[岡村淳 ブラジルの落書き] [岡村淳のオフレコ日記] [星野智幸アーカイヴズ]


ジャージ姿のシスターさん
ある日本人シスターの聞き書きA

岡村 淳



  先回に引き続き、ブラジルのパラナ州北部にあるサン・セバスチャン・ダ・アモレイラという町の託児所で活躍するカトリックの日本人修道女(シスター)、堂園(どうぞの)ヴィンセンシアみつ子さんにうかがったお話を紹介します。その後、現地の事態は刻々と変化していますので、この記事を発表した1997年の段階のデータを基にして新たに堂園シスターにお話をうかがい、部分的に改筆しました。

  ここの託児所では、生後3ヵ月から14歳までの子供たちをお預かりしています。現在の子供の人数はおよそ180人ですけど、最近はいつも定員いっぱいで、順番待ちの子供がいるんですよ。託児所(クレッシェ)の月謝は無料です。運営費の半分はブラジル政府から、半分は私の所属する日本の長崎純心聖母会などからの寄付でまかなっています。
  ここの子供で両親ともそろっているのは、せいぜい2割ぐらいで、あとの8割はマイ・ソルテイラ(未婚の母)なんです。親がちゃんと結婚している、という人は少ないですね。
  親の仕事はほとんどがボイア・フリア(日雇いの農場労働者)や女中さんです。親が働いていて子供を預ける人も場所もない、あるいは家に食べ物がないという理由で、託児所に子供を預けるわけです。
  ここでは無料で給食も食べられますからね。

  今の日本の人から見れば考えられないほど、ここの人たちは貧しいですね。
  そういった貧しい人たちの傲慢(ごうまん)さというのは、腹立たしいくらいひどいものがあるんです。甘えっていうか。
  してもらえる、一回、物をあげたら、またもらえるだろうと思って、何もしないで待っているっていうか、頼ってくるという態度には本当に腹が立ちます。
  でも、貧しい人たちに教わることもあります。私たち、土曜の午後に町の貧しい人たちの家を訪ねているんですね。
  ぜんぜん面識のない人のところに行って「こんにちは」って言うと、「どうぞ、いらっしゃい」って中に入れてくれるんです。その寛大さっていうか、人なつっこさというか、それには心を打たれますね。
  まだ一回も「来て欲しくない」とか、そういう態度をとられたことはないんです。
  どっちかというと私の方が、そこに入れてもらってありがとう、なんですけれども、帰る時には「訪ねて来て下さって、ありがとう」って言われるんですね。付き合っていても、気どらなくていいっていうか。

  ここのクレッシェ(託児所)の子供たちも明るくて、それに素直だっていえるでしょうね。
  いっぽう貧しさから来るゆがみっていうか、この問題は矯正していくのに本当に時間がかかります。
  子供たちの悪い点や癖を繰り返し直そうとしても、それが彼らの実際の行動に現れるのはまだまだ、という感じで。
  ひとつ例をあげると、このクレッシェは正面の入り口の他からでも、入ろうと思えば、そう難しくないんです。子供たちは塀(へい)を飛び越えて、どこからでも入ってきます。朝、やって来てここで朝食を食べて、また塀を飛び越えていなくなる。そしてお昼御飯にまた塀を越えて来て、食べて出て行くっていう子供が結構いるんですよね。
  だから塀を飛び越えて出ないように、入口がちゃんとあるんだから、入口から出入りするようにって何遍、注意してもまだまだなんです。
  まあその辺がブラジル人と日本人の感覚の違いなのかなって思ったりもするんですけど。

  逆に子供たちから学ぶことも、たくさんあります。心が広くて受け入れやすいというか、人なつっこいというか。
  こちらがどんなに怒っても、次の日にはケロッとしてますね。もう何もなかったようにやってくるんです。
  そして同じクレッシェで長く付き合っているうちに、お互いに愛情が生まれてくるっていうか、信頼関係ができてくるんですね。
  10歳、11歳の子供になってくると、叱らなくてもちゃんと説明をしてあげると、この子はわかってくれたな、というのが感じられてくるんです。何かあった時でも、お互い対等な立場で意見を言い合えたりもしますね。

  ここの子供たちは、ひとりひとり実に複雑な問題を、小さな体いっぱいに背負っているんですね。
  両親がいない、自分の家族がいない、といった深刻な問題が、10歳だったら10年間の貧しい歴史があるわけです。そしてそれぞれ似通っていても、いろいろと違いもあるんですね。
  例をあげると、お父さんは初めからいなくて、未婚の母だったお母さんに捨てられて、お祖母ちゃんに育てられている子供とか。お父さんが人殺しをして逃げていて、お母さんと暮らしている子供とか。
  お母さんが男の人を次々に替えていって、兄弟ぜんぶ父親の違う子供とか、未婚の母の子供で養女にやられて親戚を転々とまわっている子供とか。お父さんとお母さんはいるけれども、それぞれに愛人がいて、お酒を飲んでは喧嘩する家族とかですね、本当にかわいそうなものを持っていますね。

  そういう子供たちにできることの基本は、お互いの信頼関係を築くことだと思います。
  こちらの言うことを、私たちシスターがどういう立場にあるのかということを、子供たちに理解してもらう。理想としては、お互いが「友だち」という関係で子供たちが理解してくれたら最高なんですけど。
  子供たちが私たちを自分たちの味方だ、自分たちの側に立っている人たちだ、何かあったら自分たちを手伝ってくれる人たちだっていうのを感じてくれたら、それが何よりだと思います。
  いちばんうれしかったのは、子供たちみんなが朝、「おはよう」って挨拶してくれるようになったこと、そして何かあげた時に「ありがとう」っていう言葉が返ってくるようになったことですね。
  そういう時は、やってきてよかったなって思います。最初は、そういう挨拶の習慣がありませんでした。
  初めの頃は子供たちにここは自分たちの場なんだ、自分たちのクレッシェなんだという感覚があまりなかったんですね。利用すればいいっていうか、ものが壊れても何があっても自分には関係ない、自分はここで食べて遊べばいい、そういう雰囲気だったと思います。

  ここの仕事の大変さは、毎日の繰り返しの積み重ねだということですね。息の長い仕事で、こちらがへたばってしまいそうな厳しさがあります。
  経済的な面でも厳しいんです。いろいろとアイデアがあっても、それがお金がなくてできない、ということもよくあります。
 日本の人にはゴミでしかないような、使ったタオルや子供の靴、お人形などもここでは大変な貴重品です。

  もちろん手ぶらで構いません、気軽に訪問して下さる方を歓迎します。
  この町と子供たち、そして私たちの仕事を見ていただいて、それぞれの方が何かを感じて考えるきっかけになれば、それだけでありがたいことだと思います。

オーパ No.167 1997年 改稿(2004年)

岡村さんへのメールは
e-mail:okamura@brasil-ya.com