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サルーキの歴史

 

                サルーキは全犬種中もっとも古い歴史を持つ犬種です.




サルーキ犬<エジプトのロイヤル犬>について歴史上正確に確認されているのは紀元前329年、アレキサンダー大王がインドを侵略した時の資料により確認されています、しかし実際はそれよりも遥か昔の紀元前2100年以上前と推定されています。

起源は、まだ文明が起こっていないメソポタミア地方(現在のアラビア半島、北アフリカ、西アジア付近)で古代人の鹿狩猟(ガゼール狩り)のために飼われ始めました。
やがて文明が起こり人々の生活様式も変わり鹿狩りは 生活の糧から王皇貴族達の娯楽として受け継がれ サルーキ達も大切に飼いつづけられました、この時代 皇帝の宮殿内や遊牧民のテント内で眠る事のできた唯一の犬だったようです。
エジプト文明時代には皇帝の犬として認識され 高貴な人々だけにサルーキを飼うことが許されました、現代でもフアラオ達の墓を発掘するとミーラ化したサルーキや壁画が出土します。
聖書が犬と言う単語を指すとき、それはすべてサルーキを意味するそうです。
時代が変わり 貿易も盛んになりサルーキもこの地方で少しづつ広がって行きます、これにより砂漠地方のサルーキ(南系統) 高陵地方のサルーキ(北系統)と別れて行きました。
やがてイスラム教が起こりこの地方を制覇します、イスラム教の世界では 犬は、 ねずみ以下の下等で汚い生き物として扱われましたがサルーキだけは特別で「サルーキは犬ではなく神様が人間に与えてくれた神聖で高潔な生き物」と宣言されました、これはサルーキを飼える特権階級の人達だけに 神聖なサルーキによって狩られた獲物の肉だけは食べることが許される と言う超法規的な意味です、このためサルーキは馬、数頭の値段よりも高価で取引されていました。
現在でもこの地方では皇族や貴族また遊牧民のベドウイン族達がスポーツとして鹿狩りを行うためサルーキを大切に保存しています。

ベドウインの鹿狩り方法
狩人達は馬に乗り十数頭のサルーキを引き連れ狩場の見晴らしの良いところに立ち 始めに飼い馴らしたタカを放します 次にサルーキ達も解き放ちます、
サルーキ達は空のタカを目標に走り出します、タカは広大なサバンナの上空から鹿を見つけ出し その上空で旋回して サルーキ達に居場所を知らせます、鹿は警戒心が強く 目も良く利きますが上空にはそれ程注意を払いません サルーキ達は静かに鹿の群れに回り込み一斉に襲いかかります そして鹿が絶命した後に狩人が鹿を収穫します。 

サルーキの名前の由来は色々な諸説がありますが 滅亡したアラビアの町サルクからきたものだという説が一般的です。

サルーキは1840年に始めてイギリスに渡り それは公立の動物園でペルシヤのグレイハウンドとして紹介されました、その後1895年にAmherst氏によりエジプトから雌犬が輸入されました このサルーキは南系統の砂漠に順応した背が高く脚がきれいでより少ないフエザーリング(胸部 耳 尾 の飾り毛)を持つ犬で、Amherstia犬舎を設立しました、
次に英国軍退役将校がシリアから北系統の山岳地帯に順応したより太い骨格と豊富なフェザーリングを持つサルーキを持ち帰りSarona犬舎を設立し Sarona Kelbと言う雄犬がサルーキでは始めてチヤンピオン犬になり その子供Shahinも雌犬で始めてチヤンピオンになりました、
イギリスではこのKelbが殆どのサルーキの祖先です。

アメリカへは このSaronaとAmherstiaの犬達が輸入され1927年にAKC(アメリカンケンネルクラブ)に公認されました、
アメリカに渡ってもサルーキは その貴賓的な様相や歴史的背景から あまり一般的ではなく一部のハイクラスの人達が密かに飼う犬として浸透して行きました。

日本には1969年に輸入され JKC(ジャパンケンネルクラブ)に公認されました。
現在 年間登録頭数100−200頭 前後と、序々に増えてはいますが 
まだまだ ”密かに飼う犬”の域を脱していません。  


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