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ぱたごにあノオト パタゴニアの音

岡村 淳



  先回に引き続き、私が先頃、完成させた自主制作ビデオ『パタゴニア 風にそよ ぐ花 ―― 橋本梧郎 南米博物誌』のお話です。
  このビデオは当BUMBA誌でも連載されている在ブラジルの植物学者・橋本梧郎先生の、南米大陸最南・パタゴニアへのフィールド・ワークの旅に同行したビデオ・ドキュメンタリーです。
  昨年、東京で行なわれたこの作品の上映会に、京都の立命館大学で人類学を教える原毅彦先生が駆けつけてくれました。
  彼は作り手冥利に尽きる鋭い批評をしてくれるとともに、この作品のことを音楽之友社から出す『カリブ・ラテンアメリカ 音の地図・MUSIC ATLAS』という本に取り上げたいといいます。
  ハテナと思いました。この作品にはいわゆるBGM(背景音楽)を、一切使用していないからです。

  原教授から出来上がった本が送られてきました。筆者にはラテン・アメリカ音楽オタクの面々が名を連ねています。
  彼の項目のタイトルは「音楽の果て」。出だしから拙作について触れています。「博物学者ダーウィンの足跡をたどって南へ、南へ。録音マイクを通じて集められる音は、氷の声、鳥の声、風の声ばかり。草木の声に耳をそばだてる老博物学者。ここでは人々の言葉は雑音に過ぎない(岡村淳監督『パタゴニア 風に戦ぐ花 ―― 橋本梧郎 南米博物誌』、2001年)。(後略)」
  彼はこの後で、私のパタゴニア旅行における座右の書でもあったブルース・チャトウィンの名著『パタゴニア』に触れ、ウォン・カーワァイ監督の映画『ブエノスアイレス』からの引用で稿を閉じるという、なんとも心憎いパタゴニア論を、音をキーワードとして展開してくれました。
  私が自作の中で音楽を用いなかったことを、積極的に評価してもらえたのです。

  私はもともと、日本でTVドキュメンタリーの番組ディレクターをしていましたので、ドキュメンタリー番組に音楽をかぶせること、つまりBGMを用いることは、きわめて当たり前なことでした。
  こうした番組作りには音響効果担当、いわゆる選曲屋さんというプロがいます。
  作品の編集が大詰めになった段階で、番組ディレクターは作品を選曲屋さんに見てもらい、作品にかぶせる効果音楽を選んでもらうのです。
  ディレクターは、ここは現地音がショボいのでBGMでたててもらって、とか、このシーンはグッと泣かせたいので郷愁のテーマで、ここは音楽でガバッとおどかしてもらって、といったような希望を選曲屋さんに伝えます。
  こうした選曲屋さんは著作権フリーの曲を中心に膨大な音楽のストックを持っており、デイレクターの要望に沿った曲を、それぞれのシーンの長さに合うように、しかもいくつかのオプションまで用意してきてくれるのです。
  私は何人もの選曲屋さんにお世話になりましたが、うまい人はホントにうまくディレクターの望みを予想以上にかなえてくれ、絶妙な曲を映像にピッタリの長さでアレンジしてくれます。
  私も新人ディレクター時代には、選曲屋さんにろくに自分の要望も伝えられませんでしたが、ベテランの選曲屋さんは私の非力をカバーしてくれ、実に巧みに音楽を用意してくれました。
  そうした曲を聞きながら、そうか、ここはそういうシーンだったのか、と気づかせてもらい、その音楽の調べに沿ってナレーション原稿を書くこともあったほどです。
  今でもそうした「名曲」を無意識のうちに口ずさむことがあります。

  日本のTV報道、そしてTVドキュメンタリーの草分けである、私の師匠・故牛山純一プロデューサーは、テレビ番組とは7割が音声で、3割が映像であると語っていました。テレビという大衆メディアの本質をとらえた卓見だと思います。
  テレビ番組は、お茶の間や店のなかなどでタレ流し状態になっていることがしばしばで、何かと忙しい現代人はいちいちテレビごときにクギ付けになってはくれません。
  そんな視聴者の気をひくには、目のさめるような美しい映像よりも、タレントたちの大バカ笑いや、テレビ文化人といわれる人たちのエキセントリックなドナリ声、そしてこの世の終わりかと思わせるような激しい音楽などの騒音の方が手っ取り早いというわけです。
  テレビのBGMに関しては、各局が競争して一連の「オウム事件」モノを放送するようになって以来、音楽そのもののおどろおどろしさとやかましさを競い合うように激しくなったことが、よく指摘されています。
  私もその頃から日本のテレビ番組を見ると、ドキュメンタリー風の番組でも視聴率第一の民放は言わずもがな、大御所NHKの番組でもこの傾向があるのに気づきました。
  しかも音楽のレベルが高すぎて、肝心の登場人物が何を話しているのか聞き取れないくらいです。
  その場面が悲しいのか、楽しいのか、それくらい少しは視聴者に判断させてもよさそうなものですが、それをいちいち音楽で規定して、押し付けてしまう。
  テレビの作り手たちの過剰な「サービス精神」が視聴者の思考して判断する能力を奪い、メディアによる人々の「白痴化」をますます促進するというわけです。

  かつてはBGMにお世話になっていた私も、フリーとなり、さらに近年はテレビというメディアからも遠ざかってしまいました。最近はもっぱら自主制作という形でドキュメンタリーを作り続けていますが、私自身の効果音楽に対する考え方もだいぶ変わってきました。
  今ではドキュメンタリー作品には基本的にBGMは使わず、極力、現場の音を活かす方針をとっています。
  そんな私でも、その原則を曲げて作品に音楽を使用したくなる場合があります。例えば、作品の主人公のこれまでの歩みを紹介するため、過去のさまざまな写真が何枚も長く続くようなシーンでは、私の意図もさりげなく含めた音楽を用いたくなります。
  そして今回のパタゴニアのような、極めて特殊な現場の事情が生じた場合も……。

  橋本先生とのパタゴニア旅行は、日本人らしさに輪をかけた強行軍となりました。
  限られた日程の中で、ひとつでも多くの場所の植物を見たいという希望から、かなりの過密スケジュールとなってしまったのです。
  パタゴニア植物調査旅行には、記録担当としてビデオの私、そして写真家の楮佐古晶章さんが同行することになりました。
  私の方は先回、書きましたように、ビデオ撮影の都合でスケジュールに注文をつけたり、橋本先生を始めとする調査の参加者にああしてくれ、こうしてくれといった「演出」は基本的にしない方針をとりました。そのため、とんでもない苦しみを味わうことになってしまったのです。
  写真と違ってビデオの場合、ひとつの景色なり、植物なりをじっくり見せるとなると、三脚を据えて撮影するのが基本となります。ビデオは時間経過そのものを表現しますので、固定させて見せるべき映像がグラついていると見る人も落ち着かず、映像に集中できません。
  ところが今回の旅では、一ヶ所あたりの滞在時間が極めて短いため、写真家の楮佐古さんがまずネをあげてしまいました。それでも彼が少しでもキチンと写真を決めようとして粘ろうとすると、現地ガイドを始め、他のスタッフからも行程の妨げになると苦情が出るのです。
  私の方はそうした写真家と他のメンバーとの摩擦そのものも記録したいという意図がありますので、ますますちゃんと三脚を据えたり、被写体に合わせてレンズやマイクを交換したりという時間がありませんでした。

  さらにとんでもない問題が生じました。ビデオの場合、映像の他に現場の音声も記録する必要があります。
  せっかくの珍しい植物や絶景の氷河の映像をきちんと撮影できても、バックに聞こえる音が画面には見えないスタッフのバカ話や下品な笑い声では、すべてが台無しになってしまいます。
  そのため、私はそれぞれの現場で、橋本先生のフィールドワークそのものの他に、対象となる植物の接写、付近の景色に加えて、極めて限られた時間のなかで、メンバーの話し声や車のエンジン音の聞こえないところまで遠のいて、その環境本来の音を録音しなければなりませんでした。
  同じように見える場所でも、その時の風の吹き具合、近くに水場があれば水の気配、そして時刻や植生に応じてどんな種類の鳥や虫が鳴いているかなど、微妙に音は違ってきます。
  そうした現場の音の豊かな表情を、おろそかにしたくはありませんでした。
  いっぽうパタゴニアは「風の大陸」、「嵐の大地」などと呼ばれるほど、強風が吹きすさぶことで有名です。時速100キロを超える暴風が吹き荒れると、小柄な橋本先生は誰かが支える必要があるほどで、録音マイクが拾えるのはゴボゴボ、ザーザーといった音ばかりとなってしまいます。
  さらにパタゴニアは1日に季節が36回変わるといわれるほどで、あれよあれよといううちに天候が変化します。ついさっきの暴風が幻のように静まり変わる、といったことがしばしばでした。
  無風状態というのは、録音作業にとってベストなはずですが、今回の旅では予想外の恐ろしいことが起こってしまいました。

  今回、橋本先生を慕う音子さん(仮名)という在ブラジルの日本人女性もパタゴニアの旅に同行することになりました。この音子さんの声が体格に比例して激しく大きく、しかも彼女はのべつ幕なしでしゃべり続けているのです。
  他のメンバーがさすがにうんざりして話の相手にならなくても、彼女は「ひとり語り」を続け、ギャハハハとひとりで笑っています。
  車中などで、ようやく静かになったなと見やると、今度は高いびきを奏で始めます。
  後で、道中のある一日に撮影したテープをチェックしてみると、カメラの回っている間だけでも、音子さんは誰も聞いていないのに、同じ話を3回も繰り返しては、ひとりでその度ごとに大笑いをしていました。
  彼女も決して悪人ではありません。在野の移民学者である橋本先生を支えてきたブラジル日系社会の裾野の広さを察するという意味なら、興味の持てるキャラクターでもあります。
  しかし主役である橋本先生をおびやかされ続けては、たまりません。
  橋本先生は、決してカメラを向けたからといってスラスラとしゃべるようなタレント学者ではありません。
  現場で先生の行動をじっくりとフォローして、息を合わせながらカメラをスタートさせます。ようやく先生が実感のこもった言葉をもらし始めた時に、しめた!とさらにファインダーとイヤホンに集中すると、突然!
  音子さんが脇にやって来て、トンチンカンなぶち壊しの話を始めます。言って聞く相手ではありません。橋本先生も腰を砕かれ、固く口を閉じてしまいます。
  私は他人にめったに殺意など感じないのですが、例外のケースもある事に気づきました。
  現場で雑音のない情況音を録音するため、他のスタッフ、特に音子さんからはできるだけ離れて、息を殺してビデオカメラを回したこともしばしばでした。そんな苦労をして録音した音でも、後の編集段階でボリュームを上げてじっくりと聞き直してみると、背後霊のように呪いのバカ笑いがかすかに聞こえるではありませんか。
  編集中に殺意を感じるというのも、珍しい体験でした。
  とにかく音子さんの声のない音を探す、そんな作業のために膨大な手間ひまがかかりました。

  今回の作品ではパタゴニアの植物そのものも主人公となっています。せっかく私が三脚もままならない劣悪な条件のなかで、苦肉の策の方法で植物の撮影に成功していても、その場面にふさわしい「音」がなければどうにもなりません。
  編集を開始して、絶望的な気持ちになった私は、音楽を使用してみることを考えました。若い気鋭の音楽家に、このビデオにふさわしいパタゴニアのテーマを作曲してもらう。そうとなれば、作業のスケジュールを考えて、早めに手を回さなければなりません。
  私は知人を介して、日本の音楽家に打診してみることにしました。
  そうした手配もしながら、私はのたうち回って編集作業を続けました。
  せっかくの絶妙なシーンが「雑音」「不快音」のため、使えない。
  しかしどんな事でも現実に起こってしまった物事というのは、大きな流れの中で何かの意味があるはずだ、そんな思いでの闘いでした。
  通常の編集作業の倍以上もの時間を費やし、身も心もヘロヘロになりました。
  このビデオは昨年、日本で名誉博士号を授与された橋本先生へのお祝いの意も含めて完成することになっていました。そのためのスケジュールの都合もあります。とりあえず第一版の「パタゴニア 風に戦ぐ花」は音楽を用いず、現地音だけで構成した作品として仕上げることにしました。

  この第一版のビデオ・テープを、日本の音楽家と連絡をとってくれた知人に送ったところ、しばらくして、こんな便りが届きました。
 「『パタゴニア』の音楽に関してですが、音楽家さんとも話をしたのですが、可能な限りこのままの音のデザインの形にした方がよいのではないか、と考えました。
  そのままのすばらしい音響で作品が成立していることに、音楽家は感嘆していました。自分が補完すべきものは何もない、と。」
  この作品の完成間近、私は過労からくる感染症で、生まれて始めての入院生活を余儀なくされました。 もう少し入院が遅れていたら危なかった、と医師に言われました。

  危うく私の遺作になりかけた「パタゴニア 風に戦ぐ花」の音を、ひとりでも多くの方に聴いていただけたら、と願っています。

Bumba No.18 2003年

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