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 アメリカン・ビューティー オフィシャル・ページ(英語)
ケビン・スペイシー・ファンサイト
スペイシーランド
 この映画を見て「おもしろかった」と正直に言える日本人は、何人いるだろう。
 おそらく、公開まじかの『アメリカン・ビューティー』を見ようと劇場にかけつけた客の大部分は、『アメリカン・ビューティー』がアカデミー作品賞の受賞作であることを意識してのことであろう。しかし、アカデミー賞とはおもしろい映画や優れた映画を選ぶための賞ではないことに、そろそろ日本人も気付いてはよくないか。アカデミー賞がどうい賞かは、後述するとして、『アメリカン・ビューティー』は少なくとも日本人にとってたいして楽しめない映画だろうが、アカデミー賞受賞作品の特徴を完璧なまでに備えている。
 まず、『アメリカン・ビューティー』のタイトルである。それは妻が植えて育てている、そして室内にも飾られているバラの品種の名前である。そして、もう一つの意味は「アメリカの美点」である。しかし、「アメリカの美点」という美しいタイトルとは逆に、そこに描かれるのは、崩壊した家族の実状である。破綻した夫婦。交流のない親子。そのどこが、アメリカの美点なのか。
 アメリカの美点どころではなく、アメリカの病理の全てが、バーンハム家とその隣のフィッツ家で描かれている。心の交流のない形骸化した家族。セックスレス夫婦。浮気する妻。リストラ。麻薬の売人と常習者。子供への虐待。精神科にかかる子ども。同性愛。
 およそ考えられるほとんどのアメリカの問題が、この二つの家族とその周辺に凝集している。それでいて、この二つの家族が、アメリカ社会の中で特殊な存在かというと、決してそうではない。むしろ、バーンハム家のありかたは、アメリカの典型的アッパーミドルの家庭といえる。
 『アメリカン・ビューティー』は、経済的に隆盛を極めるアメリカ社会に対する皮肉、あるいはブラック・ジョークになっている。主人公レスター・バーンハム(ケビン・スペイシー)は、やる気のないサラリーマンであるが、一戸建て住宅を構え、ベンツに乗り、4万ドルのソファーもある。麻薬の代金二千ドルも苦もなく払う。バーンハム家は、経済的は全く不自由しない、裕福な中流家庭なのである。
 『アメリカン・ビューティー』には、経済的に隆盛を極めた一方で、精神的な満足感がなく、家族崩壊だけが残ったアメリカ社会の終焉が描かれている。いや、待て。正確に言うならば、アメリカ社会ではなく、アメリカ白人社会と言わねばならない。バーンハムという名前は、おそらくドイツ系であることを示す。

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娘には嫌われ、妻には浮気され、最後には殺される。こんな情けない主人公が今までいただろうか。

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食事シーン
 彼らの距離は非常に離れている。その物理的距離が、彼らの心の距離を反映している。

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 先に『アメリカン・ビューティー』には、「アメリカの病理の全てが」描かれるといったが、それも訂正しなくてはいけない。一つだけ描かれていない問題がある。それは人種問題である。
 典型的な白人中流家庭である、バーンハム家とフィッツ家。思い出して欲しい。『アメリカン・ビューティー』に、白人以外の人種が登場していたか。何と、登場していないのである。唯一、不動産業を営む妻カロリーナが売ろうとする大邸宅を見に来る客に、黒人と東洋人がいるだけで、主演、助演のいずれにも、白人以外の人種が登場していない。これは異様である。人種のルツボと言われるアメリカ。そのアメリカ映画には、白人以外にもユダヤ系、アイルランド系、イタリア系、黒人、プエルトリコ系など様々な人種が登場している。登場しているのが当たり前である。逆に、白人しか登場していない映画というのは、ほとんど存在しないといってよい。しかし、『アメリカン・ビューティー』には、白人しか登場していないのである。すなわち、この『アメリカン・ビューティー』の「アメリカン」とは、多民族国家アメリカではなく、白人のアメリカという意味であることが、白人以外の登場人物が出ていないことによって証明される。
 白人主導のもと突き進んできた20世紀のアメリカであるが、なんら精神的な充足をもたらさなかった。すなわち、白人に対する批判的視線が、『アメリカン・ビューティー』には存在すると言わざるを得ない。
 アカデミー賞に好まれる映画のパターンとして二つをあげておこう。一つはユダヤ人賛美映画(『ドライビング・ミスデイジー』、『炎のランナー』『シンドラーのリスト』)。そして、反白人映画(『普通の人々』『ブレイブハート』)である。なぜこうなるのかというと、単純にハリウッドには、ユダヤ人が多く、白人が少ないからである。アカデミー賞は、ハリウッドに貢献した映画人に、投票権が与えられる。つまり、映画人が自分たちの作った映画を選ぶ、非常に内輪な賞なのである。そして、その投票基準は、おもしろい映画を選ぶということでは決してなさそうである。
 おそらくハリウッドのユダヤ人の割合は30%から40%はあるだろう。一方、純粋の白人WASPや黒人の割合は、それぞれ5%以下であろう。そうした極めて偏った人種構成のハリウッドが、投票によって選ぶのがアカデミー賞であるから、その結果に人種的な偏りが出るのは当たり前である。
 反白人映画をアカデミー賞が好む例として、『普通の人々』をあげよう。『普通の人々』も『アメリカン・ビューティー』同様、中流白人家庭が舞台である。長男の死がきっかけで、家族崩壊寸前で、次男の青年が自殺未遂を起こし、精神科に通い、何とか救いを求める話である。その精神科医がユダヤ人の役になっており、病める白人家族をユダヤ人が救うという物語になっている。『普通の人々』はそういう意味で、反白人映画と言ってよいと思われるし、『アメリカン・ビューティー』もまたそうなのである。
 『アメリカン・ビューティー』は、「白人のアメリカ」の終焉宣言ととれる。実際、セリフでも言っている。フィッツ死が朝食をとりながら、叫ぶ。
 「アメリカは地獄に行く」
 もちろん、白人のアメリカという但し書き付きだろう。
 あるいは、フィッツ家の息子リッキーがジェーンに見せるビデオである。「これが僕の撮った、最も美しいものだ」と言って彼が見せた映像は、白い紙くずが風にのって、風に翻弄されるように上下するさまである。この映画において最も「美しいもの」は、言うまでもなく、白人のアメリカの美点のことである。そして、紙くずの色は「白」である。紙クズの動きによって、今後の白人のアメリカがどこへ行くかわからない、行き先不明の状態が描かれる。親切にも同様の映像が、ラストシーンで使われ、この映画のテーマが強調されるのである。
 では、次のアメリカを引っ張っていくのは誰か。それは、言うまでもなくマイノリティである。それが、実は『アメリカン・ビューティー』の中で描かれている。売りに出した大邸宅を買いに来るのがマイノリティたちであるという描写が、それを暗示している。
 一見とらえどころのない映画に見える『アメリカン・ビューティー』も、人種という視点からみるとかなり分かりやすい映画になっている。そして、なぜ『アメリカン・ビューティー』がアカデミー作品賞をとったのかも、理解していただけたであろう。

 

究極のやらせ発覚
 右の写真は、『アメリカン・ビューティー』の日本でのチラシ、またはポスターのデザインである。下に、そのスピルバーグのコメントのみを拡大した。
 「近年稀に見る 素晴らしい映画の誕生だ!」
 彼がニューヨーク・タイムズに寄せたコメントからの引用である。しかし、これは究極のやらせなのである。
 『アメリカン・ビューティー』は、「ドリーム・ワークスSKG」の製作である。ドリーム・ワークスとは、スティーブン・スピルバーグ、ジェフリー・カッツエンバーグ、デイビッド・ゲフィンの三人が作った映画会社である。その三人の頭文字をとって、「SKG」という名前がついている。
 したがって、スピルバーグは、自分の映画会社で作った作品について、「近年稀に見る 素晴らしい映画の誕生だ!」という、最高級の賛美を与えているのだ。手前味噌も良い所。「やらせ」と言ってもいいだろう。

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チラシまたは、ポスターの
デザイン

 もっとも、このポスターのデザイン、いろいろな雑誌、新聞からのコメントの寄せ集めは、日本の配給会社によるものであるが、スピルバーグがニューヨーク・タイムズに、自分の映画に対して最高級の賛美を与えたことは事実である。
 
 実は、『グリーン・マイル』でも同じ戦法が使われていた。やはり「ドリーム・ワークスSKG」の製作である『グリーン・マイル』に、スピルバーグの賛辞が使われていた。
 実際私の友人に、このやらせ広告に引っかかって、「スピルバーグがここまで誉めるなら見てみたいな」と思った人がいる。賢明な「ホス・プレス」読者は、十分注意して欲しい。
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