の中では、一昨日の夜聞いたありさのかすれた歌声が聞こえ始めた。
「何だあんた、生理中だったの」
 押さえつけられたあたしの足元で下着を剥ぎ取った香織の目の前に、捩れた紐が写ったのだ。香織は面白そうにあたしの足の間からひょろりと出てる紐を軽く引っ張る。
「くっさー。これじゃ彼氏達がかわいそうだね」
 澄子はあたしの股間の毛をわしづかみにすると思い切り引っ張った。
 ぶちぶちいう音と共に、さすような痛みが襲い掛かる。
 でも羞恥心の方が強いから痛みはそれほど気にならなかった。
「うへー。こんなの初めて見たぜ。俺に引っこ抜かせろよ」
 短パン男が太い腕を下ろしてきた。
「お、結構抵抗あるね。締まりいいじゃん」
 短パン男は楽しむように紐をゆるゆる引っ張る。たっぷり時間をかけていたぶるつもりのようだ。芝生に押さえ込まれた顔を横に向けて、見回してみた。
 遠くに人影が見えたけど、すぐにいなくなる。
 誰も助けようとなんかしないのだ。下手して火の粉がかかってきたら馬鹿みたい、そんな風に考えるのが、今の世の中当たり前なのだ。
 足を広げさせられて、四人に見下ろされながら真っ赤なそれは引き抜かれた。
 頭の中が焼ける鉄みたいに火を噴いてる。
 思えば俊夫もあの時こんな感じを受けていたのだ。
「さっさとやる事やんなよ・・・・・・」
 あたしの声はふるえていた。怒りと屈辱に・・・・・・。全然平気に声を出せると思っていたのに、悔しかった。
 こんな最低の自分にはちょうどいい成り行きのはずなのに。
 涙を見られるのが一番悲しかった。

「ふふふ、この写真俊夫にも送ってやろうっと。君の仇はあたしらが討ってやったよなんてね」
 香織の手には、最新型のカメラつき携帯電話が握られていた。
 そういえばあの最中に変なシャッター音が聞こえていたっけ。
 あたしはもうどうでも良かった。自分がどうなろうが知ったことじゃない。
 今はありさを助けたいだけ。私は必死でそう考えていた。

「でも、ありさちゃんが見つかったらどうするの?」
 俊夫はもうあたしがレイプされてる写真を見たのだろうか。
 なんとなくそれまでと雰囲気が違うから、多分もう見てるんだろうな。
 でもあたしは知らない振りをすることにした。両方とも知ってるなんてなったら、気まずくてまともにしゃべれない。
 無理やりありさ探索の話題を進めた。
 見つかったらどうするか、これは結構重要な問題だ。
 そのまま家に乗り込んでいって虐待止めろなんて言っても始まらない。
 親子の問題はあたし達みたいなガキではではどうする事もできない。
 ちゃんとした第三者に解決してもらう以外ないのだ。
「とりあえず家がわかれば、警察や人権擁護なんとかに連絡したりしてどうにかなるんじゃないかな」
 俊夫の答えも歯切れが悪い。警察に相談するなら何か証拠がいるんじゃないの? でもテープレコーダーの準備なんかしていないし……。
 俊夫の着てるあたしのTシャツはちょうど良かったけど、ジーンズは太腿が苦しそうだ。ヒップはだぶだぶなのに、ウエストは窮屈。
 なんだかあたしがよっぽどの尻デカ女みたいだ。
 昨日と同じように二人で団地の公園に来ていた。
 運の悪い事に今夜は小雨がぱらついてた。俊夫は受信機を透明のビニールで包んで、防水加工している。
「雨は電波が弱まるからなあ。ますます望み薄だ」
 透明なビニール傘の中で俊夫の首が弱々しくふるえた。
 かと思うと、ぶすっと黙って何か考え込んでいる。昨夜と比べても雰囲気悪い。
 俊夫のあたしに対する複雑な気持ちと、ありさを心配する気持ちがその沈黙の中で渦を巻いてるように思える。
 九時半になった。
「そうだ。ここに居るより、あそこの上に登ってみよう。その方が電波も受けやすいはずだ」
 俊夫が立ち上がって、丘の上の住宅地を見た。
 この辺りと比べて、土地も広く取った一戸建ての外観のきれいな住宅が立ち並んでる住宅地だ。
 あたし達は汗と雨でじっとり湿ったジーンズを無理やり動かして、そこまでの道のりを歩いた。
 団地の周辺と比べて、街灯が多くて明るい町並みだ。
 受信機の電源はずっとオンにしてるから、微かな雑音が雨の中二人を包んでる。
 ありさを見つけたい。そして助けてあげたい。
 それはあたし自身の罪の償いとかじゃなくて、心の底から願ってる事だった。
 そして俊夫も同じ気持ちなのが嬉しかった。時折弱音を吐くし、そんな時は昔の俊夫が顔を出すけど、自分自身で気持ちを奮い立たせようとしてるのが頼もしい。

 十時になった。ありさの放送があるとしたら、もうすぐのはずだ。
 俊夫は魚の骨のような八木アンテナを持ってゆっくりと自転するようにして電波を探してる。時折雑音の質が変わるだけで、まだありさの放送は受信できない。
「君たち、そこで何してるんだ」
 声がするまで全く気付かなかった。懐中電灯を持った二人組みの男は、青い制服を着てごつい体つきをしていた。警察官だ。
 やばい。補導されるのは困る。
 俊夫に目配せをして、あたしは走り出した。邪魔になる傘も放り投げて。
 俊夫もすぐ後をついて来るが、時折、痛っとか声が漏れていた。折れた2本の肋骨はまだきっちりくっついていないのだ。
 これじゃ警官を振り切るのは無理かもしれない。
 いったん階段を駆け下りて、右に曲がり、再び急坂を登る。
 待ちなさいって言いながら警察官もしつこく追ってくる。
「僕はもう駄目だ。松本、これもって行ってくれ」
 俊夫が受信機とアンテナをあたしに渡そうとする。
「傷が痛むの?」
「いや、傷の方はそれほどでもないけど、運動不足がたたってる……」
「しっかりしてよ。ありさのためなんだから」
 いっそのこと抱えて走りたいくらいだったけど、いくら俊夫が貧弱な体つきとはいっても40キログラム以上はあるんだから無理というものだ。
 あたしは目の端に写った雑草だらけの造成地に俊夫を引っ張っていった。
 そこの丈高い雑草の中に濡れるのもかまわず身を伏せる。
 水溜りが冷たくて、気持ち悪い。
 いてて、と腹ばいになった俊夫があげる声にひやりとしたけど、警察官の持った懐中電灯の明かりは揺れながら通り過ぎていく。
 まったく、ありさも見つからないのに、補導だけされるんじゃ割に合わないってもんだ。
 時計を見ると十時二十分になっていた。
「ひょっとしたら聞き逃したかもしれないな。何でこういつも邪魔が入るんだろう、正しい事をしてるはずなのに……」
 俊夫も勘違いしてるみたいだ。
「神様なんかいないってことだよ。その点はあきらめるんだね」
 あたしはもうずっと何年も前に気付いてた事なんだから。

 天使の歌声が聞こえてきたのはその時だった。鳩ぽっぽを歌う天使の歌声は雨の降る黒い空から、くっきりとした輪郭を持って私と俊夫の間に舞い降りてくる。
 ありさの放送だ。この近くなんだ。こんなにくっきりと聞こえるなんて。
 いったん遠ざかった警察官の足音が、急いで引き返してきた。
「そこに隠れてるんだろ。おとなしく出てきなさい」
 思ったより若い声が道路の方から聞こえてくる。
「あの家だ。あそこから電波が発射してくる」
 俊夫が指差した家は新興住宅地の角に建った、クリーム色の壁の出窓の多い家だった。
 ここまできて補導されるんじゃ、何のためにありさちゃんを追ってきたのかわからない。どうしたらいい? 俊夫に聞いても俊夫も答えに詰まったままだった。
『ありさの晩御飯はまだかなあ、お父さんたちはまだ帰ってきません。玉がたくさん出て景品がたくさんもらえたら、ありさにもお菓子をもらえるんだけどなあ』
 そんな声がしていたと思ったら、急に悲鳴に変わった。
『こらあ、おまえ親のもの勝手に使って何してるんだ』
 そして電波が途切れる。ちょうど今両親が帰ってきたところのようだ。
 私はもう俊夫に相談しなかった。体が勝手に動いたって感じだった。
 びしょ濡れのまま立ち上がると、体の大きな警官は一瞬身構えた。
 しかし、次の瞬間私が女だと悟ると、油断が顔をのぞかせた。
「きみたち、ちょっと」
 言いながら近寄る警官の股間に膝を突き入れる。こらあという怒声を後ろに聞いて私は走り出す。空き地の入り口にいた警官の腕を払って膝の裏を軽くけって転ばせてやる。
 そしてありさの元へ向かった。建物の階段を駆け上がり、玄関のドアを引き開け
た。鍵はかかっていなかった。
 家の中に入ると同時にありさの行動を認めた親が、鍵をかけるのを忘れたのだろう。
 何だおまえはという父親は短髪のパーマで、縦じまの上着を着ていた。
 その右手が幼稚園児の足をつかんで中釣りにしている。
 硬くこぶしを握り締めると、私はその男の顔面に力いっぱいお見舞いしてやった。
 なにすんのよあんた、そういう母親にも平手でびんたを食らわせる。
 彼女はくるくると二回転してソファに倒れこんだ。
 あたしの後に踏み込んできた俊夫が、泣きじゃくるありさちゃんを抱きしめた。
 ありさちゃんは何がどうなってるのかわからないんだろう。
 彼女にとって見れば、自分と両親の住むこの家が唯一の世界だったのに、そこに侵入者がいきなり入り込んできて両親をぶっ飛ばしてしまった。
 そんな風に見えたのだろう。
「ありさちゃん、君の声を聞いて助けに来たんだよ」
 俊夫が言うけど、ありさちゃんはいくつも痣をつけた青白い顔を振るだけだった。
 やせこけた子だった。何日もお風呂に入れてもらっていないのか、髪も脂ぎっていた。
 その後で入ってきた警察官にも、ありさちゃんが普通の状態じゃないというのが、ありありとわかるほどだった。

 その後のことはよく覚えていない。
 警察による事情聴取や、なんだかんだで2週間はバタバタだった。
 マスコミにも取り上げられて、二人でニュース番組のインタビューにも駆り出された。よくやったって誉めてくれる人もいたし、もっと早く警察か人権擁護委員会に言ってくれたほうがよかったとたしなめられることもあった。

 そんなことがあって長かった一学期の最終日、駅から遠回りで川沿いの道を歩いていると、後ろから走ってくる足音が聞こえた。
 振り向くと、俊夫だった。
「やあ、まったく……大変だったよな」
 私より5センチは背が低い俊夫だけど、ぐっと胸をそらした俊夫はずっと大きく見えた。
「警官殴り飛ばすんだもんなあ、紗江子にはまいるよ」
「何が言いたいのよ」
 俊夫はかばんを持ち帰ると、「あの時、紗江子は言ったよね、神様がいると思うのは間違いだって」
 そういえばそんなことも言ったかな。
「でもさ。僕は確信したよ。やっぱりいるってね」
「どうして?」
「あの家の鍵が開いていたときにさ。普通家に帰ったら誰だって鍵ぐらい閉めるだろ。それに先に家に入ったのが父親で、母親が後から入ったのなら母親が閉めたはずだ」
 確かに、あの時扉の鍵が閉まっていたらまったく違った展開になっていただろう。
 ありさちゃんを救うことなんてできなくて、あたし達はあっけなく補導されてきついお仕置きが待っていただろう。公務執行妨害に家宅侵入罪(これは庭に入っただけでも適用される)、ついでに不純異性交遊のおまけまでついたかもしれない。
 そしてありさちゃんは、これからも長い間苦痛の日々を過ごさなくてはならなかっただろう。
「それにあそこで警官に補導されそうになったことも、結果的にはよかったじゃないか」
「まあ、どう思おうと個人の自由よ、あたしには関係ない」
 わざわざ走って追いかけてきてまで言うことかしら。
 土手の下を流れる川の照り返しがまぶしくて私は車道のほうに目を向けた。
 真っ黒い排気ガスをたくさん吐き出しながら青いダンプカーが通り過ぎていく。
「雄大はあんな事言っていたけど・・・・・・僕は紗江子を許すよ」
 思いがけない言葉に驚いて俊夫を見ると、照り返しの光を浴びた俊夫の笑顔は、ずっと以前大好きだった人のそれにそっくりだった。
 涙が出そうになるのを必死でこらえる。胸が詰まってしまって、ありがとうという言葉さえでてこない。

 やっとひとつだけ、私は父に許してもらったのかも知れなかった。



                              ありさの放送局 おわり