車内の混み具合から推測し、隣に誰か来ることが予想された。その人物の過ごし方によって出来ることは変わってくる。キーボードをタイピングするのもはばかられるようなお疲れの人――例えば芸能人・文化人など――が来てしまったら、ゆっくり読書か仮眠の時間にしよう、そう思ったのだ。
「あれっ、すごい偶然ですねー」
しかし隣の指定席にやってきた長身の若い男は、吹雪に親しげに声をかけた。
「立花さん、ですよね。これはお久しぶりです」
吹雪は驚いて彼を見上げた。荷物をひょいと棚に投げ込み、彼は「お仕事っすか?」と笑顔を向けてくれた。
ホテル・キングスヒルのマネージャー・瀬戸内の話に度々登場する「藍(らん)」という彼のパートナーについて、ある日「会ってみたいですね」と酔った勢いで口走ったら、瀬戸内は快諾し、携帯電話で彼を呼び寄せた。
「いつもすぐ来れるって訳じゃないですけどね」
と、瀬戸内は医学生であるというパートナーを紹介してくれた。それから何年経過しただろう。藍は以前キングスヒルのバーにやってきた時とは打って変わって、ダークブルーのシックなスーツ姿で、髪だけは以前と同じオレンジに近い茶髪の長髪ではあるものの、随分と落ち着いたように見えた。
「あ、これ? これからね、学会の手伝いに行くもんで。一応ね」
外見を褒めると藍は照れながら説明してくれた。どうやら卵から本当の医者に孵化できたようだ。
「私も仕事で。相変わらず何でも屋ですけどね」
名刺には「トラベル・ライター」と書いてあるが、旅関係の仕事はいまだに少なかった。出版不況のせいもあるだろう。その代わり、インターネットやメールマガジンの仕事が増えた。今日もウェヴサイトの特集記事を書くための取材旅行だ。いつもは自由席の移動だが、今日は疲れていたこともあり、珍しく自腹でグリーンに乗ったのだ。
お互いにシートをリクライニングしてリラックスした姿勢をとり、さてどうするかなと吹雪が思った時に
「七夕っすよねー」
と、藍が言った。
「マリノのホテルにも、ロビーのとこに、すっげーデカい笹が飾ってあって。俺、短冊書いてきましたよ」
お互い共通の話題が彼のパートナーのことぐらいしかなかったからだろう。藍は気さくに当たり障りのなさそうな話を振ってくれたようだ。
「何をお願いされましたか?」
コンパクトな笑顔で訊き返すと
「これがけっこう難儀しましたー」
と藍は笑う。若い上に首都圏住まいの彼が「難儀する」なんて言葉を使うのはパートナーの語彙が伝染したんだろうなと吹雪は考えた。マリノは京都で生まれ育ったと言っていたし、オヤジ臭い言い回しを好んでいたはずだ。
「うちは世間でいうところのオカネモチってやつだったから、笹に短冊吊して『ゲームがほしい』なんて書かなくても、言えばいくらでも買ってもらえたんですよね」
そういえば、彼が入学祝いにアメ車をもらったと聞いたことがある。吹雪は庶民として単純に羨ましいと思った。
「だから、金で解決できるものは書いても意味がないし、しかも今、自分で稼げるようになってる訳でしょ。まだまだヒヨコだから給料少ないけど。んで、金じゃなく『神様オネガイ』的なものって、なに書いていいかわかんなくて。もう国家試験ぐらい脳味噌使ったりして」
「だったら、瀬戸内さんのことでも頼めばいいんじゃありませんか」
藍があまりにも真面目に考えたようなので、突っ込みを入れるような気分で言うと
「浮気しませんように、とか?」
「いや、そうは言ってませんけど」
ずばり、直球な言葉が返ってきて、吹雪は焦ってしまう。
「うーん、確かにあのケツの軽いとこはなんとかしてほしいけど」と言った後、藍は
「でも。オレだけ見てるマリノっていうのも、なんか、らしくなくて。このごろはね、ちゃんと愛しくれてるって解ってるから、アソビならいっかって思うようになっちゃったし」
随分達観したものだなと感心していると
「スゴイんすよ、最近。キスだって、言えば勿体ぶらずにしてくれるし、タチも譲ってくれる率が高くなったし、夜の」
「あ、そのへんでいいです」
新幹線の中なんだからと吹雪は慌てて藍を制止した。おまけにグリーン車だ。混んでいても比較的静かなので誰に聞かれてしまうかわからない。
「で、瀬戸内さんは何か書かれたんでしょうかね」
「うん。参考にしたいからって、見せてもらった」
「なんて?」
「『上野動物園のマナヅルのヅルさんがまだまだ長生きしますように』って」
吹雪の予想もしなかった方向からの回答だった。
それはいいかもしれない。そういうことこそ、神様に頼むべきことだろう。
「その鶴と総支配人と歳が近いからってのもあるからって、こっそり教えてもらっちゃいました」
藍は無邪気に笑っているが、へそ曲がりの瀬戸内のことだ。密かに藍に関する短冊もつけているに違いないと吹雪は想像する。本人が思ってる以上に、マリノは藍のことを愛している。それは吹雪には伝わっているのだ。
「だから、オレも対抗して『関東にもパンダがきますように』って書いたんですよー」
楽しそうな藍を見て、吹雪はお似合いのカップルだなと苦笑した。
藍と別れて新大阪で下車した吹雪は携帯から桃花村にコールした。アルバイトらしき若い男性が出たので、店長またはチーフをと取り次いでもらう。スピードが命の大阪らしく、待たされることなく鐘(あつむ)が代わってくれた。
「あ、今晩来はります? 何時ごろか判ります? そしたら席いっこ取っときますよ。あ、お一人でよろしいんやろか」
大阪に来るたび吹雪は桃花村に立ち寄るようになっていた。厨房責任者で店長の鐘の関西弁を聞くと、大阪に「帰ってきた」という気分になる。第二のふるさとのように。
ビジネスホテルに旅の荷物を置いて一服し、一仕事してから桃花村に向かう。すでに七時をまわっているが空が明るい。吹雪は店に入る前に、ドアの外に飾られた背丈より高い笹に注目した。「彼ら」の短冊もあるのだろうか。
ほとんどが常連客の手によるものなのだろう。『景気が上向きますように』とか『宝くじが当たりますように』などというステレオタイプな願い事を微笑ましく思いながら手にとって眺めてみる。
『素敵な彼ができますように(原田さんみたいな人希望)』などというド厚かましいものや『上司が転勤になりますように。できればすぐに』などというのは女性客の短冊だろう。
『阪神優勝』の四文字を発見し、大阪はこうでなくてはと思わず笑んでしまった直後、吹雪は美しい筆文字で書かれた八文字に目を奪われた。『アンチエイジング』
切実なオーラが短冊から漂う。どこかの妙齢のマダムが着物姿でさらさらと書く姿を想像し、吹雪は唸った。字から想像するに相当の美女だろう。もしかして今日、来店しているのだろうか。
「いらっしゃい。お待ちしてましたー。お帰んなさい」
ドアを開けたとたん、カウンターの中で調理中の鐘が中華鍋片手に明るい声で迎えてくれた。「いらっしゃいませ」だけでなく「お帰り」で挨拶してくれたのが嬉しいと吹雪はしみじみ癒される。メイド喫茶にハマる心理が理解できる瞬間だ。
フロア担当の原田もわざわざ近くまできて「いらっしゃい。お疲れさんです。一番奥、空けときましたから、どうぞ」と自ら案内してくれる。その席を除いて見事に店は満席だった。
「一杯目はビールですか?」
「ハートランド、瓶で」
原田はにっこりと復唱し頷いてカウンターの中に戻っていった。今の笑顔は自分だけに向けられるのは勿体ないなと吹雪は思った。女性客に嫉妬されそうな甘く優しい笑顔だったのだ。
カウンター越しに冷えたグラスが置かれ「注いでよろしですか」と確認して原田が瓶からサーヴしてくれた。その後にお通しと「吹雪さんもなんか書いてってください」と短冊とフェルトペンが手渡される。
さて、いざ自分の願いを考えてみると、藍が言った通り、確かに難儀だった。
『ビールをいつまでも美味しく飲めますように』なんていうのも、神様からすれば「自分で健康管理せい」というところだろう。
仕事が忙しいせいもあり、嫁だの恋人との「出会い」もとくに必要を感じない。神頼みも意外と難しいものだ。
鶏肉のカシューナッツ炒めを持ってきた原田に「そういえば、すごい達筆の筆で書いたのがありましたねぇ」と言ってみる。すると、原田は眉間にしわを寄せ
「筆……。それ、多分、僕の違うかなぁ」
少し悩みながら返す。
「ええ? いや、『アンチエイジング』って書いてありましたけど?」
「あ、やっぱり僕や」
原田は照れ笑いしてウェイター業務に戻っていった。
……見た目、充分若いけどなぁ。あれだけ若くてきれいな男性でも老化は気になるんだ。いや、だからこそ気になるのか。いつまでもきれいなままでいることが、彼を好きな人間に対して見せることのできる誠意なんだ。吹雪は納得してグラスを手にした。
すると、原田の様子が気になったのか、こちらを見ていた鐘と目が合ったので、吹雪は何気なく「マスターはなんて書きました?」
と訊いてみた。
「僕ですか? まぁ、健康に関することですわ」
笑顔で、何故か言葉を濁している。ということは、自分の健康に関することではなく、パートナーに健康でいてほしいという願い事に違いない。
決まった相手のいる人はいいな、と、いつからか彼らの関係に気付いていた吹雪は、二人を眺めながらビールを口にした。
会計を済ませ店を出ようとして、吹雪は忘れかけていた短冊を、見送りについてきた原田にドアの外で手渡した。
「つけましょか?」
自分でつけはりますか、とのニ択だろう。「お願いします」と笑顔で依頼して、その間に鐘の短冊を探してみる。
「…マスターの。これでしょ」
すぐに見つかった『働きすぎに気をつけましょう。健康第一』の短冊を、意味深な笑みで指差すと
「正解のうちの一つですわ」
確認した原田は目を細め楽しそうに返す。
「えっ? 何枚あるんです、マスターの」
「サクラの意味もあるんで、五枚は書いたんちゃいますか」
同じような筆跡のものを探すと『うちの子が人参を残しませんように』『うちの子がピーマンを残しませんように』『うちの子がグリーンピースを…』等々。うちの子シリーズと呼びたくなるような願い事が次々見つかった。
「また、てっきり小さいお子さんをお持ちのお客さんが書いたのかと。まさかマスターだったとはねぇ」
「そういうテイで書いてますねん。まさか僕のことやとは思わんかったでしょ、吹雪さんでも」
なるほど「健康関係」かと腑に落ちたところで原田が
「本気のはこれですわ」
こっそりと見えにくい位置に結ばれた短冊を指で挟んで表に返してくれた。
『いつまでも手の掛かる子でいてください。生き甲斐、奪わんとってな(笑)』
こちらもお似合いのカップルだ。
吹雪は思った。『みんな商売繁盛』でなく『自分に似合う伴侶をください』と書けばよかったと。
ただ『(男でもいいから)』と付け加える勇気と酔いは足りなかったが。
< 了 >